Archive for the ‘社会学’





『社会学の根本問題―個人と社会』 ゲオルク・ジンメル著、清水幾太郎訳 岩波文庫 1979(原著1917)04.18.06

全くの偶然で日経新聞と日経マネーからのインタビュー依頼が重なった、らぶナベ@経済系には縁遠いだけに巡り合わせの奇遇を感じてます。

さて、『社会学の根本問題―個人と社会』ゲオルク・ジンメル著、清水幾太郎訳(岩波文庫)1979。
原題は“Grundfragen der Soziologie: Individuum und Gesellschaft” (1917)。

まだ社会学が学問として認められていなかった頃に、形成社会学を提唱した著者が書いた、社会学の本質を述べた一冊。
読んでみると社会学も科学なんだと弁明している第一章よりも、具体例として社交と芸術&遊戯との共通点を述べている第三章の方が面白く読めた。

以下はチェックした箇所・・・

☆すべて科学というものは、或る特定の概念に導かれて、諸現象の全体や体験的直接性から一つの系列乃至一つの側面を抽象するもの
<第1章 社会学の領域>

○存在しているものは、認識が到底直接に捕ら得ない統一体であり、私たちが事実内容と呼んでいるものは、或る一面的な範疇によって理解したもの
<第1章 社会学の領域>

☆芸術は、完全に生命から離れたもので、芸術に役立ち、芸術によって再び生産されるようなものだけを生命から取り出す
<第3章 社交(純粋社会学即ち形式社会学の一例)>

○(芸術と遊戯の)両者は、生命のリアリティから生まれながら、このリアリティに対して独立の国を成す諸形式を共有する
→両者の意味と本質とは、生命の目的や生命の実質から生まれた諸形式がそれらから身を解き放って、
諸形式それ自ら独立した運動の目的になり実質になり、あのリアリティのうちから、この新しい方向に従い得るもの、
諸形式の独自の生命のうちに現われ得るもののみを取り入れるという、この断乎たる回転のうちにある
<第3章 社交(純粋社会学即ち形式社会学の一例)>

○社交は、具体的な目的も内容も持たず、謂わば社交の瞬間そのものの外部にあるような結果を持たない(略)
それゆえ、この過程は、その条件においても、その成果においても、この過程に参加する人間だけに限られている
<第3章 社交(純粋社会学即ち形式社会学の一例)>

○社交というのは、すべての人間が平等であるかのように、同時に、すべての人間を特別に尊敬しているかのように、人々が「行う」ところの遊戯
→リアリティを全く離れた遊戯や芸術が嘘でないんおと同じように、社交も嘘ではない
<第3章 社交(純粋社会学即ち形式社会学の一例)>

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2006 4/18
社会学、学問一般
まろまろヒット率3
社会 図書

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『カリスマ―出会いのエロティシズム』 チャールズ・リンドホルム著、森下伸也訳 新曜社 199201.17.06

修二と彰の振り付けを練習中の、らぶナベです。

さて、『カリスマ―出会いのエロティシズム』 チャールズ・リンドホルム著、森下伸也訳 新曜社 1992

カリスマの研究書、めちゃ面白かった一冊!
内容は理論編(第2部)でカリスマ研究の歴史、各分野からのアプローチを押さえながら統合理論としてまとめ、
実例編(第3部)でカリスマとその信奉者たちの典型例を取り上げて、
結論(第4部)でカリスマとその信奉者たちとの相互作用は一体何なんなのか、その今日的な意味も含めて答えを出している。
理論の深さ、実例の迫力、結論の説得力、どれを取ってもカリスマの研究の決定版と言える本。

まず、すごいなと思ったのが膨大な先行研究を押さえていているところだ。
たとえば理論編では情念に焦点を当てた哲学者たちとしてヒュームやミル、ニーチェ(2章)、社会学としてのアプローチ、ウェーバー(ヴェーバー)とデュルケム(3章)、
催眠と群集心理学からのアプローチのメスマー、ル・ボン、タルド(4章)、精神分析学からのアプローチとしてのフロイト(5章)などの
カリスマ研究の背景やそれぞれのアプローチを総括しながら、
カリスマ的リーダーシップの病理性を強調する心理学的見解と、カリスマ的集団に積極的な価値を与える社会学的言説との対比をまとめて(6章)、
カリスマ精神の病いなのか、再社会化なのだろうかと問いの下で統合理論化(7章)をしている。

その次の実例編では典型的なカリスマとその信奉者たちの実例としてアドルフ・ヒトラーとナチ党(8章)、
チャールズ・マンソンとそのファミリー(9章)、ジム・ジョーンズと人民寺院(10章)を取り上げている。
著者は文化人類学出身なので、この実例編は本領発揮という感じでとても迫力があった。
ある人物がカリスマ的パーソナリティを持つことになってゆく過程、奴隷化しているのに自分は解放されていると思う信奉者たち、
そしてカリスマと信奉者の相互作用で生まれた集団のダイナミズムが展開し、崩壊していく様が克明にえがかれていて、
単純に生々しい読み物としても読み入ってしまった。
そしてシャーマニズムとの共通点を指摘しながら(11章)、結論につなげるという流れがとても綺麗。

