吉田健正 『大学生と大学院生のためのレポート・論文の書き方』 ナカニシヤ出版 1997

いつの間にかYahooに「情報学」と「メディア論」のキーワードでも登録されていてた、
らぶナベ@院入学半年の活動がこういうキーワードでも登録されるようになった原因だけど、
本人の手を離れて独りでに進化していくようなところがネットでの活動の楽しさですな(^^)

さて、『大学生と大学院生のためのレポート・論文の書き方』
吉田健正著(ナカニシヤ出版)1997年初版。
同じ研究室の聖ちゃん(男)が貸してくれた本。
いまさら感もあるし、こういう本は総じて面白くはないけれど、
気づかずに付いた癖や思い込みを発見できるので通して読んでみた。

案の定、デジタルメディア(特にネット上の情報)を引用や注で使うときには、
“…; accessed 26 May 2003.”というようにアクセスした日時も記載するとういうのは
ころっと抜けていたところだったのでこれから参考にしたい(^^;
(8章:注・注記・引用・文献一覧)

また、どうでもいいところかもしれないけど「起承転結」はレポートにはあまり適さないし、
能や浄瑠璃で基本の「序破急」も不適切だと書いていたのには笑ってしまった。
(3章:レポート・論文の構成)

以下はその他にチェックした箇所・・・

○英文なら”A Manual for Writers of Term Papers, Theses, and Dissertations”か、
“MLA Handbook for Writers of Research Papers”が参考になる
<1章 レポートとは>

○「モデル」の意味(Alfred Tarski)=
1:theory formation, 2:sinplification, 3:reduction, 4:extension, 5:adequation,
6:explanation, 7:concretization, 8:globalisation, 9:action, 10:experimentation
<4章 卒業論文と修士論文>

○「科学的」の定義(ベレルソン&スタイナー)=
1:手続公開、2:定義の正確性、3:データ収集法の客観性、4:事実の再現可能性、
5:組織的・集積的なアプローチ、6:説明・理解・予測のための研究
<4章 卒業論文と修士論文>

○レポートと感想文との違い=objective&detached

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2003 9/30
作文指南、学問一般
まろまろヒット率2

竹内郁郎・児島和人・橋元良明 『メディア・コミュニケーション論』 北樹出版 2000(第3版)

TBS系列で再放送していた『愛なんていらねえよ、夏』にちょっと感動した、らぶナベです。

さて、『メディア・コミュニケーション論』竹内郁郎・児島和人・橋元良明編著
(北樹出版)2000年第3版。
コミュニケーション論の本を探していたらメディア論との関連で構成されている
この本を見つけたので読んでみることになった。

一章ごとに執筆者が違っていて全部で序章+15章とけっこうな分量だったけど、
内容は「薄いやん」っと思うような章もところどころあった。
おかげでメモを残した章がかなり偏っている(^^;
第7章の「マス・コミュニケーションと社会をめぐる理論の成果と展開」が
この本の一応の中心にはなるんだろう。

また、この本で扱うメディアは新聞、ラジオ、テレビなどの
既存のマスメディアが中心になっていて、ネットや携帯電話などの
新しいメディアへの記述が少なくてちょっと残念だった。

ただ、各章末にそれぞれ3冊ずつ、そのテーマに関係する参考図書を
執筆者のコメントつきで紹介してくれているのはテキストとして役立った。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

☆メディア・コミュニケーション研究の対象=人間・メディア・社会の相関の磁場、
入れ子状の関係のもとでの社会的相互作用としてのコミュニケーション
<序章 メディア・コミュニケーション論の生成>

○メディア変容で注目する点→
1:メディアにおける身体の根源性と基本性
2:新たな個別メディアの登場とメディア総体の自己変容
3:道具・機械メディアの独自の系
<序章 メディア・コミュニケーション論の生成>

○第一次集団(家族や企業組織など)ほど個別間の結合が強固ではなく、
大衆ほどには離散的でもない中間的結合体系=「集合体」(collectivity)
<序章 メディア・コミュニケーション論の生成>

☆メディアはそのメディア内容を離れてメディアそれ自体の独自の次元でも
リアリティ形成の力を一定の社会的文脈の中で発揮する
→メディア独自のリアリティ形成力=「メディウム性」
<序章 メディア・コミュニケーション論の生成>

○社会的格差の中にあるリテラシーを動員した実践が、
コミュニケーションという相互作用によって他者と共有するリアリティを
構成することを通じて、新たな自己、新たな他者との関係形成の一歩を築く
<序章 メディア・コミュニケーション論の生成>

