『知覧特攻平和会館』(博物館)03.26.12


知覧特攻基地跡(鹿児島県南九州市知覧町)にある特攻隊の博物館。

太平洋戦争末期におこなわれた特攻隊(特別攻撃隊)の隊員の遺影、絶筆や遺書などの資料を中心に、
四式戦闘機(疾風)I型甲、三式戦闘機(飛燕)II型改、零式艦上戦闘機五二型丙の実機も展示されている。

中でも特攻隊員の遺影と絶筆、遺書の展示は、胸に迫るものがあり、立ち尽くしてしまった。
自己犠牲の精神は尊くて美しいけれど、それが時には不当に利用されて来た人類の歴史や、
自分の中にもどうしようもなく沸き起こる熱い思いが、冷静な判断を失わせて、
過ちにつながることもあるという現実を突きつけられたようで、複雑な気持ちになった。

そして、この複雑な気持ちを感じることが、平和を尊び、過ちを繰り返さないために、
という博物館の設立趣旨に合致したものでもある。
訪問した時はちょうど67年前の第1回総攻撃と同じ時期ということもあり、英霊と平和に祈りを捧げて後にした。

ぜひガイドさん、またはイヤホンガイドを付けて内覧したい平和博物館。

2012 3/26
もろもろ鑑賞、博物館
まろまろヒット率5

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『心拍数♯0822』(楽曲)07.09.11


蝶々P作詞作曲の初音ミクの楽曲。

素朴なメロディと歌詞の中に、誰かを好きになることの喜び、生きることの意味が込められている。
特に2番の歌詞にある・・・

僕の心臓はね、1分間にね 70回のね、「生きている」を叫んでるんだ
でも君と居ると、少し駆け足で 110回のね、「愛している」を叫ぶんだ

・・・のくだりは静かな躍動感のあるこの楽曲の特徴が伝わってくる。
ボーカロイドの楽曲は「人工的」と評価されることもあるけれど、生命の力強さが表現された21世紀型の名曲。

2011 7/9
もろもろ鑑賞、楽曲
まろまろヒット率5

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『影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか』 ロバート・B・チャルディーニ著、社会行動研究会訳 誠信書房 200711.01.10


特命係長プレイがきっかけでツイ飲み(Twitter 飲み会)に参加させていただいたので、
ようやくTwitterの使い方が分かりつつある、まろまろです。

さて、『影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか』ロバート・B・チャルディーニ著、社会行動研究会訳(誠信書房)2007。

人間が無意識のうちに影響されてしまう心理メカニズムについて、
社会心理学の実証実験や事例研究から科学的にアプローチする一冊。
原題は、“Influence: Science and Practice. 4th Ed.”(2001)。

内容は、人間には自動的に承諾する心理メカニズムがあることを「影響力の武器」(第1章)で述べた後に、
承諾を導く影響力の典型として。「返報性」(第2章)、「コミットメントと一貫性」(第3章)、
「社会的証明」(第4章)、「好意」(第5章)、「権威」(第6章)、「希少性」(第7章)の6つを詳細に解説。
そして、このような自動的な影響力は情報化社会においてはますます重要になってくることを、
「手っとり早い影響力」(第8章)でまとめる、という構成になっている。

読んでいて印象的だったのは、様々な心理実験の結果を通じて共通しているのは、
人間は自分が影響力を受けていることを過小評価する傾向があるという点だ。
だからこそ、この本で解説されている6つの影響力の武器は強力なものであり、
気をつけなくてはいけないものであるということが説得力を持って伝わってくる。

もちろん、こうした影響力の武器はそれ自体は決して不当なものではない。
ただし、それをねつ造したり、過剰に振りかざされたりすることが問題であり、
不当な承諾や集団の悲劇はこれらの影響力の武器の乱用にあることが強調されている。
それだけに、それぞれの項目の後に「防衛法」と「まとめ」があるのは読んでいて少しホッとした。

