チャールズ・リンドホルム、森下伸也訳 『カリスマ―出会いのエロティシズム』 新曜社 1992

修二と彰の振り付けを練習中の、らぶナベです。

さて、『カリスマ―出会いのエロティシズム』 チャールズ・リンドホルム著、森下伸也訳 新曜社 1992。

カリスマの研究書、めちゃ面白かった一冊!
内容は理論編(第2部)でカリスマ研究の歴史、各分野からのアプローチを押さえながら統合理論としてまとめ、
実例編(第3部)でカリスマとその信奉者たちの典型例を取り上げて、
結論(第4部)でカリスマとその信奉者たちとの相互作用は一体何なんなのか、その今日的な意味も含めて答えを出している。
理論の深さ、実例の迫力、結論の説得力、どれを取ってもカリスマの研究の決定版と言える本。

まず、すごいなと思ったのが膨大な先行研究を押さえていているところだ。
たとえば理論編では情念に焦点を当てた哲学者たちとしてヒュームやミル、ニーチェ(2章)、社会学としてのアプローチ、ウェーバー(ヴェーバー)とデュルケム(3章)、
催眠と群集心理学からのアプローチのメスマー、ル・ボン、タルド(4章)、精神分析学からのアプローチとしてのフロイト(5章)などの
カリスマ研究の背景やそれぞれのアプローチを総括しながら、
カリスマ的リーダーシップの病理性を強調する心理学的見解と、カリスマ的集団に積極的な価値を与える社会学的言説との対比をまとめて(6章)、
カリスマ精神の病いなのか、再社会化なのだろうかと問いの下で統合理論化(7章)をしている。

その次の実例編では典型的なカリスマとその信奉者たちの実例としてアドルフ・ヒトラーとナチ党(8章)、
チャールズ・マンソンとそのファミリー(9章)、ジム・ジョーンズと人民寺院(10章)を取り上げている。
著者は文化人類学出身なので、この実例編は本領発揮という感じでとても迫力があった。
ある人物がカリスマ的パーソナリティを持つことになってゆく過程、奴隷化しているのに自分は解放されていると思う信奉者たち、
そしてカリスマと信奉者の相互作用で生まれた集団のダイナミズムが展開し、崩壊していく様が克明にえがかれていて、
単純に生々しい読み物としても読み入ってしまった。
そしてシャーマニズムとの共通点を指摘しながら(11章)、結論につなげるという流れがとても綺麗。

結論(12章)では、現代のカリスマをよく指摘されるような芸能人やスポーツ選手にとどまるだけでなく、
カリスマ的な特徴を帯びた人間関係として、家族(観)とロマンティックな恋愛を挙げているのが面白い。
確かに実例編で出てきたカリスマとその信奉者たちは極端な事例かもしれないけど、
読みながらホストに入れ込む女性や、キャバクラ嬢に振り回される男性を思い起こしていただけに納得。
(実は自分自身の恋愛体験の中にも重ね合わさる面もあった(^^;)

人間関係がもたらす無我と交感の絶頂感(エクスタシー)は魅力的で、時には没頭してしまう。
コミュニケーションの快楽に耽溺する人の性向は決して特殊なものではなく、
人間の本質の一つなんだ、というこの本の主張は説得力があった。
(そこには集団のダイナミズムが生まれる源泉になる)

ちなみに、この本はインターネット普及以前に書かれたものだったので、
現在のネットコミュニティ内でのカリスマ出現に著者はどう思っているのか知りたかった。
また、理論編の第2部はけっこう面白いんだけど、理論的背景とかアプローチを退屈だと思う人は、
訳者が言っているように実例編の第3部から読んでも十分に面白く読めると思う。

以下はチェックした箇所(要約含む)・・・

○カリスマというものを理解するためには、カリスマ的人物の性格やそのカリスマ的魅力を個々の人間に受け容れやすくさせている諸属性を研究しなければならないばかりでなく、
同時に指導者と信奉者が相互作用をおこなっているカリスマ集団そのもののダイナミズムをも分析しなければならない
<第1章 序説>

○弱く空虚な人間は、服従することによって、ひとつのアイデンティティを、また力と意志という不可欠な幻想を手に入れることができる
→カリスマの信奉者たちは抑圧の中に解放されているという感覚を感じる (Hoffer 1951)
<第4章 催眠と群集心理>

☆自己の解体的幻想による同一化的経験こそが指導者に対する信奉者の愛、自我の境界が消失する超越的な愛の源泉
<第6章 カリスマは精神の病か、それとも再社会化か>

○心理学者たちが指導者に焦点をあて、彼らの障害をもったパーソナリティを強調しがちであるのに対し、
社会学者たちは指導者の性格についてほとんど論じることなく、信奉者や彼らを取り巻く環境に関心をもつ
→心理学が信奉者のうちに病理性を見ようとするのに対して、
社会学者は信奉者が普通の人間よりも深い心理学的な生涯を病んでいるわけではないことを証明することに関心をもっている
<第6章 カリスマは精神の病か、それとも再社会化か>

