北方謙三 『三国志読本―北方三国志別巻』 角川春樹事務所 2002

トップページのお品書きをもう一段増やしてた、
らぶナベ@気まぐれにコンテンツをアップしていきます。

さて、『三国志読本~北方三国志別巻~』北方謙三監修(ハルキ文庫)2002年初版。
北方版『三国志』
を読んだ後に思わず買ってしまった解説本。
人物辞典と新聞風の三国志通信以外はあまり見るべきところもない。
ある程度予想はしていたのに買ってしまった僕は出版社の思うつぼ(T_T)

ちなみに三国志は三国鼎立以前が話のメインだしそこが面白い部分なのだから、
三国志っていう名前はちょっと誤解を招くんじゃないだろうか?

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2004 3/4
歴史
まろまろヒット率2

北方謙三 『三国志』 角川春樹事務所 全13巻 2001

「ジャックと豆の木」(学名:Castanospermum australe Beany)を育て始めたけど、
ハンパじゃなく大きくなる可能性があると聞いて今から戦々恐々としている、らぶナベです。

さて、『三国志』(全13巻)北方謙三著(ハルキ文庫)2001年初版。
ハードボイルド小説出身の著者による三国志小説。
以前、彼の『道誉なり』と『悪党の裔』(ともに日本の南北朝もの)を読んだときもかなり面白く感じたし、
いろいろなところでこの作品の評判の良さも聞いていたので
前々から読みたいと思っていたけど、全13巻もある長さに躊躇していた。
そんな折りまろまろ掲示板で三国志の話題が盛り上がったのをきっかけに手に取ってしまった。

読み始めてみると・・・夢中になるほど面白い!
著者なりの演出による三国志の世界観に魅了されてしまった。
それこそこの2ヶ月間のすべての作業効率が半減してしまったほど(^^;

中でもこの作品は「死」というものをすごく丁寧にえがいているのが印象深かった。
特に呂布(奉先)、周瑜(公瑾)、諸葛亮(孔明)、それぞれの死の場面には
しばらくせつない気分を引きずってしまったほど。
(電車内で読んでいたのに恥ずかしいん)
「小説は酒みたいなもの」と公言している著者のやり方にまんまとはまってしまったのか。

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2004 2/25
小説、歴史
まろまろヒット率5

井上順孝 『宗教社会学のすすめ』 丸善 2002

ARS ELECTRONICAで今年から”digital communities“部門ができることに注目している、
らぶナベ@何か情報をお持ちのかたいらっしゃれば教えてくさいな。

さて、『宗教社会学のすすめ』井上順孝著(丸善出版)2002年初版。
「まるで宗教みたい」とか「教祖的な」とかいう台詞はごく自然に使っているけど、
それって一体どういうことなんだろうと思って手に取ってみた一冊。
著者は宗教情報リサーチセンター(RIRC)や「宗教と社会」学会の設立などに関わっていて
既存の分野にとらわれずに積極的な研究をしている人なので書いたものも読みやすい。

内容はわかりやすく書かれているけど、読み止めて考えさせられる箇所も多かった。
例えば境界線上のものや人、過程が宗教的に禁忌(タブー)とされることが多いのは、
「境界領域はそれぞれの人間社会が築いている区分原理からはずれている」ので
両方に「不安をもたらす」からだという(第三章)。
確かに境界線上(マージナル)なものはそうじゃない(メイン)人にとって
自分の存在を曖昧にしてしまう禁忌な存在なんだろう。
マージナルものが好きな僕としては納得した。
きっと両方の存在を揺らがせるから楽しいというのもあるんだろう(^^)

また、スティグマ→自己スティグマ化→カリスマ化というカリスマ生成過程は、
負のレッテルからスタートするという点やマージナルのタブー性を考えると
すごく興味深いものだと感じた(第三章)。
最近「雰囲気とカリスマってどう違うんだろう?」と考えていたところだったので
特に面白く思ってしまった。(ただいま雰囲気に注目中)

