宮城谷昌光 『太公望』 文藝春秋 上中下巻 2001

年末年始は小説、特に歴史小説を読みたくなる、
らぶナベ@自分を重ね合わせて振り返りたいからかな?
(特に去年は考えることや岐路に立つことが多かったからか)

さて、そんなわけで2003年第1弾『太公望』宮城谷昌光著(文春文庫)2001年初版。
知り合いのJACKから「陰謀マニアだったらオススメ」と言われて(ここ)
手に取った中国古代を舞台にした歴史小説。
中学か高校の時に読んだ『夏姫春秋』以来、久々の宮城谷作品。
(当時は思春期の少年にとってはきわどいシーンもあってどきどきした)

内容は商(殷)末から周はじめにかけて活躍した太公望の人生をえがいている。
紀元前11世紀という今となっては神話と伝説が錯綜する時代の物語なので
(孔子などの諸子百家のさらに600年以上前の時代)
著者の様々な解釈が織り込まれていて読んでいる方としても想像力が膨らむ。
特にこの時代は文字が占いの道具(甲骨文字)からコミュニケーション手段に
移りつつある時代でもあるので文字というものの重たさを感じさせてくれた。
太公望は後の中国で兵法の祖とされるほどの合理主義者だったけれど、
その合理主義的な思考は文字による教育を受けなかったからだとする
著者の解釈は興味深かった。(ちょっと逆説的な匂いがあるのが味噌)
遠い時代だからこそのそんな解釈は面白いけれど、
太公望を武術の達人にするのはちょっとやりすぎのような気もしたし、
商との戦いや斉の建国などは太公望の本領発揮の部分なのに、
前半部分に比べて妙に記述が薄い気がしたのがちょっと残念。
もっと太公望の頭脳戦が読みたかった。

以下は、思わずチェックした箇所・・・

・まっすぐなものがみえない人は、どこかで成長がとまるような気がする。
 (略)大木をみればよい。

・この世に生まれた者は、かならず死ぬ。
 だが、死は人生の到達点でありながら、それは願望でも目的でもない。
 生きるということは、すべて途中である。その途中こそがたいせつではないのか。

・大事を成すには、小事をつみかさねてゆくしかない。
 しかし小利を求めてはならない。
 小成は大成のためには、つまずきにすぎない。

・危難というのは両刃の剣である。
 危難に殺されるか、危難を新生面にかえるか、である。

・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、
 すでに失敗しているといってよい。
 -まず、自分の目と耳とを信ずることだ。

・素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。
 それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わせれば、
 うまさを引きだすことができる。

・卑賤の者をあなどるのは小人の癖

・めざめつづけている男がなした偉業を、夢をみる者たちは、奇蹟と呼ぶ。
 呂望は夢のむこう側かこちら側にしかいない。

・大きくなりたかったら、自分より大きな人にぶつかったゆかねばなりません。
 (略)形をもったままぶつかってゆけば、その形は毀れましょう。
 が、形のない者は、毀れるものがないのですから、
 恐れることはありますまい。

・時代の狂気を否定しようとする者に、時代の常識に慣れた人が狂気みるのは、
 古往今来、かならずあることであり、それは革命者の奕々たる宿命である。

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2003 1/8
小説、歴史
まろまろヒット率3

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