秋山駿 『信長』 新潮社 1996

最近、文春文庫から現代日本文芸館シリーズとして
『李陵 山月記 檸檬 愛撫 他十六篇』という本が出版されたっす。
タイトルからもわかるとおり、これは中島敦と梶井基次郎の代表的短編を
一冊の文庫にまとめたという実に小憎ったらしい戦略の文庫本っす。
一冊の本にすると短すぎるけど手元にはおいておきたい作品を
うまく入れているという(僕なら『山月記』=中島と『檸檬』=梶井っすね)
この出版社側の意図に見事にハマってしまい自分用とプレゼント用に
二冊も買ってしまった、らぶナベ@ちなみに『檸檬』の舞台になった
あの八百屋さんはまだ京都に現存するらしいっす。

さて、『信長』秋山駿著(新潮社)1996年初版をば。
前々から様々なところで評価を受けていたので気になっていた歴史評論本。
実際に読んでみると評判以上の大作で大当たりの一冊!(^o^)
けっこうな分量がありその上小説ではなく評論という取っつきにくそうな
雰囲気を持った本だけどこれは読んでおくべきと断言できる本っす。

以下は具体的な内容・・・
主に『信長公記』を元にして織田信長の革新性や天才性を考察している本。
彼に対する評論や小説は多いがこれはひと味もふた味も違う。
「モデルを持たなかった真の創造者」という視点で信長の行動を追っていき、
その革新性や創造性を支えた精神とはいったい何だったのかということを
プルタークやヴァレリー、モンテスキュー、スタンダール、デカルト
などからの引用を多様しながら紐解こうとした実に野心的な評論。
「それは持ち上げすぎやろ」とか「ホンマかいな」という突っ込みは
いくらでもできるが、それが事実かどうかということよりも
いまを生きることの意味や時代を切り開く価値について考えさせられる
歴史書というよりは創造性や革新性を信長を通して考える哲学書的な本。
野間文芸賞や毎日出版文化賞をもらっているのも
そういう側面があるからだろう。

この本の中で僕がもっとも印象に残り、
かつ信長についてとても的確に表現していると思われる箇所がここ・・・
☆リアリストは、現実を掴む。しかし、単なるリアリストは、
現実を超えない。現実の方が彼より強いから。
したがって、根底からの新しい創造などというものは無い。
これに反して、非凡なリアリストは、現実を掴むと同時に、
もう一つの見えない手、現実否定の刃を持った手で、
これを撃つのである。現実を割る。
・・・したがって非凡なリアリストは、その存在の一端で絶えず、
無、というか、非現実なものに触れているはずである。
信長が好んだという「人間五十年・・・夢幻の如くなり」の詩曲は、
そんな彼の生の深処に木霊するものであったろう。
(第四項「行動のエピソード」より)

もう一つ・・・
☆「・・・行動を制するものは精神力である。
天分が芸術の領域で作品に独特の肌ざわりを創り出すように、
精神力は行動に活力と生命を与えるのである。
事業というものに生命の息吹きを与えるかくのごとき精神力の持ち主は、
結果の責任を一身に負う気魄の人である。
困難が精神力の人を引きつけるのである。
なぜならば、彼が自己を表現できるのは困難に立ち向かう時をおいて
他にないからである。困難に打ち勝つか否かは彼だけの問題である。」
(比叡山焼き討ちについてド・ゴールの『剣の刃』を引用して)
・・・というのはぞくぞくするくらいに納得できる。

さらにこの本の根幹である信長(革命家)と他の戦国大名
(例え優れていても単なる時代の追随者)との違いについて・・・
○信玄と信長とでは、戦争の方法が違う、あるいは、
戦争をする意味つまり原理が、違っているのだ・・・
信玄は、自分の家が大切な男だった。
・・・これに反して、信長は・・・いわば、生まれ育った場処の否定、
自分の家の否定、ということになる。
・・・天下、という観念、あるいは「天下布武」という思想は、
こういう自分の家否定、のところから出発する。
信玄にはこれが無かった。

○信玄や謙信の場合は、結局のところ、自分がそこに起って
生きているところの、現在の、日常生活というものが基礎になっている。
信長はそれとは反対のことをしている。彼の土台は、戦争である。
戦争は、自分を主人公にして場面を変化させるものだ。
あるいは現実を動かす。そういう戦争の精神が基礎であって、
日常生活はそこから割り出される。だから日常生活も改変される。

○彼等の誰一人として、「天下」などという観念を抱いてはいないのだ。
仮りに天下といっても、それは漠然たるイメージであって、
観念の明晰さを持っていない。
・・・彼等には、天下という理想が無かった。
仮りに彼等の一人に天下を与えてみよ。
何も為ることが思い浮かばず、ただ右往左往とうろうろするだけだろう。