○群集の特徴(Tarde,J.G.)=情動や集団的感情の模倣を通じての集団的一体感(コミュニオン)
<第1章 メディアとしての身体からグーテンベルクへ>

○文字の特性(Platon)=
1:書かれたものは客観的なモノと化して人工物となる、
2:書くことは記憶能力を衰退させる、
3:書かれたものは読み手に応答することはなく自らを弁護することもない
<第1章 メディアとしての身体からグーテンベルクへ>

○従来のメディアと電子メディアの相違点=
1:遠隔地間の情報伝達を瞬時に行える
2:同時に広範囲の人々に対する情報伝達ができる
3:電気信号によって多様な情報を蓄積、伝達することが可能
<第3章 メディアの今日的生成と諸形態>

○通信機器の普及の特徴=相手も同じ機器を持つ必要があるので
普及が十分ではない時期にはなかなか広まらないが、
普及がある一定数(クリティカル・マス)を超えると
逆にその機器を持っていないことに対して社会的圧力がかかる(吉井,1997)
<第6章 パーソナル・メディアとコミュニケーション行動>

☆ある年齢層の行動・意識を調査・分析する際の注意点=
1:「年齢層効果」(特定の年齢層であることの影響)、
2:「時代効果」(調査した時代の影響)、
3:「コーホート効果」(同時代に生まれた集団=コーホートが持つ特性の影響)
<第6章 パーソナル・メディアとコミュニケーション行動>

○メディアの公共性の基準(McQuail,1994)
=自由、平等、多様性、情報の質(客観性、均衡など)、社会的秩序と連携、分化的秩序
<第7章 マス・コミュニケーションと社会をめぐる理論の成果と展開>

○マス・コミュニケーションの社会的機能(ラザーフェルド&マートン,1960)
=1:地位付与の機能、2:社会規範の強化、麻薬的逆機能(潜在的機能)
<第7章 マス・コミュニケーションと社会をめぐる理論の成果と展開>

☆マス・コミュニケーションの社会的機能(ラスウェル,1960)
=1:環境の監視、2:環境への反応にあたっての社会の諸部分の調整、3:社会的遺産の世代的伝達
(国家単位で当てはめれば1:外交官、2:ジャーナリスト、3:教育者)
→ライト(Wright,C.R.,1960)はこれに4:娯楽の提供を追加
<第7章 マス・コミュニケーションと社会をめぐる理論の成果と展開>

○カルチュラル・スタディーズは第一段階では記号論や精神分析のアプローチを導入、
第二段階では社会的な主体としてのオーディエンスに焦点を合わせることで
その構造的な規定性を脱構築するという二重のパースペクティヴを有する
→メディアの基本的契機であるテクスト、テクノロジー、オーディエンスを
 それぞれ独立した変数とみなして議論を進めることは無い
<第9章 カルチュラル・スタディーズのメディア・コミュニケーション研究>

☆カルチュラル・スタディーズにとって重要なのは、
自由なテクスト解釈の主体としてのオーディエンスではなく(略)
様々な差別の文化政治学が葛藤と矛盾、せめぎあいを含みながら作動していく
政治の現場としてのオーディエンスの社会的身体である
<第9章 カルチュラル・スタディーズのメディア・コミュニケーション研究>

○メディアと日常生活を分離させてそれぞれの分野の科学性を追及するのではなく、
日常生活や郊外や都市、グローバルな空間システムの作用についての分析と
コミュニケーションについての分析を統合させる
→家庭には、想像される家庭(home)、社会関係の場の家族(family)、
 モラル・エコノミーの場の世帯(household)の三つの次元がある(Silverstone,1994)
<第9章 カルチュラル・スタディーズのメディア・コミュニケーション研究>

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2003 9/20
メディア論、コミュニケーション論、社会学、社会心理学
まろまろヒット率3

池上嘉彦 『記号論への招待』 岩波書店 1984

ニュース23の特集「Coccoが再び歌う」を観て感動した、らぶナベです。

さて、『記号論への招待』池上嘉彦著(岩波新書)2003年第37版。
記号論についてのコンパクトにまとまっている本を探していたら、
西垣通教授が講義(学際情報学概論)中でソシュールとパースの両方を
押さえているということでこの本を紹介していたので買って読んでみた。

読んでみると、断片的に耳にしていたこの分野のキーワードが
全体の流れの中でつながっていくのはパズルが完成するようで楽しかった。
また、もともと著者は言語学者なので、言語学で小耳に挟んだ理論が
記号論でどういう風に応用されているのかということも垣間見ることができた。

ただ、記号論の歴史的な経緯や発展についての説明がもっと欲しかったし、
内容面でも個々の概念的なことは納得できるけれど「そっから先が知りたいんや~」
っと感じることも多くて少しまどろっこしかったのが残念。
さらに記述のまわりくどさが読みづらさを助長させていたが、
こういうのは記号論自体の特徴だろうか?

