転居ははじめてだけど文京区はまろまろしていて何気に気に入っている、らぶナベです。
さて、『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス著、日高敏隆ほか訳(紀伊国屋書店)1991年第2版。
生物の行動を種族でも集団でも個体でもなく遺伝子を中心に見直そうとした進化論の定番本。
当時としてはインパクトが強い内容と専門家でなくても読める点から物議を醸し出した一冊。
ただ、初版(1976年)のまえがきで著者自身が「私は生物学はミステリー小説と同じくらい
刺激的なものであるべきだと前々から思っている」と述べているように、
あえて過激な表現や事例を使っている点も考慮して問題作になったことは著者の狙い通りか?(^^)
この本の中で一番興味深かったのは、考え方や文化、理念などのも一種の遺伝子のように、
それ自体が人から人へと媒介していくという考え方=「ミーム論」だ。
自分に振り返ってみると本を人に貸したり無くしたりしても大丈夫なように読書メモを残す点
(ハードウェアに依存しない)や、重要なのは本に書かれてあることそれ自体ではなく
読む人それぞれがその本から感じ取ったことだ考えている点から、この考え方はすんなり受け入れられた。
このミーム論でいくと本の遺伝子と僕の遺伝子が交配された新しいミームが読書日記で、
それを公開しているホームページはミーム配信源というところだろうか(^_^)
ただ、一般的には文化の普及や発展の不作為性が強調される点が
このミーム理論を使うことのいちばんのメリットのような気がする。
また、「われわれが死後に残せるものが二つある。遺伝子とミームだ」(11章)と著者が述べているところは、
かつてある企業とある企業の橋渡し役をつとめたときのこと(出来事メモ)を思い出させられた。
あの時は「自分の名前が残らなくても自分の考えや色のかけらは、社会に残せるかもしれない」
と感じたことが衝動のような行動意欲につながったのを覚えている。
何かを創りたいとか、残したいという気持ちはやはり性欲と同じように本能なのかもしれない。
よく考えたらリアルな遺伝子だって自分から子供に伝わるのはその半分、
子孫になるとほんのかけらだけだということを考えると、
何かを残したいというこの欲望は利己的な遺伝子的には性欲よりも効率が良いといえるだろう(^^)
この本は専門家でなくても読めるようにしているという点を差し引いても、
あまりに比喩に比喩を重ねる手法や事例の持ち出し方があからさまだったりするのが
「どうかな?」と思うところもあるが、
こうしたことを考えさせてくれたのでまろまろヒット率は最大に値すると思う。
ちなみに、思わず笑ってしまったのが、遺伝子の定義をしている第3章で、
厳密な定義からすればこの本のタイトルを・・・
『いくぶん利己的な染色体の大きな小片とさらに利己的な染色体の小さな小片』
・・・っとすべきだったと書いてあったことだ。
厳密さでは問題あっても確かにこっちの『利己的な遺伝子(The Selfish Gene)』の方が
ずっと良いミームだろう(笑)
以下はチェックした箇所の抜粋(一部要約)・・・
○この本の主張するところは、われわれおよびその他のあらゆる動物が
遺伝子によって創りだされた機械にほかならないというものである。
→自己利益の基本単位は、種でも、集団でも、厳密には個体でもない(略)
それは遺伝の単位、遺伝子である。
<1 人はなぜいるのか>
○成功した遺伝子に期待される特質のうちでもっとも重要なのは無常な利己主義である(略)
しかし(略)遺伝子が固体レベルにおけるある限られた形の利他主義を助長することによって、
もっともよく自分自身の利己的な目標を達成できるような特別な状況も存在する。
注:利他主義と利己主義の上述の定義が行動上のものであって、
主観的なものではないことを理解することが重要(略)
利他的にみえる行為はじつは姿を変えた利己主義であることが多い。
<1 人はなぜいるのか>
○(正確な複製と突然変異との両立の問題について)
進化とは、自己複製子(今日では遺伝子)が
その防止にあらゆる努力をかたむけているにもかかわらず、
いやおうなしにおこってしまうというたぐいのものである。
<2 自己複製子>
○一個の遺伝子は、何世代もの個体の体を通って生きつづける単位。
<3 不滅のコイル>
☆遺伝子と進化の定義☆
・「遺伝子」
=自然淘汰の単位として役立つだけの長い世代にわたって続きうる染色体物質の一部
=複製忠実度(コピーの形での寿命)のすぐれた自己複製子
=十分に存続しうるほどには短く、自然淘汰の意味のある単位として
働きうるほど十分に長い染色体の一片
・「進化」
=遺伝子プール内である遺伝子が数を増やし、ある遺伝子が数を減らす過程
=たえまない上昇ではなくて、むしろ安定した水準から安定した水準への不連続な前進のくり返し
<3 不滅のコイル>+<5 攻撃ー安定性と利己的機械>
☆個体は安定したものではない(略)染色体もまた、配られてまもないトランプの手のように、
まもなくまぜられて忘れ去られる。
しかし、カード自体はまぜられても生きのこる。このカードが遺伝子である。
<3 不滅のコイル>
○意識とは、実行上の決定権をもつ生存機械が、究極的な主人である遺伝子から
解放されるという進化傾向の局地だと考えることができる。
<4 遺伝子機械>
○遺伝子は方針決定者であり、脳は実施者と考えられる。
<4 遺伝子機械>
☆進化的に安定な戦略(Evolutionarily Sable Strategy=”ESS”)
=個体群の大部分のメンバーがそれを採用すると、
べつの代替戦略によってとってかわられることのない戦略
→個体にとって最善の戦略は、個体群の大部分がおこなっていることによってきまる
<5 攻撃ー安定性と利己的機械>
○(ESSのコンピュータシミュレーション実験からから)
重要な一般的結論は、ESSが進化する傾向があること、
ESSが集団の申し合わせによって達成されうる最適条件と同じではないこと、
そして常識は誤解を招くことがあるということである。
○まったくでたらめをいうよりポーカー・フェイスのほうがいいのはなぜだろうか?