結論(12章)では、現代のカリスマをよく指摘されるような芸能人やスポーツ選手にとどまるだけでなく、
カリスマ的な特徴を帯びた人間関係として、家族(観)とロマンティックな恋愛を挙げているのが面白い。
確かに実例編で出てきたカリスマとその信奉者たちは極端な事例かもしれないけど、
読みながらホストに入れ込む女性や、キャバクラ嬢に振り回される男性を思い起こしていただけに納得。
(実は自分自身の恋愛体験の中にも重ね合わさる面もあった(^^;)

人間関係がもたらす無我と交感の絶頂感(エクスタシー)は魅力的で、時には没頭してしまう。
コミュニケーションの快楽に耽溺する人の性向は決して特殊なものではなく、
人間の本質の一つなんだ、というこの本の主張は説得力があった。
(そこには集団のダイナミズムが生まれる源泉になる)

ちなみに、この本はインターネット普及以前に書かれたものだったので、
現在のネットコミュニティ内でのカリスマ出現に著者はどう思っているのか知りたかった。
また、理論編の第2部はけっこう面白いんだけど、理論的背景とかアプローチを退屈だと思う人は、
訳者が言っているように実例編の第3部から読んでも十分に面白く読めると思う。

以下はチェックした箇所(要約含む)・・・

○カリスマというものを理解するためには、カリスマ的人物の性格やそのカリスマ的魅力を個々の人間に受け容れやすくさせている諸属性を研究しなければならないばかりでなく、
同時に指導者と信奉者が相互作用をおこなっているカリスマ集団そのもののダイナミズムをも分析しなければならない
<第1章 序説>

○弱く空虚な人間は、服従することによって、ひとつのアイデンティティを、また力と意志という不可欠な幻想を手に入れることができる
→カリスマの信奉者たちは抑圧の中に解放されているという感覚を感じる (Hoffer 1951)
<第4章 催眠と群集心理>

☆自己の解体的幻想による同一化的経験こそが指導者に対する信奉者の愛、自我の境界が消失する超越的な愛の源泉
<第6章 カリスマは精神の病か、それとも再社会化か>

○心理学者たちが指導者に焦点をあて、彼らの障害をもったパーソナリティを強調しがちであるのに対し、
社会学者たちは指導者の性格についてほとんど論じることなく、信奉者や彼らを取り巻く環境に関心をもつ
→心理学が信奉者のうちに病理性を見ようとするのに対して、
社会学者は信奉者が普通の人間よりも深い心理学的な生涯を病んでいるわけではないことを証明することに関心をもっている
<第6章 カリスマは精神の病か、それとも再社会化か>

○カリスマに対しては大きく分けて二つのアプローチがある・・・
・精神分析学に由来するものでカリスマの感情的強烈さや超越的性格を認めはするが、それに対する価値判断を含み、指導者の個人的特長を過度に強調するもの
・社会学に由来するもので集団の重要性、共同体への参加が人々の願望の対象となりうることをよく認識しているが、
 しかし経験から情念を剥離させ、リーダーシップを閑却し、カリスマ的紐帯の根底にある無意識の衝動を軽視するもの
→どちらのアプローチもカリスマ的経験の一部を教えてくれるが全体ではない
<第6章 カリスマは精神の病か、それとも再社会化か>

☆自我がその価値を減ぜられ、アイデンティティの標識や対象とのきずなを剥奪されながら、それでもなお同時にすべての行為の唯一の正当化根拠とされるとき、
カリスマの啓示や帰依者の共同体的集団への没入によってあたえられる激しさや内的確実感は高度に魅力的
→このようにして高められた相互作用の形式は現実の社会構造に欠けている、交感の感情、エクスタシー的自己喪失、超越、信念をあたえる
<第7章 カリスマの統合理論>

☆カリスマ的な関わりへ導いていく諸条件について統合的図式・・・
・疎外された現代社会とナルシシズムの文化が結合して人々にカリスマへの没入を受容させやすくしている
・人格的アイデンティティを遮断することによって人々に自己喪失を用意させる思想改造
→いずれも人格的アイデンティティを脅かし、集団による個人の吸収を促進し、集団形成の指導者に対するエクスタシー的心酔を偏愛するように作用する、
 ある種の技法や社会状況がもつ人格解体的作用に対してまことに弱い存在として人間を描く
<第7章 カリスマの統合理論>

○ヒトラーという恐るべき事実に直面した歴史家や政治学者は、当然のことながら彼や彼の運動からその神秘的な要素を取りのぞこうとするから、
その結果として諸々の偶然の変数が結びつくことで彼に政権の掌握と維持が可能になったという事実を強調することになる
<第8章 「取り憑かれた従者」>

