『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』 塩野七生著 新潮社 上中下巻 201101.21.12

渡邊義弘@去年11月の東北行脚でお手伝いした消息確認が新聞記事に取り上げられました。
(『夕刊三重』 2012年1月12日付 第1面)

さて、『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』塩野七生著(新潮社)上中下巻2011。

テオドシウス帝の死後、東西二つに分かれてゆくローマ帝国と諸民族の躍進、
西ローマ帝国の滅亡とその後のローマ世界の終焉までをえがく、
『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』に続くシリーズ第15段。
そして、この第15段が『ローマ人の物語』の完結編に当たる。

内容は、滅亡に向かうローマ帝国の顛末が詳細にえがかれていて、読んでいて辛くなる時もあった。
著者自身も・・・
「歴史には、進化する時代があれば退歩する時代もある。
そのすべてに交き合う覚悟がなければ、歴史を味わうことにはならいのではないか。
そして、「味わう」ことなしに、ほんとうの意味での「教訓を得る」こともできない」
(下巻 カバーの金貨について)
・・・と述べているように、なぜ滅んだか?ではなく、
どのように滅んだか?に重点が置かれてえがかれている。

中でも上巻の多くを占める西ローマ帝国の将軍、スティリコの姿が印象に残った。
ヴァンダル族の父を持ちながら「最後のローマ人」と呼ばれたスティリコの苦闘と、
その死によってタガが外れた西ゴート族によるローマ劫掠の様子は、衰亡の象徴のように思えた。

前巻の『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』では・・・
「ローマ帝国の滅亡とか、ローマ帝国の崩壊とかは、適切な表現ではないかと思い始めている。
(中略)ローマ帝国は溶解していった」
・・・と指摘されたローマ帝国の末路は、ローマらしさが失われ、消えてゆく過程でもある。
そんな中で、最後までローマ人として生きたスティリコの姿は強く印象に残った。

また、この『ローマ人の物語』文庫版は全43巻の表紙すべてに、その時代のローマのコインが掲載されている。
最終巻の43巻では、「コインで見るローマ帝国の変遷」として、それらを集めたカラーページが付けられている。
あらためて一覧化して見てみると、通貨の質の良し悪しはその国の状態を表す、ということがはっきりと分かるもので、
そのローマの興亡の過程が視覚的に追いかけることができるようになっている。

読書日記を振り返れば、『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』を読み終えた2002年10月2日から、
今回、この『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』を読み終える2012年1月22日まで、
僕もこの『ローマ人の物語』には約9年のお付き合いをしたことになる。
一つの文明の誕生から死までお付き合いしたことは、感無量な気持ちになった読書でもあった。

以下は、全巻へのリンク(☆は特に印象深い巻)・・・

『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』

『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』

『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』

『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』

『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』

『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』

『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』

『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』

『ローマ人の物語24,25,26 賢帝の世紀』

『ローマ人の物語27,28 すべての道はローマに通ず』

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』

『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』

ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』

『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』

『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』

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2012 1/22
歴史、政治
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『日本のもと 神さま』 中沢新一監修 講談社 201110.01.11

渡邊義弘@自分が提案したということもあって、最近は松阪市役所地下売店の松阪牛おにぎりを朝ごはんにしています。

さて、『日本のもと 神さま』中沢新一監修(講談社)2011。

日本人の精神の源泉にある「神」について、その概念の歴史的変遷と特徴を子供向けに解説した一冊。
信心とは、「なにか特別な存在を信じる心」という定義の下・・
・日本の信心の歴史をたどる「温故編」
・人類学者、中沢新一と対話する「知新編」
・日本の信心の可能性を示唆する「未来編」
・・・という三部構成になっている。

特に印象的だったのは、最後の「未来編」の中で針供養、付喪神、丸石神などを紹介しながら、
モノに気持ちや愛を込める行為が日本のアニミズムでの特徴であると指摘しているところだ。
日本語には「モノに命を吹き込む」という言葉にあるように、
その精神性がアニメ(語源もアニミズム)やものづくりに通じているとまとめられている。
ちょうど、この本の監修者である人類学者の中沢新一さんとは
大阪取材コーディネータをつとめて以来のご縁があることもあって、
このくだりは実際の肉声を聞いているような気持になった。