以下はチェックした箇所(一部要約を含む)・・・

○人間の「意味づけ」する営みの仕組みと意義
ーその営みが人間の文化をいかに生み出し、維持し、そして組み変えていくか
ー現代の記号論はこういうことに関心をもっている
<1 ことば再発見>

○ことば(あるいは、一般に記号)による意味づけという営みを通じて、
人間は自らにとって未知のもの、関わりのなかったものを自らとの関連で捉え、
自らの文化の世界の中に組み込み、自らの世界をふくらませ続ける
<1 ことば再発見>

○直感すること、それはすなわち、表現することである(クローチェ『美学』1907)
<1 ことば再発見>

○言語は精神であり、精神は言語である
(フンボルト『人間言語の多様性と人間の精神的発達に対して及ぼすその影響について』1836)
<1 ことば再発見>

☆コミュニケーションとは(略)自分の頭に抱えている
< 抽象的>な広義の思考内容のコピーを相手の頭の中にも創り出す行為
<2 伝えるコミュニケーションと読みとるコミュニケーション>

☆コード=発信者がメッセージを作成し、受信者がメッセージを解読する際に参照すべき決まり
(コードとして重要なのは拘束する力)
→コードを超えようとする使用者と、使用者を拘束しようとするコード
→この対立する両者の間の緊張した関係が破綻に至らぬようとりもっているのがコンテクスト
<2 伝えるコミュニケーションと読みとるコミュニケーション>

○「コード依存型コミュニケーション」→解読がその特徴(発信者中心)
 「コンテクスト依存型コミュニケーション」→解釈がその特徴(受信者中心)
<2 伝えるコミュニケーションと読みとるコミュニケーション>

○仮説的推論の説明・・・
・「演繹」=from 事例 with 規則 to 帰結
・「帰納」=from 事例&帰結 to 規則
・「仮説的推論」=from 帰結 with 規則 to 事例
<2 伝えるコミュニケーションと読みとるコミュニケーション>

☆一般化した捉え方を定着させるのが記号(略)
指示物でなく意味を通例その記号内容とすることによって、
問題となる対象なり事例は特定の空間、時間の制約から解き放たれる
<3 創る意味と創られる意味>

○記号の分類・・・
・有契的で類似性に基づく記号→「イコン」(類像)
・有契的で近似性に基づく記号→「インデックス」(指標)
・無契的な記号→「シンボル」(象徴)
<3 創る意味と創られる意味>

☆記号内容の規定において、その記号と他の別な記号の記号内容の共通性ではなく、
差異を規定するものとして機能している特徴=「示差的特徴」
→共通性を踏まえての差異という「対立」の構造は、意味作用を生み出す母体
<3 創る意味と創られる意味>

○知識体系の表記・・・
・「フレーム」=問題となる事柄について、
関係する人々が平均的に有していると思われる知識を総覧的に示したもの
→スロット(その事柄についての特徴的な項目)+フィラー(項目に与えられる具体的な値)
・「スキーマ」=時間的ないし因果的な関係に基づいて継起する出来事から成るまとまり
<3 創る意味と創られる意味>

☆二つの特徴が共生する両義的な存在の役割=創造という価値
→「物語」では一方の世界から他方の世界への越境という出来事こそが重要
<4 記号論の拡がり>

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2003 9/9
記号論、言語学、コミュニケーション論
まろまろヒット率3

佐倉統 『進化論の挑戦』 角川書店 2003

「まろまろ図書」をメルマガ読者限定ではじめた、らぶナベです。
(根拠条文は著作権法第38条4項)

さて、『進化論の挑戦』佐倉統著(角川ソフィア文庫)2003年初版。
もともとは角川選書(1997年)から出た本の文庫版。
研究室にたくさんあったので物欲しそうに見ていたら著者からもえらえた(^_-)

内容は進化論が生まれた経緯と他分野への広がりの歴史を紹介しながら、
進化論が異分野をつなげる接着剤になる可能性を述べている。
前に読んだ『進化論という考えかた』よりもこちらの方がおもしろい。
各章末にある人物紹介は面白いし、表現も言い切りが多いのでリズムよく読める。
文庫版あとがきで著者も述べていたが、これくらい著者のスタンスを明確に示してもらった方が
(ちょっと問題があっても)こういう本としては勢いがあって読みやすい。