☆カリスマ集団の隠された目的は「成功」することではなく、経験することそれ自体
→だから外的脅威の圧力で集合体経験は強化される
<第8章 「取り憑かれた従者」>

○(ナチスのSS訓練は)極度の疲労と苦痛、そして屈辱は、男たちの過去とのきずなを切断し、いかなる自律感覚も腐食させる効果を発揮した
<第8章 「取り憑かれた従者」>

○社会変動が旧来のきずなを切断してしまったところはどこでも、補償としてのカリスマ運動を好む
<第9章 「愛こそわが裁き」>

○主観のうちに生じるエクスタシー的なトランスという変成状態の所有がシャーマニズムの中心
<第11章 「聖なるものの技術者」>

☆シャーマンの役割につくことは、現代においてカリスマとなることと同じく、アイデンティティ解体という初期局面から苦痛に満ちた自己再構成を経て、
他のもっと弱い魂たちを圧しつぶす潜在的な精霊をコントロールして顕在化させる能力をもった変身せる専門家としての再生へ向かう運動
<第11章 「聖なるものの技術者」>

☆カリスマ的啓示は、周縁に追いやられた集団を無視し抑圧してきた社会構造における弱き者の示威運動、反構造の契機、警告のコミュニタスとなる (Turner 1982)
→カリスマの形態は、いかなる社会にあっても、社会構造の中にそれがあらわれることで克服されなければなならい抑圧のタイプと程度を示す
<第11章 「聖なるものの技術者」>

○逸脱せる集団とその指導者に精神的な変調をきたした者というレッテルを貼ることと、彼らが実際に狂気に落ち込んでいくこととの間には明確な相関関係がある
<第11章 「聖なるものの技術者」>

☆今日におけるカリスマの過剰なあらわれは、交感を求める人間の根源的な欲求を社会システムが満たしえないでいることの反映
→カリスマとその集団は、その暗さによってわれわれ自身が置かれているディレンマの輪郭をくっきりと縁どる影
<第11章 「聖なるものの技術者」>

○非日常な無我の状態に到達することのできる一つの方法が、移ろいやすい気質をもったカリスマ的指導者という霊感喚起的な人物によって結合された集団に所属すること
<第12章 今日のカリスマ>

☆恋愛においては、カリスマにおいてと同じように、相手のうちへ自己を喪失することが縮小としてでなく、高揚、エクスタシー、自我の拡大として経験される (Chasseguet-Smigrel 1976)
→恋に落ちることは巨大な革命のエクスタシー感情と変革パターンを小規模で複製する集合運動の最も単純な形態 (Alberoni 1983)
→カリスマも恋愛も強烈な情動喚起的関係における自他の完全な同一化を要求するので同時並行することはできない
<第12章 今日のカリスマ>

☆カリスマとは、世俗的な世界の疎外と孤立の外部にあってそれと対立する根源的な超越の瞬間をもたらす直接的なエクスタシー経験
→無我と交感というモーメントは、われわれ人間の不可欠な条件の一部
→問題はそうしたモーメントがどのような形態をとるかということ
<第12章 今日のカリスマ>

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2006 1/17
カリスマ研究、社会学、心理学、社会心理学、文化人類学、宗教学、思想史、リーダーシップ論、政治学、組織論、コミュニティ論
まろまろヒット率5
心理学 キャリア

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『メディア・ビオトープ―メディアの生態系をデザインする』 水越伸著 紀伊国屋書店 200505.05.05

「ソーシャルネットワークとコミュニケーション手法の多様性」というシンポジウムに
パネリストとしてお呼ばれした、らぶナベ@ジャージな海賊が僕です。

さて、『メディア・ビオトープ―メディアの生態系をデザインする』水越伸著(紀伊国屋書店)2005。

生物の生息に適した小さな場所を作り、ネットワーク化させるビオトープ(biotope)を
メディア論の隠喩として応用させた「メディア・ビオトープ」を提唱する本。
文章と共に著者の手書きのスケッチや写真がワンセットになっている。

内容はメディアを「伝達」を軸にした矢印モデルでとらえるのではなく、
「共感」と「コミュニティ」を軸にしたドーム・モデルを基本にしている。
ビオトープの特徴となる小ささ、ネットワーク、キット化という点が
WEBサイトやSNSにも当てはまるのので自分の活動やSNSコミュニティを振り返りながら読んでみた。

中でもメディア・ビオトープを形作る要素として
「メディア実践」、「メディア・リテラシー」に加えて
「メディア遊び」を重視している点が興味深かった。
この三つの相互循環によってメディア・ビオトープが形成されるが、
中でもこの「メディア遊び」はその土壌部分に当たるとしている。
読んでいて不敵な知り合いのWEBマスターたちや
からかい好きのSNSネットワーカーたちが思わず目に浮かんでしまった(^^)

