この本で読書日記500冊目になった、まろまろ@数の追求はしていないとはいえ一つの区切りを感じてます(^^)v
さて、『論理哲学論考』ウィトゲンシュタイン著、野矢茂樹訳(岩波書店)2003。
20世紀を代表する哲学者、ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン(ヴィトゲンシュタイン)の代表的著作。
原題は”Tractatus Logico – Philosophicus” (Ludwig Josef Johann Wittgenstein, 1922)。
前期ウィトゲンシュタインの考えをまとめたものだけど、そもそも著者の生涯で完成された著作はこの一冊のみ。
ウィトゲンシュタインと言えば、数々の伝説的なエピソードで知られている哲学者だけど、
実際に読んでみると確かにまずウィトゲンシュタインの孤高ぶりがよく伝わってきた。
「私がいっさい典拠を示さなかったのも、私の考えたことがすでに他のひとによって考えられていたかどうかなど、
私には関心がないからにほかならない」(序)
・・・と言い切っているところなどは彼の唯我独尊ぶりがある意味でまぶしい。
ウィトゲンシュタインはこの本を書いた頃(前期)の考えの誤りを後に修正するけれど、この本がすべて否定された訳ではない。
たとえば・・・
「哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
哲学は学説ではなく、活動である。
哲学の仕事の本質は解明することにある
哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
思考は、そのままでいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。」(4.112)
・・・という部分などは、ウィトゲンシュタインの哲学に対する変わらないスタンスとして印象深い。
また、この『論理哲学論考』には初版からバートランド・ラッセルの解説がついていて、それが議論になったことでも知られるけれど、
日本語版は訳注が用語集としても書かれているので読む際の参考として役立った。
ちなみにこの本は、後にウィトゲンシュタインが博士号を取得するための博士論文として提出されている。
口頭試問の後に、試験官だったラッセルとムーア)の肩を叩いて、
「心配しなくていい、君たち理解できないことは分かっている」と言ったという伝説も含めて、
哲学書としてだけでなく一つの生き様を表現した本としても読める一冊。
以下はその他でチェックした箇所(一部要約含む)・・・・
○およそ語られうることは明晰に語られうる
→論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない
<序>
○命題の意味を特徴づける命題の各部分を、私は表現(シンボル)と呼ぶ
→表現は形式と内容を特徴づける
<3.31>
○値の確定がシンボルの記述にすぎず、それが何を表しているかには触れないということ、
値の確定にとって本質的なのはこのことだけである
<3.317>
○定義とは、ある言語から他の言語への翻訳規則である
<3.343>
○確率とは一般化にほかならない
<5.156>
○世界の意義は世界の外になければならない
→世界の中ではすべてはあるようにあり、すべては起こるように起こる
→世界の中には価値は存在しない
<6.41>
2007 10/8
哲学、論理学、言語学、記号論
まろまろヒット率4