株主総会初体験

らぶナベ@いま南新宿にある小田急プラザのおトイレの中っす、
ここは清潔だし広いし静かだしなおかつ便座の横に電源まであって
さらにタダというすばらしいスポットっす。
今後も使わしてもらいましょう、名付けて「寄生虫プレイ」(^^)

さて、ついさっき東京に来た目的である
エニックスの株主総会に参加してきました。
以下は体験記・・・
朝10時から新宿住友ビルでおこなわれた
第19回株式会社エニックス定時株主総会に参加する。
ちょうど会場になったこのビルは一年前に99年度エニックス新卒採用の
説明会&筆記テスト&作文提出がおこなわれた場所だった。
あの時は吉本興業インターンシップ事業化プロジェクトのまさに佳境で
その日の午後に京都リサーチパークで木村常務へのプレゼンが入ったために
(第二期インターンシップ生選考会でもあった)
直前まで悩んだ末に泣く泣く筆記テストの最中に途中退出するはめになり、
かなりやけくそ的な気分でこのビルを後にしたことを思い出した。
まさかあの時には一年後に株主としてこのビルに来ることになろうとは
まったく思いもしなかった。
(採用も半分以上投げていたしそんなに好きな企業でもなかった)
・・・我ながら「僕の人生ってよくわからないな」とあらためて思った。

実際の総会の方は株主が50人弱(会場入り口で出席票が渡されるでわかる)、
役員7人くらい、監査役5人くらい、会場STAFF8人くらいの
総勢約70人ほどでスタートした。
始めは日本の企業らしく実に形式的に進行して行った。
最初に今総会と株主議決権の説明、次に監査役からの監査報告、
そして社長からの第19期(1998.4.1~1999.3.31)営業報告がおこなわれた。
社長からの報告は株主に郵送されてきた資料そのまま棒読みだったが、
最後の項目である「会社が対処すべき課題」については
資料に書かれていないことも口答で発言していた。

次に行われた株主からの質問、意見では思った以上に発言が多かった。
「サクラか?」とも思ったが双方ポイントの合わない答弁もあったので
そうとも言い切れないようだ。
ちなみに質問する時には入場時に渡された出席票の番号と
名前を言ってから発言することになっているらしい。
株主が5人ほど質問したが執行部側の答弁は
常に明快で見ていて安心感があった。
たとえば「プレステ2のプラットホームで開発できるソフトハウスは
数えるほどしかないらしいがエニックスは大丈夫か?」という質問には
「それほどまでにソフトハウスが開発困難なプラットホームならば
プレステ2のハード自体の底下げにもなることを考えてもらえばわかる」
として「現在4つプレステ2でのプロジェクトが立ち上がっている」
と明言した姿は見ていてカッコ良かったが「ドラクエ7の発売時期はいつ?」
という質問に対しては社長が「冬とだけお答えします」と開き直ったように
自信を持って答えた姿には会場から失笑が生まれた。
また、裁判で争われている中古ソフト販売についての著作権問題についての
質問もあったが特に印象に残ったのが前期から始めた株式取引法である
マーケットメイク銘柄の不便さについての不満がかなり出たことだ。
主に購入時の値幅の大きさについてだったがこれには僕も同感した。
これに関連する東証二部上場については「ここではお答えできません」と
出てきた質問の中でたった一つだけ答えなかったことが気にはなるが、
まぁ大丈夫だろう。
最後の質問でおばちゃんが「私ゲームとかのことはよくわからないんですけど
みんながやっているように違法コピーしてるんですけど
それはいけないんですか?」という実にわけのわからない質問をして
(違法コピーって自分で言っとるやんけ!)
社長がかなりキレ気味だったのが見ていて実に微笑ましかった。
意外に突っ込んだ話もするんだなと感心しながら営業報告は終わった。

次に(1)今期配当金30円、(2)株数増大、(3)新株引受権
(ストックオプション)の導入の三つの決議事項についての
決議がおこなわれた。
それぞれの決議案について「異議なし!」と会場からかけ声があがるのが
まるでお祭りのようなでもあった。
この中で「異議あり!」と叫ぶ総会屋はけっこう根性あるよなとも思った。
・・・ちなみにストックオプションについては最小でも800株も
付与されるのを資料で見てちょっとだけ辞退を後悔しそうになった(笑)
結局トータル50分ほど、日本の企業としての平均的な株主総会だった。

