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さて、『ペテロとパウロ』小河陽著(講談社選書メチエ)2005。
ユダヤ教の一分派だったイエス運動がキリスト信仰として世界宗教になる基礎を作った
原始キリスト教の二人のキーパーソン、ペテロとパウロの軌跡をたどった一冊。
伝道者の元祖としての二人の宣教戦略について知りたかったが、その記述は少なかった。
でも、限られた資料、特に聖典として後世の脚色が加わった可能性の高いものから、
実際の姿を導き出そうとする謎解き的なおもしろさを読んでいて感じた。
著者は神学者だけあって、理論構成や論理操作もおもしろく思えた。
(ただ、妙に文章に修飾が多いのも神学の特長か?)
英雄物語として脚色された部分を除いて見てみると、
実際のペテロはここ一番で逃げ出して泣いたりするし(イエスを見捨てる)、
パウロは会ってみると弱々しい印象で話がつまらないと評価されていた。
そんな二人が世界宗教への基礎を作ったというのはちょっとおもしろい。
「私は弱いときにこそ強い」というパウロの言葉の深さも感じた。
また、ペテロがイエスの弟子となる箇所では・・・
「彼は師となる人が示した律法についての造詣の深さに感銘を受けたのではない。
いや、むしろ伝統的な解釈や過去の権威にはまったく無頓着に、
それでいて彼らが子どものころから聞き知らされていた神について、神の掟について、
独自の解釈を自らの権威において語る、その言葉の力強さに圧倒されたのである」
・・・と著者が言っているのは、すべての新宗教帰依者に通じるものだろうと思った。
ちなみにペテロは復活、パウロは回心という神秘体験(ヌミノーゼ)を通して伝道者となった。
その神秘体験は実際はどういったものだったんだろうかと思った。
論理的に書かれたこの本の中でも、奥歯にものがはさまったような表現だったので、
余計にそのあやしさが目立っていて興味を感じた。
2005 8/29
歴史、神学
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