ロバート・アンジェ、佐倉統・巌谷薫・鈴木崇史・坪井りん訳 『ダーウィン文化論―科学としてのミーム』 産業図書 2004

「京たこ」が京都には無いようにNewYorkには決して無い「NewYorker`s Cafe」で作業することが多い、
らぶナベ@よく利用されるかたはご一報ください、合間にまろまろとお茶しましょう(^_-)

さて、『ダーウィン文化論―科学としてのミーム』
ロバート・アンジェ編、佐倉統・巌谷薫・鈴木崇史・坪井りん訳(産業図書)2004。

ミーム論(ミーム学、memetics)の研究論文集。
編者が「ミームについて現在の論争点をはっきりさせる」ことを目的とすると言っているように(序章)、
ミームに関連する各分野の研究者たちがミームの有効性について論じている。
ミームに懐疑的な研究者の論文も掲載されているが、その傾向は後半にいくにしたがって強まる。

読んだ感想は、いろいろな議論はあるけど結局「操作的な定義以上のミームを同定することと、
その複製メカニズムをはっきりさせることの両方がなければミーム論は離陸できない」(11章)
というのと同じ感覚を持った。

ちなみにこの本は日本語訳版だけ各章の研究者紹介の項目がある。
この項目のおかげでその主張を唱えている人の背景がわかってとても有益だった。
(立体的に議論の様相がとらえられる)
これを書いた訳者は僕の指導教官だったりするが、彼はこういう研究者紹介をさせると上手い。

また、奇しくもこの本の中でも一番ミームに肯定的なブラックモア博士(第2章担当)とは、
読んでいる最中に実際に会う機会があった。
断片的に知っていた彼女の情報が実際に会うことによってパズルのようにつながったが、
ミームという言葉にはこういう情報のデジタルな側面を表わす響きがあるんだろう。

以下はチェックした箇所(要約含む)・・・

○ミーム=記憶のアイテムで、生物個体の神経系に保存されている情報の一部。
観察者が聴衆かすることで同定される。
観察者の裏付けは、以前にほかの生物個体の神経系に保存されていた
同じ記憶アイテムを裏付けた先行経験に依存している(Lynch, 1998)
<第1章 序論(ロバート・アンジェ)>

○ミーム研究をめぐる三つの論争・・・
・文化を主に構成しているものは、独立して伝達される情報単位とみなしていいのか
・いわゆるミームなるものは、自己複製子として機能しうるだけの要件を備えているのか
・ミーム論のようなダーウィン的、選択理論的なアプローチが文化の科学として最適であり望ましいのか
<第1章 序論(ロバート・アンジェ)>

○ミーム駆動=ミームは、現在成功しているミームを選択する脳を遺伝子に作らせたとする仮説
→人間の脳は選択的模倣装置
<第2章 ミームの視点(スーザン・ブラックモア)>

○私たちの周りにあるすべての文化的存在は、
熾烈なコピー競争の、現在の勝者であるがゆえに存在している
<第2章 ミームの視点(スーザン・ブラックモア)>

○人間の本性は、ミームと遺伝子が複雑な環境下で複製の競争を行った産物であり、
神秘的な導きの原理や自由意志とともにある内なる自己の余地など存在しない
<第2章 ミームの視点(スーザン・ブラックモア)>

○ミームは新しい研究プログラムであるから試行とテストによって評価されるべきである
<第3章 ミーム論をまじめに取り扱う―ミーム論は我らが作る(デイヴィッド・ハル)>

○文化の自然科学に対する主要な2つのアプローチ=
1:文化の進化に焦点をあてたアプローチ(心理的機構の進化に関心)
2:文化的進化に焦点をあてたアプローチ(遺伝子-文化の共進化に関心)
・・・この2つは統合されるべき
<第4章 文化と心理的機構(ヘンリー・プロトキン)>

○認知過程=心的表象を伴う過程
 →表象に対してエージェントが行う行為によって完成する
社会的認知過程=社会的信念、目標を伴う過程
 →エージェントの社会的信念、目標に対して行為を推敲することにより実現する
<第5章 心を(社会的に)通したミーム(ロザリン・コンテ)>

○ミーム論の利点
1:アプローチが基礎的
2:発見的であり新しい解釈や再構築を促す(進化的アプローチの特徴)
3:学際的
4:多岐に渡る問題を取り扱える
<第5章 心を(社会的に)通したミーム(ロザリン・コンテ)>

