医学書院と金原出版。
どちらも本郷三丁目に居を構える、医学書の名門出版社です。
なぜ、今回は一緒に取り上げるのか?と言うと、実はこの両社、
戦前までは同じ会社だったんですね。
両社の創業は、1875年にまでさかのぼります。
創業者の金原寅作は1875年、本郷に金原質店を開業します。
これは開業場所と店名から容易に推測がつきますが、
東京帝国大学(現・東京大学)の学生・研究者などを対象にした質屋でした。
商売は比較的早くから軌道に乗り始めるのですが、場所柄か質草として納められる
ものとして医学書・洋書が非常に多く、それに気づいた寅作は医学書を専門とした
売買を行おうと思い至ります。
そうして同年、金原医籍店を開業することとなります。
この金原医籍店も経営は順調で、またこの医籍店の開業により帝大の研究者や
学生たちとの交流も増え、寅作は次第に彼らの信任を獲得していきます。
そして1881年、ドイツ医書の輸入業も成功を収めた寅作は、遂に出版業への
進出を図ります。1881年の「祥約薬物学」をはじめ「ハイツマン解剖書」
「ベルツ医学書」などを次々と刊行し、すぐに医学書出版の世界において
大きな存在感を示すこととなりました。
この出版業の成功の要因としては、やはり寅作が営んでいた医籍店、質店で培った
帝大の研究者・学生とのつながりが大きいと言えます。特に、学生時代に寅作に
世話になった学生達はみな出世し、後に医学界の重鎮となる者も多く、そうした
人々とのネットワークを確保していたことがかなりの強みとなったのは
間違いないでしょう。
その後寅作は本郷貯蔵銀行の経営頓挫などによる心労がたたり、1908年に
逝去しますが、その妻・鋳と4人の息子により、金原商店
(医籍店と質店が合併し、寅作死去前に同名の合資会社に改組)は
より一層の繁栄を謳歌することとなります。
しかし1944年、第二次世界大戦下の企業整備令により、
金原商店は書籍出版部門と雑誌出版部門に分割の上、同業他社との合併を
強いられることとなります。
これにより、書籍出版部門は日本医書出版㈱に、
雑誌出版部門は日本医学雑誌㈱になってしまいました。
このとき、鋳の次男・一郎が日本医学雑誌㈱に、三男の二郎が
日本医書出版㈱においてそれぞれ筆頭常務となっています。
そして終戦後、日本医学雑誌㈱は1950年に改組して㈱医学書院に、
そして日本医書出版㈱は1953年に改組して㈱金原出版になり、
今に至ります。
歴史を見てもわかるように、両社は純然たる兄弟会社といえます。
そういえば、両社とも社長さんが現在でも金原氏ですね。
お気付きの方も多いでしょうが(笑)
㈱医学書院
〒113‐8719 東京都文京区本郷5‐24‐3
TEL 03-3817-5600 FAX
地図
㈱金原出版
〒113-8687 東京都文京区湯島2‐31‐14
TEL 03-3811-7184 FAX 03-3813-0288
地図