この本は、人間の心理はいかに生々しいものであるかについて科学的に解説した本なので、
読んでいて『カリスマ―出会いのエロティシズム』と同じようなインパクトを感じた。
読み物としての迫力は『カリスマ―出会いのエロティシズム』の方があるけれど、
こちらはその分、日常の中にある無意識な人間心理の原理に気付かせてくれる。

自分が不当な影響力を受けないため、そして自分も不当な影響力を与えないため、
という実用性の面でも一読の価値がある本。

以下はチェックした個所・・・
(一部要約含む、「→」はまろまろコメント)

○実際、人間の行動の多くは自動的、紋切り型のものです。
なぜなら、たいていの場合、それが最も効率的な行動の形態であり、
また、場合によってはそうすることが必要でさえあるからです。
<第1章:影響力の武器>

○返報性のルールの本質を構成するのはお返しをする義務ですが、
このルールを自分の利益のために利用することを容易にしているのは、受け取る義務の方です。
この義務があるために、私たちは恩義を感じる相手を必ずしも自分で選ぶことができませんし、
そのルールの力を他者に委ねることにもなります。
<第2章:返報性>

○心のなかの不快感と恥をかくかもしれないという危険性、この二つが組み合わされると、
とても大きな心理的負担が産み出されます。
こうした負担という観点から考えれば、返報性の名のもとに、
受け取ったもの以上ののものを私たちが返そうとするのも、さほど不思議なことではありません。
<第2章:返報性>

☆返報性のルールを使って私たちの承諾を得ようとする人に対する最善の防衛法は、
他者の最初の申し出を常に拒否してしまうことではない。
むしろ、最初の行為や譲歩は誠意をもって受け入れ、後でトリックだとわかった時点で、
それをトリックと再定義できるようにしておくことである。
<第2章:返報性>
→気をつけたいところ。

☆実際、私たちは皆、自分の行為や決定と一貫した思考や信念を持ち続けようとして、
自分自身をだますことがしばしばあります。(中略)
一貫していたい(一貫していると見てもらいたい)というこの欲求は、
しばしば自分の本当の利益とは明らかに反するような行動に私たちを駆り立てます。
したがって、これは社会的影響力のとても強力な武器として使えるものなのです。
<第3章:コミットメントと一貫性>
→現状維持の言い訳と足踏みの自己肯定は飲み屋でよく目撃する。

○自分自身の信念や価値や態度についての主要な情報源は自分の行動なのです。
<第3章:コミットメントと一貫性>

☆行動を含むコミットメントをしてしまうと、自己イメージには二つの麺から一貫性圧力がかかります。
中からは、自己イメージを行動に合わせようとする圧力がかかります。
そして外からは、もっとも秘かな圧力ー他者が自分に対して抱いているイメージに、
自己イメージを合わせようとする傾向ーがかかるのです。
<第3章:コミットメントと一貫性>

○パブリック・コメント方略は、プライドが高い人、あるいては公的自意識が高い人に特に有効なようである。
ex.シャルル・ド・ゴールの禁煙のセリフ、「ド・ゴールは自分の言葉を裏切ることができないのだ」
<第3章:コミットメントと一貫性>

☆多くの場合、人は自分がしたコミットメントについて、それが正しいということを示す新しい理由や正当化を付け加えるのである。
その結果、コミットメインとを生み出した状況が変化したずっと後でも、そのコミットメントの効力が持続することになる。
(ローボール・テクニック)
<第3章:コミットメントと一貫性>

○(一貫性圧力に対しての防御法は)「今知っていることはそのままにして時間を遡ることができたら、
同じコミットメントをするだろうか」という厄介な質問を自分自身に問いかけなくてはならない。
そのとき、焼くにたつ答えをもたらしてくれるのは、最初に沸き上がってきた感情である。
<第3章:コミットメントと一貫性>
→気をつけたいところ。