以下はチェックした箇所(一部要約を含む)・・・

○進化=生物の歴史、進化学=歴史をあつかう自然科学
<汝自身を知るためにーまえがき>

☆進化の定義=遺伝する形質の変化→進化過程では変化が累積していくことが重要
→進歩と違って進化は無方向な変化(“進化”よりも”変化”の方が意味が近い)
<第1章 進化と進化論の歴史>

☆古来多くの賢人が取り組んで未だに論じ尽くされていない問題は、
問の立て方か解決へのアプローチの仕方が間違っていると考えられる
・「なぜ人は道徳的でなければならないのか?」という普遍的な問題は、
 →「なぜ人は道徳的ではなければならないと<思う>のか?」と問えば
  倫理学の問題から心理学の領域へ変換できる
 →「なぜ人は道徳的でなければならないと思うように<できている>のか?」と問えば
  さらに自然科学で扱える問題となる
<第4章 人はなぜ道徳的に振舞うのか、また、なぜそうでなければならないのか?>

○脳の守備範囲は遺伝的には誤差範囲(略)遺伝的に大事なところは遺伝子が担当
→脳は遺伝子ではきめ細かな対応ができない時空間尺度、個体の見渡せる範囲や
 生涯で実感できる時間に感受性が高くなるように進化してきた
<第4章 人はなぜ道徳的に振舞うのか、また、なぜそうでなければならないのか?>

○まわりの事態が変えられない場合には
自分の意思決定は正しかったのだと思った方がストレスが少ない
→人の心理傾向は自己正当化するように進化してきた
(ロバート・トリヴァース)
<第5章 ダーウィンとフェミニズム>

○人類社会、特に近代産業革命以降の工業化時代における変化は、
共同体の解体とその役割の個人への委譲とまとめることができる
<第5章 ダーウィンとフェミニズム>

○自分の情報を複製することのできる自己複製子の系統が続けば、
そこにダーウィン的な進化が起こる
(大事なのはどんなものが複製されるかではなく、情報が複製されること)
→この情報一元論的生命観がドーキンス理論の根本
<第6章 ケーニヒスベルクの300年ー進化論と認識論>

☆自律的に適応する能力を持ったシステムならば、
生命や人間の知識だけでなく、あらゆるシステムが選択過程に頼っているはず
→選択過程=無方向の変異生成とあとに続く選択
(ゲイリー・シーコウ)
<第6章 ケーニヒスベルクの300年ー進化論と認識論>

☆ダーウィンが自然選択を着想したときにマルサスの経済学がヒントになり
(略)現代は進化経済学が注目されている
→進化論と経済学はもともと相性がいい
→生命も経済もどちらも自律的に適応する複雑系だから
<第6章 ケーニヒスベルクの300年ー進化論と認識論>

○生命の進化はひとつの認識システムの進化であり、
知識を含む人間の認識システムもまた、ひとつの「生命」と考えることができる
(略)生命は40億年の旅路の果てに、人間の知識・文化という、
もうひとつの「生命系」を誕生させたということなのだろうか?
<第6章 ケーニヒスベルクの300年ー進化論と認識論>

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2003 9/4
進化論、自然科学
まろまろヒット率4

中島尚正・原島博・佐倉統編 『総合情報学』 放送大学教育振興会 2002

いまさらだけど鈴木杏の演技はうまいと思う、らぶナベです。

さて、『総合情報学』中島尚正・原島博・佐倉統編(放送大学教育振興会)2002年初版。
まがいなりにも学際情報学という専攻分野に籍を置いている身としては、
1冊くらいは概要書を読まなきゃという気がしていたので
指導教官に尋ねてみたら研究室として大量購入してくれることになった本。
放送大学大学院の講義「総合情報学」の記録をまとめた教科書。
この講義は複数の担当者が各回ごとにリレー講義をしてするもので、
代表編者として名前が挙がっている編者以外にも、
主な執筆者は濱田純一、北側高嗣、西部忠、植田一博、山内祐平、
加えてゲストスピーカーは廣瀬通孝、河口洋一郎、谷淳、水越伸、会津泉、
金子郁容、小長谷明彦、西垣通など、この分野を担うの主な研究者が参加している。

内容も学際(総合)情報学で話題になるトピックスを網羅してくれているし、
各章読み切り型の構成でとっつきやすく、概要書としては最適な感じがする。
ただ、まだこの分野が過渡期にあるため&複数の執筆者がいるからとはいえ、
「確立した知識を提供することよりも現象の見方や理解の仕方に力点を置く」(第1章)
という姿勢が目立ちすぎて単なるダイジェスト版的な感じがした。
概要書だからダイジェスト版でもいいんだけど、
定義や射程などについてはもうちょっと突っ込んでやってほしかった。
(概要書に求めすぎ?)

