西垣通 『デジタル・ナルシス―情報科学パイオニアたちの欲望』 岩波書店 1997

文京区友の会会長として携わった街歩き本プロジェクト「てくてく文京」第1回分が文京区の図書館で閲覧できるようになった、
まろまろ@関わったものがかたちになるってやっぱり良いですな(^_^)v

さてさて、『デジタル・ナルシス―情報科学パイオニアたちの欲望』西垣通著(岩波書店)1997。

世界史の視点で現代を振り返れば、情報化社会(の始まり?)と評価される時代に位置することはほぼ間違いない。
その情報化社会の基礎をつくった情報科学の研究者たち、
バベッジ、ノイマン、チューリング、シャノン、ウィーナー、ベイトソンの業績を、
単なる研究成果だけでなく心理的・人間的な側面から評価する情報科学評論書。

読んでみて一番興味を持ったのは、原初版は携帯電話やインターネットが普及する以前の1991年なのに・・・
「情報機械は、人間の欲望と深くかかわりながら、思考=神経系の動きを代行するエロティックなマシン」、
「デジタル・ナルシスたちは情報機械なしには生きていけない」と看過しているのはまさに達観だと感じた。
確かにいまのSNSやblogはデジタル・ナルシスたちのエロティックな感覚があふれる空間という見方もできるだろう。

また、各研究者の評論では、ノーバート・ウィーナー(ウィナー)とフォン・ノイマンとの対比がおもしろかった。
何しろ僕は前々からウィナーを好きな人とノイマンが好きな人は、見事に正反対のキャラクターを持っていると感じていたので・・・
「ウィーナーのまなざしは数学的体系そのものでなく、その背後にひろがるカオスをみすえていた」、
「ところがノイマンの興味は物理的対象ではなかった(略)位置や運動量を記述する、演算子の形式的体系を構築すること自体が目的だった」
・・・としているのは「なるほどー」と思わず笑ってしまった(^_^)

以下はその他でチェックした箇所(一部要約含む)・・・

○人間と機械とを分けるのは”質”ではなく、せいぜい”程度”の違いだという呪文が、チューリングの全生涯を通じて唱え続けらている
<2 機械との恋に死す>

○応用数学がロマンティシズムと交錯するのは、それが「新しい精神によって因習・旧弊を打破する爆薬」とみなされる瞬間
→現実はダイナミックに変転するカオスだが、数理モデルは静止したコスモス(略)
 前者を後者のうちに写像して、はじきだした答をもっともらしく提示するのが応用数学のレトリック
<3 階差に神はやどる>

○情報科学とは不思議な学問である(略)
それは本質的に「自分は自分を見きわめがたい」という奇妙なパラドックスをかかえこんでいるから
<7 デジタル・ナルシス>

☆どうやら人間は「ものごとを記号化・形式化する烈しい希求」を持っているらしい
→抽象化とは、一回性のある個々の出来事の豊かな具体性を切り捨てることによって成立する(略)
 それは常に”力”にたいする欲望を隠している
<7 デジタル・ナルシス>

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2007 2/19
情報科学
まろまろヒット率3

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