○カリスマに対しては大きく分けて二つのアプローチがある・・・
・精神分析学に由来するものでカリスマの感情的強烈さや超越的性格を認めはするが、それに対する価値判断を含み、指導者の個人的特長を過度に強調するもの
・社会学に由来するもので集団の重要性、共同体への参加が人々の願望の対象となりうることをよく認識しているが、
 しかし経験から情念を剥離させ、リーダーシップを閑却し、カリスマ的紐帯の根底にある無意識の衝動を軽視するもの
→どちらのアプローチもカリスマ的経験の一部を教えてくれるが全体ではない
<第6章 カリスマは精神の病か、それとも再社会化か>

☆自我がその価値を減ぜられ、アイデンティティの標識や対象とのきずなを剥奪されながら、それでもなお同時にすべての行為の唯一の正当化根拠とされるとき、
カリスマの啓示や帰依者の共同体的集団への没入によってあたえられる激しさや内的確実感は高度に魅力的
→このようにして高められた相互作用の形式は現実の社会構造に欠けている、交感の感情、エクスタシー的自己喪失、超越、信念をあたえる
<第7章 カリスマの統合理論>

☆カリスマ的な関わりへ導いていく諸条件について統合的図式・・・
・疎外された現代社会とナルシズムの文化が結合して人々にカリスマへの没入を受容させやすくしている
・人格的アイデンティティを遮断することによって人々に自己喪失を用意させる思想改造
→いずれも人格的アイデンティティを脅かし、集団による個人の吸収を促進し、集団形成の指導者に対するエクスタシー的心酔を偏愛するように作用する、
 ある種の技法や社会状況がもつ人格解体的作用に対してまことに弱い存在として人間を描く
<第7章 カリスマの統合理論>

○ヒトラーという恐るべき事実に直面した歴史家や政治学者は、当然のことながら彼や彼の運動からその神秘的な要素を取りのぞこうとするから、
その結果として諸々の偶然の変数が結びつくことで彼に政権の掌握と維持が可能になったという事実を強調することになる
<第8章 「取り憑かれた従者」>

☆カリスマ集団の隠された目的は「成功」することではなく、経験することそれ自体
→だから外的脅威の圧力で集合体経験は強化される
<第8章 「取り憑かれた従者」>

○(ナチスのSS訓練は)極度の疲労と苦痛、そして屈辱は、男たちの過去とのきずなを切断し、いかなる自律感覚も腐食させる効果を発揮した
<第8章 「取り憑かれた従者」>

○社会変動が旧来のきずなを切断してしまったところはどこでも、補償としてのカリスマ運動を好む
<第9章 「愛こそわが裁き」>

○主観のうちに生じるエクスタシー的なトランスという変成状態の所有がシャーマニズムの中心
<第11章 「聖なるものの技術者」>

☆シャーマンの役割につくことは、現代においてカリスマとなることと同じく、アイデンティティ解体という初期局面から苦痛に満ちた自己再構成を経て、
他のもっと弱い魂たちを圧しつぶす潜在的な精霊をコントロールして顕在化させる能力をもった変身せる専門家としての再生へ向かう運動
<第11章 「聖なるものの技術者」>

☆カリスマ的啓示は、周縁に追いやられた集団を無視し抑圧してきた社会構造における弱き者の示威運動、反構造の契機、警告のコミュニタスとなる (Turner 1982)
→カリスマの形態は、いかなる社会にあっても、社会構造の中にそれがあらわれることで克服されなければなならい抑圧のタイプと程度を示す
<第11章 「聖なるものの技術者」>

○逸脱せる集団とその指導者に精神的な変調をきたした者というレッテルを貼ることと、彼らが実際に狂気に落ち込んでいくこととの間には明確な相関関係がある
<第11章 「聖なるものの技術者」>

☆今日におけるカリスマの過剰なあらわれは、交感を求める人間の根源的な欲求を社会システムが満たしえないでいることの反映
→カリスマとその集団は、その暗さによってわれわれ自身が置かれているディレンマの輪郭をくっきりと縁どる影
<第11章 「聖なるものの技術者」>

○非日常な無我の状態に到達することのできる一つの方法が、移ろいやすい気質をもったカリスマ的指導者という霊感喚起的な人物によって結合された集団に所属すること
<第12章 今日のカリスマ>

☆恋愛においては、カリスマにおいてと同じように、相手のうちへ自己を喪失することが縮小としてでなく、高揚、エクスタシー、自我の拡大として経験される (Chasseguet-Smigrel 1976)
→恋に落ちることは巨大な革命のエクスタシー感情と変革パターンを小規模で複製する集合運動の最も単純な形態 (Alberoni 1983)
→カリスマも恋愛も強烈な情動喚起的関係における自他の完全な同一化を要求するので同時並行することはできない
<第12章 今日のカリスマ>

☆カリスマとは、世俗的な世界の疎外と孤立の外部にあってそれと対立する根源的な超越の瞬間をもたらす直接的なエクスタシー経験
→無我と交感というモーメントは、われわれ人間の不可欠な条件の一部
→問題はそうしたモーメントがどのような形態をとるかということ
<第12章 今日のカリスマ>

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2006 1/17
カリスマ研究、社会学、心理学、社会心理学、文化人類学、宗教学、思想史、リーダーシップ論、政治学、組織論、コミュニティ論
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