白洲正子 『西行』 新潮社 1996

渡邊義弘@クジャク羽根の活用を目指す芸学連携ワークショップのコーディネーターをしました。

さて、白洲正子 『西行』 新潮社 1996。

歌人・西行について評論と紀行文。
読んでみて印象深かったのは・・・

○西行は伝説の多い人物で、虚実の間をすりぬけて行くところに彼の魅力がある
<空になる心>

○中途半端な生きかたのままで、大きく豊かに成長をとげて行ったところに、西行の真価は見出される
<嵯峨のあたり>

○目的を持たぬことこそ隠者の精神
→ふらふらしながら、柳の枝が風になびくように、心は好く沿いも動じてはいない
<花の寺>

○総じて辻褄が合うような人間はろくなものではなく、まとまりのつかぬところに西行の真価がある
<後記>

・・・という風に、西行のことをまとまりがなく中途半端な人物であり、それこそが魅力であるとしているところだ。
僕はこの西行と著者の夫である白洲次郎の両方に昔から共感を覚えていた。
両方に惹かれる理由は長年よく分からなかったけれど、白洲次郎のパートナーであり、西行を評した著者の文章からヒントを得た気持ちになった。

また・・・

○花を見ても、月を見ても、自分の生きかたと密接に結びつけていることで、花鳥風月を詠むことは、彼にとっては必ずしもたのしいものではなかった
<空になる心>

・・・と評しているところにも強く共感した。

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2018 2/24
歴史、歌人、西行、文化
まろまろヒット率4

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