○科学としてのミーム論の未来は、ミームが脳内で確認されるかどうかではなく、
むしろどの程度までミームが心の中に宿るか、
その根拠や過程が明らかにされるかどうかにかかっている
<第5章 心を(社会的に)通したミーム(ロザリン・コンテ)>

○協力に必要な2つの条件
1:協力しあっているエージェントが1つの共通目標を持っている
2:彼らがその成就に対して相互に依存している
(Conte and Castelfranchi, 1995)
→交換においてはエージェントは相互依存さえしていればいい
<第5章 心を(社会的に)通したミーム(ロザリン・コンテ)>

○人間のニッチ構築は部分的には社会伝達ミームに依存しているものの、
人間の遺伝子の選択的環境にとどまらず、ミームの選択的環境をも形作る
<第6章 ミームの進化(ケヴィン・レイランド&ジョン・オンドリン=スミー)>

○もっとも成功しているミームは、ニッチ構築という形で実現しており、
自分たちの好みに応じて、選択的環境に効果的なバイアスをかけている
<第6章 ミームの進化(ケヴィン・レイランド&ジョン・オンドリン=スミー)>

○ミームを好きかどうかは、単純に「細分派」か「統合派」か、
分析を拠り所にするか解釈を拠り所にするかということに帰すかもしれない
<第11章 結論(ロバート・アンジェ)>

○操作的な定義以上のミームを同定することと、
その複製メカニズムをはっきりさせることの両方がなければミーム論は離陸できない
<第11章 結論(ロバート・アンジェ)>

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2005 7/7
ミーム、進化論、文化研究
まろまろヒット率★★★

アランジアロンゾ 『(有)アランジアロンゾ』 角川書店 2001

「お気に入りのカレー屋さん200」の200軒突破記念オフ会にお呼ばれして行ってきた、
らぶナベ@二次会もカレーというのが実にアツい会でした・・・

さて、『(有)アランジアロンゾ』アランジアロンゾ著(角川書店)2001。

姉妹からスタートして今や日本を代表するキャラクター・ビジネス企業となったアロンジアロンゾの、
会社設立から10年間(1991-2001)の活動をまとめた企業史。

コンテンツ創造でキャラクター・ビジネス演習を立ち上げようとしていたら、
同期のなるみが貸してくれた一冊。
どうやら彼はもともとアロンジアロンゾのファインらしい。
かくいう僕も実は『どこへいくカッパくん』は愛読書だったりする。

本の内容は、企業キャッチフレーズが「かわいくて、へんてこで、かっこよくて、ばかばかしくて、
ちょっとこわくて、ちょっといたくて、まぬけで、なごめるアランジアロンゾ」というだけあって、
企業史といってもグッツ説明やQ&A、用語集などのコメントが面白くて、
ぱらぱら見るだけでも十分に楽しめる本となっている。

お気楽に読める本だけど、中には考えさせられる点もあった・・・
「CIを考えている間になんか作った方がいいよ」としてはじめた会社の方針は、
「つくりたいものを好きなようにつくって、いっしょうけんめい売る」というものだけど、
好きなものを売るだけに割り切れないものが出てくるしダメだった時のダメージは大きい。
まだ無名の頃に「心臓に毛を生やさなくちゃ」と言い合ったというエピソードや、
社員をリストラするエピソードは読んでいてかなり重たいものを感じた。
(「絵の目がこわいよ」という指摘を受けたエピソードには思わず笑ってしまったけど(^^;)

また、「(内容的に)バカにされ、軽んじられがちな中で、
バカにせず軽んじず信用してもらえる業者さん達と商品を作ってきた」
という姿勢は学ぶところが多いと思った。
いろんな視点で読めるユニークな本。

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2005 6/18
企業史、キャラクタービジネス、ドキュメンタリー
まろまろヒット率4

岳宏一郎 『蓮如 夏の嵐』 毎日新聞社 上下巻 1999

らぶナベ@芸術法セミナーにお呼ばれして世田谷ものつくり学校に行ってきました。

さて、『蓮如 夏の嵐』岳宏一郎著(毎日新聞社)1999。

すたれ気味だった本願寺を再興して、戦国時代の一向宗の勢力伸長と
現代に至るまでの浄土真宗の実質的な基礎を築いた蓮如を主役にした歴史小説。
特にこの小説では家督を継いで歴史の表舞台に登場した40代からを中心にえがいている。