終わってから社長の本『マイナスに賭ける!』(KKベストセラーズ)を
もらうために総務の人とひさびさに話すと
最初僕だと気づいてもらえずに「どきどきした!」と言われた。
(田中さん好きだったのに(;_;))
やっぱりスキンヘッドはこれっきりやめにしよう(^^;

とにもかくにもこれが僕の株主総会初体験、
今後これが基準として株主総会を見ていくことになるだろう。
こんな会社とめぐり会えてありがたやありがたや。

1999 6/25
出来事メモ

J.G.マーチ&H.A.サイモン、松田武彦・高柳曉・二村敏子訳 『オーガニゼーションズ』 ダイヤモンド社 1977

さて、『オーガニゼーションズ』J.G.マーチ/H.A.サイモン著、土屋守章訳
(ダイヤモンド社)1977年初版をば。
『経営行動』から10年後に書かれた本。
基本的に『経営行動』の理論をもとに肉付けをしたという感じがある。
それ故理論自体は『経営行動』の焼き直し的な匂いを感じた。
なかなかに難解だが著者の特徴として第一章で結論的なことを述べ、
各章の終わりにもその章での結論を項をさいて書かれているので
歯ごたえはあってもうんざりするものではなかった。
これは著者が理系に強く傾いているからか?

具体的な内容の方は最初に組織のメンバーに関する一般的な三つの命題・・・
(1)組織のメンバーは受動的な器械であるという命題
(2)組織のメンバーは態度、価値、目的を組織に持ち込むという命題
(3)組織のメンバーは意思決定者かつ問題解決者であるという命題
・・・を挙げてそれぞれに考察を加えていくという構成になっている。
第一章はこの問題提起、第二章は(1)の命題に関する考察、
第三章~第五章は(2)の命題に対して考察し、
第六章から第七章は(3)の命題に対して考察している。
(全七章完結)

以下は重要と思われる箇所の抜粋・・・
第1章”組織内行動”
<社会制度としての組織の重要性>
☆組織の特徴を二つあげて・・・
「組織のメンバーそれぞれを取り巻いている環境としての他の人々は、
高度に安定し、予測可能なものとなる傾向がある。
組織が環境に対し調整のとれた方法で対処することができる能力を
もっている理由は、すぐ後に論じられる組織の構造的諸特徴とともに、
この予測可能性があるからである。」
                ↓
「組織は相互作用する人間の集合体であり、われわれの社会の中では、
生物の中枢の調整システムと類似したものをもっている最大の集合体である。
しかしこの調整システムは、高等の生物有機体にある中枢神経系統ほどには
とても発達していないといえるー組織は、猿よりもミミズに近い。
それにもかかわらず、組織内の機構と調整の高度の特定性こそ、
ー複数の組織間、ないし組織されていない個人間の拡散した多様な関係と
対比してみればー生物学における個々の有機体と重要性において比較可能な
社会学的な単位として、個々の組織を特徴づけているものである。」

第2章”「古典的」組織理論”
<結論>
○古典的組織理論(科学的管理法)の限界についての結論を・・・
「古典的組織理論は組織内行動に対する理論全体の
ごく一部分のみを説明しているにすぎない・・・」
            ↑
「(1)理論の基礎となる同期に関する過程が不完全であり、
したがって不正確である。
(2)組織内行動の範囲を規定するに当たって、
利害の組織内コンフリクトがもつ役割を、ほとんど認めていない。
(3)複雑な情報処理システムとしての人間の限界のために
人間に課せられている諸制約条件がほとんど考慮されていない。
(4)課業の認定と分類における認知の役割に対して、
意思決定における認知の役割とともに、ほとんど注意していない。
(5)プログラム形成の現象をほとんど重視していない。」

第3章”動機的制約ー組織内の意思決定”
<集団圧力の方向>
「個人の生産への動機づけに作用を及ぼすものとしての個人の諸目的は、
彼が入りうる集団(組織を含めて)に対する彼の一本化の強さと、
その集団圧力の方向との二つを反映しているものである。」

<結論>
○動機づけに及ぼす影響を三つの関数に絞って・・・
「(a)個人にとっての行為の代替的選択肢の喚起作用
(b)喚起された代替的選択肢の個人によって予期された結果
(c)個人によってその結果につけられた価値」