最後の方に書かれてあった「情報化とグローバル化のもとでは
宗教と宗教でないものとの境界領域が曖昧になる」(第五章)というのにも納得。
まろみあんの方々も僕が「まろまろですかー!?」っと言い始めたらやばいと思ってください(笑)

以下はチェックした箇所(一部要約含む)・・・

○通事的と共時的の違い=変動分析と過程分析
<序章 現代人にとっての宗教>

○「特定宗教」=明確な組織をもった宗教、
「拡散宗教」=人々が無意識のうちに身につけた宗教的な感覚・行動
<第一章 身の周りの宗教社会学>

○宗教への態度を問題とするときは、自覚的信仰か無自覚的宗教性を区別する必要がある
と同時に宗教に関する出来事を議論するときは、対象のスケールを明確にすべき
<第一章 身の周りの宗教社会学>

○パーソンズの社会システムAGIL図式
・適応(adaptation)=外的ー手段的
・目標達成(goal-attainment)=外的ー目的的
・統合(Integration)=内的ー目的的
・潜在パターンの維持(Latency, Pattern-maintenance)=内的、手段的
・・・制度化された宗教は”L”に当たる
<第三章 全体社会と宗教>

☆境界領域や境界過程が宗教的に禁忌(タブー)とされることが多いのは、
それぞれの人間社会が築いている区分原理からはずれていので不安をもたらすから
(E・リーチ、メアリー・ダグラス)
<第三章 全体社会と宗教>

☆カリスマの定義=「特定の事物ないし人物のみに宿り、
非日常的な能力をもたらす天与の資質」(ウェーバー)
<第四章 宗教組織はどう形成され、維持されるか>

☆カリスマの生成過程=スティグマ→自己スティグマ化→カリスマ化(W・リップ)
負のレッテルで自己同一性が不安定→レッテルをプラスの要素へ解釈して強力な自己同一性
→周囲から新たな価値観の体現者とされる
<第四章 宗教組織はどう形成され、維持されるか>

○シャーマンが霊につかれるパターン
=脱魂型(エクスタシー・タイプ)と憑依型(ポゼッション・タイプ)
→どちらもシャーマンは忘我(トランス)状態に陥る(エリアーデ)
<第四章 宗教組織はどう形成され、維持されるか>

○「脱コンテキスト化」=教祖の言葉のコンテクストが失われて言葉だけが金科玉条化すること
<第四章 宗教組織はどう形成され、維持されるか>

☆情報化とグローバル化のもとでは宗教と宗教でないものとの境界領域があいまいになる
<第五章 現代社会と宗教問題>

○原理主義も原点主義も、一部の聖職者たちに占有されていた時代の終焉と表裏
<第五章現代社会と宗教問題>

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2004 2/18
宗教社会学
まろまろヒット率4

宮崎市定 『大唐帝国―中国の中世』 中央公論新社 1988

年の初めの読書は歴史関係の本が多い、らぶナベです。

さて、『大唐帝国~中国の中世~』宮崎市定著(中央公論新社)1988年初版。
いろいろなところで評判が良かったので読んでみた、大物歴史家の代表作。
内容は後漢末からはじまって三国・魏晋・五胡十六国・南北朝・唐・五代末まで、
実に700年以上にわたる中国史を社会経済的な視点を盛り込みつつ扱っている。
タイトルは「大唐帝国」となっているけど、唐は全432ページ中330ページ目から始まるので
「副題と本題が逆やろ」と力いっぱい突っ込んでしまった(^^;

とはいえ、読んでみると中身はすごく面白い。
三国時代から唐時代までの間が手薄だったから新鮮に感じたというのもあるけど、
さまざまな民族(主に騎馬民族)が流入して社会が激変し、
多くの王朝が栄枯盛衰を繰り返すこの時代の躍動感を感じられた。
数々のグロテスクで暗いエピソードも含めて、
ダイナミックな中国史の神髄を垣間見れた気がした。
やっぱり通史はピンポイントの歴史よりおもしろい。
自分の生きている現在が後世から見ればどのような時代に写るんだろうと考えられるからだ。