ちなみにこの本の趣旨のことは前々から聞いていたので、
早く出版してほしいと著者に会う度に言っていた。
ようやく念願の読書ができたけど、できれば僕の修士論文前に出してほしかった(>_< )

以下はチェックした箇所(一部要約&注目順)・・・

☆メディア・ビオトープを形作る三つの営み・・・
メディア実践(media practice)
   ↑ ↓
メディア・リテラシー(media literacy)
   ↑ ↓
メディア遊び(media play)
<メディア・ビオトープを形作る三つの営み>

☆メディア遊びは、体制化・硬直化したメディア社会のありようを突き崩す動き
<メディア・ビオトープを形作る三つの営み>

☆ドームを生み出すために必要な要素・・・
1:「出会い」=異なる領域にいながら同じ志の人々を求める
2:「対話」=自分に眠る他者をよみがえらせる
3:「表現・制作」=自明性を突き崩す
4:「可視化」=言語かできないものを言語化しないまま操作可能にする
<メディア・ビオトープを育む>

☆矢印モデルでのコミュニケーション=伝達、メディア=伝達手段
ドーム・モデルでのコミュニケーション=共感の営み、メディア=象徴
<メディア・コミュニティ・人間>

☆(メディアとコミュニティの関係)
メディアはコミュニティを生み出し、維持し、発展させる象徴媒体として働くが、
一方でコミュニティがメディアを支え、そのあり方を枠付ける母体だという、
循環的で、相互依存的な関係
<メディア・コミュニティ・人間>

○メディア研究とメディア業界は、二項対立の図式にかまけるなかで、
新しいメディア表現者の登場を予兆することができず、
さらにはその活動をより広い文脈のなかで位置づけることをせずにいる
<メディア・コミュニティ・人間>

○ビオトープの特徴=小ささ、ネットワーク、複合性、デザインの重視
メディア・ビオトープの特徴=小さなメディア、ネットワーク化、非2項対立、道具立て
<メディア・ビオトープ宣言>

○メディア・リテラシー=媒体素養(by呉翠珍)
<メディア・ビオトープを形作る三つの営み>

○硬直し、紋切り型になったメディア・リテラシーとは
メディア・プロパガンダに他ならない
<メディア・ビオトープを形作る三つの営み>

○メディア回廊作りに大切なこと・・・
1:バランスを取ることでアイデンティティを保つ
2:組織やグループを越えた一段上の次元でもメディアを作る

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2005 5/5
メディア・ビオトープ、メディア論、社会学
まろまろヒット率4
マスコミ キャリア

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『流言の社会学―形式社会学からの接近』 早川洋行著 青弓社ライブラリー 200202.21.05

民話や都市伝説の裏読みをするのが好きな、らぶナベ@妄想銀行社会部です。

さて、『流言の社会学―形式社会学からの接近』早川洋行著(青弓社ライブラリー)2002年初版。

各分野で研究されてきた流言を横断的に検証して、そのメカニズムの解明を試みる本。
流言や噂は情報化社会で重要になるキーワードだと感じることが多く、
前々からまとまったものを読んでみたいと思っていたので手に取った一冊。

読んでみると先行研究の参照も丁寧で手堅い概要書と言った感じだけど、
所々に著者の見解やキャラが垣間見れて楽しかったりもする。
構成の面でも各章の最後にまとめを入れる点や、この本の「種明かし」として
自分の方法論(主にジンメル社会学)を述べている点なども読みやすさを助けてくれた。
内容でも構成でも良書といえる一冊。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○流言は人びとの生活世界の範囲を顕在化させる指標

☆流言の定義=コミュニケーションの連鎖のなかで短期間に発生した、ほぼ同一内容の言説
→噂との違いはその波及規模(噂の氾濫が流言)

☆解決流言=当為命題含む、解釈流言=当為命題含まず
・自我包絡性&信用性&顕在性&真偽の確認可能性→解決流言>解釈流言
・発生しやすさ→解決流言<解釈流言

○流言=情報の流れにかかわる、流行=影響の流れにかかわる

○信言&違言&偽言=科学知、戯言=物語知
→流通の点で違言は流言になりにくい

☆流言の聞き手は「状況の真理性」(伝達内容)、「態度の誠実性」(発話者)、
「権威の正当性」(発話者&内容上の発話者)から真実を検証

☆流言の流通理由=「ニュース性」、「検証」、「同意欲求」、
         「自己解放」、「娯楽性」、「関係維持」、「作為」
→虚言は娯楽性&作為、正言or虚言は検証&自己解放&関係維持から生まれる

