山本七平 『「空気」の研究』 文藝春秋 1983

らぶナベ@「Something ELse」の次と次くらいの曲は
はたして大丈夫なんだろうかと他人事ながら気になっているっす。

さて、『「空気」の研究』山本七平著(文春文庫 1983年初版)
を読んだです。
以下は感想・・・
政策科学部の講義「政治経済システム論」にて日本的な特徴の一つとして
会議や集まりなどでその場の空気(雰囲気やムード)が
意思決定の重要な働きを果たすという話題が出たときに
担当の宮本太郎教授(太郎ちゃん)が
参考文献であげていたので興味を持った本。

確かに僕自身も論理性や合理性よりもその場の空気(雰囲気)を優先させた
議論の方向や決定に追随したりした経験が何度かある。
論理性や合理性を確認したり詰めたりする会議なのに
論理性や合理性などよりもこの空気を優先させることがある。
でもその場の空気っていったい何なんだろう?
と思うと明確な答えがみえてこない。
そんないい加減なものなのに集団的意思決定の場では
やたらと影響力を持ってくる。
そんなよくわからないものに影響される・・・
よく考えたら実はこれってかなり恐いことなのではないだろうか
と感じてしまった。
また、それだけでなくその空気というもののメカニズムを理解し
展開できる能力があれば会議に臨んでも安心して議論に加わることができるな
と思いこの本の存在を知ってすぐに探し歩いて買ったという経緯のある一冊。
(立命の図書館には無かった)

内容の方は「空気の研究」、「水=通常性の研究」、
「日本的根本主義について」の三部構成になっている。
実際に読んでみるとずいぶんとだらだらとした評論という感想を受けた。
具体例を中心に話を展開させていくのは良いのだが、
その具体例を理論化するという読者が最も欲してる点に関しては
少し消化不良の感がある。
例示と抽象論の間もかなり強引であるような感じを受けるものも多いので、
あまりうまい展開では無いと思った。

しかしやはり第一部の「空気の研究」を中心にペンが冴えているなと
思わしてくれるような展開が読んでいて心地よかった。
著者はこのような空気の具体例として太平洋戦争中の戦艦大和特攻の採否に
関する意思決定の場を選んでいる。
その会議に出席し採決した人々に戦後インタビューをすると
必ずと言っていいほど「あの時の空気ではああせざるを得なかった」
ということを異口同音に発するそうだ。
あげくのはては「当時の空気も知らなかった人間に何がわかるんだ!」
と逆ギレまでする人もいるらしい。
このことについて・・・
「彼が結論を採用する場合も、それは論理的結果としてでなく、
『空気』に適合しているからである。採否は『空気』がきめる。
従って『空気だ』と言われて拒否された場合、
こちらにはもう反論の方法はない。」
として、また・・・
「『せざるを得なかった』とは、『強制された』であって
自らの意志ではない。
そして彼を強制したものが真実に『空気』であるなら、
空気の責任はだれも追求できないし、空気がどのような論理的過程をへて
その結論に達したかは、探求の方法がない。」としている。
このような空気の影響について結論的に・・・
「『空気』とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である、
一種の『超能力』かも知れない。何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、
『作戦として形をなさない』ことが『明白な事実』であることを、強行させ、
後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も
説明できないような状態に落とし込んでしまうのだから、
スプーンが曲がるの比ではない。」
と表現している箇所には思わず「うまいこと言うな」と笑ってしまった。

さて、その空気がどうして重視されるのかということに関して
ここからが本番なのにいまいち展開が説得力のあるものではなかった。
僕なりに要約すれば著者は日本的文化には多神教的な臨在感的把握(
「イワシの頭も信心」ってやつね)があり、
対象に感情移入しやすい傾向にあるとしている。
一神教との対比として・・・
「『絶対』といえる対象は一神だけだから、
他のすべては徹底的に相対化され、
すべては、対立概念で把握しなければ罪なのである。(中略)
一方われわれの世界は、一言でいえばアニミズムの世界である。(中略)
この世界には原則的にいえば相対比はない。ただ絶対の対象が無数にあり、
従って、ある対象を臨在感に把握しても、
その対象が次から次へと変わりうるから、
絶対的対象が時間的経過によって相対化できる」としている。