○(人類滅亡などの終末の予言がはずれた教団がより強固なものになることがある理由について)
それを正しいと思う人が多ければ多いほど、人はその考えを正しいと見ることになるのです。(中略)
物理的証拠は変えられなかったので、社会的証拠を変えねばならかったから。
<第4章:社会的証明>

☆改宗者を求めたいという気持ち(社会的証明)に火についたのは、自分たちの確信がぐらついたときでした。
一般に、自分自身に確信が持てないとき、状況の意味が不明確あるいは曖昧なとき、
そして不確かさが蔓延しているときに、私たちは他者の行動を正しいものと期待し、またそれを、受容する。
<第4章:社会的証明>
→「みんな」という言葉が好きな日本人は、この社会的証明に影響される傾向が強いように感じる。

☆人が集団になると援助をしなくなるのは、彼らが不親切だからではなく、確信がもてないからだということを認識することです。
<第4章:社会的証明>

☆一般的に言って、緊急援助が必要な場合の最善の方略は、あなたの状況と、周囲の人たちの責任に関する不確かさを低減することです。
助けが必要であることを、できるだけ正確に言いましょう。傍観者が、一人で結論を出すようにさせてはいけません。
特に群衆のなかでは、社会的証明の原理とそこから生じる集団的無知の効果によって、
あなたのおかれている状況が緊急事態ではないと見られてしまうかもしれないからです。
<第4章:社会的証明>
→気をつけたいところ。

☆最も影響力のあるリーダーというのは、社会的証明の原理が自分に有利に働くようにするためには
集団の状況をどう整えればよいのかを知っている人なのです。
<第4章:社会的証明>
→その通りだから、よい結果を導かなくてはいけない。リーダーは結果責任を問われる。

○(アシモフの言葉)人は自分と同じ性別、同じ文化、同じ地方の人を応援する・・・
その人が証明したいと思っているのは、自分が他の人より優っているということなのである。
応援する相手が誰であれ、その相手は自分の代理にになる。
そして、その人が勝つということは自分が勝つことと同じなのである。
<第5章:好意>
→確かに阪神タイガースや浦和レッズ、バルセロナなどの熱狂的ファンはコンプレックスが原動力になっているように感じる。

☆栄光の反映に浴したいとする気持ち(栄光浴)が強い人たちの特徴は、
背後にパーソナリティの脆弱さが隠されている人たちです。
つまり、否定的な自己概念をもっている人びとなのです。
こころの深層に、自分は価値が低い人間だという気持ちがあるため、
自分自身の業績を高めて名声を得るのではなく、
他者の業績との結びつきを形成し、それを強めることによって名声を得ようとしているのです。
<第5章:好意>
→○○と知り合い自慢がみすぼらしいのは、言っている本人の痛々しさが伝わってくるから。
痛いものコレクターなので嫌いというわけではないけれど(w

○ある状況で要請者に尋常でない好意を感じたら、その社会的相互作用から一歩退き、
要請者とその申し出の内容を心のなかで区別し、申し出のメリットだけを考えて決定を下さなければならない。
<第5章:好意>
→気をつけたいところ。

○「この権威者は本当に専門家なのか」、「この専門家はどの程度誠実だとかんがえられるか」。
この二つの質問を発することによって、権威者の影響力による有害な効果から自分自身を守ることができる。
<第6章:権威>
→気をつけたいところ。

○希少性の喜びは希少な品を体験することにあるのではなく、それを所有することにあるのです。
この二つを混同しないことが大切なのです。
希少性が高いものが、なかなか手に入りにくいという理由だけで美味しくなったり、感じが良くなったり、
音がよくなったり、乗り心地がよくなったり、よく動くようになったりすることはないのだ、
ということを決して忘れてはいけません。
<第7章:希少性>
→気をつけたいところ。

○希少性の原理は、二つの最適条件のもとで最もよく適応できると思われる。
第一にそれが新たに希少なものとなったときに一層高まる。
第二に、他人と競い合っているときに、希少性の高い物に最も引きつけられる。
<第7章:希少性>