☆不安=対自的、飽き=即自的
→主体に緊張を強いるという点では同じ=流言の発生原因となる

☆「カタルシス原理」=民衆がみずから対自的に虚構の苦難を作り出すことでおこなう感情の浄化
→流言とは観客が同時に演者になることで感情浄化を果たす現象

☆流言の発生が、田舎<都市、大人<10代、に広まりやす理由
=「不安と飽きの心理」、「権威の弱体化」、「客観的世界の拡大」
→流言はさまよう心にとりつく

○他者否定型の解釈流言は話手と聞手の間でイン・グループを確認し相互の紐帯を強める

○情報化社会の流言は、収斂的に終息するより拡散的に終息する

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2005 2/21
流言・うわさ研究、情報・メディア、社会学
まろまろヒット率4
マスコミ キャリア

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『情報社会学序説―ラストモダンの時代を生きる』 公文俊平著 NTT出版 200401.26.05

「まろまろ」で商標登録が取れた、らぶナベ@商標登録第4827132号だす。

さて、『情報社会学序説―ラストモダンの時代を生きる』公文俊平著(NTT出版)2004年初版。
情報化による社会の変化を文明史的にとらえて、
著者が提唱する「情報社会・学」へつなげようとしている一冊。
「智民」、「智業」、「智場」などの著者独自の概念も盛り込まれていて、
これまでの著者の本のダイジェスト版とも言える。
『新ネットワーク思考』(バラバシ)と『スマートモブス』(ラインゴールド)に影響されたと
あとがきで書いているように、情報社会に関する基礎的な本のレビューとしてもまとまっている。

ただ、最後で付記されていた「情報社会の運営原則」がすごく面白いのに、
単なる箇条書きで深めてくれていなかったのは残念だった。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○三つの文化の構成要素(文化子)
・宗教文化=1:正統主義、2:目的主義、3:戒律主義
・近代文化=1:進歩主義、2:手段主義、3:自由主義
・智識文化=1:反進歩主義(存続志向)、2:反手段主義(目的重視)、3:反自由主義(規制重視)
<第二章 社会変化を捉える眼>

○情報化の駆動因=
1:エージェント化→個々の核主体が自分の頭脳の代りに演算力や判断力を持つ
エージェントを使って交流や共働の効率化を達成
2:共識化→各人が生み出す智識や情報を通識として通有したり、
不特定多数にも公開することが最初から予定し効率化をさらに達成する
<第二章 社会変化を捉える眼>

○公でも私でもない、共の原理に必要なもの=
1:協力の技術(評判、監視、制裁)の開発と活用を通じて共のシステムの円滑な運用
2:参加者相互間とシステムに対する信頼を確保する
<第四章 共の原理と領域>

○新しい時代の科学の曙といえる理論
60年代のCybernetics
70年代のCatastroph
80年代のChaos
90年代のComplexity
・・・は”C”で始まる
<第五章 情報社会の新しい秩序>

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2005 1/26
情報社会・学、情報・メディア、社会学
まろまろヒット率3
マスコミ キャリア

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『スマートモブス―“群がる”モバイル族の挑戦』 ハワード・ラインゴールド著、公文俊平&会津泉監訳 NTT出版 200311.23.04

かつて携帯電話でメールができるようになった時にそのインパクトをめぐって
携帯メールなんて面倒くさくて流行るわけないと言う否定的な人と企画会議で喧嘩したことがある、
らぶナベ@若気の至りと年寄りの至りですな(^^;

さて、『スマートモブス―“群がる”モバイル族の挑戦』
ハワード・ラインゴールド著、公文俊平&会津泉監訳(NTT出版)2003年初版。

携帯電話や無線LANなどのモバイル(ユビキタス)コミュニケーションがもたらしている
思想、文化、政治、経済への影響と、これからの未来像をえがこうとする一冊。

多くの人が携帯を持ち、モバイルコミュニケーションすることはどういう意味を持つんだろう?
たとえばフィリピンのエストラダ大統領を退陣に追い込んだ”People Power2″(2001)を支えたのが、
携帯電話のショートメッセージによるモバイルコミュニケーションだったし、
韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の誕生(2002)には携帯メールによる支援運動が重要な役割を果たした。
こんな巨大な力を生み出すこともあるモバイルコミュニケーションの光と影を丹念に紹介、考察している。
(タイトルの”MOBS”には”MOB”と”MOBILE”の両方の意味が込められている)

ちなみに著者は日本通ということもあって、この本の第一章は
渋谷のハチ公前で携帯メールする若者たちに注目することからスタートする。
「携帯電話が日本の世代間の力関係を変えるきっかけになった」という研究も紹介されていたが、
確かに各家庭に一台しか固定電話が無かった頃の十代の恋愛と、
各人に一台の携帯電話を持った後の十代の恋愛とではだいぶん違うのは実感できる。