「対象の相対性を排してこれを絶対化すると、
人間は逆にその対象に支配されてしまうので、
その対象を解決する自由を失ってしまう(中略)ものごとの解決は、
対象の相対化によって、対象から自己を自由にすることだ」としている。
そうは言うものの戦時中の戦艦大和特攻のような
今では完全にその正否がわかる例などではわかりやすいが、
いまだに対象の絶対化は根強く残っていてそれを知らず知らずのうちに
我々はやってしまっているという例として・・・
「正直者がバカを見ない世界であってほしい」
→「とんでもない、そんな世界が来たら、その世界ではバカを見た人間は
全部不正直だということになってしまう」
「社会主義社会とは、能力に応じて働き、
働きに応じて報酬が支払われる立派な社会で・・・」
→「とんでもない、もし本当にそんな社会があれば、
その社会で賃金の低い報酬の少ない者は、報酬が少ないという苦痛のほかに、
無能という烙印を押されることになる」という風に例示をしている。
少しひねくれが過ぎるなとは思うがけっきょく綺麗な言葉、
誰も思わずうなずいてしまう大儀名文への服従は
今でも僕らが気をつけていないと思わずしてしまっていることなんだろう。
また第一部の最後の方で補足的に多数決会議について
「正否の明言できること、たとえば論証とか証明とかは、
元来、多数決原理の対象ではなく、
多数決は相対化された命題の決定だけにつかえる方法」
としているのは興味深い。

第二部以降で著者は「水を差す」という時に使う「水」というものは
現実であるとしている。ここらへんからだらだらしてくるのだが、
それでも面白いなと思った箇所は・・・
「『当時の情況』という言葉は、現代を基準にして構成した一種の虚構の
情況であって、当時の情況とその情況下の意識を再現させて
それを把握できるわけではない。
(略)時間を超えて過去を計ろうとするなら、過去から現在まで共通する、
情況の変化に無関係な永遠的尺度で一つの基準をつくり、
その計量の差に、過去と現在との違いを求める以外にない。」
「日本は元来、メートル法的規制、人間への規制は非人間的基礎に
立脚せねば公平ではありえないという発想がなく、
まったく別の規範のもとに生きている。」
その場の空気を一瞬にして消し去る水(現実)について戦時中などでは
その水を差す人が弾圧を受けた理由について・・
「舞台の女形を指さして『男だ、男だ』と言うようなものだから、
劇場の外へ退席せざるを得ない。」

また著者の第三部の後ろのほうでこの本のまとめ的な箇所として・・・
「日本人は臨在感的に把握し、それによってその状況に
逆に支配されることによって動き、これが起こる以前にその情況の到来を
論理的体系的に論証してもそれでは動かないが、
瞬間的に情況に対応できる点では天才的」という意見を別の論者の
表現(中根千枝)として紹介している。それは・・・
「熱いものにさわって、ジュッといって反射的にとびのくまでは、
それが熱いといくら説明しても受けつけない。
しかし、ジュッといったときの対応は実に巧みで、大けがはしない。」

psよく考えたらこういう文化的なことは中大の総合政策学部とかで
やってることなのかな?
こういうのに関連した授業とかがあったら教えて下さいです→けにー

この本をamazonで見ちゃう

1999 1/28
文化論
まろまろヒット率5

司馬遼太郎 『モンゴル紀行―街道をゆく5』 朝日新聞出版 1978

さてさて、『モンゴル紀行~街道をゆく5~』司馬遼太郎著、
朝日文芸文庫(1978年初版)を読み終えたです、はい。
卒論とテスト勉強の合間に書店で見つけて思わず衝動買いしてしまった
旅行記『街道をゆく』シリーズのモンゴル紀行編。
元々このシリーズにはあまり興味がなかったのだが、
旅路がモンゴルだということで気晴らしにでも一度読んでみようと思った本。
来年度から立命の政策科学部でモンゴルに行って羊飼いをするという
インターンシッププロジェクトが始まるということも読む動機付けになった。