第4章”動機的制約ー参加の意思決定”
☆「組織の均衡」理論について・・
「均衡とは、組織がその参加者に対して、
彼の継続的な参加を動機づけるのに十分な支払いを整えることに、
成功していることを意味している。」
            ↓
<組織均衡の理論>
「(1)組織は、参加者と呼ばれる多くの人々の
相互に関連した社会的行動の体系である。
(2)参加者それぞれ、および参加者の集団それぞれは、組織から誘因を受け、
その見返りとして組織に対して貢献を行なう。
(3)それぞれの参加者は、彼に提供される誘因が、
彼が行うことを要求されている貢献と、(彼の価値意識に照らして、
また彼に開かれた代替的選択肢に照らして測定して)等しいか
あるいはより大である場合にだけ、組織への参加を続ける。
(4)参加者のさまざまな集団によって供与される貢献が、
組織が参加者に提供する誘因をつくり出す源泉である。
(5)したがって、貢献が十分にあって、その貢献を引き出すのに足りるほどの
量の誘因を弓よしている限りにおいてのみ、
組織は「支払能力がある」ー存続しつづけるであろう。」

<結論>
「誘因ー貢献の差引超過分は、二つの主要な構成部分をもっている。
すなわち、組織を離れる知覚された願望と、
組織にとどまるために放棄している代替的選択肢の効用
(すなわち組織から離れる知覚された容易さ)である。
移動の知覚された願望は、現在の職場についての個人の満足と、
組織から離れることを含んでいない代替的選択肢に対する彼の知覚との、
二つのものの関数である。」

第5章”組織におけるコンフリクト”
<コンフリクトに対する組織の対応>
「組織はコンフリクトに対し、次の四つの主要過程によって対応する。
すなわち、(1)問題解決、(2)説得、(3)バーゲニング、
(4)「政治工作」である。」
           ↓
「これらの過程の最初の二つのもの(問題解決と説得)は、
決定についての公的一致とともに、私的一致をも確保する試みを示している。
このような過程を、われわれは分析的過程と呼ぶ。
公私ともの一致ではない後者の二つ(バーゲニングと政治工作)を、
われわれはバーゲニングと呼ぶことにする。」
●バーゲニング(bargainning)がかぶっているやん!!
           ↑
「・・・バーゲニングは、意思決定過程としては、
潜在的に分裂的な結果をある程度もっている。
バーゲニングは、ほとんど必然的に、
組織の中の地位および権力体系に緊張を与える。
もし、より強い公式の権力をもっているものが優勢になれば、
これは組織の中の地位および権力の差違を、
非常に強いものとして知覚することになる
(これは一般的にはわれわれの文化の中では逆機能的である)。
そのうえ、バーゲニングは、組織の中の諸目的の異質性を、
承認し合法化する。目的の異質性が合法化されてしまえば、
組織内ヒエラルキーにとって利用できたかもしれない
コントロール技法が、利用できなくなってしまう。」

「組織の中のほとんどすべての争いは、
分析の問題として規定されることとなる。
コンフリクトに対する最初の対応は、問題解決および説得になる。
このような対応はそれが不適応にみえるときにすら持続する。
共通の目的が存在していないところでは、
それが存在しているところと比較して、
共通の目的に対するより大きなあからさまの強調がある。
また、バーゲニングは(それが起きたときには)、
しばしば分析的な枠組みの中に隠蔽される。」

第6章”合理性に対する認知限界”
<組織構造と合理性の限界>
「組織の構造と機能の基本的特色が生じてくるのは、人間の問題解決過程と
合理的な人間の選択とがもっている諸性質からであるということであった。
人間の知的能力には、個人と組織とが直面する問題の複雑性と比較して
限界があるために、合理的行動のために必要となることは、
問題の複雑性のすべてをとらえることでなくて、
問題の主要な局面のみをとらえた単純化されたモデルをもつことである。」
●ここは『経営行動』の理論そのまま

