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らぶナベ@自業自得とはいえ作業量の多さにくらくらだす(^^;
さて、『西行花伝』辻邦夫著(新潮文庫)2002。
僕は出歩いた先で和歌を一首詠む「西行法師プレイ」というのをやっている。
何気なく付けた名前だったけど、なぜ松尾芭蕉プレイでも小林一茶プレイでも無いのか、
後から振り返ると自分でもいまいちよくわからない。
でも、人からはよく「西行って感じしますよね」とか、
「そりゃあ、まろまろさんは芭蕉より西行でしょう」などのような
しっくり感があるという評価を耳にするので
自分の中にある不可解なものに迫ろうと手に取った一冊。
内容は西行の死後に弟子が西行所縁の人々から彼の思い出を聞き取るかたちで、
伝説につつまれた西行の人生をたどっていくスタイルになっている。
彼が北面の武士として仕えた朝廷内での抗争、
地方レベルで進む律令制度のきしみと武士の台頭、
そして源平争乱という時代の変遷の中での西行の行動や感性を
彼の歌の解釈を通して再現しようとしているのが面白い。
読み終えてみて、なぜ西行法師プレイなのかについて考えてみた。
誰もが自分の中にある願望と現実の姿とのギャップに悩むことがある。
自分の中にある願望が西行への無意識の憧れになり、
実際の姿に対する違和感が空海への近親憎悪になったんだろう。
そんな僕でも後の時代に自分の人生が伝説として語られるなら、
空海のようにではなく西行のように語られたい。
最後に僕が西行の歌の中で一番好きで一番彼らしいと思う一首を引用・・・
風になびく 富士の煙の 空に消えて 行方も知らぬ 我思ひかな
2005 5/14
歴史小説
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