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2010 11/1
社会心理学、心理学、社会学、コミュニケーション論、実用書
まろまろヒット率5

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『ハゲタカ』(ドラマ)08.07.10


外資系投資ファンドの日本法人代表、鷲津(大森南朋)はその手法から「ハゲタカ」と呼ばれる。
現代のハゲタカ、鷲津には銀行員時代のトラウマがあった・・・

全6話完結のNHKドラマ。
何と言っても、全体を通じた迫力が印象的。
迫力の原因は、重厚な配役と練り込まれた演出という技術的な要因もあるけれど、日本がおかれている状況をえがきだしているからということが大きい。
このまま過去の栄光を食いつぶしながら全体(同調性圧力風に書けば”みんな”)が没落していくのか、それとも痛みをともなう再生に挑戦するのか。
その選択を一人一人が迫られている日本の状況を見事にえがきだしているので、観る人のそれぞれの立場に引きつけて重みが感じられるドラマになっている。
企業買収や不良債権処理などを舞台装置にしているけれど、そういう意味では経済ドラマというよりも日本社会の縮図をえがいたドラマと言える。

また、現状維持と改革のどちらにしても結局は弱い立場の人から切り捨てられていくところや、人間の業を感じさせられるシーンが散りばめられていて、勧善懲悪の薄っぺらさがないところも印象深い。

たとえば第3話で・・・
芝野(柴田恭平)が「私は人生の折り返し地点はとっくに過ぎています・・・ですが残りの人生、自分に言い訳しながら生きていくのは長すぎます」
と辞表を提出したのに対して、
飯島(中尾彬)が「かっこええな・・・だから駄目なんだ」
・・・と応えるところなど、それぞれの立場の対比を見事にえがいている。
これまで観たことがある中では、間違いなく21世紀最高のドラマ。

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2010 8/7
もろもろ鑑賞、ドラマ
まろまろヒット率5

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「川湯温泉」 (温泉)05.09.10


泉質:アルカリ性単純温泉

熊野地方(和歌山県田辺市本宮町)にある日本を代表する温泉の一つ。
その名の通り、熊野川支流の大塔川の川原から源泉が湧き出している。

川原で温泉に入るという風情、いつまでもツルツル感が残る泉質、熊野地方の旅情感。
どれもが温泉のすばらしさを感じることができるお風呂。
(近くには同じく名湯の湯の峰温泉もある)

2010 5/9
ぷかぷかお風呂日記
まろまろヒット率5

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『今日の芸術―時代を創造するものは誰か』 岡本太郎著 光文社 199901.07.10


まろまろ@これが2010年最初に読み終えた本になります☆

さて、『今日の芸術―時代を創造するものは誰か』岡本太郎著(光文社)1999。

「太陽の塔」などの作品で知られる前衛芸術家、岡本太郎による芸術論と文化論。
原本初版は1954年という60年近く前の本だけに、単語や言い回しは古いものがあるけれど、その内容は今も色あせていない。
著者が「われわれの生活全体、その根本」を対象にしたと初版の序で書いているように、
単なる芸術にとどまらない主張は読んでいて強く心に響くものがあった。

特に現代論を展開しながら芸術を「ゆりうごかされ、感動を呼び起こし、そこから問題を引き出されるもの」と定義して、
「うまくあってはいけない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない」と述べているのには感銘を受けた。

岡本太郎によれば、現代は手軽に気晴らしを手に入れることができる状況にあり、
そうした上手なもの、綺麗なもの、心地良いものは、目の前を通り過ぎて消費されていく点が強調されている。
手軽な気晴らしよって、「楽しいが空しい」、「楽しむつもりでいて、楽しみながら、逆にあなたは傷つけられている」。