第7章”組織におけるプランニングと革新”
<個人および集団の問題解決>
○ケリーとチボーの問題解決過程に対する集団の作用・・・
「(1)数多くの独立の判断をプールしておく効果
(2)問題の解法に対して直接の社会的影響によってなされる修正」
            ↓
○(1)について個人の問題解決能力に対して集団がもっている優位性・・・
「(a)エラーの分散、(b)よく考慮された判断の際立った影響力、
(c)自身のある判断の際立った影響力、(d)分業」
            ↓
○(2)について直接の社会的影響力によってなされる修正の種類・・・
「(a)集団メンバーは全体として、どの個人メンバーよりも可能な解法もしくは
解決への貢献を、より多く利用することができるであろう。
(b)個人の集団メンバーに対して、多数はの意見に同調させようとする圧力。
(c)集団の環境は、孤立した個人に比較して努力と課業完遂とに向けての
動機づけをを増加させたり現象させたりするであろう。

(d)集団メンバーは、自分の考えを他の人に伝える必要のために、
自分の考えを鋭くし明確化しなければならなくなる。
(e)集団の解法を出すために、個々人の解法を組み合わせたり
重みづけすることからくる作用。
(f)集団の環境は、程度はさまざまだがわずらわしさを生じさせる。
(g)集団の環境は、相違を刺激したり疎外したりする。」

<目的構造と組織構造>
○目的構造と組織内単位のヒエラルキーとの関係について・・・
「(1)手段ー目的ヒエラルキーの高いほうのレベルでの目的は、
操作的ではない。」
(2)手段ー目的のヒエラルキーの低いほうのレベルでは、
目的は操作的である。
(3)手段ー目的ヒエラルキーにおいて目的が操作的になっているレベルの
もっとも高いところから一つか二つ下のレベルでは、
個々の行為プログラムを認識することができる。」

<限定された合理性の原則>
○フォン・ミーゼスとハイエクの分権化擁護論・・・
「人間のプランニング能力の現実的な限界を所与とすれば、
分権化されたシステムは、集権化されたものに比較して、
よりよく作動するものである。」

1999 6/22
組織論、経営学
まろまろヒット率4

京都の高尾に蛍を見に行く

たまたま蛍を見に行くことになった。
想像していた以上にたくさん蛍が光っていてとても幻想的だった。
何となく僕もその蛍を見て救われた気がした。
はじめて蛍を見たときはその少ない光り方にがっかりしたけど
本物の方がずっと良いことに気づいた。
蛍は綺麗なものだ。

1999 6/15
出来事メモ

ルイス・セプルベダ、河野万里子訳 『カモメに飛ぶことを教えた猫』 白水社 1998

(京都の)高尾に蛍を観にいくと思っていた以上にたくさん飛んでいて
都会育ちの僕にとってははじめて本物を見たときにはがっかりした蛍も
「やっぱり本物の方が良いな」とあらためて思えたのがよかった、
らぶナベ@しかし文化の違いか英語で蛍を表す”firefly”、”glowfly”などは
ちょっと風情が無いなと思っているっす。

さて『カモメに飛ぶことを教えた猫』ルイス・セプルベダ著、河野万里子訳
(白水社)1998年初版の読書感想をば。
もともとこの本は去年の夏休みくらいに京大の書籍部で見かけて以来、
そのタイトルに惹かれて(たぶんカモメ=海猫に引っかけているんすね)
「どんな本なんだろう?」とずっと気になっていた本。
しかしそれからの怒濤のような日常と読むべき本たちに追われるあまり
この本の存在自体もすっかり忘れてしまっていた。
しかし最近マキアヴェッリやら歴史小説やら空に賭ける男たちの本など
生臭い本ばかり読んでいて汚れてしまっている自分に気づき
「これはいかん!ピュアな自分を取り戻さねば!!」と思ったところ
偶然別の本を買うために立ち寄った帰り道の書店で再び巡り会ったので
購入に踏み切ったヨーロッパで評判になっているらしい寓話。

こういうかたちでこの本のを読んでみることになって
運命の巡り合わせと言うのか、そういう言い方が綺麗すぎるなら
嗅覚というものなんだろうか、とにかくそういうものを強く感じた。
なぜならこの本は僕が現在進行形的に感じていることを
寓話の形式をとって書かれていたからだ。
その気持ちはあるのにうまく表現できなかったり、
それを伝えたい相手に伝えきれずに焦燥感を感じたりしてたことを
ちょうどテーマにしている本だったからだ。
内容をよく知らないでたまたま購入したまったくの偶然なのに
いま別の角度から見つめて表現したいことにスポットが当たっていた。
この本が僕を呼んだのか・・・読書って時々不思議なことがある。

