他人のものなら3割引、本人のものなら3割増

初めて会った人から「○○(通りの良い肩書き)の渡邊さんですか?」と呼びかけられるより
「まろまろHPのらぶナベさんですか?」と呼びかけられる方がずっと嬉しい。

他人が作って他人の権限にあるものなら、どんなに通りの良い所属や地位でも
その本人に反映される魅力としては3割引になるだろう。
逆にその本人が作って自分の権限で運営している所属や地位なら、
どんなに小さくて笑ってしまうようなものでも3割増だと思う。
ちょっと恥ずかしくても自分で作ったものに気持ちの軸足は置いていきたい。

2004 5/26
はしり書き

マイケル・ポランニー、高橋勇夫訳 『暗黙知の次元』 筑摩書房 2003(原著1966)

実はハンガリーってすごいんじゃないかと思いはじめてる、らぶナベ@天才多い?

さて、『暗黙知の次元』マイケル・ポランニー著、高橋勇夫訳
(ちくま学芸文庫)2003年初版(原著1966年初版)。
「言葉にできない知がある」として暗黙知を打ち出した本として有名な一冊。

もともと言葉にできないものを言葉にしようとしているので
やっぱり読みずらいところや突っ込みどころはかなりあるけれど、
よくある言いっぱなしじゃなく、神秘主義に走っているわけでもなくて読み応えがある。
おかげでそれまでは「そんなこと言っても始まらない」と言われていた、
コツやカンなどを議論の場で話せるようになった功績は大きいとされている。
(僕が関心を持っているいまの”雰囲気”もそう?)

また、なぜか読みづらい本にありがちな嫌な感じは別にしなかった。
たぶん訳者も書いているように、初版当時隆盛だった共産主義でも実存主義でもなく、
(人間に対して悲観的ではなく)その隠れた可能性を信じる彼の姿が垣間見れるからだろう。

実はこの本は今年からできた佐倉研究室指定必読書の僕の担当文献。
リストアップ案(まろまろ原案)を出した人間として、
リストの中で一番読みにくい&一番発表しにくいものを選ぶべきだろうと読んでみた。
暗黙知という言葉やこの本については経営学や組織論を学んだ時に
よく出てきたのでペラ読みはしたことはあったけど、
まさかこんな機会に通読するとは思わなかった。
人生って不思議ですな。

ちなみに著者は邦訳だとマイケル・ポラニーとも書かれることがあるけど、
ハンガリー発音だとポラーニ・ミハーイというらしい(Michael Polanyi)。
お兄さんは経済人類学者のカール・ポランニー(『大転換』、『経済の文明史』)。
こんなすごい親や叔父がいると子供はプレッシャーかかるだろうって思ってたら
著者の子供、ジョン・ポランニーは1986年にノーベル化学賞受賞、冗談みたいな一家だ。
おそるべしマジャール!&同じアジア系としてちょっと親近感(^^)

以下はチェックした箇所・・・

○暗黙知の構造によれば、すべての思考には、その思考の焦点たる対象の中に
私がちが従属的に感知する、諸要素が含まれている
→しかも、すべからく思考は、あたかもそれらが自分の体の一部ででもあるかのように、
 その従属的諸要素の中に内在化(dwell in)していくものなのだ
<序文>

○私たちのメッセージは、言葉で伝えることのできないものを、あとに残す
それがきちんと伝わるかどうかは、受け手が、
言葉として伝え得なかった内容を発見できるかどうかにかかっている
<第1章 暗黙知>

☆第一条件について知っているとは、ただ第二条件に注意を払った結果として、
第一条件について感知した内容を信じているのにすぎない
<第1章 暗黙知>

☆暗黙地の特徴・・・
・機能的構造(functional structure)
=暗黙知が機能しているとき、私たちは何か別のもの「に向かって」注意を払うために、
 あるもの「から注意を向ける」(attend from)

・現象的構造(phenominal structure)
=A(近位項)からB(遠位項)に「向かって」注意を移し、Bの様相の中にAを感知する

・意味論的側面(semantic aspect)
=すべからく意味とは「私たち自身から遠ざかって」いく傾向がある
(道具を使用して得られた出来栄えを介して、道具の感触が意味するものに注意を傾ける)

・存在論的側面(ontological aspect)
=暗黙的認識とは、二つの条件の間に意味深長な関係を樹立するものであり、
 したがってそうした二つの条件が相俟って構成する
 包括的存在(comprehensive entity)を理解すること
<第1章 暗黙知>