ちなみになぜか僕は昔から唐の李世民(太宗)に親近感を感じていたけど、、
この本で紹介された彼の戦略パターン・・・
1:最初に十分な駒組みをおこなって陣形をととのえ、戦わないうちから敵を圧迫して、
 不利な状況と知りながらも決戦を避けられぬような状況に追い込む。
 (それまでは戦力を消耗することをさける)
2:十分に優位にたったうえで決戦をするが、そのときは駒得などには目をくれず、
 一挙に寄せ入り敵の本拠をくつがえすスピード作戦をおこなう。
3:あとでゆうゆう大駒を捕獲してつぎの戦争のさいに利用する。
・・・というのは僕の戦略シミュレーションでのやり方に似ている。
また、「李世民ほどいつも同じやり方でいつも同じように敵に買っている大将はほかにない」
・・・と著者が語っているように、ワンパターンさも似ていると感じた、いやん。
そんな2004年の幕開け。

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2004 1/9
歴史
まろまろヒット率4

斉藤勇編・津々井良 『ご機嫌の直し方』 青春出版社 1998

今年一番売れた歌はぶっちぎりで『世界にひとつだけの花』だけど、
僕のまわりでは「オンリーワンにならなくてもいい、もともと一人のロンリーワン」
という歌が大流行していた、らぶナベです。

さて、『ご機嫌の直し方』斉藤勇編・津々井良絵(青春出版社)1998年初版。
まろじぇくとXに来た人からもらった本。
様々な人から募集した109個の機嫌の直し方が紹介されている。
中には「ルール違反をする(No.20)」、「皿をたたきわる(No.24)」などの大それたものもあったけど、
僕は箱庭好きのぷちぷちくんなので「自分のやりたいことを10個書き出す(No.46)」、
「いつもの2倍の入浴剤を入れる(No.92)」あたりが手頃だと感じた。

あとがきに「不機嫌は楽な精神状態だから慢性化しやすい」と書かれてあったのには納得。

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2003 12/27
ムック本
まろまろヒット率2

河合隼雄・中村雄二郎 『トポスの知―箱庭療法の世界』 TBSブリタニカ 1993(新装)

奇しくもまろプチフラッグが端っこに撮影されていた、らぶナベです。

さて、『トポスの知~箱庭療法の世界~』河合隼雄・中村雄二郎著、
明石箱庭療法研究会協力(TBSブリタニカ)1993年新装初版。
『箱庭療法入門』に続いて読んだ箱庭療法関係本。
心理学者と哲学者の二人が箱庭療法の事例を通して、
場(トポス)の哲学的なパフォーマンスや科学論を議論している。

「自分で作ることが自分を治癒する」とか「言語化を急ぐと失敗する」という
箱庭療法の特徴は確かに魅力的な話題のネタなんだろう。
言語化を急ぐと失敗するというのは何かを作ろうとするときには共通したことだし、
自分で作って自分で癒すというのはHPを作る僕にとっても興味深かった。
まさに「自作自癒」(新まろまろ用語候補)。

以下は、チェックした箇所(一部要約)・・・

○患者は自分自身による自己実現の力に頼ることによってみずから治ってゆくもの
(中略)患者の無意識内に存在する自己治癒の力に対して
畏敬の心を持つことが箱庭療法をはじめる出発点(河合)
<箱庭療法と< 私>>

☆イメージこそは、無意識から意識へのコミュニケーションのメディア
→イメージは常に多義性をもち、多くのことを集約的に表現している(河合)
<箱庭療法と<私>>

○ふつう視覚的なものは、触覚性を失って独走することが多いわけですけれど、
その二つが箱庭療法では非常にうまく結びついているために日本では成功した(中村)
<<自由に創ること>の楽しさ>