だから、たとえ気晴らしであっても「生命が輝いたという全身的な充実感、生きがいの手ごたえがなければ、
ほんとうの意味のレクリエーション、つまりエネルギーの蓄積、再生産としてのレクリエーションになりません」として、
「自己疎外からの自己回復する情熱」が芸術だと位置付けているのは考えさせられるものがあった。

20世紀半ばの岡本太郎の視点を21世紀初頭の現代に持ち越してみると、情報通信技術の発展で気軽にコミュニケーションが可能になった現在、
手軽な交流による浅く薄い人間関係で一時の寂しさや疎外感をまぎらわし、そのことでかえって傷ついている人を見かけることがある。

また、自分を振り返って見れば、このまろまろ記は本来は読書日記であり、今でも自分に恥ずかしさをつきつけるために続けている。
(まろまろコラム:『メモのメモ』)
アクセス数の多いごはん日記お風呂日記のような手軽なコンテンツによって人気ブログやカリスマ・ブロガーなどと祭り上げられることはあるし、
そうした称賛には気軽な心地良さを感じることもあるけれど(ピコピコしいw)、軽いコンテンツだけしか読まない人とは結局は表面的な関係しか構築できなことが多い。
手軽なコンテンツだけでは無く、たとえ重たさや反発を招く可能性があったとしても、
自分の内面と向き合って導き出したものを書き、そして公開することの重要性をあらためて感じさせられた。

ちょうど数年来草稿を続けていたまろまろコラム:『寛容のメモリ』を仕上げに入った時期とも重なり、
上手く、綺麗で、心地良いものは他人事であり、自分の根源を揺り動かすものでは無いという岡本太郎の主張はずっしりと重く響くものがあった。
読み終えた時には、非公開の場所で慣れ合い、依存し合っているだけで何も産み出さない交流では無く、
自分の内面と向き合って表現し、発信するために情報メディアを使うことの大切さを突き付けられた気分になった。
そのことをあらためて気づかせてくれたという一点だけを持って、まろまろヒット率5。

ちなみに純粋に読み物としては、くどさを感じる部分も多かった。
それは岡本太郎の作品に共通した印象で、僕の好みとは違う。
でも、著者が「ここちよくあってはならない」とするように、
違和感があるものでも心に響くものは価値があると思うので、まろまろヒット率は5のまま公開。

以下はこの他にチェックした箇所(感銘を受けた順)・・・

☆現代に生きぬく責任を持たないものは、とかく過去を美化してその中に逃げこもうとするもので、これも空虚な欺瞞
<第3章 新しいということは、何か>

☆この「…らしく」がくせものです。それは無責任な旅行者の言い分であって、そこに生活している人間にとってはなんの意味もない
→むしろ迷惑な言いがかりにちがいありません
<第6章 われわれの土台はどうか>

☆新しいものには、新しい価値基準がある
→なんの衝撃もなく、古い価値観念でそのまま認められるようなものなら、もちろん新しくはないし、時代的な意味も価値もない
<第3章 新しいということは、何か>

☆まことに芸術はいつでもゆきづまっている。ゆきづまっているからこそ、ひらける
→人生だって同じです(略)いつでもなにかにぶつかり、絶望し、そしてそれをのりこえる
→そういう意志のあるものだけに、人生が価値を持ってくるのです
<第3章 新しいということは、何か>

☆見栄や世間体で自分をそのまま出すということをはばかり、自分にない、べつな面ばかりを外に見せているという偽善的な習慣こそ、非本質的
→人間はちょうど石ころと同じように、それそのものとしてただある、という面もあるので、
その一見無価値的なところから新しく自分をつかみなおすということに、これからの人間的課題がある
→芸術は、いわば自由の実験室
<第5章 絵はすべての人の創るもの>

☆謙虚というものはそんな、人のまえで、おのれを無にするとか低く見せることでは絶対にない、
むしろ自分の責任において、おのれを主張することだと断言します
→つまり、謙虚とは権力とか他人にたいしてではなくて、自分自身にたいしてこそ、そうならねばならない
<第6章 われわれの土台はどうか>

