新雅史 『商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道』 光文社 2012

渡邊義弘@おかげさまで「まろまろ記」が7月19日に11周年を迎えました☆

さて、『商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道』新雅史著(光文社)2012。

商店街の誕生と隆盛、衰退の過程を社会史・政治史・経済史の流れの中で明らかにし、その限界と可能性に踏み込む一冊。
著者自身も酒屋の息子として育ったこともあり、この本の目的を・・・

○これまでの商店街論は、わずかな事例で商店街をことさら称揚したり、あるいは経済至上主義の立場から頭ごなしにそれを否定したりするものばかりだった
→そうした極端な議論は、かえって商店街の可能性と限界の双方を見失わせる結果となる
→商店街がこの国にひろがったのはなぜか、そしてどのような過程で商店街が凋落したのか、こうした問題に正面から答えようと思った
<序章 商店街の可能性>

○「商店街」という理念は評価できるが、それを担う主体に問題があったというのが、わたしの立場
→過去の共同体を復活させるためではなく、生活保障となるべき地域の拠点として、商店街を定位したい
<第1章 「両翼の安定」と商店街>

・・・と明言している。
また、商店街の誕生について、様々な資料から・・・

○商店街はあくまで近代的なものである
→それも、流動化という、現代とつながる社会現象への方策のなかで形成された人工物だったのだ
<第1章 「両翼の安定」と商店街>

○離農者を中間層化しようとする試みの中で「商店街」という理念が形成されたが、
担い手は「近代家族」であったため、事業の継続性という点で大きな限界があった
<第1章 「両翼の安定」と商店街>

・・・という特徴を指摘。
日本の戦後史の政策を踏まえた上で、最後に・・・

○規制と給付のあるべき政策の組み合わせを検討する
→業界の保護のために存在するのではなく、地域で暮らす人々の生活をささえ、かつ地域社会のつながりを保証するために存在する
→これまでの規制は、業界や一部経営者を利するだけになっていたため、その正当性がなくなってしまった
<第5章 「両翼の安定」を超えてー商店街の何を引き継げばよいか>

○商店街の存在理由は「生存競争の平和的解決」
<第5章 「両翼の安定」を超えてー商店街の何を引き継げばよいか>

・・・という提言につなげている。

特に、僕自身も商店街のある町で暮らす一人として、本来は社会政策であった商店街が、あたかも既得権益と見なされるようなっていく過程は読んでいて胸が痛くなった。
それだけに、単なる商業振興ではなく、地域社会政策として商店街を位置づける著者の主張は心に響くものがある。
地域に生きる人々のための場としての商店街の価値を考えさせられた一冊。

以下は、その他にチェックした箇所(一部要約含む)・・・

○商店街は、商業地区であるだけでなく、人々の生活への意志があふれている場所である
<序章 商店街の可能性>

○近代化は、農業層から雇用者層への移行だけでなく、都市自営業層への移行をも進めた
都市自営業層を安定させたところに日本の近代化の大きな特徴がある
<第1章 「両翼の安定」と商店街>

○「商店街」という理念は、零細小売商が対立していた協同組合、公設市場、百貨店の長所を貪欲に取り入れつつ形成された
→1:百貨店における近代的な消費空間と娯楽性、2:協同組合における協同主義、3:降雪市場における小売の公共性
<第2章 商店街の胎動期(1920~1945)ー「商店街」という理念の成立>

○自民党による1980年代の年金制度の改正は、男性サラリーマンと専業主婦のカップリングを優遇するもの
→男性家長制をモデル化
<第4章 商店街の崩壊期(1974~)ー「両翼の安定」の奈落>

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2012 7/23
商店街、地域活性化、社会史、政治史、経済史、歴史
まろまろヒット率4

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