読んでいて不思議だったのは彼は人生の中で二度も本拠地を焼かれて退避しているが、
その度に前よりも大きく復活している点だ。
その最大の原因は彼を支える信者(門徒)が支援したからと言えるけど、
蓮如は信者をおいてけぼりにして自分だけ財産を持って逃げたりしている。
そんな彼がなぜ信者の信仰を一身に集めることができたのか、
その過程や経緯をもっとえがいてほしかった。
(悪人正機だけなら他の真宗諸派も唱えていたことで別に蓮如じゃなくてもいい)

蓮如は教義としては親鸞の教えをゆがめているところもあるし
親鸞の血脈にこだわって貴族的な序列を明確にさせるなど、
実は親鸞が激しく批判した旧仏教的な体質を持ち込んだ人間でもある。
この小説の中でも蓮如が歴史上あまり人気がないのがよくわかる描き方をされている。

でも、そういう蓮如だったからこそ今に通じる基礎を築けたという見方もできる。
彼の人生には何の感動も覚えないけど、彼の功罪にちょっと興味を持った。

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2005 6/10
歴史小説、宗教
まろまろヒット率2

舘沢貢次 『宗教経営学―いま注目の宗教法人のカネ・ビジネス・組織』 双葉社 2004

ディズニーランドと宗教の違いが分からない、らぶナベです。

さて、『宗教経営学―いま注目の宗教法人のカネ・ビジネス・組織』舘沢貢次著(双葉社)2004。

金光教、生長の家、真如苑、立正佼成会、天理教、創価学会の
6つの代表的な新宗教への取材を通してそれぞれの教団経営を紹介する一冊。
僕は科学と宗教の違いは「種明かしをするかしないか」にあると思っている(技術と魔術の違い)。
だから種明かしをしない宗教の内部経営を取り上げるのはずいぶん挑戦的だなぁと思って読んでみた。

読んでみると、教団の歴史と活動の記述が多くて、実際の経営面の記述が物足りなかった。
各教団にかなり遠慮している部分も目についたが、どうせやるならもっと踏み込んで欲しかった。
また、そもそもその宗教がどうしてそこまで集客力のあるブランドになったのか、
その過程や秘訣をもっと書いてほしかった。
ただ、各新宗教の設立経緯や内紛などのざっとした教団史としては面白い。

読み終えて一番印象深かったのは、紹介されている宗教はどれも「平等」を唱えているけど、
そのほとんどの教主が世襲しているということだ。
実際には世襲してる団体が訴える「平等」に納得する信者が多数いるというのが興味深かった。
そこまで強いブランド力はいったいどこからくるのだろうか(^^;

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2005 6/7
宗教経営学
まろまろヒット率2

『もっと野菜を食べなくっちゃ』 講談社 2002新版

いま日本で一番うさんくさい言葉は「セレブ」だと思う、らぶナベです。

さて、『もっと野菜を食べなくっちゃ』講談社(2002新版)。

587点にもおよぶ野菜料理のレシピが紹介されている料理本。
レシピの数は膨大だけど、野菜の種類や調理法から逆引きもできる上に、
各野菜ごとの処理・保存方法、栄養面の紹介もちゃんとされているので
健康ホリックな僕にはたまらない一冊。

これだけ分厚くて充実しているのに1500円は料理本としては安い。
まさにヘルシー料理本の決定版として自信を持って薦められる料理本。

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2005 6/4
料理本、健康
まろまろヒット率4

戸頃重基 『鎌倉仏教―親鸞・道元・日蓮』 中央公論新社 2002(原1967)

この前、新宿西口の「銀座ルノアール」で打ち合わせしていたら、右隣は不倫カップルが別れ話している席、左隣はゲイのカップルが大喧嘩してる席に挟まれて気になって仕事どころではなかった、
らぶナベ@これが仏教で言う「業」の深さか(>_< )

さて、『鎌倉仏教―親鸞・道元・日蓮』戸頃重基著(中央公論新社BIBLIO)2002(原1967)。

鎌倉仏教の代表的な三人の教祖、親鸞、道元、日蓮を比較しながら、 彼らの思想的模索や独自性を明らかにしようとする一冊。
初版から40年近くたっているので少し古めかしい部分はあるけれど、 さすが名著と言われているだけあって偏りがちになる宗教本の中では バランス感覚を持って書かれているので読みやすいし解釈に説得力がある。

中でも「鎌倉仏教のなかで、法然と親鸞は他力の信仰を求めて生き、道元と日蓮は自力の修行に打ち込んだ。 法然と親鸞とは、この世の価値を究極的に否定し、道元と日蓮は、あの世の実存を否定した」 (信仰の証を求めて)としているのはこの本の一番の根幹部分だろう。

