梶井基次郎 『Kの昇天』 文藝春秋『李陵 山月記 檸檬 愛撫 他十六篇』より 1999

東京でEとYとの会合をマネイジしてきた、
らぶナベ@僕自身前々からあった「EとYが手を組めば
変革期にあるエンターテイメント業界に新しい潮流を創り出せるだろう」
という漠然とした感じを今回、俺自身の存在を通して
実現させることができて少し嬉しいっす。
とにもかくにもEのDNAとYのDNAを配合した種は
植えられたって感じっす、どんな芽が育つかあと数年は楽しめそうだ(^^)

さて、『Kの昇天』梶井基次郎著を読んだです。
(『李陵 山月記 檸檬 愛撫 他十六篇』文芸春秋1999年初版より)
彼女に前から奨められていた小説だが読む踏ん切りがつかず
そうこうしているうちに別れてしまい、もしかしたらこのまま
むかついて一生読むこともないかなとも思っていたが
何だかんだで読んでみようと思って読んだ少し曰く付きの小説。

内容は突然原因不明の溺死をしたKの友人を語り手として
彼の死の原因について手紙で述べるという風に物語はえがかれている。
作品中、月がつくりだす自らの影に惹かれてそのことを追求するKの姿が
何とも言えずはかなげであやうい感じを受ける。
特にこの作品が持つ独特のけだるい雰囲気を強く印象づけているのが・・・
「影と『ドッペルゲンゲル』。私はこの二つに、
月夜になれば憑かれるんですよ。この世のもおでないというような、
そんなものを見たときの感じ。ーその感じになじんでいると、
現実の世界が全く身に合わなく思われて来るのです。
だから昼間は阿片喫煙者のように倦怠です」
・・・という箇所だろう。

この小説を読んでみてもっとも感じたものは探求とけだるさ、そして危険だ。
この三つのバランスが崩れると死に至るということだろうと感じた。
また、僕が今まで読んだ梶井基次郎の作品はすべて
「実話かな?」と思わせるような自然さがある。
それが何なのかはよくわからないが自然なけだるさと危険性が
作品の根底にあるように思えてならない。

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1999 9/30
小説、文学
まろまろヒット率3

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