☆箱庭療法が成功した要因は、箱の大きさがちょうど一つの視野にパッと入ること
→一つのインテグレーションというのを考えて置くようにできている
(中略)置いて表現できて、だれか他人がわかるということは、
人間にとって結局はものすごいこと→わかるだけで何も言わなくたっていいんです(河合)
<豊かなイメージの世界>

☆まったくの自由というのは近代の一つの迷妄であって、
ある形が与えられている、基本的なものがあることによって、
かえって自由になれるんです(中村)
<豊かなイメージの世界>

☆早く言語化してしまうと流れが止まって大失敗する倍が多い(中略)
箱庭はわからないものに身を任してもいいような場を治療者が提供している
→治療者は水路付ける(canalization)役割をしている(河合)
<<癒やす>意味とその動き>

○箱庭のいいところは三次元だということ、それから砂があるということ(河合)
<隣接する領域とのかかわり>

☆箱庭はイメージ表現がはっきりした枠の中で一つの世界を形作っているのが大きな特徴
→箱庭療法の世界は盆栽的な箱庭よりもむしろ都市論の問題の方につながる(中略)
みんな自分の世界、自分の都市を置いているわけだから
単純にこれは何を象徴しているとか言うんじゃなくて、
その人の世界がそこにあるというふうに見ていけばそう簡単な置き換えはできない(中村)
<箱庭・その哲学的パフォーマンス>

☆トポスでは、空間と時間が一体化している
→均質的な空間ではなくて独特の雰囲気のある歴史的空間=ゲニウス・ロキ(中村)
<箱庭・その哲学的パフォーマンス>

○いつのまにか我々の社会の中ででき上がり物質化されているような
あれこれのイメージが用意されている
→箱庭はそれらを組み合わせで表現するというところに、
一見ありきたりなように見えながら、そういうことを通して
一番うまく自分たちの心の中の願望を引き出す仕掛けになっている(中村)
<箱庭・その哲学的パフォーマンス>

○価値判断を括弧にいれて、見えるかぎりのことを記述する
→そこに表れているいろいろな意味をおのずと浮かび上がらせるようにする(略)
箱庭療法はそのような現象学の方法と非常に近い(中村)
<箱庭・その哲学的パフォーマンス>

○個別性を組み込むとは、個の人間、時間、場所の要素が加わることによって、
選択可能ないくつもの意味のなかからどれかが選ばれること(中村)
<近代科学と新しい< 知>のあり方>

○コスモロジーとシンボリズムとパフォーマンスという三つの要素は、
別々ものもではなくて互いに結びついて「臨床の知」の原理をなしている(中村)
→シンボリズムで成り立っている世界は否応なしにリゾーム的
(シンボルの多義性=シンボル相互の結びつきに多様な可能性があること)
<近代科学と新しい<知>のあり方>

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2003 12/5
心理学、臨床心理、箱庭療法、哲学、対談
まろまろヒット率4

田中克彦 『ことばと国家』 岩波書店 1981

TBS系列の『新すぃ日本語』にまろまろと通じるものを感じる、らぶナベです。

さて、『ことばと国家』田中克彦著(岩波新書)1981初版。
佐倉助教授に薦められた言語学の本。
方言と別の言語との間の線引きは何をもってするのか、
純粋言語と雑種言語との違いは何なのかなどの疑問から、
ことばにまつわる社会性や歴史的背景を紹介している。
特にことばが政治的、歴史的に形成されてゆくことを紐解きながら、
(口語は文語が崩れたものだと思いがちだが実は口語の方が言葉の本質など)
ことばをめぐる常識の中に隠された様々な偏見を指摘している。

僕自身、日本語空間の中では大阪弁を話していることや
WEB空間の中では日本語でメディア活動をしていることもあって、
自分が使っている言語のマイノリティ性を感じることが多いので
(日本語自体が世界的に見て60分の1の市場規模)
この本の内容はけっこう考えさせられた。
ラジオ、テレビの普及で方言が消えていっているように、
WEBの進展で日本語はより少数派になっていくんだろうか?

