「おしりかじり虫」は虫じゃなくて妖精だと知った、まろまろ@思わず口ずさんでしまいますな(^_^)v
さて、『コンプレックス』河合隼雄著(岩波書店)1971。
心理学者の河合隼雄によるコンプレックス本。
そもそも「コンプレックス」という言葉はよく耳にするけれど、いったい何なのかがいまいちよく分からない。
たとえば、僕は中学の時に”complex”を「こだわり」と訳して笑われたこともある(w
コンプレックスという言葉は、もともと「主体性をおびやかすもの」として、
ユングが「感情によって色づけされた複合体(gefuhlsbetonter komplex)」と定義づけた心理学用語。
この本ではそんなユング心理学を基本にして、コンプレックスという心理現象を解説している。
読んでいて興味を持ったのはコンプレックスは感情によって色取られるものなので「劣等感とコンプレックスとは違う」という点だ。
単なる劣等感ではないのでコンプレックスの強い人は「他人を救いたがる傾向が強い」というのには納得。
<第2章 もう一人の私>
また、「精神分析の生半通は、ものごとの価値を引き下げたつもりになって喜ぶだけ」と語っている点にも興味を感じた。
ダ・ヴィンチの絵画(モナリザ)にエイディプス・コンプレックスを読みとることと、その芸術的価値とは関係がない。
それと同じようにその行為がコンプレックスによるものかどうかは、行為自体の善悪とは関係ないとしている。
<第3章 コンプレックスの現象>
また、「コンプレックスで結ばれた集団は連帯感が強い」ことについて語っている点も注目した。
連帯感の強さはメンバーの個性を殺すものとして作用するので、
メンバーがコンプレックスを統合した時にその集団から出なくてはいけないことに言及して、
「自己実現の道は孤独な道」としているのには考えさせられた。
<第3章 コンプレックスの現象>
そうしたコンプレックスについての豊富な事例を紹介しながら、
コンプレックスの解消は「感情の嵐」であり「何らかの意味で死の体験を伴う」ことを強調して、
「爆発に近い危険な過程」であると述べているのにも興味を持った。
<第4章 コンプレックスの解消>
そして最も印象に残ったのはコンプレックスの解消(自我の統一)で重要な役割を果たすことが多い、
トリックスターについて語っているところだ。
危険に満ちたコンプレックス解消の過程でトリックスター的な役割を担う存在に対して、
「挫折したトリックスター程みじめなものはない。
そこには破壊と悲惨のみが残り、怒りと嘲笑を一身に受けねばならない」と述べている箇所は、
選挙の後で体感したことをまさに言い表しているものとして印象深かった。
そして「トリックスターはしばしば世界の創世神話に登場する」ものとして、
「一人の人間を変えるというのは初めて世界をつくる程難しいこと」と指摘しているのも心に残った。
<第4章 コンプレックスの解消>
この本ではトリックスターのようにコンプレックスと神話・昔話との共通点を指摘する箇所が多くて、
「神話は事物を説明するのではなく、事物を基礎づけるためにある」(ケレニー)と述べている。
特に「事物の説明は科学で、心の中に納得のいく答を得るためには神話が必要」という部分は、
最近そういう議論(非科学的なものを求める心)をよく耳にするので印象に残った。
<第6章 コンプレックスと元型>
以下はその他でチェックした箇所(一部要約含む)・・・
○意識=自己の経験の特殊性を生きながら、この経験を自己の知識の普遍性に移すこと
→意識内容の統合の中心=自我
→意識することはそ経験を自ら語ること(アンリー・エー)
<第1章 コンプレックスとは何か>
○コンプレックスが自我に与える影響
1:抑圧、2:投影、3:反動形成、4:代償、5:同一化
<第3章 コンプレックスの現象>
○コンプレックスが問題になる時に内的な原因か外的な原因かの探求は意味が無く、
人間の内界のコンプレックスと外界の事象との間に布置が形成されていることが重要
<第3章 コンプレックスの現象>
○コンプレックスを人格化することによって、対話の相手とすることができる
<第5章 夢とコンプレックス>
○我々が誰かに対して虫が好かないとか毛嫌いするなどの場合、
我々はその人が自分のコンプレックスを人格化したものではないかと考えている
<第5章 夢とコンプレックス>
○無意識的結合を土台としての口論は、破壊も建設ももたらすことなく同じことを永久にくり返しているにすぎない
→それは真の対決ではない
<第5章 夢とコンプレックス>
2007 10/26
心理学
まろまろヒット率4
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