○創られた作品にふれて、自分自身の精神に無限のひろがりと豊かないろどりをもたせることは、りっぱな創造
→自分自身の、人間形成、精神の確立
<第5章 絵はすべての人の創るもの>

○芸術はすべての人間に生まれながらもっている情熱であり、欲求
<第1章 なぜ、芸術があるのか>

○「いい」と思ったとき、その人にとって、そう思った分量だけ、わかったわけです
→あなたはなにもそれ以外に、わからない分など心配することはありません
<第2章 わからないということ>

○相対的(時代的)な価値と、時代をのり越えた絶対的な価値の二つが、おたがいに切りはなすことのできない、創造の不可欠な本質
<第3章 新しいということは、何か>

○きれいなもの、上手なものは、見習い、おぼえることができるが、人間精神の根元からふきあがる感動は、習い、おぼえるものではありません
→だから自由
<第6章 われわれの土台はどうか>

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2010 1/7
芸術論、文化論
まろまろヒット率5

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『風の谷のナウシカ』 宮崎駿著 徳間書店 上下巻 199606.21.09


まろまろ茶話会2009を準備中のまろまろです。

さて、『風の谷のナウシカ』宮崎駿著(徳間書店)上下巻1996。

最終戦争によって文明社会が崩壊してから1000年後の世界。
地表には腐海と呼ばれる有毒ガスと蟲が充満する森が広がり、人口が激減した人類はいくつかの国に分かれて争っていた。
風の谷の姫、ナウシカは、大国との戦争に巻き込まれながら、世界の謎の解明と腐海との共生の道を目指していく・・・

現代を代表するアニメ映画監督の宮崎駿の、さらに代表作『風の谷のナウシカ』(1984年公開)の原作。
もともとは、雑誌『アニメージュ』にて1982年~1994年まで連載された全7巻を、愛蔵版として上下巻にまとめたもの。
(内容は同じだけど、伝説を描いた重厚な装丁になっている)

映画『風の谷のナウシカ』は小さな頃に母親に連れられて観に行ったことがあり、さらにテレビ放映や学校の文化鑑賞などで何度も観たことがあった。
ただ、ナウシカを熱く語る人に苦手な感じな人が多かったということもあり、原作の方は読まずにいた。

それが最近になって、ナウシカの登場人物、クロトワに共感する機会があり、
またナウシカを熱く語る人たちにも優しい目で見れるようになったので(w、今回初めて手に取ってみた。

読んでみると、戦争、宗教、差別、自然との共生など、人類普遍のテーマを盛り込んだ壮大な大河物語になっている。
環境問題についてのテーマ性に注目されることが多いけれど、僕は・・・
「世界を清浄と汚濁に分けてしまっては何も見えない」(下巻, p440)
「清浄と汚濁こそ生命だ」(下巻, p510)
・・・というナウシカのセリフに代表される、
清濁合わせ持つ生命とその一つである人間の尊厳を謳った物語だという印象を受けた。

意味深さはもちろん、読み物としても、展開の早さ、迫力、感動を合わせ持った名作。
宮崎駿監督作品として完全版アニメ映画をつくってほしいと願う作品でもある。

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2009 6/21
マンガ本
まろまろヒット率5

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『神は妄想である』 リチャード・ドーキンス著、垂水雄二訳 早川書房 200705.18.09


新型インフルエンザの感染拡大の流れで今週一週間お休みになったので、まろまろ茶話会2009の準備をしはじめている、
まろまろ@一両日中にもこのまろまろメルマガで告知します(*^_^*)

さて、『神は妄想である』リチャード・ドーキンス著、垂水雄二訳(早川書房)2007。

『利己的な遺伝子』『盲目の時計職人』で知られる進化生物学者、リチャード・ドーキンスが神の存在と宗教の価値を否定する本。
原題もずばり“The God Delusion”