内容の方は、著者自身が学生時代に大阪外国語大学モンゴル語学科に
在籍していたこともあって単なる旅行記と言っても
モンゴルの風土、歴史、気風についてかなり突っ込んだことを
現地の人と対話しているのが特徴的だ。

興味深く感じたのはモンゴルに入る経由地であるハバロフスクや
イルクーツクなどのソ連領(当時)での旅がいかに重苦しく
ストレスが溜まるものかということをつらつらと述べた後に
モンゴルのウランバートルに入るや否や自由で躍動感溢れる人々と
街の雰囲気を感じたということを強調しているところだ。
同じ社会主義国家で、かつ世界史では二番目に社会主義化した
モンゴルは(著者の表現を借りると「社会主義の老舗」)
ソ連と別の国家体系かと思うほどの違いがあったという感想を述べている。
その原因として考えられるモンゴル人特有の大らかさ、豪快さや
遠くから来た客を珍しがり自分の家に招きたがる気風があり、
これらのことはモンゴルの長らく続いた騎馬民族としての生活、風土、
それから発生する文化にすべてに共通することであると
この旅行記を通して語っているように感じられる。

また、モンゴル人の日本人への親近感というものもあげられていたが
意外であったのは同時に近代国家としては若いこのモンゴルで
国家的危機を生んだ原因が日本人であったという事実だ。
1939年のノモンハン事件(モンゴル側:ハルハ・ゴル戦争)が
如何にその後のモンゴルを疲弊させたかという歴史が
いまも初等教育で強く強調されているらしい。
(日本ではあまり知られていない歴史的事実)

しかしこれもまた意外であったのはモンゴルでは中国よりもはるかに
日本に対する親近感を持っていることもまた既述されている。
元々東アジアの歴史は騎馬民族(トルコ系、モンゴル系など)と
農耕民族(漢民族)とのシーソーゲームという側面もあり
長らく抗争し続けていたということもあるが、
近現代史でも清朝や中華民国時代の軍閥がモンゴルに対しておこなった抑圧の
反動がモンゴルをソ連に近づけ社会主義化したきっかけでもあるためだ。
それ故モンゴル人は中国人と同一視されることを非常に嫌う。
現にシナ・チベット語族である漢民族やツングース系民族である朝鮮人よりも
人類学的にはモンゴロイド・アルタイ語族として
モンゴル人と日本人は近い民族として知られているからだ。

また、日本人からすれば考えられないほど自分たちの故郷であるの
思いが強く、今も昔も盛んである詩や唄のほとんどがモンゴル高原や
ゴビ砂漠の自然のすばらしさを唱ったものが多いらしい。
このことは日本の詩歌が昔からそのほとんどが恋愛歌だったことを
対比させて、非常に興味深い点であると著者も述べている。
さらに「お前さんたち日本人は俺たちのご先祖さんから分かれたもんだろ?」
とモンゴル人に戯れに言われたことをきっかけに著者が
「その考えに則れば、なるほどモンゴルに住む人々は我々の先祖の中で
もっとも頑固に故郷を捨てなかった人々の末裔になる・・・故郷に対する
愛が強いのもまた遺伝学的にみて当然か。」と
彼らしい冗談で書いているのが印象深かった。

この本の最後近くである詩が紹介されていたが
それは現代詩人であるチミド作の「我はモンゴルの子」という作品だ・・・
アルガルの煙のたちのぼる
牧人の家に生まれし我
人の知らぬこの広野を
これぞ我が揺りかごと思う
・・・これこそがモンゴル人の心意気だなと感じられた。

しかしこの旅行記が書かれたのは今から二十年以上も前の話で
今では当時と比べてソ連の崩壊、改革開放と状況が大きく変わっている。
その中でモンゴル人がいまではどのような気風を持っているのか
一度実際に行って見てみたいと感じてしまった。

・・・やっぱり大学院行ってモンゴルインターンシップに参加して
「政策騎馬隊」とか創ってやろうかな?(^_^)

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1999 1/16
エッセイ、歴史
まろまろヒット率4