<2769> inbox, 00/ 4/ 5 06:53 ps360953@askic.kic.ritsumei.ac.jp から 118行
標題: [ml-dokusyo 202] 漢の風、楚の雨、蒙の草
期限: 00/10/ 2 06:53
宛先: ml-dokusyo@ml.ritsumei.ac.jp
モンゴル族のある旗(部族のようなもの)では自分の子供にできるだけ
「イヤな名前」をつけるという習慣があるらしくて縁起が悪かったり
マイナスの意味がある戸籍名を持つ人もいてるらしい。
例えば僕がお世話になった内蒙古新聞の記者の同僚にすごい美人さんが
いるらしいがその人の本名は「ブス」さんというらしい(@@)
他にも「馬糞」くんという名前まであるらしい!
・・・何でもイヤな名前をつければその子に来る不幸はすべて名前の方に
吸収されて本人は逆に幸せになれるという言い伝えがあって、
子供の不幸を避けるためにあえてイヤな名前をつける習慣があるらしいが
「馬糞」という名前がついていること自体、本人にとっては
生まれながらにしてかなりの不幸じゃないのか?と思わず突っ込んだ、
らぶナベ@まだまだ僕は異文化理解が甘いなっす(^^;
>誰も感想寄せないのもさみしいし(登録者は多いのにね)ということと、
相変わらず気づかいの人だね、ありがとっ。
日本に帰ってきたことを実感できてホッとするっす(^^)
ま、でも何も無しでも良いんじゃない?
そもそも読書を含めて知的活動なんてものは個々人差のあるものだし
変に気をまわしてやるものでもないんだから。
(勝手に気が向いたときにやれば良いし気が向かなければずっとなしで良い)
以前は僕も「せっかくMLなんだからみんなも」と思った事もあったけど、
よく考えたらMLがある無しに関わらず僕がやる事は変わらないし
何よりも単にアップするだけでも自分にとってすごく大きなメリットを
もたらしてくれるってわかったからのんびりしているっす(^_^)
中国風に書けば普段の僕の活動は動(=陽)でMLを含めた読み書きは
静(=陰)に当たるものだから静に関しては捉える尺度を
長くした方が良いと思っているっす。
ところで・・・
>なんかNHKの番組のような旅をしてきたようで、うらやましい限り。
いやぁ、確かにマレーシアの熱帯雨林に行った時もそうだったけど
普通の観光では行けないような場所に行けて会えないような人と会えた
体験ができたのが良かったっすよ。日本に帰ってきてから知り合いの
彫師の人に「若い間に旅をしろ。老いてからする話が無くなるから」
という言葉があることを教えてもらったけど
何十年か後でも話せるネタができたっす(^^)
(追加でかかった費用を大学に落とさせることにも何とか成功)
>で、これを読んでいて疑問に思ったわけですが、
>酒に弱い人間は淘汰されてきたのなら、モンゴル人は総じて
>アルコール耐性は高い(分解酵素を保有しているだったっけ??)と
>思われるわけですが、
「淘汰」って言ってたのは遺伝子的な意味ではないと思うよ。
(モンゴロイドは総じて人種的にアルコール耐性は弱いとされているし)
「自分の限界を超えた時にコントロールできないやつは生きていけない」
・・・という風な後天的な意味合いだったと思うっす。
騎馬民族は基本的に移動しながら生活するし、農耕と違って放牧は
近くに寄り添ってはおこなわない。(すぐ草が無くなっちゃうから)
だからもし自分に何かあったときには自分自身で対処できないと
そこで人生が終わってしまう、特に自分の限界を超えるような
「非常の時」でもちゃんと自分をコントロールできるやつじゃないと
隣人と時に何十キロも離れてしまうこともある生活はできないって事っす。
吐かなければ死ぬ時に吐かないような人間は死ぬのが当然・・・
そういうしれっとした厳しさを感じたっす。
これは農耕民族ほどは寄り添っては生きない騎馬民族独特のものだろうけど。
だから結婚の時にモンゴリアンナイフの使い方を見るのもそうなんだろうね、
家族単位でサバイバルするような場合もあるのにろくにナイフも使えない
男には自分の娘はまかせられないと思う事はけっこう自然なことかも。
>モンゴル人全体では、アルコールによって引き起こされる
>トラブルは少ないんでしょうか??