この本がすごいのは、科学的手法を使って神の存在を否定するだけでなく、神に救いを求めること自体を否定しているところだ。
たとえば、よく耳にする宗教心が道徳の指針になるという主張や、超自然的な存在に救いを求める人間の心理に対しても、
進化心理学の研究結果や実際の聖典の読解を通じて、道徳の指針としても心の寄り処としても宗教は不適格だと言い切っている。

科学的な証拠を積み重ねながらも、軽快な口調で論理展開していく手法は、まさにリチャード・ドーキンスらしいところ。
さらにこれまでの著書での知見を駆使しているので、この本はリチャード・ドーキンスの集大成とも言える。

それだけに、啓蒙書として書かれていることもあって、押し付けがましく感じる面もある。
たとえば、人間にはもともと隣人愛や道徳心が進化的に獲得されてるのに、あえて宗教に惹かれる原因を、
「飛んで火に入る夏の虫」と同じく進化的に獲得されたプログラムの誤作動だと言い切っているところ。
さらに超自然的なものに救いを求めることは、「くるぶしを挫いた瞬間に、誰か告訴できる相手がいないかと見まわす人間の幼児性と同じである」
と最終章で結論づけているところなどには、”You have so much smart than us, Prof. Dawkins.”と思わず突っ込みそうになった(w

ただ、イギリスの、しかも神学が発祥のオックスフォード大学の教授でありながらここまで言い切るのは勇気がいること。
それは、子供に対する宗教教育は精神虐待であることについて一章をさいているように、
宗教がもたらす流血や紛争の悲劇に対して、科学者の立場から真実を語ろうとしているからだというのは理解できる。
(日本の場合は”神”を”霊”に置き換えると分かりやすいかも)
現にドーキンスがこの本を書いたのは、9.11同時多発テロがきっかけになっている。

「科学は一般に、工学技術とはちがって、常識を侵害するものである」と言っているように、
常識と真実がぶつかった時は真実を取るというその姿勢には素直に感銘を受ける。
(確かに一般常識や社会常識を振りかざす人は、無知蒙昧で可能性の少ない人が多い)

そうした科学者としての迫力も含めて、まろまろヒット率5。

以下はチェックした箇所・・・

○もし< 神>という言葉によって、宇宙を支配する一連の物理法則を意味するのであれば、そのような神は明らかに存在する。
この神は情緒的な満足感を与えてくれるものではない。・・・重力の法則に祈ってもあまり意味がない(カール・セーガン)
<第1章 すこぶる宗教的な不信心者>

○私は要らぬ侮辱をするつもりはないが、宗教を扱うのに、ほかの事柄よりも手控えた扱いをして甘やかすつもりはない
<第1章 すこぶる宗教的な不信心者>

○ありえなさという問題に対する答として自然淘汰が有効であり、偶然と設計がはなから不適格であるのはなぜだろう?
その答は、自然淘汰が累積的な過程であり、これが、ありえなさという問題を小さな断片に分割するから、である
<第4章 ほとんど確実に神が存在しない理由>

○設計者仮説はただちに、その設計者を誰が設計したのかというさらに大きな問題を提起する
<第4章 ほとんど確実に神が存在しない理由>

○信仰者のほうが懐疑論者よりも幸福であるという事実は、酔っぱらいのほうが素面の人間よりも幸せだという以上の意味はない(ジョージ・バーナード・ショー)
<第5章 宗教の起源>

○生まれつきの二元論と生まれつきの目的論があいまって、適切な条件が与えられれば、私たちはたやすく宗教へ走ってしまう。
ちょうど、先の光コンパス反応がガをうっかりした「自殺」に追いやったように
<第5章 宗教の起源>

○ほかの誰か(子供の場合は両親、大人の場合は神)が、あなたの人生に意味と理由を与える責任があるという仮定には、どこか幼児的なものがある。
くるぶしを挫いた瞬間に、誰か告訴できる相手がいないかと見まわす人間の幼児性とまったく同じである
<第10章 大いに必要とされる断絶?>