ちなみに、この本の欄外には4コマ漫画が散りばめられている。
親しみやすさを目的にしたものだと思うけれど、
内容と関連が薄いダジャレが多い上に、古い芸能人(横山やすし)を使うなど、
子供が読んで面白いと思えるのかどうか疑問に思ったのはご愛敬(w

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2011 10/1
宗教、文化、人類学、歴史
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『ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死』 稲泉連著 中央公論新社 200409.03.11

5年ぶり『大阪アースダイバー』の取材に同行した、渡邊義弘です。

さて、『ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死』稲泉連著(中央公論新社)2004。

『骨うたう』や『ぼくもいくさに征くのだけれど』で知られる詩人、竹内浩三の詩と、
縁のある人々へのインタビューを中心にしたノンフィクション。

印象的だったのは、インタビューは竹内浩三の生前に関係があった人だけでなく、
死後にその詩から影響を受けた人もインタビューしているところだ。
竹内浩三は23歳で戦死したということもあり、職業詩人ではなかったけれど、
その詩から影響を受けた人へのインタビューは竹内浩三の表現者としての迫力を感じさせられた。

竹内浩三の詩からは、もの分かりの悪い不器用さが感じられる。
著者自身も竹内浩三の詩について・・・
「『ぼくも征くのだけど』と迷い沈みつつ、『どうか人なみにいくさができますよう』と願う彼の言葉が、
とくに竹内浩三という人間の本質を表しているようで、強く胸を打つ。
そこには、胸を張って国のために戦おうとする凛々しさがなく、
世の中が認めた「普通」の価値観に自身を溶け込ませたいと願いながら、
心の奥底では自身の運命に打ち震えていた青年の姿がちらついている」
・・・と書いているように、割り切れないものを抱えながら流されていく自分を立ち止まらせる力があるのだろう。

また、竹内浩三が詩人として発掘されるきっかけとなったのが、松阪市の戦没者手紙集『ふるさとの風や』ということ、
それが松阪市の発行する「広報まつさか」での呼びかけられたという経緯が詳細に紹介されているのが興味深かった。
もともとこの本は松阪市役所に勤務されている方からお貸しいただいたこともあり、
松阪の公共セクターにご縁がある人間としても熱を込めて読んだ一冊でもある。

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2011 9/3
ノンフィクション
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『メディアと日本人――変わりゆく日常』 橋元良明著 岩波書店 201108.26.11

まろまろ記10周年を機会にハンドルネームを「まろまろ」から「渡邊義弘」に変更しました☆

さて、『メディアと日本人――変わりゆく日常』 橋元良明著 岩波書店 2011

「少年凶悪犯罪は低下し続けているが、テレビの視聴時間が長い人は少年が凶暴化していると認識している」、
「読書離れ、テレビ離れ、などの言葉は、どの調査からも確認できない」・・・など、
実際の調査によって日本人のメディア利用実態を明らかにしようとする一冊。

中でも、インターネット利用によって、社交的な人はどんどん社交的になり、内向的な人はどんどん内向的になる、
という「ネット利用のマタイの法則」は、アメリカでも日本でも見受けられるということ。
(有てる人は興へられていよいよ豊かならん。然れど有たぬ人は、その有てる物をも取らるべし)
フレーミング(炎上)の原因は、社会的手がかりの欠如と非言語的シグナルによる補正がききにくいことで、
インターネットでは極端な方向に議論が流れる「リスキーシフト」が起こりやすいと指摘しているところに興味を持った。

また、メディアの盛衰の要となるのは、メディアの持つ「機能」が他で代替可能かどうかに注目して、
新聞とテレビはメディア企業によるニュース・情報の重要性の位置づけを簡単に推測することができるのに対して、
インターネットはその点が弱いので、まだ住み分けができていると分析しているところは納得した。
(ただし仕事の利用のための「機能」は代替可能なので、インターネットが劇的に伸びている)