この本は単なる現状の紹介だけでなく、その意味を探求しようとしているのが面白かった。
そういう姿勢もあるから副題は原題”The Next Social Revolution”の方が良かったと思う。
この邦題では単なるモバイル好きの人たちの話みたいなイメージで、もったいなく感じた。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○携帯電話が日本での世代間のパワーシフトの引きがねを引いた(Mizuko Ito, 2001)
→携帯電話は若者たちに詮索好きな家族と固定電話を共有することから解放し、
プライベートなコミュニケーションのための空間と社会的な行動の可能性を変える媒体を創出
<第一章 渋谷ハチ公前での啓示>

☆電話の第一の利点は、若者たちに社会的ネットワークにおける
帰属とステータスの誇示を可能にすることにある(Alex&Haper, 2001)
<第一章 渋谷ハチ公前での啓示>

○(その場の会話を中断した)電話しているときに見せる表情が
電話がかかってくる直前までにとっていた表情と違うという変貌行為は、
表情は人前では意識的に取り繕われるものだという事実をまず浮かび上がらせ、
それに続いて後で見せた表情は(場合によっては最初の表情も含めて)
虚偽のものではないかという気持ちを起こさせる
(Palen&Salzman&Youngs, 2001)
<第一章 渋谷ハチ公前での啓示>

☆「共通にプールされる資源」(CRP:Common Pool Resources)の管理にとって重要なもの=監視と制裁
→監視と制裁は単に罰するための手段としてだけではなく、
 他人も務めを果たしていることを保証してくれる手段として重要
→多くの人は他のほとんどの人が協力する限りは自分も協力しようと思う条件付きの協力者(Smith, 2001)
<第二章 協力の技術>

○メカトーフの法則が支配するところでは、相互行為が中心になる
GFNの法則が支配するところでは、共同して構築された価値(共同応答やゴシップ)が中心になる(Reed, 1999)
<第二章 協力の技術>

○放送は全国的な課題に関する論点を取り上げ、中核となる価値を定義する
→ブロガー(blogger)たちは異なる市民のためにそうした論点を再構築し、
すべての人の意見が聞かれる機会を確保しようとする(Vance, 2001)
<第五章 評判の進化>

☆評判システムが機能するための要件(Resnick, 2000)・・・
1:将来の取引を生み出すために、ペンネームであっても買い手と売り手のアイデンティティの永続
2:取引についてのフィードバックと解釈が、他の人が将来検討するために入手可能
3:人々は自分の決定の基礎を評判格付けに置くがゆえに、それに十分な注意を払う
<第五章 評判の進化>

○ネットワークは、ノードとリンクを含み、任意のあるリンクから他のリンクに情報を配信するために
可能な多数の経路を利用し、ガバナンスのフラットな階層構造と権力の分散を通じて自己規制されている
→ネットワークは部族、階層制、市場の次にくる最新の主要な社会組織形態(Arquilla&Ronfeldt, 2001)
<第七章 スマートモブス-モバイルな多人数のパワー>

☆社会的ネットワークが意味するのはスマートモブスの中のあらゆる個人が「ノード」であって、
他の個人に社会的な「リンク」(コミュニケーションチャンネルと社会的な絆)を持っているということ
(社会的ネットワーク分析の専門用語での単語を使用)
<第七章 スマートモブス-モバイルな多人数のパワー>

○個人間での協力の閾値に多様性があることが、
群衆の間に協力の突発的蔓延を引き起こす原因となりうる(Dana, 2000)
<第七章 スマートモブス-モバイルな多人数のパワー>

☆ゴフマンのいう「相互行為秩序」(複雑な言語的および非言語的なコミュニケーションが
個人の間でリアルタイムに交換される社会領域)とは、
まさしく個人の行為が群衆の行為の閾値に影響を与えうる領域
<第七章 スマートモブス-モバイルな多人数のパワー>

○グループ全員が誰が貢献し、ただ乗りし、あるいは制裁を受けているかを知ることが
評判システムと多対多コミュニケーションのメディアとが授けてくれる、
グループによる協力が持つ力を引き出すカギ
<第七章 スマートモブス-モバイルな多人数のパワー>

☆(ネットワークによる)場における存在/不存在のあいまいな次元は、
帰属意識の四つ(家族、国家、人種、場所)のひとつである、ある場所への再構築を意味する
→場所への帰属は自分のコミュニケーション・ネットワークへの帰属意識へと変容してしまった(Fortunati, 2000)
<第八章 常時作動の一望監視装置か、はたまた協力増幅機械か>

☆技法の主要な特徴=合理性、人工性、技術選択の自動性、自己増幅、一元論、普遍主義、自律性(Ellul, 1964)
→コンピュータ化された評判システムを通じて協力するコミュニティはこれらの基準に合致する
<第八章 常時作動の一望監視装置か、はたまた協力増幅機械か>

○新しい情報技術全般が、きわめてしばしば権力を分散した(しかし権力者は権力の分散に好意的でない)
→それゆえ現代のそれも含む歴史の動乱がある程度までもたらされるのだ(Wright, 1999)
<第八章 常時作動の一望監視装置か、はたまた協力増幅機械か>