☆科学は一般に、工学技術とはちがって、常識を侵害するものである
<第10章 大いに必要とされる断絶?>

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2009 5/18
宗教、科学、進化論、学問一般
まろまろヒット率5

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『百年の孤独』 ガブリエル・ガルシア=マルケス著、鼓直訳 新潮社 200608.01.08


まろまろ@まろまろ記7周年を記念して替え歌「時代おくれのブログになりたい」を公開しています。

さて、『百年の孤独』G・ガルシア=マルケス著、鼓直訳(新潮社)2006。

南米の山あいにある町、マコンド。
そのマコンドの開拓者一族であるブエンディア家の人々にスポットを当てて、町の建設から発展、衰退、廃墟に至るまでの約100年間を通してえがく長編小説。

原著”Cien Años De Soledad”(1967)の新訳版。
前々から読んでみたいと思っていたけれど、悲劇的なタイトルと分量、そして独特の修飾語の長さから尻ごみしていた。
(7世代にわたるブエンディア家の登場人物たちは同名が多いので家系図を参照しないといけないのもハードルになった)
それが今回、特命係長プレイの合間に読んでみようと手に取った一冊。

読んでみると、確かに基本は悲劇、それも時には悲惨な場面もあるのだけど、陰湿さや悲壮感は感じられなかった。
悲劇的な内容も比較的からっとしていてスイスイと読めてしまう。
一つは展開がすごく早くて退屈させない点や、ところどころに思わず笑ってしまう場面が散りばめられている点などが原因しているのだろう。

また、読み進めるに従って忘れていた登場人物に思わぬスポットが当たったり、衝撃的な展開が折り重なっていて、あっという間に最後まで読んでしまった。
衝撃的なラストは独特の読後感を与えてくれる。

長編の、それも悲劇なのに、読み終わってからもう一度読んでみたいと思わせるのが心憎い(w
ラテン・アメリカ文学の最高傑作という前評判に負けない作品。

ちなみに僕のまわりではGabriel Garcia Marquezのこの本よりも焼酎の「百年の孤独」の方が有名だったりした(w

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2008 8/1
小説、文学
まろまろヒット率5

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『旭山動物園』(動物園)08.20.07


北海道旭川市の旭山にある動物園。

科学教育学会後のエクスカーションとして見学&説明会があったので申し込みをして訪れる。
開演前からスタートするということで、前日から旭川入り、それもタクシーでというハードルはあったけれど、
今や日本有数の動物園のバックヤードを見学でき、スタッフの人の生の声を聞けるということで参加。

当日は学会で僕たちの発表も聞いてくれた飼育係の奥山さんと、副園長の坂東さんが直々に案内してもらうこととなった。
まずは開演前に大混雑することで有名な、ぺんぎん館、あざらし館、ほっきょくぐま館、を見学。
旭山動物園の特徴の一つとされる行動展示=「動物を見るのではなく、動物に見られる」という意味がよく分かった。

その後、開演時間が過ぎるとディズニーランドのような人波にあらためて驚きながらバックヤードを見学。
そこでの迫力は、メディアに取り上げられるものとはまた違った、動物園としての本質を問いかけるものだった。
奥山さんの「臭いも展示のうち」という言葉や、弱みを見せない動物たちの不調を見つけるエピソードが印象深かった。
最後に、図書館で説明&質問会をしておひらき。

旭山動物園は飼育係と教育係・施設係が同じということもあって、単なるツアー見学にとどまらない生の声を聞くことができたのが良かった。
「見せる」ことと「単なる見せものではない」ことのジレンマの中で、創意工夫している姿が伝わってきて感動を覚えた。
(同行者から偽善者と言われたけど(^^;)

ちなみにヒット率は案内を受けてバックヤードを見学させてもらった今回の場合のもの。

2007 8/20
もろもろ鑑賞、動物園
まろまろヒット率5

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