ちなみに、僕は著者(東京大学大学院学際情報学府所属)の講義を受けたことがある。
この本の”はじめに”の中で、「メディア環境の変化、それによる生活の変容を語るには、
周辺観察記や業界の内輪話、思弁的評論では不十分であり、実証的データに裏付けられた議論が必要」
・・・と述べているところは、いつも口癖のようにしていたご本人の顔が思い浮かんで懐かしさを感じた。

以下はチェックした個所(一部要約含む)・・・

○メディア環境の変化、それによる生活の変容を語るには、周辺観察記や業界の内輪話、
思弁的評論では不十分であり、実証的データに裏付けられた議論が必要
<はじめに>

○ラジオの歴史的意義=
・ラジオは、空間の制約をとりはらって、電気的で二次的な「声の文化」(ウォルター・オング)を生んだ
・新聞が、リテラシー面でも、閲覧できる時間余裕の有無という面でも、
経済的あるいは教養的格差を拡大再生産する特性をもつメディアであるのに対し、
ラジオは基本的にダレでも重要できるところから、文化的格差を縮小する方向に作用した
・ラジオは標準語の普及にも多大に寄与した
<1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか>

○携帯電話の歴史的意義=
・携帯電話は、固定電話が我々にもたらした影響の一つの「空間の再配置・モザイク化」をさらに進めた
 →公共の場での携帯電話による通話に多くの人々が深いの念をいだくのは(中略)
  側にいる人が、こちらの見知らぬ異空間を持ちこみ、
  共有していた場から「私」を遮断してしまうという薄気味悪さを感じるから
・電話は「心理的隣人」を創出したと言われたが、携帯電話は「心理的同居人」を作り出した
<1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか>

○テレビの歴史的意義=
・ヒトが、その処理能力において圧倒的優位性を誇る視覚情報を、
日常的に十分にメディア上のコミュニケーションに載せることができるようになったのはテレビの登場以降
<1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか>

○インターネットの特性=
1:ヒトがコミュニケーションに駆使している聴覚、視覚的情報をほぼすべてやりとりできる
2:一方的でなく、双方向的に、かつ一対一でも一対多でも自由に享受でき、保存できる
3:公共的情報資源を利用するための国家等の制度の制限を受けない
4:既存メディアが膨大な資本力を必要とするのに対して、資本力を必要としない
→インターネットはメディア発展史上、文字の発明以降、最大級の社会的影響を与えるもの
→仕事に関する情報取得については、劇的にインターネットが他のメディアに取って代わりつつある
<1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか>

○「日本の情報行動調査」では1995年から2010年にかけ、読書時間、行為者率には全体的にほとんど減少傾向が見られない
→書籍がネットの影響をあまり受けていないのは、機能的にインターネットが代替し得ないから

○少年凶悪犯は、戦後ピークだった1960年の8212人から2008年の956人に8分の1以下に激減
→「最近の少年は凶暴化している」との認識は、実際の犯罪発生よりも、メディア報道に影響されるところが大きい
<3章 メディアの「悪影響」を考える>

○「ネット利用のマタイの法則」はアメリカでも日本でも成り立つ=
もともと社会的資源を有効に活用する人はインターネットのような新技術を活用して、
ますます獲得資源を拡大し、満足感も大きく、心理的にも豊かになっていく
→内向的で社会的資源をうまく活用してない人はその逆
=有てる人は興へられていよいよ豊かならん。然れど有たぬ人は、その有てる物をも取らるべし
(マタイによる福音書13章12節)
→インターネットの富者富裕化モデルは別名「マタイの法則」と呼んでいる
<3章 メディアの「悪影響」を考える>

○フレーミング(炎上)の原因
・社会的手がかりの欠如
・非言語的シグナルによる補正がききにくい
→極端な方向に議論が流れる「リスキーシフト」はインターネットで起こりやすい
<3章 メディアの「悪影響」を考える>