以下は、チェックした箇所(一部要約)・・・

○総合情報学の目的=
1:高度に発達した情報環境と情報を理解し、そのあり方を考究する
2:情報環境や情報が人間・社会の活動における知の営みに及ぼす影響を考究する
3:情報環境や情報を手がかりにして人間・社会や生命を考究する
<第1章:総合情報学の視座>

☆「情報」=「知るということの実体化」(高橋秀俊,1971)+「区別」(渡辺茂,1968)
→前者は情報の基本的な意味、後者は情報の基本的な価値
<第1章:総合情報学の視座>

☆総合情報学の精神的支柱=(環境との相互作用を含む)情報の状況依存性、文脈依存性
<第2章:情報技術の発展(1)ーメディアの進化>

☆市場とインターネットに共通した特徴=自立分散型ネットワーク
→貨幣=あらゆる商品の経済的価値を一元的に表現することで、
 市場というネットワークを作り出す独立の情報媒体
→インターネットで見られた、独立媒体性に基づくモジュール化と階層化は、
 まさに市場において貨幣が可能にするもの
<第5章:情報と経済>

○コピーレフトの保証書=”GPL”=”General Public License”(公共使用許諾書)
→適応されたプログラムを改変した場合、
 改変後もGPLをつけなくてはいけないと再帰的に規定するライセンス
<第5章:情報と経済>

○進化主義は、構築主義や操作主義に見られる理性万能主義を拒否するが、
制度設計という考え方自体を気否定するものではない
→むしろ媒体の制度設計を重要な政策的課題として認識する立場にある
<第5章:情報と経済>

○自己をなす構造とは系の力学系構造(開放力学系)に相当し、
非連続な自己意識の経験はその力学系構造の時間発展から得られる
コーヒレント相と非コーヒレント相の間での間欠的遷移の繰り返しから説明され得る
<第8章:脳と身体性 ロボットが「自己」を意識するとき>

○表象主義(計算主義)=人は心のなかに表象をもち、
その表象構造を操作(計算)することで思考を進めているという考え方
<第9章:情報装置としての人間>

☆メディア論の基本的な視座=メディアは技術に支えられているが、
社会的要因から技術のあり方もデザインされる、という循環的なとらえ方で
情報技術、メディア、社会と人間の関係性を見ていく姿勢
<第10章:情報化時代とメディア>

○歴史社会的な文脈のなかでメディアを位置づけることは、
私たちがメディアを人々から切り離されて成り立つ閉じたシステム、
「系」としてとらえるのではなく、人間との関わりに向けて開かれた
「系」としてとらえていくパースペクティブを条件としている
<第10章:情報化時代とメディア>

○ネットワーク社会の特徴=cheap,fast,out of control
<第12章:ネットワーク・コミュニティの組織論>

☆ネットによって情報の入手コストは下がるが逆に情報の信用コストはあがる
→信用コストを下げる方法としてセキュリティ技術の向上やコミュニティ形成が注目される
<第10章:情報化時代とメディア>

☆進化=あるシステムが累積的に変化していくこと(特に環境に適応していく過程)
<第14章:情報と生命論>

○普遍選択理論(universal selection theory)、普遍的ダーウィン主義(universal Darwinism)
=情報が自己複製するシステムであって一定の条件を満たしていれば、
生物体でなくてもダーウィンの進化理論は適応可能であるという考え方
<第14章:情報と生命論>

☆メディオロジーの特徴=一対多、非平等・非対称形、通時的
(従来のコミュニケーション論は一対一、平等・対称形、共時的)
→内容面より伝達面の重視、技術と制度両面に注目、歴史主義的、文化の生態学
<第14章:情報と生命論>

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2003 8/29
情報・メディア、総合情報学
まろまろヒット率4

京極夏彦 『陰摩羅鬼の瑕』 講談社 2003

らぶナベ@40度近い高熱からようやく解放されつつあるっす。

さて、『陰摩羅鬼の瑕』京極夏彦著(講談社ノベルス)2003年初版。
京極堂シリーズ最新作のミステリー小説。
この京極堂シリーズは去年読んで以来、ハマッてしまって何度も読み直している。
特に第1作目の『姑獲鳥の夏』を読んだときはかなりの衝撃を受けて、
いまの学校に通うことになるきっかけのひとつになったくらいだ。
(人生のボタンかけまちがえた?(^^;)
そんな京極作品は今回5年ぶりの新刊ということで、
発売日(8/8)当日に意気込んで買って読んでみた。

