佐藤賢一 『カエサルを撃て』 中央公論新社 2004

ルビコン川は越えること自体に意味があると思う、まろまろです。

さて、『カエサルを撃て』佐藤賢一著(中央公論新社)2004。

紀元前52年、ウェルキンゲトリクス(ヴェルチンジェトリクス、Vercingetorix)は、
ガリアの諸部族を強引にまとめあげ、共和制ローマに対して大規模な蜂起をおこなった。
ガリア人の反乱に、ローマのガリア総督ユリウス・カエサルが立ちふさがる。

・・・アレシアの戦いを頂点に、ガリア人のウェルキンゲトリクスとローマ人のカエサルとの対決をえがく一冊。
ガリア人の視点から描かれた『ガリア戦記』の裏本というべき歴史小説。

読んでみると、とても痛かった。
この本のユリウス・カエサルが自分にそっくりだったからだ。
卑屈な自分を取り繕い、言い訳することに長けた、かつての文学青年。
「生き方を・・・。覚えてしまった。それは堕落にほからなかった。上手に生きて、いつしか体制に迎合していたのだ。
文学青年が独りよがりに奮起といい、栄達と自惚れながら、その実は世間並に、小さくまとまったということである」
・・・そう述懐するカエサルの姿は痛いほど自分に重なった。

確かに『ローマ人の物語』(塩野七生)のような手放しの賛美よりも、こちらのユリウス・カエサルの方が実情に近い。
そんなユリウス・カエサルには前から近親憎悪に似たものを感じていたけれど、
この本では主役のウェルキンゲトリクスの一本気な激しさに対して、ユリウス・カエサルの情けなさがさらに際立っている。

築いたものを壊せる勇気を持つ者だけが成長する。
そんなメッセージを読み取った一冊。

この本をamazonで見ちゃう

2007 11/7
歴史小説
まろまろヒット率4

“佐藤賢一 『カエサルを撃て』 中央公論新社 2004” への0件の返信

  1. ご無沙汰してます、meganteことhimaoriことmoltuです。

    いつになくしんみりとした記事で少し驚きましたが、その感覚、分かる気がします。栄達っていうのは、世間と対立する(あるいは関わり合いにならずにいる)ことをあきらめて、世間に服従すること、とも言えますもんね。人並の暮らしができるようになればなる程、以前の、ひきこもりで昼夜逆転で本ばかり読んでいた生活が素敵に思えてきたりする、今日この頃です。

    しかし、とても痛かった、と言いつつヒット率4な辺りがらぶなべさんらしいですねw

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