・・・このようなことを展開をしながら・・・
☆反信長同盟には、中心がない。
力がそこから発してそこへと帰着する球心点を欠いている。
したがって統一がない。
これに反して、信長軍では各武将が、
一つの中心から各方面に一斉に放射される力のヴェクトルのように、
統一の形状を成している。
・・・信長軍は到る処で現状を改変しようとするシンボル、
生き生きと動く信長という、一つの理想があった。
それが統一の根拠となる。
・・・以来、十年ばかり、周囲はすべて敵であり、
天下の反信長勢を相手に、信長軍が、いわば孤軍奮闘することになる。
天下を(敵として)相対する信長軍は、何を以ってその重さを持ち堪えたのか。
それはやはりー天下布武、という理想だと考えていい。
(なぜ織田勢が長年敵勢に包囲されながら崩壊しなかったかについて)
・・・としているのは爽快感さえある。

また、このことに関連することで・・・
☆「人間は弱いがゆえに、目的に完全性を求め、弱いがゆえに、
精神がうっ屈するがゆえに、無限に願望をふくらませ、
自分の無力さをしっているがゆえに、偉大な行動に参加を求めるのである。
指導者は人間のこの曖昧模糊とした願いに堪えてやらねばならない。
この偉大さというダイナミズムを利用せずしては
なんぴとも人に自分の意志を強要することは不可能である。」
(比叡山焼き討ちや一向一揆との戦いになぜ信長の配下武将が
従ったかについてド・ゴールの『剣の刃』を引用して)

☆「暗澹たる、並々でなく責任の重い問題への只中にあって
みごとに快活さを保つといふことは、決して些細な芸当ではない、
とはいへ、快活さ以上に必要なものがどこにあらう?
・・・力の過剰こそ初めて力の証拠である。」
(信長の全行動についてニーチェの『偶像の薄明』を引用して)
・・・などの箇所が印象深い。

他にも・・・
☆野望は自己の肥大化であるが、理想は自己一身の献身を要求する。
野望はそれを抱いた人の死で熄むが、理想は抱いた人の死を超えて生きる。
理想は、天下布武というようなものでなければならぬ。
偉大な将帥の本質とは何であろうか。
それは理想を、己の精神の内密の秘密と化し、
己の日常の生の波動と化している人のことだ。
理想を一秒の休みもなしに刻々の火と化している精神力の人のことだ。
戦術の巧妙とか戦術眼の確かさなどは、佐官クラスの器量に過ぎぬ。
(長篠の戦いで優れた人物とされた武田勝頼が挫折したことについて)

☆「カエサルは多数の成功を収めたが、天性大事業に対する名誉心が
強かったために、骨を折つて果たした仕事を味はふ気持ちにはならず、
それらが将来の仕事に対する燃料と自信を与え、
一層大きな事業に対する計画と名声に対する欲望を生じ、
現在の名声は用が済んだものと見て、自分自身の功績を他人の功績のやうに
考へて絶えずそれを凌がうとし、既に果たした仕事を向ふに廻して
将来の仕事に抱負を懸けた」と『プルターク英雄伝』を引用して・・・
独創の人の戦争は、実は、その始源は自分との戦争から始まる。
彼は、絶えず間断なく、かつて在った自分、そこに在る自分を、
乗り越えようとする。
(本能寺の変直前の信長について)

☆「剛胆とは、大きな危難に直面した時に襲われがちな胸騒ぎ、狼狽、
恐怖などを寄せつけない境地に達した、桁はずれの精神力である。
そして、英雄たちがどんなに不測の恐るべき局面に立たされても
己を平静に持し、理性の自由な働きを保ち続けるのは、この力によるのである。」
(本能寺での軽装備について『ラ・ロシュフーコー箴言葉』を引用して)

☆「彼らが殊に注意して糺明するのは、どういふ点でその的は自分たちより
秀れているのだらうかといふことだつた。
そして、まづそれを自分のものにした。
・・・戦は彼らにとつて一つの考察であり、平和は実習だつたのである。」
(美濃攻略の過程をモンテスキューの『ローマ人盛衰原因論』から引用)

☆「天才とは己が世紀を照らすために燃えるべく運命づけられた流星である。」
(「本能寺の変」でスタンダールの『ナポレオン』を引用して)
・・・などはしっかりとメモを取る価値のある箇所だろう。

以下はこれら以外で気になった箇所の抜粋・・・
○戦闘において、自分の軍勢を敵より常に到る処で二倍にすることにあった
(スタンダールがナポレオン戦法について述べたことを引用して)

○二千の兵を、無意識に義元と妥協しているような人々から切り離して、
何処へ往ってもいいような一個の流動体と化して行動させた
ーそこに合戦の鍵があった、と思う。
(桶狭間の戦いの革新性を述べて)