感想は・・・ちょっと生ぬるい(^^;
このシリーズはたとえ犯人がわかっていても、
その動機やトリックが衝撃的で毎回驚かされるものなのに
今回は犯人も動機もトリックもすぐにわかってしまってぜんぜん驚きがなかった。
前作の『塗仏の宴』(支度&始末)を読んだときも感じたが、大丈夫だろうか京極夏彦。

とはいえ、今回のテーマはハイデガーによる存在と時間の認識論と、
儒教の死生観を絡めながら生と死の概念について扱っている。
ちょうど遺書を書いたときだったのでテーマ的にはすごく興味深かった。
生と死の認識の「瑕」が語られる最後のシーンでは、
展開も結末もわかっていても「きゅん」っとなってしまった。
まだまだやれるぞ、がんばれ京極夏彦!

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2003 8/21
小説
まろまろヒット率3

ケンタロウ 『ケンタロウの基本のウチめし』 オレンジページ 2002

らぶナベ@福岡帰りですばい。

さて、『ケンタロウの基本のウチめし』ケンタロウ著(オレンジページ)2002年初版。
またまた買ってしまったケンタロウの料理本。
彼の料理はちょっと味付けが濃い&油っこいんだけど、
コンパクトさがあって一人暮らしでは何かと重宝してしまう。
特に「豆腐のドライカレー丼」や「もやしとエリンギのキムチあえ」は、
簡単、安い、旨い上にモテナシ料理としても使えて便利。
我が家に来る友達に出しても喜んでもらえるので、作る頻度も高いレシピ。

野菜の下ごしらえや調味料についてのページもあって、
彼の本は毎度のことながら構成も心憎い一冊。

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2003 8/8
料理本
まろまろヒット率3

武邑光裕 『記憶のゆくたて―デジタル・アーカイヴの文化経済』 東京大学出版会 2003

メルマガ読者からもった意見をもとに遺書ページに説明文を加えた、
らぶナベ@進化学会でもひょっこりブース出展したんすけど意外と食いつきありました。

さて、『記憶のゆくたて-デジタル・アーカイヴの文化経済』
武邑光裕著(東京大学出版会)2003年初版をば。
メディア美学者によるデジタル・アーカイヴの概要書。
前半はデジタル・アーカイヴの各国の取り組みや現状の問題点を述べて、
後半(第9章以降)はアーカイヴを通した日本の歴史の再解釈という構成になっている。

この本の主要テーマである記憶と記録との関係についての考察と、
その間に文化を見出す視点は、まろまろHPとも関係していてとても面白かった。
また、後半部分で日本最大規模の文化情報アーカイヴとして
『万葉集』を捉えなおしているのは興味深かった。
この歌集は、いつ、誰によって、何の目的で編集されたのか判明していない。
最後の編者は大伴家持らしいけど、どういう過程を経て編集されたのかも分かってない。
中身も正史には残りにくい、当時の国家を批判した歌(山上憶良)や、
政争に敗れた人(大津皇子)の歌まで入っているし、
詠み人の構成も天皇、貴族から、正史には出てこない女性や下級役人、防人までと実に多様だ。
そんなことから「『記紀』と『風土記』を戦前の国定教科書とすれば、
『万葉集』はネット上にある無数の個人サイト」(第9章”記憶のゆくたて”)
というような著者の表現には思わず笑いながらうなずいてしまった。

ちなみに著者は研究科が違うけど、僕の副指導教官になってくれた人でもある。
こういう話が秋からもできると思うと、夏休みが明けるのもちょっと楽しみだ(^^)

以下は、チェックした箇所(一部要約)・・・

○デジタル・アーカイヴ=物質から真理を還元し、
 そこから離脱することによって得られた電子の記憶庫
 →ここに託されるべきものは神話としての無責任な森ではなく、
  明確に未来に資する森である必要がある
<まえがき>

○(スウェーデンの『ニルスの不思議な旅』について)
 この事例はわれわれに記憶の利用目的を提示している。
 まずそれは忘却に立ち向かうこと。
 そのためには記憶は単に陳列されるだけではなく
 しかるべき文脈の中に配置される必要があるということ。
 忘却に立ち向かうことは記憶を継承することと同義なのであり、
 この作業はたんに自発としてあるのではなく、
 きわめて意識的かつ能動的なものであるということが重要なのである。
<第1章 記憶の外在>

○(写真出現による絵画の影響について)
 写実から印象へ、その後の連なるシュルレアリズムの巨大な運動は、
 複製の特権を科学技術に剥奪された絵画がみずからの存在をかけて
 あらたな地平を切り開こうとしていく産みの苦しみの姿。
<第2章 記憶というスペクタクル>

