これで憲法・民法・刑法の基本三法すべての体系書を一通り
読み終えたことになる、らぶナベっす(リーガルなフェチ化進行中)
さて、『刑法総論講義』[第3版]前田雅英著(東京大学出版社)1998年第3版。
同じ著者が書いた『刑法各論講義』に続いて読んだ総論についての体系書。
総論を読んで改めて思ったが刑法は議論のための議論をしている感じがする。
人の命を奪うほどの刑罰を扱うのだからある程度は普遍的な方程式は
必要だろうがそれにかなりこだわりすぎているように思える。
もともと人間がすることに対して処罰を加えるんだから
一律的な方式を当てはめることは本質的に限界があるはず。
(実際に刑法の中には形式的理論では説明が苦しい部分が多くある)
その前提の上で議論していかないと現実と隔離した議論が
延々と続いてしまう、そういう点では民法の方がずっと大人に感じる。
最近、具体例である刑法各論が見直されてきたというのは
当然といえば当然の流れだろう。
著者も実質的という言葉を使ってこの方向性を強調しているが
まだまだ足りないと思う。抽象的な議論に足を取られ過ぎないことも大切。
<序章>
☆犯罪の定義=「その国の国民が刑罰を使ってまで
守ろうとする利益を侵害する行為」
=刑罰は副作用の強い薬品のようなものなので他の手段で
犯罪防止が図れるならばなるべく用いるべきではなく、
効果が期待できない場合も用いるべきではない
○犯罪には自然科学が探求するような本質は存在しない→
刑法学は基本的に犯罪をどう設定するのが国民の利益に通じるか、
国民の意識にかなうかを考察する学問
○具体的な犯罪行為を確定する「犯罪論」と犯罪に対する効果としての
刑罰を論じる「刑罰論」は表裏の関係にある
○行刑法に犯罪学を加えたものを「刑事政策学」
→刑法、刑事訴訟法、刑事政策学を「全刑法学」と呼ぶ
☆刑法の機能=「規制的機能」、「保護的機能」、「保障的機能」
☆戦前の反省から刑罰法規を形式的に解釈して恣意的刑罰権の運用を防止する
形式的犯罪論=「刑罰謙抑主義」が戦後の主流だったが徐々に
「処罰に値するか否か」に注目する「実質的犯罪論」が台頭してきている
☆日本の刑法典の犯罪の類型が包括的で条文自体が少ないという特徴は
法解釈の裁量の幅が広いことを意味する=罪刑法定主義の枠内であっても
判例が法規範性を持たざるを得ない要因が存在している(日本刑法最大の特徴)
☆犯罪は「それ自体の悪(mala inse)」とされた自然犯と
「禁じられた悪(mala prohibita)」とされた法定犯に分けられることもあるが
両者の差は質的なものでなく量的なものに過ぎない
☆通常の公判手続で有罪を言い渡される被告人の数は認知件数と比べると
かなり少ないが(起訴率自体も半数)、その分公判手続での無罪率が
極端に少ないのが日本の刑事司法最大の特徴
←刑事事件の処理を刑罰を科すことの有無という通常の流れから
離脱させて処理することを「ディバージョン」
<第1章 刑法理論の発展>
○犯罪を「構成要件に該当し、違法で、有責な行為」と
三分説で定義したのはベーリング
☆旧派刑法学と新派刑法学の違い・・・
・旧派刑法学
フォイエルバッハ、ヘーゲル、小野清一郎
応報刑論=刑罰と保安処分は峻別される二元主義
客観主義
vs
・新派刑法学
リスト、ベーリング、牧野英一
目的刑論=刑罰と保安処分は一体化する一元主義
主観主義
→ドイツ刑法学を基盤に日本の刑法学は
新派理論と旧派理論の対立を軸に発展してきた
☆現在でも刑罰論は応報刑論と目的刑論との対立から整理すべき=
「犯罪が起こったから刑を科す」vs「犯罪が起こらないように刑を科す」
(主要な対立点は犯罪行為における「自由意思」を承認するか否か)
→通説は折衷的な「相対的応報刑論」=「刑罰は犯罪結果に対する応報であり
犯罪予防の効果も期待できるから正当化される」
☆違法性は客観的に判断し、責任は主観的に判断する
<第2章 犯罪論の基本構造>
○法的安定性の要請が強い点が民法と比較した時の刑法最大の特徴
→安定性を求めるならば形式理論が最も適しているとされる
○犯罪論に求められる要件・・・
処罰に値するだけの害悪の存在すること(違法性)、