○ある人の精神はその活動を追体験することによってのみ理解されうる(ディルタイ)
<第1章 暗黙知>

○審美的鑑賞とは芸術作品の中に参入し、さらに創作者の精神に内在すること(リップス)
<第1章 暗黙知>

☆理論の内面化・・・
私たちは理論から、その理論の観点で見られた事物へと、注意を移動させ、
さらに、そうした具合に理論を活用しながら、
理論が説明しようと努めている事物の姿を介して、理論を感知している
→数学理論が自らを実際に応用することでしか修得されえないのはこのため
<第1章 暗黙知>

☆問題を考察するとは(略)まだ包括されていない
個々の諸要素に一貫性が存在することを、暗に認識すること
→独創性とは期待している包括の可能性を他の誰も見いだすことができないときのこと
<第1章 暗黙知>

☆包括的存在の安定性に機能する暗黙知・・・
1:包括的存在を制御する諸原理は、具体的な諸要素を
 それ自体として統治している諸規則に依拠して機能する
2:同時に諸要素をそれ自体として統治している諸規則は、諸要素が構成する、
 より高次の存在の組織原理の何たるかを明らかにするものではない
<第2章 創発>

○境界制御の原理(the principle of marginal control)
=上位レベルの組織原理によって下位レベルの諸要素に及ぼされるコントロール
<第2章 創発>

☆創発の過程
=より高位のレベルは下位のレベルでは明示されない過程を通してのみ出現できること
<第2章 創発>

☆ある論文の科学的価値=厳密性、体系的重要性、内在的興趣
<第3章 探求者たちの社会>

☆理論の不意の確証(surprising confirmations)
→発見は現行の知識が示唆する探求可能性によってもたらされる
<第3章 探求者たちの社会>

○可能性を論じる主張は確実性を論ずる主張と同様に個人的な判断を含んでいる
→結論とはそれに到達する人間の掛かり合い(commitment)を表現するもの
<第3章 探求者たちの社会>

この本をamazonで見ちゃう

2004 5/23
暗黙知、哲学、組織論、認知科学、情報・メディア、心理学、学問一般
まろまろヒット率4

クラウンエースの「コロッケカレー」

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前から気になっていたカレー屋さんに入る。総じて値段が安いのでコロッケカレー(450円)を頼んでみる。カレーはけっこううまい。しかしコロッケはいまいち・・・
春日・後楽園(東京都文京区春日2丁目10-13)の「クラウンエース」茗荷谷店にて。

『サンシャイン国際水族館』(水族館)

改装中のところもあったので300円引きで入る。ここの見所はなんといってもクリオネだろう。クリオネは補食の際に頭が割れ、6本の触覚がにゅるにゅるっと出て獲物を捕らえてかみ砕く。ごはんを食べる姿はトラウマになりそうになるのだけど、この水族館ではその補食時のエイリアンな姿の模型がある。一生懸命生きている生命に人間があまり勝手な幻想を抱いてはいけない良い例か(^^;

2004 5/11
もろもろ鑑賞、水族館
まろまろヒット率2
旅行

カロリー!なキッチンカロリーの「ジャンボカツ鉄板焼き」

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知り合いが行きたいということで噂のどでか洋食屋に入ることに。このお店の名前はズバリ「カロリー」・・・カロリー・・・カロリー・・・健康ブームの中、カロリーという名のお店、挑戦しています。ジャンボカツ鉄板焼きを食べる・・・まさにカロリー!ここまでくればもう許されるだろう。
駿河台(神保町より)の「キッチンカロリー」にて。

キッチンせんごくの「お好みサラダ」

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まろまろハウス近くの洋食キッチン「せんごく」に行く。いつもはシーザーサラダを頼むけど、今日は気分を変えてせんごくお好みサラダなるものを頼んでみる。
豆腐が裏ごしされてあって濃厚な食感がチーズのようで美味しい。
春日・後楽園(東京都文京区本郷4-25-8)の「グリルキッチンせんごく」春日本店にて。

『皇居東御苑』(名所旧跡)

知り合いから「良い」と聞いたので大手町の大手門から皇居東御苑に入ってみる。無料で入れるが、中はすごく大きい。本当の都会の真ん中にここまで自然庭園があるとは知らなかった。
家族連れがちらほら見えたが、自分も家族を持ったらGWなどはここに来ようと思った。往復の混雑の心配がなく、疲労度がぜんぜん違うだろうし、警備の人が多いので子供を放出できる。仕事で疲れたパパも安心なことうけあい。

2004 5/1
もろもろ鑑賞、名所旧跡
まろまろヒット率4
旅行