☆メディアの盛衰の要となるのは、メディアの持つ「機能」が、他で代替可能かどうか
→新聞は、記事の掲載で、テレビはニュースの放送順位で、
それぞれのメディア企業の重要性の位置づけを推測することができる
→ネット上では、今のところ、その判断を示唆してくれる鍵が限られている
<終章 メディアの未来にむけて>

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2011 8/26
情報・メディア、社会学
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「美山町自然文化村 河鹿荘 ばら風呂」 (露天風呂)06.26.11

同じ敷地にある美山町自然文化村薔薇園で栽培された薔薇を使った露天風呂で、6月~11月の土日祝限定。
薔薇の香りを感じながらつかれる贅沢なお風呂。

2011 6/26
ぷかぷかお風呂日記
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『自治体Webサイトはなぜ使いにくいのか?―“ユニバーサルメニュー”による電子自治体・電子政府の新しい情報発信』 安井秀行著 時事通信出版局 200904.13.11

ご縁があって4月から松阪市情報政策担当官に就任した、まろまろです。

さて、『自治体Webサイトはなぜ使いにくいのか?―“ユニバーサルメニュー”による電子自治体・電子政府の新しい情報発信』安井秀行著(時事通信出版局)2009。

地方自治体のWebサイトは使いにくいものが多い。
その原因と課題を整理し、ユニバーサル・メニュー(UN)を提唱する解説書。

中でも前半部分に当たる自治体サイトの問題と課題の解説が分かりやすい。
直接的な問題とその背景にある根本的な課題に分けて・・・

○直接的な問題
・知りたい情報が探せない
 →1:そもそも情報がない、2:情報はあるが探しにくい
・情報が理解できない
 →1:過不足が激しく理解できない、2:読ませる努力がない、3:リンクがない

○根本的な課題
・セキュリティ、手続き中心のサイト作り
・情報発信・申請主義中心
・広報と担当部署の組織的課題
・編集能力の欠如
・アクセシビリティ偏重のサイト作り

・・・と、整理されているのは理解しやすかった。
<第4章 自治体サイトの課題概観>

また、問題整理の中で自治体の申請主義的性格に注目して・・・

○申請主義の自治体側と、分かりにくく使いにくいために申請すらできないサイト利用者側の間に
大きな溝ができてしまっているのが、現在の自治体サイトの問題の本質的な課題

・・・と指摘している点も印象に残った。
<第3章 なぜ使いにくい自治体サイトが生まれるのか?>

本書が提唱するユニバーサル・メニュー(UN)については、まだ検討すべきものがあるとは思うものの・・・

○サイトには、持ち主である組織の課題や変革の可能性が内包されているから、
サイトを分析、改善していくことが組織そのものの変革を加速化していく

○自治体サイトの使いにくさに関する改善活動を行うことが、自治体サイトの組織変革につながる

・・・という理念には強く共鳴した一冊。

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2011 3/13
ウェブ・ユーザビリティ、情報・メディア、デザイン論、HP・ブログ本、実用書
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『半分の月がのぼる空』 橋本紡著、山本ケイジイラスト アスキー・メディアワークス 200301.30.11

松阪市民講座の「地域の魅力を発見発信講座-街歩き『てくてく松阪』を通した地域資料作りのすすめ-」の講師をつとめた、まろまろです。

さて、『半分の月がのぼる空』橋本紡著、山本ケイジイラスト(アスキー・メディアワークス)2003。

急性肝炎で入院した僕は、長期入院中の里香と出会う。
気が強くてわがままな里香だけど、時々思いつめたように外を見つめることがある。
里香が見つめる先には砲台山と呼ばれる山があった・・・

伊勢市を舞台に、病院で出会った高校生の二人の交流をえがくライトノベル。
ライトノベルと言ってもよくある荒唐無稽な話ではなく、入院中の人物を題材とする、いわゆるサナトリウム文学の流れをくんでいる。
内容も、すたれゆく伊勢市の町並みと里香の病気が重なりあって、漠然とした不安と哀愁を感じさせられるものとなっている。
中でも、第三話「砲台山へ至る道」の第一節の最後にある・・・
「そうして、僕たちは走りだした。たぶんー。終わりのある永遠に向かって。」
・・・という一文が印象的。