また、興味深かったのは鎌倉新仏教の教祖たちはことごとく比叡山を飛び出した人々だという点だ。
他にも仏教の学府はあったのに比叡山だけが新宗教を生み出す土壌となったのが、 この山が持つ混在性と寛容性だと指摘している点は考えさせられるものがあった。
(高野山はその対局だとしているのは司馬遼太郎の『空海の風景』でも出てきた指摘)

さらに、この本の終章では教祖の後継者たち(教団)が教祖の考えをいかにねじ曲げていったのかを遠慮無く書いているのも興味深かった。
「日蓮が門下に期待した異体同心の教誡は、ほかならぬ門下自身によって裏切られ、 妙教の剣は、謗法ならぬ同信者のあいだで乱用され誤用された」というのは、 確かに日蓮宗系の教団によく見受けられる罵詈雑言合戦を垣間見ると思わず納得してしまう。
(よくあんなヒドイ表現が思いつくなと感心することしばしば)
ただ、このことを著者は嘆くように書いているけれど、 そういう教団が布教したからこそ、教祖たちが今でも取り上げられるというのもある。 これは進化的な論点として興味深かった。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○現世利益の密教は、感覚的な現証をあてこむだけに、反対現証に出会って、容易に人の不信を呼び起こす。 浄土思想が、密教思想のそういう裂け目から生じたことは当然であろう。
<1 日本仏教の夜明け>

○(仏教の学府はたくさんあったが)そのなかでも天台法華宗の総本山比叡山だけが新仏教のスタート・ラインになりえたのは、この山が『法華経』を最高の聖典として崇拝しながら、 それだけにこだわらない混合主義と寛容を宗風としていたからである。
→党派心のいたって強い空海を開山にあおぐ高野山は、元来、真言密教だけにこり固まり、比叡山におけるような教学の多元性を欠いていたからである。
<1 日本仏教の夜明け>

☆鎌倉仏教のなかで、法然と親鸞は他力の信仰を求めて生き、道元と日蓮は自力の修行に打ち込んだ。 法然と親鸞とは、この世の価値を究極的に否定し、道元と日蓮は、あの世の実存を否定した。
<2 信仰の証を求めて>

○感性の立場から易行を説く法然、親鸞に比較して、 悟性や意志を重んずる立場から難行を説く道元は、厳格主義をつらぬいた。
しかし道元の厳格主義には、闘争的な折伏の意味はない。どこまでも、説得を重んずる摂受の方法である。
日蓮の折伏は、受難にたえる業者の難行と、そこから生ずる殉教の精神で信仰がいろどられ、 親鸞や道元にはみられない、宗教的生涯を展開した。
<2 信仰の証を求めて>

○日蓮が門下に期待した異体同心の教誡は、ほかならぬ門下自身によって裏切られ、 妙教の剣は、謗法ならぬ同信者のあいだで乱用され誤用されたのである。
<4 法灯のゆくえ>

○開祖は、それぞれ長年の研究や求道体験の結果、ただひとつの結論にたどりついたのであるが、 後継者の場合は、開祖におけるような研究や体験を省略し、祖師からあたえられた教条的な結論から出発した。
したがって、彼らの発想法には弾力性がなく、 教団のエゴイズムやセクショナリズムがそれに一段と輪をかけ、ただ正統と異端の区別をきびしくして、真理や正義をふくむ主張さえも、 背師異立の邪義として排斥しつづけ、 徳川時代の鎖国思想や、のちの攘夷思想にとけこんだのである。
<4 法灯のゆくえ> この本をamazonで見ちゃう

2005 5/30
歴史、宗教、仏教
まろまろヒット率4

百世瑛衣乎 『超カンタン! 最強メディア ブログ成功バイブル』 翔泳社 2005

最近はよくチャリコロール×シルバーのジャージを着ている、
らぶナベ@ソーシャルネットワーキング上ではジャージーズ主催者でもあります。

さて、『超カンタン! 最強メディア ブログ成功バイブル』百世瑛衣乎著(翔泳社)2005。

12人のブロガー(blogger)たちのインタビューを通して、それぞれの成功の秘訣を紹介する一冊。
図書館で見つけて面白そうだったので大阪との往復の間に読み終えた。