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2004 11/23
情報・メディア、情報社会学、コミュニティ論
まろまろヒット率4
マスコミ キャリア

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『宗教社会学のすすめ』 井上順孝著 丸善ライブラリー 200202.18.04

ARS ELECTRONICAで今年から”digital communities“部門ができることに注目している、
らぶナベ@何か情報をお持ちのかたいらっしゃれば教えてくさいな。

さて、『宗教社会学のすすめ』井上順孝著(丸善ライブラリー)2002年初版。
「まるで宗教みたい」とか「教祖的な」とかいう台詞はごく自然に使っているけど、
それって一体どういうことなんだろうと思って手に取ってみた一冊。
著者は宗教情報リサーチセンター(RIRC)や「宗教と社会」学会の設立などに関わっていて
既存の分野にとらわれずに積極的な研究をしている人なので書いたものも読みやすい。

内容はわかりやすく書かれているけど、読み止めて考えさせられる箇所も多かった。
例えば境界線上のものや人、過程が宗教的に禁忌(タブー)とされることが多いのは、
「境界領域はそれぞれの人間社会が築いている区分原理からはずれている」ので
両方に「不安をもたらす」からだという(第三章)。
確かに境界線上(マージナル)なものはそうじゃない(メイン)人にとって
自分の存在を曖昧にしてしまう禁忌な存在なんだろう。
マージナルものが好きな僕としては納得した。
きっと両方の存在を揺らがせるから楽しいというのもあるんだろう(^^)

また、スティグマ→自己スティグマ化→カリスマ化というカリスマ生成過程は、
負のレッテルからスタートするという点やマージナルのタブー性を考えると
すごく興味深いものだと感じた(第三章)。
最近「雰囲気とカリスマってどう違うんだろう?」と考えていたところだったので
特に面白く思ってしまった。(ただいま雰囲気に注目中)

最後の方に書かれてあった「情報化とグローバル化のもとでは
宗教と宗教でないものとの境界領域が曖昧になる」(第五章)というのにも納得。
まろみあんの方々も僕が「まろまろですかー!?」っと言い始めたらやばいと思ってください(笑)

以下はチェックした箇所(一部要約含む)・・・

○通事的と共時的の違い=変動分析と過程分析
<序章 現代人にとっての宗教>

○「特定宗教」=明確な組織をもった宗教、
「拡散宗教」=人々が無意識のうちに身につけた宗教的な感覚・行動
<第一章 身の周りの宗教社会学>

○宗教への態度を問題とするときは、自覚的信仰か無自覚的宗教性を区別する必要がある
と同時に宗教に関する出来事を議論するときは、対象のスケールを明確にすべき
<第一章 身の周りの宗教社会学>

○パーソンズの社会システムAGIL図式
・適応(adaptation)=外的ー手段的
・目標達成(goal-attainment)=外的ー目的的
・統合(Integration)=内的ー目的的
・潜在パターンの維持(Latency, Pattern-maintenance)=内的、手段的
・・・制度化された宗教は”L”に当たる
<第三章 全体社会と宗教>

☆境界領域や境界過程が宗教的に禁忌(タブー)とされることが多いのは、
それぞれの人間社会が築いている区分原理からはずれていので不安をもたらすから
(E・リーチ、メアリー・ダグラス)
<第三章 全体社会と宗教>

☆カリスマの定義=「特定の事物ないし人物のみに宿り、
非日常的な能力をもたらす天与の資質」(ウェーバー)
<第四章 宗教組織はどう形成され、維持されるか>

☆カリスマの生成過程=スティグマ→自己スティグマ化→カリスマ化(W・リップ)
負のレッテルで自己同一性が不安定→レッテルをプラスの要素へ解釈して強力な自己同一性
→周囲から新たな価値観の体現者とされる
<第四章 宗教組織はどう形成され、維持されるか>

○シャーマンが霊につかれるパターン
=脱魂型(エクスタシー・タイプ)と憑依型(ポゼッション・タイプ)
→どちらもシャーマンは忘我(トランス)状態に陥る(エリアーデ)
<第四章 宗教組織はどう形成され、維持されるか>

○「脱コンテキスト化」=教祖の言葉のコンテクストが失われて言葉だけが金科玉条化すること
<第四章 宗教組織はどう形成され、維持されるか>

☆情報化とグローバル化のもとでは宗教と宗教でないものとの境界領域があいまいになる
<第五章 現代社会と宗教問題>

○原理主義も原点主義も、一部の聖職者たちに占有されていた時代の終焉と表裏
<第五章現代社会と宗教問題>

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2004 2/18
宗教社会学
まろまろヒット率4

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『コミュニケーション・入門―心の中からインターネットまで』 船津衛著 有斐閣アルマ 199611.10.03

