“出来事メモ“カテゴリや”まろまろサーチ”のヒット率などを密かに更新してる、
らぶナベ@恥ずかしがりやさんなので静かにがんばってます(^^;
さてさて、『塗仏の宴-宴の支度-』京極夏彦著(講談社)1998年初版をば。
読んだ感想→「続くのかよ!」(三村マサカズ風に)
上下巻とかにしないのは著者のこだわりなのだろうけど、
本が分厚いだけにちょっと面食らった京極堂シリーズ第6段。
結末に触れていないので物語としての評価はまだ下せないけど、
「自己への揺らぎ」がこの本のテーマのような感じがする。
催眠や洗脳など、確かにそういう話はちょっと怖い。
そもそも人格なんていう概念自体がある意味で詭弁でしかなく、
人格という確固とした統一性ある”固体”があるわけじゃい。
それなのに人格の破壊や改造というものに対して恐怖を感じる。
それはやはり自己愛の顕れなのだろうか。
この本を読んでいる時にたまたまHPで知り合った人と、
『山月記』(中島敦)の話をする機会があり
「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」という言葉を
思い出したから特にそう感じたのかもしれない。
そんな「自己への揺らぎ」の恐怖を感じた『宴の支度』だった。
物語としての感想が書けないので小説などの物語本ではあまり書き残さない
チェック箇所を記録・・・
「底の知れた神秘より、巧妙な詐欺の方がより効果的だ」
by関口巽
「来ると思ったところに来ないのが闘いの基本じゃないか。
来ると思ったところに来るのはお笑いの基本だ!」
by榎木津礼二郎
「非経験的なる観念を、先天的な真理と見做すことは幸運の獲得にはつながらない」
by織作茜
2002 4/28
小説、文学
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