以下はチェックした箇所・・・

○言語学というのは、本来実用性を動機としていることばの研究に、
それを無視してアプローチするという矛盾した姿をさらけ出している
<一 「一つのことば」とは何か>

☆あることばが独立の言語であるのか、それともある言語に従属し、
その下位単位をなす方言であるのかという議論は、
そのことばの話し手の置かれた政治状況と展望とによって決定されるのであって、
決して動植物の分類のように自然科学的客観主義によって
一義的に決められるわけではない
<一 「一つのことば」とは何か>

○ことばがくずれていくのは、それが生きている証拠である(略)
死んだことばは決してくずれず、乱れることがない
<二 母語の発見>

○文法はその本性において、ことばの外に立ってことばを支配する道具である(略)
ことばは現実であるのに対して文法は観念であり規範である
<三 俗語が文法を所有する>

☆学説をおぼえておいて、おうむ返しにくり返すことは、
それは科学とは何の関係もない、神秘の教義にしてしまう
→こういう場合はなるべく素朴に、しろうとっぽく具体的に考えてみたほうがよい
<七 純粋言語と雑種言語>

○ことばは、だれもが誤りをおそれず、権威におびえず、自由に使うからこそ、
さまざまな表現がうまれて発展していくのである
<八 国家をこえるイディシュ語>

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2003 11/19
言語学、歴史
まろまろヒット率3

加藤鷹 『究極奥義』 KKロングセラーズ 2001

トップページにある「乞うご期待」を箱庭マスターの気まぐれコンテンツとして
期間限定&予告なしのコンテンツ公開場所にしようと思う、らぶナベです。

さて、『究極奥義』加藤鷹著(KKロングセラーズ)2001年初版。
我が家(まろまろハウス)に泊まりに来た知り合いがおいていった本。
男の間ではカリスマ的な人気を誇る著者による夜の指南書。
ナニゲに眺めていたら最後まで通読しちゃったので読書メモに記録。

「ピッチャーではなくキャッチャーになれ」などの記述にはちょっと笑ってしまった。

読み終えて、こういう本が売れるのは現代的な特性かなとも思ったけど
よく考えたら昔もこういう本はあったのでそうでもないかも。
思わず笑ってしまいそうになるけどけっこう深いテーマだすな。

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2003 11/18
ムック本
まろまろヒット率2

リチャード・ドーキンス、日高敏隆監修 『ブラインド・ウォッチメイカー―自然淘汰は偶然か?』 早川書房 上下巻 1993

愛機ThinkPadのHDがおじゃんになっちゃったけどWEBにあげていたのでデータは助かった、
らぶナベ@この本でも生命でも大切なのはハードではなく情報だと言ってました(^^)

さて、『ブラインド・ウォッチメイカー~自然淘汰は偶然か?~』上下巻
リチャード・ドーキンス著、中嶋康裕ほか訳、日高敏隆監修(早川書房)1993年初版。
ダーウィン主義に対する「生命のような複雑なものは自然淘汰ではできない」とか、
「われわれには創造者がいるのだ」などの批判に一つ一つ反論している本。
この本のタイトル自体からして、かつて生命の複雑さに驚いて
「この世界を作った時計職人がいるに違いない」と考えた昔の神学者に対しての
「時計職人なんていないし、いたとしてもそれは盲目の時計職人」だ
という反論になっている挑戦的な一冊。

本文も「起源を超自然のデザイナーに頼って説明することは、
そのデザイナーの起源を説明しないままにしているのだから、
何も説明していないことになる」(6章)などの記述が満載。

『利己的な遺伝子』のときもそうだったけど、この著者の本は緻密な積み上げと
思い切りの良い大胆さが両立しているからおもしろい。
だからドーキンスは胡散臭いんだ(^^)

ちなみに盲目の(blind)という言葉はあまり適切ではない言葉になってきているので、
この本のタイトルも今後は変わっていくのかな?