やはりWEBマスターやブロガーのような自分メディアを運営している人たちの話は、
「1人1メディア」を唱える僕としても自分の活動を振り返る良い機会になる。
この本ではインタビューの最後にその人の成功の秘訣を箇条書きにしているのと、
成功の方程式として時系列でblog活動の歴史を紹介しているのが見やすかった。

ただ、選ばれたブロガーのほとんどがブログ・ランキング上位者であって、
ランキング参加していないブロガーの多くが外されているのが気になった。
用語の使い方も少し疑問に思うところがあって、著者はこの分野に馴染みはないのかなと思った。
また、紹介されているブログもここ1、2年のものが多くて、
パーソナル・メディア最大の問題の一つである「どう続けるか?」についての言及が無かったし、
ブログのメリットばかりでデメリットには触れてなかったのも残念。

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2005 5/23
情報・メディア、blog本
まろまろヒット率2

吉本隆明 『最後の親鸞』 筑摩書房 2002

飲み屋さんで合コンしてるテーブルはどんなに遠くからでもすぐわかる、
らぶナベ@ああいう場って独特のオーラを発しているのはなぜなんだろう?と思っています。

さて、『最後の親鸞』吉本隆明著(ちくま学芸文庫)2002。

僕に信仰心は無いけれど、我が家は浄土真宗(西本願寺)なので
一度くらいは親鸞ものを読んでみようと友人に勧められて手に取った一冊。
非僧非俗の生涯をおくった親鸞の晩年に焦点を当てて彼の思想性に迫ろうとしている。

興味を持ったのが親鸞の生涯の中で北陸への追放から晩年の京都での著作活動の間にある
北陸と関東での布教時代がよくわかっていないというところだ。
そしてこのことにも関連して、親鸞の伝説を紹介しているのも面白かった。
27個の伝説をリスト化して、各派が自分の都合に合わせてどの伝説を組み合わせたのかが
一覧してわかる「伝説組み合わせ表」が興味深かった。

昔から僕にとって親鸞は「肉を食べるのとHをするのがやめられなかった」(肉食妻帯)ことや、
「良い人だって救われるんだから悪い人が救われるのは当然じゃん」(悪人正機説)などが印象にあった。
実は法然の方がすごくて、これほど有名なのは単に普及度の問題だけでは?という疑問も持っていた。
読んでみてこういう印象や疑問から来る関心をさらに高めてしまった。

以下はチェックした箇所・・・

○現世でたまたま善であるか悪であるかは、時間のとおい過去からやってきた宿縁によるものだから、
本人のせいではない(略)つぎにこのかんがえは、悪人こそは善人にもまして往生の正機をもつのだ、
というように徹底化されていった。
<和讃>

○伝説がつくり出される動機は< 聖化>したいという念慮と、一見これと裏腹な共同の< 必要性>である。
伝説の< 真>は、至上化された愛惜と極端な有用性から成っている。
<親鸞伝説>

○絶対的な距たりを縮めようとする行為は、
遠まわりの善であるという逆説の完成こそが親鸞の教理的な精髄であった。
<教理上の親鸞>

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2005 5/20
宗教、仏教、歴史、エッセイ
まろまろヒット率3
スピリチュアル

辻邦夫 『西行花伝』 新潮社 2002

まろまろコンテンツのblogへのお引越を進めている、
らぶナベ@自業自得とはいえ作業量の多さにくらくらだす(^^;

さて、『西行花伝』辻邦夫著(新潮文庫)2002。

僕は出歩いた先で和歌を一首詠む「西行法師プレイ」というのをやっている。
何気なく付けた名前だったけど、なぜ松尾芭蕉プレイでも小林一茶プレイでも無いのか、
後から振り返ると自分でもいまいちよくわからない。
でも、人からはよく「西行って感じしますよね」とか、
「そりゃあ、まろまろさんは芭蕉より西行でしょう」などのような
しっくり感があるという評価を耳にするので
自分の中にある不可解なものに迫ろうと手に取った一冊。

内容は西行の死後に弟子が西行所縁の人々から彼の思い出を聞き取るかたちで、
伝説につつまれた西行の人生をたどっていくスタイルになっている。
彼が北面の武士として仕えた朝廷内での抗争、
地方レベルで進む律令制度のきしみと武士の台頭、
そして源平争乱という時代の変遷の中での西行の行動や感性を
彼の歌の解釈を通して再現しようとしているのが面白い。

