井上順孝 『宗教社会学のすすめ』 丸善 2002

ARS ELECTRONICAで今年から”digital communities“部門ができることに注目している、
らぶナベ@何か情報をお持ちのかたいらっしゃれば教えてくさいな。

さて、『宗教社会学のすすめ』井上順孝著(丸善出版)2002年初版。
「まるで宗教みたい」とか「教祖的な」とかいう台詞はごく自然に使っているけど、
それって一体どういうことなんだろうと思って手に取ってみた一冊。
著者は宗教情報リサーチセンター(RIRC)や「宗教と社会」学会の設立などに関わっていて
既存の分野にとらわれずに積極的な研究をしている人なので書いたものも読みやすい。

内容はわかりやすく書かれているけど、読み止めて考えさせられる箇所も多かった。
例えば境界線上のものや人、過程が宗教的に禁忌(タブー)とされることが多いのは、
「境界領域はそれぞれの人間社会が築いている区分原理からはずれている」ので
両方に「不安をもたらす」からだという(第三章)。
確かに境界線上(マージナル)なものはそうじゃない(メイン)人にとって
自分の存在を曖昧にしてしまう禁忌な存在なんだろう。
マージナルものが好きな僕としては納得した。
きっと両方の存在を揺らがせるから楽しいというのもあるんだろう(^^)

また、スティグマ→自己スティグマ化→カリスマ化というカリスマ生成過程は、
負のレッテルからスタートするという点やマージナルのタブー性を考えると
すごく興味深いものだと感じた(第三章)。
最近「雰囲気とカリスマってどう違うんだろう?」と考えていたところだったので
特に面白く思ってしまった。(ただいま雰囲気に注目中)

最後の方に書かれてあった「情報化とグローバル化のもとでは
宗教と宗教でないものとの境界領域が曖昧になる」(第五章)というのにも納得。
まろみあんの方々も僕が「まろまろですかー!?」っと言い始めたらやばいと思ってください(笑)

以下はチェックした箇所(一部要約含む)・・・

○通事的と共時的の違い=変動分析と過程分析
<序章 現代人にとっての宗教>

○「特定宗教」=明確な組織をもった宗教、
「拡散宗教」=人々が無意識のうちに身につけた宗教的な感覚・行動
<第一章 身の周りの宗教社会学>

○宗教への態度を問題とするときは、自覚的信仰か無自覚的宗教性を区別する必要がある
と同時に宗教に関する出来事を議論するときは、対象のスケールを明確にすべき
<第一章 身の周りの宗教社会学>

○パーソンズの社会システムAGIL図式
・適応(adaptation)=外的ー手段的
・目標達成(goal-attainment)=外的ー目的的
・統合(Integration)=内的ー目的的
・潜在パターンの維持(Latency, Pattern-maintenance)=内的、手段的
・・・制度化された宗教は”L”に当たる
<第三章 全体社会と宗教>

☆境界領域や境界過程が宗教的に禁忌(タブー)とされることが多いのは、
それぞれの人間社会が築いている区分原理からはずれていので不安をもたらすから
(E・リーチ、メアリー・ダグラス)
<第三章 全体社会と宗教>

☆カリスマの定義=「特定の事物ないし人物のみに宿り、
非日常的な能力をもたらす天与の資質」(ウェーバー)
<第四章 宗教組織はどう形成され、維持されるか>

☆カリスマの生成過程=スティグマ→自己スティグマ化→カリスマ化(W・リップ)
負のレッテルで自己同一性が不安定→レッテルをプラスの要素へ解釈して強力な自己同一性
→周囲から新たな価値観の体現者とされる
<第四章 宗教組織はどう形成され、維持されるか>

○シャーマンが霊につかれるパターン
=脱魂型(エクスタシー・タイプ)と憑依型(ポゼッション・タイプ)
→どちらもシャーマンは忘我(トランス)状態に陥る(エリアーデ)
<第四章 宗教組織はどう形成され、維持されるか>

○「脱コンテキスト化」=教祖の言葉のコンテクストが失われて言葉だけが金科玉条化すること
<第四章 宗教組織はどう形成され、維持されるか>

☆情報化とグローバル化のもとでは宗教と宗教でないものとの境界領域があいまいになる
<第五章 現代社会と宗教問題>

○原理主義も原点主義も、一部の聖職者たちに占有されていた時代の終焉と表裏
<第五章現代社会と宗教問題>

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2004 2/18
宗教社会学
まろまろヒット率4

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