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○われわれの存在がそのものが、ぞくぞくするような謎なのだ
→しかも同時にこの謎はすでに明快に解き明かされている
<まえがき>

○われわれの脳は、ほどのどの速度で三次元空間を動く、
ほどよい大きさの物体の世界を把握するためにデザインされている
<1章 とても起こりそうもないことを説明する>

☆時計職人は先の見通しをもっているが自然淘汰は盲目の、意識を持たない
自動的過程であり、何の目的も持っていない
→もし自然淘汰が自然界の時計職人の役割を演じていると言ってよいなら、
それは盲目の時計職人なのだ
<1章 とても起こりそうもないことを説明する>

○複雑=あらかじめ特定でき、でたらめな偶然だけではとうてい獲得されそうにない
何らかの性質をもつこと
<1章 とても起こりそうもないことを説明する>

○物理学の課題=究極の起源と究極の自然法則の問題を解くこと、
生物学の課題=複雑さの問題を解くこと
<1章 とても起こりそうもないことを説明する>

○進化的変化が起こるのに使える時間が途方もなく長いので、
われわれはそれを直感的に把握できない
<2章 すばらしいデザイン>

○現実には淘汰で残る基準は常に短期的に、単純に生き残るか、
あるいはもっと一般的に繁殖に成功するかである
<3章 小さな変化を累積する>

○遺伝子は実際には二つのことをしている
=発生に影響を及ぼすこと、将来に世代に伝えられること
<3章 小さな変化を累積する>

☆自然淘汰は遺伝子を直接に選びはしない
→遺伝子が体に及ぼす効果(表現型効果)を選ぶ
<3章 小さな変化を累積する>

○数学について大切なことは恐怖心を抱かないようにすること
→「こんなやつにもできるんだから誰だってできる」を思い出すこと
<3章 小さな変化を累積する>

○数学者でない人間にとってコンピューターは想像力の心強い友だち
<3章 小さな変化を累積する>

○サスライアリのコロニーは20kgを越える重さをもち、
2000万にも及ぶ口と針を持つ一匹の動物
→哺乳類とはかけ離れた進化物語の頂点
<4章 動物空間を駆け抜ける>

☆兵アリたちは女王アリのために私を覚悟するが、それは母親を愛しているからでも
愛国主義の理想を叩き込まれているからでもなく、
その身体が女王自身の携えている鋳型の原版から打ち抜かれた
遺伝子によってつくられているからにすぎない
<4章 動物空間を駆け抜ける>

☆生きるもののすべての中核に存在するのは、炎でも、熱い息吹でも、生気でもない
→それは情報であり、ことばであり、指令である
<5章 力と公文書>

☆遺伝子の情報技術はデジタルである
<5章 力と公文書>

○種を定義するのはその全構成個体がDNAに関して同じ番地システムをもっていること
→ある生物種の個体間で異なりうるものは、それらの座の内容である
<5章 力と公文書>

☆種の公文書中に自らを垂直的に伝達させる成功率に関して、
ライバルのDNA間に差があることこそがまさに自然淘汰
<5章 力と公文書>

○自然淘汰にできるのは新たな変異のうちのあるものを受け入れ他を拒絶することだけ
<5章 力と公文書>

☆物理的な実態としてのDNA分子そのものは霧に似ていて、
適当な条件下では大変な速さで生成されるが、
長く存在するものはなく数ヶ月以内にすべて壊れてしまう
→しかし分子がその配列によってつくりだすパターンは最も固い岩と同じくらい長持ちする
<5章 力と公文書>

☆すべてはまったく単純で、楽しくなるほど自動的で、意図的ではない
→累積淘汰の基本的要素ー複製、誤り、そして力ーがまず最初に現れたなら、
似たようなことが起こるのはほとんど必然
<5章 力と公文書>

☆ミーム進化は文化的進化と呼ばれる現象に現れている
→文化的進化はDNAにもとづく進化より桁違いに速く進むので
のっとりではないかと思わせるほどである
<6章 起源と奇跡>