やはり、うそをつくことが安定ではないからだ。
<5 攻撃ー安定性と利己的機械>
○賭博師にとって最良の方策は、ときには猛烈攻撃作戦ではなく、
幸運待望作戦かもしれないのである。
<7 家族計画>
○(親動物の家族計画は集団のためではない点について)
個体に過剰な数の子をもたせるように仕向ける遺伝子は、
遺伝子プールの中にはとどまれない。その種の遺伝子を体内にもった子供らは、
成体になるまで生き残るのがむずかしいからである。
<7 家族計画>
○親子の争いの場合、敵対者は互いにある程度の遺伝的利益を共有しており(略)
一定の限度、あるいは一定の感受期間の間においてのみ、敵対関係を形成するのである。
<8 世代間の争い>
○精子と卵子の大きさおよび数にみられる根本的な相違が原因で、
雄には一般に、乱婚と子の保護の欠如の傾向がみられる。
→これに対抗する雌の戦略がたくましい雄を選ぶor家庭第一の雄を選ぶこと
<9 雄と雌の争い>
○不妊の働きバチが一匹死ぬことは(略)木の遺伝子にとって、
秋に葉を一枚落とすことが、些細なことであるのとまったく同じことである。
<10 ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう>
☆ヒトの肥大した大脳や、数学的にものごとを考えることのできる素質は、
より込み入った詐欺行為を行ない、同時に他人の詐欺行為を
より徹底的に見破るためのメカニズムとして進化したのだという可能性すら考えられる。
このような見方からすれば、金銭は、遅滞性の互恵的利他主義の形式的象徴である。
<10 ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう>
○人間をめぐる特異性は、「文化」という一つの言葉にほぼ要約できる(略)
基本的には保守的でありながら、ある種の進化を生じうる点で、
文化的伝達は遺伝的伝達と類似している。
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>
○生物の基本原理=すべての生物は、自己複製を行なう実体の生存率の差に基づいて進化する
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>
☆文化伝達の単位(模倣の単位)=mimeme(ギリシア語で模倣)+gene(遺伝子)→”meme”(ミーム)
→ミームがミームプール内で繁殖する際には、
広い意味で模倣と呼びうる過程を媒介して脳から脳へと渡り歩く
(楽曲、思想、標語、ファッション、建築など文化のすべてがミームの例))
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>
○概念のミーム=脳と脳の間で伝達可能な実体
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>
○(かつて宗教勢力が多様した「地獄の恐怖」についてミームの視点から)
それ自体は意識をもたないミームが、成功する遺伝子が示すのと同じ
類似的残忍性という特性をもったおかげで、
自らの生存を確保できたのだというほうがあたっているような気がする。
地獄の却火という観念は、まったく単純に、それ自体がもつ強烈な心理的衝撃力のおかげで、
自己を永続化しえているのである。
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>
○われわれが死後に残せるものが二つある。遺伝子とミームだ。
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>
○人間には、意識的な先見能力という一つの独自な特性がある(略)
この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである。
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>
○ダーウィン主義者にとって、成功する戦略はさまざまな戦略の集団の中で多数になったもののことである。
<12 気のいい奴が一番になる>
○ほとのどの遺伝子は、たとえば緑色の眼と巻毛といった、二つ以上の表現型効果をもっている。
自然淘汰は。遺伝子そのものの性質のゆえではなく、
その表現効果のゆえに、ある遺伝子を他の遺伝子よりも優遇する。
<13 遺伝子の長い腕>
2003 4/3
進化論、自然科学、情報関連
まろまろヒット率5