☆デジタル・アーカイヴが構成されいている要素の特徴・・・
 ・デジタル情報の特徴=流動性、一過性、非物質性、変容性
 ・コンピュータによる論理的処理=離散性、規約性、有限性
 ・ミュージアムやアーカイヴ=固定性、安定性、永続性、無限性
<第2章 記憶というスペクタクル>

☆物財としての情報記号を何らかの価値に変換する仕組みが生成され継承されるとき、
 記録ははじめて記憶となる。いいかえれば記憶とは、
 無機物にすぎない記録に意味による経験的認知などが作用する
 意識的かつ能動的な作業である。
 そして、かかる記憶を生成し継承する作業が何らかの目的を帯びて
 集団規模で行なわれる現象が、文化の本体なのではないだろうか。
<第2章 記憶というスペクタクル>

☆デスクトップでは得ることのできない多層的な情報との連結性、
 実態とヴァーチュアルな情報環境全体の相互に織りなす多彩なインタラクションこそ、
 まさに次世代のアーカイヴに課せられた空間的特性。
 →次世代の情報探索にとっては、内容よりもコンテクスト(文脈)が優先する。
<第4章 文化記憶の社会資本>

☆文化はまた、人間の文明が関与できないもうひとつの価値の苗床である。
 もうひとつの価値とは共感である。これによって共同体が維持され、
 また、他者とのコミュニケーションが発生する。
<第4章 文化記憶の社会資本>

○社会を有機的統合を保つひとつの身体と考えた場合、情報系は脳神経系にあたるだろう。
 脳神経系を流れるものの実体は情報である。
 生物の神経系は神経自体とそこを流通するインパルスによって成り立ち、
 社会の情報系は道路や通信回線、通信衛星波などの基盤
 =インフラストラクチャーを流通する内容=コンテントによって成り立つ。
<第4章 文化記憶の社会資本>

○文化とはつねに時代の中で変化と転移をもたらすものである。
 伝承の中に埋没してしまうものは「文化財」とはいえても「伝統」とはいわない。
 「伝統」とは伝承そのものが時代のあらたな要請を受け入れ、
 時代に鋭くその意味を訴え、変容をも恐れない変異のプロセスだからである。
<第5章 電網の中の文化経済>

○情報財を軸にしたデジタル・アーカイヴが情報の消費文化へと浸透する時代に、
 あらゆる情報財も無体情報としてのブランド空間の中で大きな変容を遂げようとしている。
 →所有から共有へと転換されるのは、モノに込められたイメージや情報、
  そしてそこから派生する知覚や社会文化の記号、表徴との連鎖を形成する官能でもある。
<第6章 離散するアーカイヴ>

○「信頼」とは、固定化を意味しない。
 信頼が固定されることなどあり得ないからだ。
 ブランド価値は、つねに時代を切り開き、時代やその先端的な文化と折り合いながら、
 ブランドを生み出す基盤となった独占的な価値やその所有権を、
 広く公共的な価値へと高めていくことに不断の努力を惜しまない。
 ーそうした意志のもとに更新されていくものである。
<第6章 離散するアーカイヴ>

☆デジタル形式によるアーカイヴとは、
 (略)本来離散し、流動するもの(デジタル)と、固定的で永続性を担保する(アーカイヴ)という
 ふたつの大きく異なる特性が合成することによって生じた展開である。
<第9章 記憶のゆくたて>

○『記紀』と『風土記』を戦前の国定教科書とすれば
 『万葉集』はさながらウェブの情報空間に偏在する無数の個人サイトの感がある。
<第9章 記憶のゆくたて>

○「本歌取り」=先人の歌を受け、それを独自の作風に構成する作法。
<第9章 記憶のゆくたて>

○地理的概念とは景観という無数のアフォーダンスとしての
 情報群によって構築される記憶にほかならない。
 景観という記憶群は「行動する」というわれわれの動物としての特性にかかわる
 もっとも原初の基本情報でもあるから、われわれの脳がこれに適応するのもすばやい。
 違和感を憶えるのはほんの一時期にすぎず、よほど意識的にならないかぎり、
 突如出現した光景であっても需要されてしまうものである。
<第10章 記憶の編纂と反転>

○意識が記憶の断片に生命を吹き込み、その記憶がまた意識をもって継承され発展する。
 この動きのダイナミズムこそが文化と呼ばれるものの本体なのではないだろうか。
<第10章 記憶の編纂と反転>