○進化はわれわれの脳に1世紀以下の寿命をもった生物にふさわしい、
危険率や実現可能性についての主観的な意識を備えさせた
<6章 起源と奇跡>

○遺伝子が淘汰されるのは遺伝子の内的性質ゆえではなく環境との相互作用による
→ある遺伝子の環境としてとりわけ重要な構成要素は他の遺伝子である
<7章 建設的な進化>

○科学におけるもっとも偉大な進歩のいくつかがもたらされたのは、
頭の言い誰かがすでに理解されている問題といまだに謎の解かれていない
別の問題とのあいだにアナロジーが成立することを見抜いたおかげでもある
<8章 爆発と螺旋>

○ちょっぴり少数派がさらに少数派になり、ちょっぴり多数派がさらに多数派になるとき、
われわれはいつでも正のフィードバックを生み出す秘訣を握っている
→不安定なバランスがあれば必ず任意でランダムな始まりは自己強化されるようになる
<8章 爆発と螺旋>

☆生物のもつ特性=適応的複雑さ
=途方もない規模での統計的な不可能性(適切に了解されたランダムでない生存)
→ゆっくりした斬新的な累積淘汰こそが生命のもつ複雑なデザインの存在を説明する
<11章 ライバルたちの末路>

☆遺伝子は設計図よりも料理法にはるかに似ている
<11章 ライバルたちの末路>

○偶然を飼いならす
=とうてい不可能なものを順序よく配列された
それほど不可能でない小さな構成要素に分解すること
<11章 ライバルたちの末路>

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2003 11/11
進化論、自然科学
まろまろヒット率3

追記:案の定『盲目の時計職人』に改訳されてました(2005.8.1)。

船津衛 『コミュニケーション・入門―心の中からインターネットまで』 有斐閣 1996

最近になって公開している遺書がいろいろなところで取り上げられるようになった、
らぶナベ@この本風に言えば生死間コミュニケーション?(^^;

さて、『コミュニケーション・入門~心の中からインターネットまで~』
船津衛著(有斐閣アルマ)1996年初版。

コミュニケーション論についての議論を網羅的に紹介している一冊。
何となく感じてるコミュニケーション論への違和感を具体化させるために、
メルマガでこの分野の本を募集したときに紹介された本でもある。

読んでみると「うわさ」についての記述に一番の興味を持った。
曖昧な状況の中で状況を把握するために必要なものとしてうわさは発生する。
だから人々がうわさに基づいて行動するのはそのうわさを信じているからではなく、
それが必要だからだし、情報が多すぎても発生するというのは納得(第7章)。

でもやっぱり通して読んでみると全体的に何だか薄いような気がする。
これはメディア論などの本を読むときに感じる違和感にも似ている。
双方向とか強調しながら実は受信者中心で発信者への視点が弱いからだろうか?

ちなみに副題にインターネットが入っているけど、
初版が1996年ということもあって記述がすごく少ない。
(日本におけるインターネット元年が1995年)
やはりこの領域はすごいスピードで変化しているんだなぁ
っとあらためて感じたりもした。

以下はチェックした箇所(一部要約&関心が高い順)・・・

☆「うわさ」
=曖昧な状況に共に巻き込まれた人々が自分たちの知識を寄せ集めることによって
その状況についての有意味な解釈を行おうとするコミュニケーション(ジブタニ, 1985)
→うわさは単なる伝達ではなく人々が状況を規定する過程
→人々がうわさに基づいて行為するのはそれを信用しているからではなく、
それを必要としているから
<第7章 集団行動・社会運動のコミュニケーション>

☆うわさは変化していく状況に適応するために情報が必要であるにも関わらず、
制度的チャンネルが破壊されている場合に生み出される(ジブタニ, 1985)
→情報が多すぎる場合にも発生する
→新しい環境に対処する際に人々がよりいっそう適切な方法を
発達させていく過程に不可欠な要素
<第7章 集団行動・社会運動のコミュニケーション>

