この前のゼミのメンバーで「もしミッドウェー海戦終了直後に
講和条約が成立したら」という仮定が出たっす。
そうしたらいまごろ「JR満州」とか「NTT台湾」とかできていて
『ズームイン朝』なんかは「では次はアリューシャン諸島にズーム、イン!」
とかいうことになってしまっていて、
韓国料理、北京料理、マラヤ料理、台湾料理などがすべて
「和食」になっていたんだろうなぁって話になったっす。
・・・この読書会もML化してこういうやばい話が堂々とできるようになって
うれしい、らぶナベ@自己紹介まだの人はかるくお願いね~(^^)
さて、『ナポレオンの亡霊~戦略の誤用が歴史に与えた影響~』。
前に読んだリデル・ハートの『戦略論』(同じく原書房)が
無類のおもしろさだったので、その本の大元になった
リデル・ハートの代表著作というべきこの本を手に取った。
基本的に前にまだアドレス帳管理だったころの読書会にアップした
『戦略論』のエッセンスだけ取り出した感じという印象があるが
ナポレオンの戦略研究が時代背景を無視した哲学的理論に発展し、
その様々な背景、状況を無視した戦略的誤解が理論として
いかに肥大していったかを考察している興味深い一冊。
この本の初版は第一次大戦と第二次大戦の狭間、
1934年というところにも時代の流れ的なおもしろさを感じる。
また、これは末梢なことだが『失われた時をもとめて』の
マルセル・プルーストが軍というものを理解していたと
述べているのが意外だった(『ゲルマンの方』を読めばわかるらしい)。
以下はこの本の中で気になったところ&印象深い箇所の摘出・・・
・「陸軍は胃袋だけ、すなわち補給されただけ前進する」
・好戦的というイメージのあるモーリス・ド・サックスの言葉として
「われが優越を保持し攻撃可能の場合のほか、
状況の如何にかかわらずその攻撃は中止せよ」
・「戦争ではレスリングと同様、態勢をくずさずに相手を投げようとすれば、
自身の消耗を招き、また手詰まりになり易い」
・用兵理論上の大家ブールセの言葉として
「計画には、若干の代案を用意すべきである」
・「ジョミニはあまりにも幾何学的であったし、
クラウゼビッツはあまりにも純粋哲学的に過ぎた
・・・ジョミニの偏見は・・・
誰でもすぐにそれが誤りであることがわかるのに反し、
クラウゼビッツの方はそのとおり実行するのが極めて難しく、
その強調する概念に、慎重な制限条件があるにもかかわらず、
概念そのものが強烈な印象を人々に与えた」
・ジョミニの戦争基本原則
「1、戦略的に一大優勢兵力を戦域の決定的地域に間断なく投入するとともに、
わが軍の安全を保持しつつなるべく遠く敵背後連絡線上に兵力を指向すること。
2、如上の部隊運用にあたっては、
わが大量集中部隊で敵の一部と交戦することを策すること。
3、同様に指揮下部隊をして、・・・戦術的部隊運用にあたり、
わが終結部隊を戦場の決定的地点に投入するか、
もしくは敵の抵抗不可能な部位に指向するように指導すること。」
・クラウゼビッツへの批判として
「『戦争とは他の手段をもっていする政治の継続にほかならない』
という議論に始まる彼が作り上げた理論に対する論争は、
政略を戦略の奴隷とする、
すなわち政略を戦略に従属させることに終わってしまった」
・「絶対戦争なる言葉の意味するものといえば、
相対する軍の一方が抵抗を持続する能力を焼尽するまで戦う戦闘を意味し、
実際的には勝者も力を消尽して限界に達することを物語るのである。
・・・換言すれば絶対戦争とは、
戦争主宰者がどこで止まるべきかが解らない戦いである」
・戦争を防ぎようの無い天災のように捉え感情優先の平和、
戦争論議があることに対して
「戦争が二者択一的に、
地震だとか病気だとかと厳密にいえないいにしても、
地震よりも病気の方に大分似ているといえる。
またその本質、措置ならびに影響に対する科学的究明の必要性が
高いことも極めて病気に似ているのである」
・「多くの哲学者や科学者は、これまで適応性ということが
生存の秘訣であることを唱えてきた。
しかし歴史というものは、適応性をもって変えていくことに
失敗した一覧表のようなものである」
・「批判を抑圧することはそれを払拭することではなく、
ただ目に見えぬ方向にそれを振り向けさせるだけで
堂々と率直に意見を発表させるよりも、遙かに破壊的なものとなる」
・違いがいまいち見えてこないレギオンとファランクスの違いについて
「ローマ人は実業的、現実主義であり、
ギリシア人は哲学的、芸術的理想家である。
レギヨンの達人はナポレオンであり、
ファランクスの達人はフリードリヒ大王と言える。
レギオンは第二線決戦主義といえるし、
ファランクスは第一線決戦主義といえる」
1998 11/28
戦略論、歴史
まろまろヒット率4