この物語りはハンブルクで暮らす猫ゾルバ(なかなかカッコ良いやつだ)が
ひん死のカモメと成り行きで三つの約束事をすることから始まる。
それは「私がいまから生む卵は食べないで」、
「ひなが生まれるまで面倒を見て」、
そして「ひなに飛ぶことを教えてやって」(んな無茶な!)の三つだ。
このゾルバと「港の猫の誇り」を持つ仲間の猫たちと
カモメのひなフォルトゥーナが飛べるようになるまでの
試行錯誤や模索、葛藤を描いている。

この話の中でフォルトゥーナがゾルバたちと同じ猫になりたいと渇望し
そのために傷つき自分自身やゾルバたちからの愛を見失いかけていた時に
ゾルバが彼女に語りかけたシーンが特に印象に残っている・・・
「たとえきみがカモメでも、いや、カモメだからこそ、
美しいすてきなカモメだからこそ、愛してるんだよ。
・・・きみは猫じゃない。きみはぼくたちと違っていて、
だからこそぼくたちはきみを愛している。」
「そのうえきみはぼくたちに、誇らしい気持ちでいっぱいになるようなことを
ひとつ、教えてくれた。
きみのおかげでぼくたちは、自分とは違っている者を認め、
尊重し、愛することを、知ったんだ。
自分と似た者を認めたり愛したりすることは簡単だけれど、
違っている者の場合は、とてもむつかしい。
でもきみといっしょに過ごすうちに、
ぼくたちにはそれが、できるようになった。」
「いいかい、きみは、カモメだ。そしてカモメとしての運命を、
まっとうしなくてはならないんだ。だからきみは、飛ばなくてはならない。」

そして最後の場面でフォルトゥーナが飛び立った時にゾルバが言った・・・
「最後の最後に、空中で、彼女はいちばん大切なことがわかったんだ。
・・・飛ぶことができるのは、心の底からそうしたいと願った者が、
全力で挑戦したときだけだ、ということ。」

ってこんな読書感想書いている僕ってかなり恥ずいやつやな。(^^;

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1999 6/10
小説、寓話
まろまろヒット率5

池宮彰一郎 『島津奔る』 新潮社 上下巻 1998

ドラマ『古畑任三郎』が最近自虐的なネタが増えてきているので
見る度に痛々しさを感じる、らぶナベ@古畑に「何でもありなんです」
や「トリックに穴があるのは前からです」とか
劇中で言わせるなんてそろそろいっぱいいっぱいだな(^^)

さて、『島津奔る』上下巻、池宮彰一郎著(新潮社)1998年初版をば。
戦国武将、後に大名として戦国末期から江戸時代初期の転換期に生きた
島津義弘を主人公にした小説。
彼の人物紹介としては当初彼の兄、義久の元で島津家No.2として
常に前線最高司令官を務めて薩摩統一戦を成功に導き、
続く外征では九州統一の一歩手前まで島津を導いた中心人物。
豊臣政権に屈してからは義久の引退を受けて島津家当主に就任。
当主として二度の朝鮮出兵に参加し特に二度目の慶長の役の末期、
豊臣秀吉死後の日本軍総退却時には追撃してくる李氏朝鮮と明の連合軍を
退路が無く兵力差30倍、かつ他家の協力も無いという絶望的な状況で
島津家お家芸の迎撃作戦「釣り伏せ」で壊滅(泗川の戦い)する。
帰国後の関ヶ原の戦いでは西軍に与して戦場に参加するも
終始積極的には戦わず、戦いが決着してから千数百の軍勢で
数万の東軍の中心を突いて中央突破退却をしたことは有名。
・・・このように生涯を通じて戦場では常に劣勢な状態から
卓越した戦術と作戦指導で不利な状況を打破してきた点が注目されている。
彼について国内では「鬼島津」、国外では「石曼子(シーマンズ)」
と当時から怖れられたように猛将のイメージがいままで強かったが、
(最近の『信長の野望』では戦闘能力90の大台を軽く突破)
実はそれだけでなく彼は卓越した政治的感覚と大局的な視点を持った
人間だったんだという興味深い切り口でこの小説では彼を画いている。
その証拠として西軍(負け側)に与して戦いながら
唯一島津家だけが領地を減らされなかったこと
(東軍に与してガンバって戦っても潰された家は多いのに)
戦後交渉の中ではさらに加えて琉球領有まで幕府に認めさせたこと
そして最後まで徳川家康が「徳川家の敵は西から来るだろう」と恐れたほどに
強力な薩摩藩の基礎を彼が創ったということだ。
そういう政治家:島津義弘としての視点でこの小説は書かれている。
そのためにこの本は朝鮮半島から撤退しようとしている
泗川の戦いからスタートしている。
(猛将島津義弘を画くなら九州統一は避けられないのに敢えて飛ばしている)