☆自己に対する他者の認識と評価についての想像、
それと関連する自己の感情から自我が成り立っている(クーリー, 1921)
→notワレ思うゆえにワレありbutワレワレ思うゆえにワレあり
<第2章 自我とコミュニケーション>

☆「自我は本質的に社会的」
=社会は自我に常に先行して存在し、自我は社会から生まれ、
そこにおける社会的経験と社会的活動の過程において生み出される(クーリー, 1921)
→役割取得(role-taking)を通じて具体的に形作られる
<第2章 自我とコミュニケーション>

☆マスコミは人々の「評価」や「影響」の点ではパーソナルなものにはかなわないが、
「認知」や「情報の流れ」の点では強い力を持っている(ドイッチマン&ダニエルソン)
<第8章 マス・コミュニケーション>

☆「コミュニケーション」
=2人以上の人間が意味を伝達し、その意味の伝達を通じて
互いに共通な意味を有するようになる過程
<第8章 マス・コミュニケーション>

☆「ネットワーク」
=固有の意思と主体性のあるユニットがそれぞれの自由意思で自発的に参加したまとまり
(金子, 1988)
<第5章 集団・組織のコミュニケーション>

○「自己表現」
=自分の気持ち、意志、意見、態度、思考、地位、身分などを他者に向かって表現すること
<第3章 人と人とのコミュニケーション>

○「意味の意識」
=他者の反応と自己の反応、さらにその間の関係を意識していること(ミード, 1973)
<第1章 人間のコミュニケーション>

○「意味のあるシンボル(significant symbol)」
=他者のうちに一定の反応を引き起こすと同時に、
それと同一の反応を自己のうちに引き起こすもの(ミード, 1973)
→これによって人々の共通の意味の世界(universe of discourse)が生まれる
→これは人間特有のもの
<第1章 人間のコミュニケーション>

○「創発的内省性(emergent reflexivity)」
=他者の態度を通じて自己の内面を省みて、
過去と未来を関連づけながら新たな世界を創造すること(ミード, 1973)
<第1章 人間のコミュニケーション>

○「自分自身との相互作用(self interaction)」
=人間は自我をもつ存在として物事や他者を対象化するのと同じく
自分自身を対象化して自分自身に向かって行為できるようになること
→人間は自分自身とコミュニケーションできる(ブルーマー, 1991)
<第1章 人間のコミュニケーション>

○社会規範、価値、理想に同調するときに真の自我を感じる「制度的自我」
               VS
そうしたものから解放されたときに真の自我を感じる「インパルシブな自我」
(その中にはさらにインパルス解放型とインティメート型がある)
<第2章 自我とコミュニケーション>

○「鏡に映った自我(looking-glass self)」
=人間の自我は他者を鏡として、鏡としての他者を通じて知ることができること
(クーリー, 1921)
<第2章 自我とコミュニケーション>

○役割コンフリクト=役割内(intra-role)コンフリクト&役割間(inter-role)コンフリクト
<第2章 自我とコミュニケーション>

○「役割距離」
=決められた役割期待とはズレる行為を行って、目的を達成してしまうこと
→他者の期待から相対的に自由で自律性があることを示す(ゴフマン, 1985)
<第3章 人と人とのコミュニケーション>

○「役割形成」
=既存の役割規定の枠を越えて新たな人間行為を展開すること(ターナー)
<第3章 人と人とのコミュニケーション>

○コミュニケーションの私化は結局は非私化をもたらし再社会化に進む
<第4章 電話コミュニケーション>

○「コミュニケーション合理的なもの」
=共通の状況規定のもとで相互の了解と合意が形づくられ、行為の調整がなされるもの
(ハーバーマス, 1986)
<第5章 集団・組織のコミュニケーション>

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2003 11/10
コミュニケーション論、社会学、社会心理学、心理学、教育学
まろまろヒット率3