読み終えてみて、なぜ西行法師プレイなのかについて考えてみた。
誰もが自分の中にある願望と現実の姿とのギャップに悩むことがある。
自分の中にある願望が西行への無意識の憧れになり、
実際の姿に対する違和感が空海への近親憎悪になったんだろう。
そんな僕でも後の時代に自分の人生が伝説として語られるなら、
空海のようにではなく西行のように語られたい。
最後に僕が西行の歌の中で一番好きで一番彼らしいと思う一首を引用・・・

風になびく 富士の煙の 空に消えて 行方も知らぬ 我思ひかな

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2005 5/14
歴史小説
まろまろヒット率3

水越伸 『メディア・ビオトープ―メディアの生態系をデザインする』 紀伊国屋書店 2005

「ソーシャルネットワークとコミュニケーション手法の多様性」というシンポジウムに
パネリストとしてお呼ばれした、らぶナベ@ジャージな海賊が僕です。

さて、『メディア・ビオトープ―メディアの生態系をデザインする』水越伸著(紀伊国屋書店)2005。

生物の生息に適した小さな場所を作り、ネットワーク化させるビオトープ(biotope)を
メディア論の隠喩として応用させた「メディア・ビオトープ」を提唱する本。
文章と共に著者の手書きのスケッチや写真がワンセットになっている。

内容はメディアを「伝達」を軸にした矢印モデルでとらえるのではなく、
「共感」と「コミュニティ」を軸にしたドーム・モデルを基本にしている。
ビオトープの特徴となる小ささ、ネットワーク、キット化という点が
WEBサイトやSNSにも当てはまるのので自分の活動やSNSコミュニティを振り返りながら読んでみた。

中でもメディア・ビオトープを形作る要素として
「メディア実践」、「メディア・リテラシー」に加えて
「メディア遊び」を重視している点が興味深かった。
この三つの相互循環によってメディア・ビオトープが形成されるが、
中でもこの「メディア遊び」はその土壌部分に当たるとしている。
読んでいて不敵な知り合いのWEBマスターたちや
からかい好きのSNSネットワーカーたちが思わず目に浮かんでしまった(^^)

ちなみにこの本の趣旨のことは前々から聞いていたので、
早く出版してほしいと著者に会う度に言っていた。
ようやく念願の読書ができたけど、できれば僕の修士論文前に出してほしかった(>_< )

以下はチェックした箇所(一部要約&注目順)・・・

☆メディア・ビオトープを形作る三つの営み・・・
メディア実践(media practice)
   ↑ ↓
メディア・リテラシー(media literacy)
   ↑ ↓
メディア遊び(media play)
<メディア・ビオトープを形作る三つの営み>

☆メディア遊びは、体制化・硬直化したメディア社会のありようを突き崩す動き
<メディア・ビオトープを形作る三つの営み>

☆ドームを生み出すために必要な要素・・・
1:「出会い」=異なる領域にいながら同じ志の人々を求める
2:「対話」=自分に眠る他者をよみがえらせる
3:「表現・制作」=自明性を突き崩す
4:「可視化」=言語かできないものを言語化しないまま操作可能にする
<メディア・ビオトープを育む>

☆矢印モデルでのコミュニケーション=伝達、メディア=伝達手段
ドーム・モデルでのコミュニケーション=共感の営み、メディア=象徴
<メディア・コミュニティ・人間>

☆(メディアとコミュニティの関係)
メディアはコミュニティを生み出し、維持し、発展させる象徴媒体として働くが、
一方でコミュニティがメディアを支え、そのあり方を枠付ける母体だという、
循環的で、相互依存的な関係
<メディア・コミュニティ・人間>

○メディア研究とメディア業界は、二項対立の図式にかまけるなかで、
新しいメディア表現者の登場を予兆することができず、
さらにはその活動をより広い文脈のなかで位置づけることをせずにいる
<メディア・コミュニティ・人間>

○ビオトープの特徴=小ささ、ネットワーク、複合性、デザインの重視
メディア・ビオトープの特徴=小さなメディア、ネットワーク化、非2項対立、道具立て
<メディア・ビオトープ宣言>

○メディア・リテラシー=媒体素養(by呉翠珍)
<メディア・ビオトープを形作る三つの営み>

○硬直し、紋切り型になったメディア・リテラシーとは
メディア・プロパガンダに他ならない
<メディア・ビオトープを形作る三つの営み>

○メディア回廊作りに大切なこと・・・
1:バランスを取ることでアイデンティティを保つ
2:組織やグループを越えた一段上の次元でもメディアを作る

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2005 5/5
メディア・ビオトープ、メディア論、社会学
まろまろヒット率4