彼と僕とは名前がまったく同じで前から親しみを感じていたんだけど
読み進んでいくうちに圧倒されるほどのカッコ良さを感じた。
戦国時代が終わり戦争経済終焉後の不況にあえぐ当時の日本にあって
(バブル後のいまの日本を対比させているのが興味深い)
その次に来るべき経済体制を見通したヴィジョンを持ち
自らのそのヴィジョンに賭けた彼の姿は爽快な泥臭さがある。

純粋に面白いと言える小説だけあって印象深いシーンが多かったが
特に泗川の戦いに臨む直前に義弘がいなくなりそれを咎めた参謀に対して・・
○「匂いじゃよ、匂いを嗅いで廻るとじゃ。」
(中略)ー戦には匂いがある。
(中略)義弘は作戦計画の不備欠陥を感じとると、
ひとり戦場予定地に赴き、その匂いに浸って心気を澄ます。

また、豊臣政権を支えた官僚石田三成らを指して・・・
○吏僚の本文は、為政者から与えられた業務を、
いかに過怠なく遂行するかにあり、能力とは、
それをいかに能率よく行えるかにある。
従って、吏僚の持つ本能的な性格は、
極めて短期的な展望しか持てないように規制されている。
目の前の事態、困難な状況の打開には役立つが、
長期的な展望にはまったく不感症といっていい。

そして何より島津家の命運がかかった関ヶ原の戦いの準備段階で
どちらに与するか微妙になりかつ不利な状況が増えてきたのに対して・・・
○「・・・わしの一生は悪じゃった(中略)世に戦ほどむごい悪は無い・・」
(中略)「そのくせなあ(略)よいか、これは構えて人に言うな・・・
世の中に、悪ほど面白か事は無かと思うとる。
わしはな、戦と道ならん色恋ほど好きで困るもんは無か・・・
まことの悪の悪よ」
・・・と笑うシーンなどは特に印象深い。

今まで戦国時代で一番好きな人物は真田昌幸だったが
この小説を読み終えてみて島津義弘も双璧として加わった。
「なんだかんだやっても生き残った」&「自分の生き方に満足して死んだ」
人間という僕の好嫌基準にもバッチリ当てはまっているからだ。

以下はその他にこの本の中で印象に残っている箇所・・・
○「まず、敵の反抗を迎え撃ち、遠く退けて敵が陣を立て直す隙に
風の如く去る。負け戦の退き方の要諦はそこにある・・・」

○「世の中には、与する相手にはふた通りある、
正義だが戦下手な者と、心延え悪ではあるが戦上手な者とだ。」
(中略)「わしは、どちらとも組まん・・・組むならツキのある者を選ぶ」

○「戦いうものはな、好悪の思いでやってはならぬ。
(中略)たとえ相手が正義を言い立てておっても、
必ず打ち破って未来の道を切り開く、
それが国のまつり事を担うものの第一のつとめである」

○「所詮戦はツキと運・・・勝てる筈の戦に負けることもあれば、
勝ち目のない戦に勝つこともある・・・
そんなあやふやなものに命を賭けられるか、
戦の要諦は戦うと見せかけて、戦わずに相手を屈服させることにある」
(これだけは徳川家康の台詞)

○「戦の要諦はな、兵数の多寡や兵の強弱を計算する事でない。
敵の心のうち、味方の心の動きをおし量る事にある・・・」

・・・最後に読み終えた感想を一言で・・・
僕も別に天下を取らなくても良いから天下人以上に
活き活きと時代の荒波の中を奔る人生を送りたいものだ(^_^)

この本をamazonで見ちゃう

1999 6/5
小説、歴史
まろまろヒット率5