行為者にその行為に対する非難が可能であること(責任)
○法益侵害説=結果無価値論、法規範違反説=行為無価値論
→違法性の根拠を客観的なものに限定するか否かの争い
☆違法性阻却事由判断とは「可罰的法益侵害を超える利益の有無」
<第3章 罪刑法定主義と刑法解釈>
○罪刑法定主義は類推解釈の禁止が要請されるがあまりにも厳格な解釈は
妥当性を欠く→刑法各論の役割の大部分はこの類推解釈の禁止原則が
どの程度まで厳格に追及されるかに答えること
○合憲性を争う際に用いられる「明確性の理論」は法規それ自体の明確性を
問う理論だが判例は不明確の故に違法だとする主張に対して
法規が一見不明確に見えても「一定の解釈を行えば」明確となるという
判断を下すことが多い(アメリカやドイツでもみられる)
=不当な法規自体を違憲無効とするのではなく法文に限定解釈を
加えることによってそれを合憲とする「合憲的限定解釈」が用いられる
→影響の広がりと混乱を考えると法規そのものの違憲無効という
伝家の宝刀はできる限り抜くべきではないため
☆憲法学者は法令自体を違憲無効とすることについて抵抗感が少ない
=裁判官が実質的な立法活動を行うことは慎むべきであるという
権力分立原理論が強く意識されている
一方、刑法解釈学では合憲で合理的な処罰範囲を設定するには
どのように実質的に解釈すればよいのかという形で議論が展開される
(解釈学のためその対象となる法文自体の違憲性という問題意識は少ない)
○類推解釈は禁止されているが拡張解釈は許容されるとされる(最決平8.3.19)
☆刑法解釈の特色を論じる際に援用されるのが電気窃盗判例(大判明36.5.21)
→条文解釈として不合理なものはやはり罪刑法定主義の観点から
構成要件該当性を否定するが可能な限り具体的該当性を考慮して
柔軟な解釈をおこなうのが日本の刑法解釈の特色
=権利行使と財産犯論や共謀共同正犯論でも用いられる(最判平8.2.8)
○日本の刑法は「属地主義」(1条1項)を採用しているが日本国民の
国外犯については犯罪地の内外を問わずに刑法の適用を認める
「属人主義」を適用する(3条)
<第4章 客観的構成要件>
○客観的構成要件は違法行為の類型なので構成要件に該当する行為は
正当化事由(違法性阻却事由)が存在しない限り違法
→客観的構成要件の最も重要な構成要素は「結果」と「行為」
○一定の身分を有する場合のみ処罰するのが「真正身分犯」(賄賂罪など)
一定の身分を有する場合を重く処罰するのが「不真正身分犯」
(業務上過失致死傷害罪など)
☆刑法典は主体を自然人である個人を対象にしてきたが最近法人自体の
責任を問うべきであるという考え方が有力視されてきている(最判昭40.3.26)
←現在認められている法人処罰はあくまで個人を処罰した場合に
併せて事業主を処罰する「両罰規定」にすぎない
○軽微犯についての無罪判例は刑事司法システムの中で微罪処分や
起訴猶予によってふるい落とされるので実際上は非常に少ない
☆意識不明の重傷者を勝手に手術して治療する行為は「推定的同意」
として論じられる問題=緊急避難もしくはそれに準じる要件が
必要とされる(許された危険概念が使われることもある)
☆刑法での「行為」=「意思に基づく身体の動静」
○不作為の真正身分犯→「命令規範違反」
不作為の不真正身分犯→「禁止規範違反」
=不真正身分犯を罰するには「作為との等価値性」が求められる
○不作為とは絶対的な無為ではなく「一定の期待された作為をしないこと」
○犯罪論の対立が最も鮮明となるのが未遂の処罰範囲
☆中止未遂(43条後段)の要件には「結果発生防止の努力」が必要とされる
☆因果関係の相当性の判断基準=実行行為に存する結果発生の確率の大小、
介在事情の異常性の大小、介在事情の結果への寄与の大小
○因果関係の相当性判断について判例は「あれなければこれなし」の条件説を
採用しているとされてきたが現在は相当因果関係説を採用するに到っている
(最決昭42.10.24)
☆「相当因果関係説」=一般人の社会生活上の経験に照らして
通常その行為からその結果が発生することが「相当」と認められる場合に
刑法上の因果関係を認める説
