ゲオルク・ジンメル、清水幾太郎訳 『社会学の根本問題―個人と社会』 岩波文庫 1979(原著1917)

全くの偶然で日経新聞と日経マネーからのインタビュー依頼が重なった、らぶナベ@経済系には縁遠いだけに巡り合わせの奇遇を感じてます。

さて、『社会学の根本問題―個人と社会』ゲオルク・ジンメル著、清水幾太郎訳(岩波書店)1979。
原題は“Grundfragen der Soziologie: Individuum und Gesellschaft” (1917)。

まだ社会学が学問として認められていなかった頃に、形成社会学を提唱した著者が書いた、社会学の本質を述べた一冊。
読んでみると社会学も科学なんだと弁明している第一章よりも、具体例として社交と芸術&遊戯との共通点を述べている第三章の方が面白く読めた。

以下はチェックした箇所・・・

☆すべて科学というものは、或る特定の概念に導かれて、諸現象の全体や体験的直接性から一つの系列乃至一つの側面を抽象するもの
<第1章 社会学の領域>

○存在しているものは、認識が到底直接に捕ら得ない統一体であり、私たちが事実内容と呼んでいるものは、或る一面的な範疇によって理解したもの
<第1章 社会学の領域>

☆芸術は、完全に生命から離れたもので、芸術に役立ち、芸術によって再び生産されるようなものだけを生命から取り出す
<第3章 社交(純粋社会学即ち形式社会学の一例)>

○(芸術と遊戯の)両者は、生命のリアリティから生まれながら、このリアリティに対して独立の国を成す諸形式を共有する
→両者の意味と本質とは、生命の目的や生命の実質から生まれた諸形式がそれらから身を解き放って、
諸形式それ自ら独立した運動の目的になり実質になり、あのリアリティのうちから、この新しい方向に従い得るもの、
諸形式の独自の生命のうちに現われ得るもののみを取り入れるという、この断乎たる回転のうちにある
<第3章 社交(純粋社会学即ち形式社会学の一例)>

○社交は、具体的な目的も内容も持たず、謂わば社交の瞬間そのものの外部にあるような結果を持たない(略)
それゆえ、この過程は、その条件においても、その成果においても、この過程に参加する人間だけに限られている
<第3章 社交(純粋社会学即ち形式社会学の一例)>

○社交というのは、すべての人間が平等であるかのように、同時に、すべての人間を特別に尊敬しているかのように、人々が「行う」ところの遊戯
→リアリティを全く離れた遊戯や芸術が嘘でないのと同じように、社交も嘘ではない
<第3章 社交(純粋社会学即ち形式社会学の一例)>

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2006 4/18
社会学、学問一般
まろまろヒット率3

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