○なるほど、われわれにとっては町を歩きながら「瓜をかぶりくひ」
するのは、普通の行為普通の光景だろうが、そこに信長が参加すると、
あるいは信長を中心にそれが行われると、異なった光景が出現する・・・
・・・信長が、新しい世界異なった世界へ入っていくのではない。
単身先頭をきって駆ける信長が、常に到る処で、自分の周囲に、
新しい世界異なった世界を出現せしめているのだ、と。
(「うつけぶり」から彼の革命性を読みとって)
              ↓
○「強気にしろ、弱気にしろだ、貴様がさうしている、
それが貴様の強みぢやないか」
(ランボオの『地獄の季節』から引用して)

○剛毅な心だけが、人の精神をリードして、新しい現実を創り出させるのだ。
(尾張統一戦での信長の苛烈な戦いぶりをスタンダールを引用して)

○発進する思考と、考え込む思考との違いがある。
この信長の行動と見えるもの、実は、
それが「剛毅な心」というものの表現なのであり、
あるいは、そこから発する思考のスタイル、といってもいいものだ。
・・・その思考の尖端に居座っているのは、現実そのものの真と偽を、
厳しく弁別、検証する力だ。
・・・現実の真偽の弁別を、いったい何がするのか、ということだ。
(疑問を自らの行動で確かめようとする傾向を指して)

○自分の家を捨て、いわば城も捨て、ことによったら「死のふは一定」で、
自分さえ捨てることのできる信長が相手だと、勝ったところで・・・
戦争の採算が取れぬ・・・これは危険な男だ。
(なぜ信玄が強大化する前に信長を討とうとしなかったかについて)

○「言葉固有の目的は、聞く人に信念の念を起こさせることにある」
(斉藤道三が信長を信じた根拠についてプルタルコスからの引用して)

○「諸君は、幸福の一致ばかり説くが、しかし誰も、
不幸を一致しようとは言わぬではないか」・・・「友」とは何か
ーそれは、不幸と死を、一致する相手のことである。
(信長と家康の関係をトゥーキュディデース『戦史』から引用して)

○「余は恒に二年後のみに生きて居る。
かういふ男に取つては現在といふものが存在しなかつたのだね。」
(このようなことをヴァレリーの『固定観念』からの引用して)

○これは見られる所のものを、見られる所のものに、
形と運動に還元することではないのか。
(上洛後の行動についてヴァレリーの『オランダよりの帰途』から引用)

○自己から発しての一尺度の創造。これが信長の本質である。
(貨幣統一と宗教宗論を起こした原因について)

○危急の瞬間、人は三十分もあれば最高の判断を下す。
(浅井長政の離反時の信長の行動について)

○「難局に立ち向かう精神力の人は自分だけを頼みとする。」・・・
「英雄とは、自己を信じるといふ道を選んだ人間でなくして何であらう。」
(比叡山焼き討ちについてド・ゴールの『剣の刃』、
アランの『デカルト』からそれぞれ引用をして)

○自分の心のかたちになぞらえて他人の心理を読む者がいる(信玄)。
人間通である。が盲点がある。
よく似た心が隣接すれば必ず反撥するということに。
自分が人とはまったく異なった生き物だと思うゆえに、
人間機械でも洞察するように他人の心理を読む者がいる(信長)。
これも人間通であるが盲点がある。
洞見されたと知ることによって変態してしまうほど、
人の心は不合理なものであることに。
(信玄、信長それぞれの人間観について)

○「最も簡単なものが通常最もすぐれたものである」
(鉄船の発明についてデカルトを引用して)

○信長の武辺道には、単に現実の局面その場その場での、
勇猛心や憶隠の情の発揮だけではなく、戦争における行為の一貫性、
あるいは生の態度の明晰さ、というものが必要であった。
(反乱を起こした荒木村重の武辺道と信長の武辺道との違いについて)

○第一。ふと好奇心を発したら、直ちにそれを確かめる。
・・・第二。信長の精神の内部にあっては、精神のもっとも高級な問題と、
これとは対極的なもっとも日常的な現実の些細事とが、
見えない直線で直結している。
・・・第三。徹底性、あるいは完結性。
(信長の日常の態度から彼の精神の三つの面を割り出して)

○もし、信長が、単なる大軍の軍司令官だとしたら、
かなり以前に石山本願寺という本拠を撃滅しただろう。
しかし、こんな「本拠」の撃滅は、相手が宗教戦争を仕掛けてくるのでは、
たいして意味がない。
相手の「中枢」を撃たねばならぬ。中枢とはこの場合、
対信長戦争の無意味化であり、朝廷の斡旋による和睦の成立にあった。
(なぜあれほど激しく戦った本願寺を撃滅せずに和睦したかについて)

○なるほど、時間の余裕があれば、光秀の態度は賢明であろう。
まず言葉を発し、用意してから、行動に移る。
だが火急の一瞬、信長は恒に、言葉より前に行動を発した。
行動こそが言葉であった。
(信長を倒した光秀がなぜあれほど早く滅びたかについて)

・・・ふぅ、この本とにかく価値ある大作です。

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1999 7/1
歴史、エッセイ、哲学
まろまろヒット率5

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