<第5章 正当化事由>
☆正当化事由(違法性阻却事由)とは違法性がゼロになるのではなく
処罰に値しない程度になることを意味する
(生じた法益侵害を上回るだけの利益を担っているか否か)
判例が共通に挙げる要件=「目的の正当性」、「手段の相当性」、
「法益の衡量」、「相対的軽微性」、「必要性・緊急性」
☆正当防衛の要件=「法益の相対的な権衡」、「防御手段の相当性」
(防衛手段の必要最小限度性)
☆正当防衛よりも緊急避難の要件は厳しい→何も不正の侵害を行っていない
者に向けられた法益侵害行為を正当化するには他に避ける方法がない
唯一の方法に限られる=「補充性」が必要
←過失犯における結果回避義務と重なる面がある
<第6章 責任>
○未必の故意と認識ある過失の区別が故意と過失の限界線となる
○犯罪遂行意思は確定的であるがその遂行は一定の条件にかかっている
「条件付故意」には故意責任が認められる(最決昭56.12.21)
○法律の錯誤か事実の錯誤かの議論については最判平1.7.18が重要
(法律の錯誤を事実の錯誤と認定)
○事実の錯誤には客体の錯誤、方法の錯誤、因果関係の錯誤がある
→判例は個別の客体に対する認識を重視しない法定的附合説を採用
☆「法定附合説」は認識した内容と発生した事実が一致していなくても
構成要件の範囲内で附合していれば故意を認める
(およそ人を殺そうとしたのであるから他人であっても殺人既遂罪)
☆故意と実行行為との罪の重さが違う抽象的事実の錯誤(38条2項)にも
法定附合説が適用されて両者の構成要件が「重なる範囲」で処罰される
○過失の注意義務=「結果予見義務」&「結果回避義務」
→予見可能性&結果回避可能性が議論の中心になる
☆「許された危険」=本来的に法益侵害の危険を伴う
鉱工業・交通・医療などの行為につき社会的有用性を根拠に
法益侵害の結果が発生した場合でも一定の範囲で許容する考え方
←社会の活発な活動の維持を優先する価値判断が特色
(「新過失論」や「信頼の原則」などに影響)
☆「森永ヒ素ミルク事件判決」(高松高判昭41.3.31)では
結果回避義務を課す前提として具体的結果の予見可能性は不要で
行為になんらかの不安感が伴えば足りるとした「不安説」が採用された
→処罰範囲を限定する新過失論とは逆の方向性(ただし判例では定着せず)
<第7章 共犯>
☆教唆犯を処罰する61条での犯罪は何かという解釈には
「制限従属性説」(違法は連帯に責任は個別に)が通説
○共犯についてのすべての問題は形式論では決定し得ない
○共同正犯とは違い意思が通じ合わない「片面的教唆」、
「片面的幇助」は成立可能
○「自己の犯罪か否か」が正犯と共犯を分ける基準
→ただし判例は殺人や強盗などの重たい罪に対しては
見張り行為も共同正犯と判定している
○65条1項は「連帯的作用」、65条2項は「個別的作用」を定めたもの
=1項は真正身分、2項は不真正身分
○重い罪を教唆したところ正犯者が軽い罪を実行した場合
→両罪の重なる範囲で軽い罪の教唆犯を認める
軽い罪を教唆したところ正犯者が重い罪を実行した場合
→両罪の重なる範囲で軽い罪の教唆犯を認める(制限従属性説)
☆共犯と中止犯との関係=共犯者・共同正犯者の一部が任意に中止し、
かつ結果発生を防止した場合に、本人についてのみ中止未遂が認められる
<第8章 罪数論>
○条文上数個の構成要件に該当するように見えるが実は構成要件相互の関係で
一個の構成要件にしか該当しないのが「法条競合」
(特別関係、補充関係、択一関係、吸収関係)
○法条競合には含まれないが一罪と評価されるものの総称=「包括一罪」
(付随犯、狭義の包括一罪、接続犯、不可罰的事後行為)
☆数罪を犯した場合でも、一個の行為が数個の罪名に触れる「観念的競合」と
犯罪の手段又は結果である行為が他の罪名に触れる「牽連犯」は
「科刑上一罪」(54条1項)として扱われる(既判力は他の部分にも及ぶ)
○確定裁判を経ていない数罪のことを「併合罪」(45条)
<第9章 刑罰の具体的運用>
○執行猶予の取消=「必要的取消」(26条)と「裁量的取消」(26条の2)
2000 8/3
法学、刑法
まろまろヒット率4