どの分野でも、どこにいても、自分が関わったもの、自分が作ったもの、
そして自分自身がブランド化しているかどうかが、その分野でやれているかどうかの判断基準。
そのためには、人と違っているところ、自分独自のものを伸ばす勇気を持たなくてはいけない。
ブランドとは「違い」だから。
2004 1/20
はしり書き
since July 19th, 2001
どの分野でも、どこにいても、自分が関わったもの、自分が作ったもの、
そして自分自身がブランド化しているかどうかが、その分野でやれているかどうかの判断基準。
そのためには、人と違っているところ、自分独自のものを伸ばす勇気を持たなくてはいけない。
ブランドとは「違い」だから。
2004 1/20
はしり書き
慎重になりたいなら、具体的に不安要因を書き出してみる。
外在性と一覧性がない慎重さは、単に自分に酔っているだけだ。
それでも不安感がつきまとうなら、そのエネルギーを向上につなる。
行動につながらない不安感は、単に後ろ向きの自己陶酔だ。
2003 12/22
はしり書き
自分は物でも料理でも二流のA級より一流のB級の方が好きだし、
振り返ってみれば人生の岐路では後者の匂いがする選択肢を選んできたような気がする。
思えば成功したHP(WEBサイト)でも綺麗なHPより小汚いHPの方が多いように思えるし、
アイドルも顔が綺麗で歌が上手い完璧な人より少し崩れてる方が人気がある気がする。
ハイソ顔で一般ぶる二流より、泥臭くてマイナーな一流の方が魅力的だ。
自分自身も一流のB級でありたいし、どうせなら超一流のB級になりたいと思う。
2003 12/19
はしり書き
らぶナベは組織やプロジェクト内での個人の役割をサッカーのポジションで例えることが多い。
読書日記やHP運営などのように主流から外れたアウトサイドで動くことが好きなために、
端っこを駆け上がるサイドアタッカー的な役割が自分には向いていると考えている。
そうしたことから自らをナベッカム(NABECKHAM)と称して
読書日記や出来事メモなどにごく普通に使用していた時期があった。
しかし、2002年の日韓共催W杯期間中に滅多に怒らない女の子にマジギレされたので
反省して封印していたのであるが、まろまろ掲示板での許可を得て再び使用することとなった。
追記:本家ベッカムが引退し、らぶナベと呼ばれた渡邊義弘本人の役割の変化もあって、
最近は、クリスティアーノ・マロウド、ナベンゲル
などの呼称もポスト・ナベッカムとして有力である。
教訓:比喩はメジャーすぎる例だと怒られるけど、微妙な例だと伝わりにくい
何かを始める前に悩んでみても、続くなら続くし、続かないなら続かない。
できるかどうかとか、ダメだったときの精神的ダメージを考えてもあまり意味がない。
かつて”Quitters never win and Winners never quit”という台詞を署名にしてたけど、
この言葉は意気込んで口ずさむんじゃなくて肩の力を抜いてつぶやく台詞なんだろう。
そんな不作為的な自然選択(natural selection)で僕たち生命は進化してきたのだから。
2003 9/6
はしり書き
答えは百人いれば百通りある。状況によっても千差万別だ。
では、答えは自分の中にしかない。自分自身が証明になるんだ。
“The proof is my life”といい続けられるよう生きていきたい。
2003 8/30
はしり書き
遺書を書いてみてあらためて感じた。人間は必ず絶対に死ぬ。
でも死はゴールじゃない、それは目標でも達成でもない。
「生きる」ということは一生をかけた過程なんだ、その過程にこそ価値がある。
だから模索や途中の過程それ自体を楽しめる人間は人生を楽しむことができるのだろう。
人生そのものが生きるカケラ(欠片)なんだから。
自分もその中のひとりでありつづけたい。
2003 7/13
はしり書き
昔、内定先企業の役員さんから「人生最後は賭けだよ」と言われたことがあるが、
最近になって本当にそうなんだとあらためて思うことが多い。
どんなに安定した道を選んでもその道が絶対に安定しているとは限らない。
賭けをしないということも実は大きな賭けだ。
どんな選択肢を取るにしても最後は自分の選択に
「賭ける」気持ちを持つことが大切なんだろう。
そして最後は賭けになるなら、失敗しても後悔が少ない方に賭けてみたい。
2003 2/22
はしり書き
中途半端なスケベ心は破滅を招く、一度に一つだけできたならそれでいい。
すべてを一度にしようとすると何一つできないことが多い、
多様性はあくまで一つずつの積み重ねでしかない。
一日一つ、一週間で一つ、一月に一つ、一季節に一つ、一年で一つ、
そして一生に一つのことができればそれは成功なのだろう。
2003 1/20
はしり書き
前者は失敗しても救いはあるが、後者は失敗すると救いがない。
大きい方が失敗の損害が少ないというめずらしいものじゃないだろうか。
どちらにしても無自覚に使うと自分を滅ぼしてしまうものだろうけれど、
どうせ半分も成功しないものならば大きな打算で失敗したい。
2002 12/28
はしり書き