ちなみに、僕にとってはこの本が生まれて初めて通読したライトノベルとなる。
たまたま伊勢のまんぷく食堂をおとずれた時にこの本の存在を知り、今回読んでみることになった。

現代版サナトリウム文学としても、ご当地小説としても読むことができる一冊。

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2011 1/30
小説、ライトノベル
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『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』 塩野七生著 新潮社 上中下巻 201010.11.10

『文明が衰亡するとき』を読み直したくなった、まろまろです。

さて、『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』塩野七生著(新潮社)上中下巻2010。

大帝と呼ばれたコンスタンティヌス帝の死後の混乱から、コンスタンティウス帝による統治、
背教者と呼ばれたユリアヌス帝によるキリスト教化への抵抗と、テオドシウス帝のキリスト教国教化までをえがいた、
『ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』に続くシリーズ第14段。

読んでみると、ローマ帝国のキリスト教化という大きな時代の流れの中で、
多神教である本来のローマに戻そうと抵抗するユリアヌス帝の苦闘と挫折が印象的。

多神教だったローマが一神教であるキリスト教に飲みこまれていく中で、著者は・・・
「ローマには建国の初めから専業の祭司階級が存在しなかったが、
それは、多神教徒であるローマ人の精神に忠実であったまでなのだ。
そしてこれこそが、ローマ人の文明の真髄なのである」
・・・として、ローマ文明の本質部分が変化したのだと断定している。

そして・・・
「ローマ帝国の滅亡とか、ローマ帝国の崩壊とかは、適切な表現ではないかと思い始めている。
(中略)ローマ帝国は溶解していった」
・・・として、この物語の第1段、『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』』のはじまりで投げかけた、
「なぜローマが滅んだのか?」という問いに対して、一応の答えをつけている。

それれだけに、ローマ文明のキリスト教化に最後に抵抗したユリアヌス帝と、知識人のシンマクスのもの哀しさが読後感として残った。
そして、ローマ人の物語も残りあと一つ。

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2010 10/11
歴史、政治、宗教
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『城のある町にて』 梶井基次郎著 筑摩書房『梶井基次郎全集』より 198608.31.10

松阪市ホームページ検討委員会の委員長に就任した、まろまろです。

さて、『城のある町にて』梶井基次郎著(筑摩書房『梶井基次郎全集』より)1986。

主人公は、結核の療養のため、城のある町に滞在する。
そこで暮らす日々の中で、幼くして亡くした妹のことや自分の病気に思いを馳せながら、
城のある町に生きる人々と交流を持って行く・・・

・・・大正14年(1925年)発表の梶井基次郎の短編小説。
著者自身が前年に松阪に滞在した体験を題材にしている。
(城とは松阪城址のこと)

『檸檬』などに代表されるように、梶井基次郎と言えば淡々とした文体の中にある陰鬱さが特徴的だけど、
読んでみると、この作品では淡々とした文体の中にも明るさが感じられた。
特に・・・
「今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍を並べていた」
・・・という箇所での、城のある町(松阪)の風景描写が活き活きとしていたのが印象的。

今回、僕はご縁があって松阪に貢献する機会を得たけれど、
自分の社会貢献もこの短編のような明るさがあるものであってほしいと思って読み終えた一冊。

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2010 8/31
小説
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『浄蓮の滝』(名所旧跡)07.16.10

伊豆半島の中心付近、天城越えの途上にある日本を代表する滝。

観光地ではあるけれど、周辺には天然記念物のジョウレンシダ(ハイコモチシダ、学名:”Woodwardia unigemmata”)も群生していて、独特な雰囲気がある。
女郎蜘蛛伝説のような説話が産まれたことも納得できる空間になっていて、「この世には不思議なことなど何もないのだよ、関口君」(『絡新婦の理』)とつぶやいてしまいそうになる。
日本を代表する滝の一つ。

2010 7/16
もろもろ鑑賞、名所旧跡
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