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2003 7/31
情報関連、デジタル・アーカイヴ、文化論
まろまろヒット率4

P.コブリー&L.ジャンス、吉田成行訳 『FOR BEGINNERS 記号論』 現代書館 2000

sigmarion3を買ったけどWindowsCEの使い方がいまいちわかってない、
らぶナベ@情報もっている方いたら教えてください_(._.)_

さて、『FOR BEGINNERS 記号論』P.コブリー著・L.ジャンス絵・吉田成行訳
(現代書館)2000年初版をば。
ウンベルト・エーコ(『薔薇の名前』)やレヴィ・ストロース(『悲しき熱帯』)など、
記号論に縁のある人たちの本はいくつか読んだことがあったけど、
だからといって記号論って一体どういうものかいまいちよくわかってなかった。
とりあえず概略を知りたいと思って入門書を探していたら、
同じプレハブ学校に通うtantotが貸してくれた本。
ナニゲに恐い絵で有名な現代書館の『FOR BEGINNERSシリーズ』の一冊でもある。

内容は記号論の議論を学派ごとに時系列的に追っているが、
いまいち何のこっちゃわからない議論もあった。
(“FOR BEGINNERS”じゃないじゃーん)
そういうときは論者の性格や人生などに注目してしまった。
自業自得とはいえパースはかわいそうな人生だとか、
シービオクは突っ走っていたんだなぁっとかとか・・・歴史好きの悪いところですな(^^;

以下はチェックした箇所・・・

○記号論=記号の分析や記号体系の機能作用に関する研究

☆ソシュールによる言語記号の定義
 =シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)が恣意的に結びついているもの

☆パースによる記号の定義
 =表象(Representamen)は対象(Object)との関係をもち、
  対象は解釈項(Interpretant)との関係を伴うという
  三つの関係から構成されているもの

○シャノンとウィーヴァーのモデルの強みは、
 複雑性の程度を情報過程に組み込んでいるという点

○ユーリイ・ロイトマンによる文化の定義
 =文化とは、人間社会の多様な集団によって獲得され、保持され、
  伝達される非遺伝的な情報の総体
→ロイトマンによる情報理論と文化記号論の合体はサイバースペースを予見

☆ウンベルト・エーコの開かれた作品論=
・「閉ざされたテクスト」=送り手は受け手に自分自身の決断を下す機会を提供するが、
 結局はそういう機会を閉ざしてしまう(推理小説の結末など)
・開かれたテクスト=送り手は受け手を導いて、受け手が自分自身の判断を下し、
 有利な地点から以前の動きを(再)評価することを認容する
→あるテクストを読む際に起こることは「具体化」の過程に他ならない

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2003 6/23
記号論
まろまろヒット率2

マリリン・バーンズ&マーサ・ウェストン、左京久代訳 『考える練習をしよう』 晶文社 1985

『マトリックス・リローデッド』の影の主役はエージェント・スミスだと思う、
らぶナベ@痛いものコレクター的には彼のもの悲しさに注目です(^^)

さて、『考える練習をしよう』マリリン・バーンズ著、
マーサ・ウェストン絵、左京久代訳(晶文社)1985年初版。
悩んだときや問題にぶつかったときに、
凝り固まりがちな頭の中をほぐす練習をする目的で作られた絵本。
研究計画を考える際の頭の柔軟体操になるかと思って、
研究室で見つけて読んでみた一冊。

いきなりここで問題・・・
「1人の男の子が、歯医者に出かけた。その男の子はその歯医者の息子だったけれど、
その歯医者はその男の子の父親ではない。どういうことだ?」(*)
(ヒント→この問題は「頭が勝手に歩きだしたら」という項にあり)

推奨は「10歳以上のみんな」っと書かれているが、20代の僕が読んでも参考になる(^^)
「こどものためのライフ・スタイル」というシリーズの一冊らしい。
ちょっとこのシリーズに興味を持ってしまった。

以下はチェックした箇所・・・

○頭の体操でたいせつなことは、自分のあらゆる感覚を使うことなんだ(略)
 問題を解決できる人間になるには、使えるものは何でも利用しなくちゃ
<1 自己流でかんがえちゃだめだ>

○どうして問題をかかえこんじゃったのかな?
 (略)いろんなふうに問題はとびこんでくる(略)
 でも、問題があるぞってきみがはじめておもう瞬間はある。
 すでに問題をかかえちゃった以上、それがいつだったのか、
 はっきりわかっているはずだ
<2 問題にぶつかったらどうするか>

(*)歯医者さん=お母さんでした、先入観の問題ですな(^_-)

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2003 6/19
絵本、問題対処
まろまろヒット率3