とんでもない!とんでもない!
モンゴルの人は酒癖悪いのでかなり知られているっす。
気に入らなければすぐにケンカするし簡単に人を殴ろうとすることもある。
自分の身は守るし気に入った人間は歓迎するけど気に入らなかったり
自分の敵だと思ってしまった時は躊躇無く実力行使をしてくる。
・・・これも騎馬民族としての特色かな?
もちろん個人差はあるし状況にもよるんだけど総じてこんな感じっす。
これがモンゴルとしての「使い慣れたフライパンについた油のようなもの」
=「文化的特色」みたいっすよ。
>また、北京の自己責任は本当にうまくいっているのか知りたいところです。
単に言葉としての自己責任って感じじゃなくて当たり前の習慣として
御上はあくまで御上で自分は自分って感じを受けたっす。
ただ自分というものの範囲は日本人よりも広いのかなって感じはしたっす。
自分より三代くらい前と三代くらい後まではまさに「自分自身そのもの」で
だから子孫を残せない事が今でも一番の不幸に当たるらしい。
そして今中国社会で中心的になっている世代の三代前といえば何と清朝時代!
清朝から長い動乱の中で辛亥革命→中華民国→軍閥闘争→都市部は日本占領
→国共内線→中華人民共和国と実に御上がころころと変わっているっす。
(ここらへんの経緯はユン・チアンの『WILD SWAN』に詳しい)
さぁ、ようやく社会主義国家になったと言ってみても社会的な意味で
本当に社会主義政策を貫いたのはわずか20年たらずしかない、
さらにそのうち10年間は文化大革命で社会は大混乱に陥っていた。
この20年は徐々に社会主義から自由主義に移行しているって感じっす。
つまり中国では一般的に「最近」に入る三代前から今まで国の枠組み自体が
長期間に渡って一定のものに固まった試しがないんす。
だから僕らが言う国家とか御上というものとはまたかなり違ったニュアンスが
漢民族が捉える国家というものは持っているんだろうなっていうのが
中国に行ってみて感じた違和感の帰ってきてからの僕なりの理由づけっす。
日本に帰ってきてから僕もやっぱり気になってしまって中学の時に読んだ
司馬遼太郎の『項羽と劉邦』上中下巻を一気に読み直してみると・・・
(読み始めると面白いので途中でやめれない(^^;)
「この大陸では古来、村ごと民が餓死するようなことがしばしばあり、
時に村や地域ごとに流民化する。流民化した民は英雄に集まる。
英雄とは飢える時代に民を飢えささない程度に食わせる人間を言う。
・・・本来的な意味での英雄にあたる人間は日本史には存在しない」
というようなことを書いてあったけどまさに僕の中国で感じた
市民と国家との関係はこのようなものだったっす。
だからこそアクの強いリーダーが出てくる土壌があるんだろうね。
中国国民が社会主義を選んだというよりも単に毛沢東という
自分たちを食わせてくれるリーダーを選んだというだけであって
そのリーダーがたまたま社会主義思想を持っていたというのが
正確なところじゃないのかな?
毛沢東は後に権力闘争を激しくおこなって文革で中国全体を恐慌状態に
陥れたけどいわゆる独裁者につきものの強力な秘密警察っていうのは
結局最後まで持たなかった。毛語録などのシンボルを通して
農民自体を直接に率いたって側面が強いのはこのためだと思う。
・・・中国って深いね(^^)
強い違和感を感じながらも何か魅力を感じてしまう。
おかげで以前読んだ時とはまた違った『項羽と劉邦』の読み方ができたっす。
ちなみにこの本の連載当時の題名は『漢の風、楚の雨』らしいくて
そこに中国の多様さ、深さを表そうとしてつけたらしいんだけど
今の僕なら『漢の風、楚の雨、蒙の草』ってするところっす(^o^)
“Try if you complain or Don`t complain if you`re not willing to try”
Yoshihiro Watanabe on School of Policy Science in Ritsumeikan
2000 3/19~25
出来事メモ、海外体験記、インターンシップ