最近になって公開している遺書がいろいろなところで取り上げられるようになった、
らぶナベ@この本風に言えば生死間コミュニケーション?(^^;

さて、『コミュニケーション・入門~心の中からインターネットまで~』
船津衛著(有斐閣アルマ)1996年初版。

コミュニケーション論についての議論を網羅的に紹介している一冊。
何となく感じてるコミュニケーション論への違和感を具体化させるために、
メルマガでこの分野の本を募集したときに紹介された本でもある。

読んでみると「うわさ」についての記述に一番の興味を持った。
曖昧な状況の中で状況を把握するために必要なものとしてうわさは発生する。
だから人々がうわさに基づいて行動するのはそのうわさを信じているからではなく、
それが必要だからだし、情報が多すぎても発生するというのは納得(第7章)。

でもやっぱり通して読んでみると全体的に何だか薄いような気がする。
これはメディア論などの本を読むときに感じる違和感にも似ている。
双方向とか強調しながら実は受信者中心で発信者への視点が弱いからだろうか?

ちなみに副題にインターネットが入っているけど、
初版が1996年ということもあって記述がすごく少ない。
(日本におけるインターネット元年が1995年)
やはりこの領域はすごいスピードで変化しているんだなぁ
っとあらためて感じたりもした。

以下はチェックした箇所(一部要約&関心が高い順)・・・

☆「うわさ」
=曖昧な状況に共に巻き込まれた人々が自分たちの知識を寄せ集めることによって
その状況についての有意味な解釈を行おうとするコミュニケーション(ジブタニ, 1985)
→うわさは単なる伝達ではなく人々が状況を規定する過程
→人々がうわさに基づいて行為するのはそれを信用しているからではなく、
それを必要としているから
<第7章 集団行動・社会運動のコミュニケーション>

☆うわさは変化していく状況に適応するために情報が必要であるにも関わらず、
制度的チャンネルが破壊されている場合に生み出される(ジブタニ, 1985)
→情報が多すぎる場合にも発生する
→新しい環境に対処する際に人々がよりいっそう適切な方法を
発達させていく過程に不可欠な要素
<第7章 集団行動・社会運動のコミュニケーション>

☆自己に対する他者の認識と評価についての想像、
それと関連する自己の感情から自我が成り立っている(クーリー, 1921)
→notワレ思うゆえにワレありbutワレワレ思うゆえにワレあり
<第2章 自我とコミュニケーション>

☆「自我は本質的に社会的」
=社会は自我に常に先行して存在し、自我は社会から生まれ、
そこにおける社会的経験と社会的活動の過程において生み出される(クーリー, 1921)
→役割取得(role-taking)を通じて具体的に形作られる
<第2章 自我とコミュニケーション>

☆マスコミは人々の「評価」や「影響」の点ではパーソナルなものにはかなわないが、
「認知」や「情報の流れ」の点では強い力を持っている(ドイッチマン&ダニエルソン)
<第8章 マス・コミュニケーション>

☆「コミュニケーション」
=2人以上の人間が意味を伝達し、その意味の伝達を通じて
互いに共通な意味を有するようになる過程
<第8章 マス・コミュニケーション>

☆「ネットワーク」
=固有の意思と主体性のあるユニットがそれぞれの自由意思で自発的に参加したまとまり
(金子, 1988)
<第5章 集団・組織のコミュニケーション>

○「自己表現」
=自分の気持ち、意志、意見、態度、思考、地位、身分などを他者に向かって表現すること
<第3章 人と人とのコミュニケーション>

○「意味の意識」
=他者の反応と自己の反応、さらにその間の関係を意識していること(ミード, 1973)
<第1章 人間のコミュニケーション>

○「意味のあるシンボル(significant symbol)」
=他者のうちに一定の反応を引き起こすと同時に、
それと同一の反応を自己のうちに引き起こすもの(ミード, 1973)
→これによって人々の共通の意味の世界(universe of discourse)が生まれる
→これは人間特有のもの
<第1章 人間のコミュニケーション>

○「創発的内省性(emergent reflexivity)」
=他者の態度を通じて自己の内面を省みて、
過去と未来を関連づけながら新たな世界を創造すること(ミード, 1973)
<第1章 人間のコミュニケーション>

○「自分自身との相互作用(self interaction)」
=人間は自我をもつ存在として物事や他者を対象化するのと同じく
自分自身を対象化して自分自身に向かって行為できるようになること
→人間は自分自身とコミュニケーションできる(ブルーマー, 1991)
<第1章 人間のコミュニケーション>

○社会規範、価値、理想に同調するときに真の自我を感じる「制度的自我」
               VS
そうしたものから解放されたときに真の自我を感じる「インパルシブな自我」
(その中にはさらにインパルス解放型とインティメート型がある)
<第2章 自我とコミュニケーション>

○「鏡に映った自我(looking-glass self)」
=人間の自我は他者を鏡として、鏡としての他者を通じて知ることができること
(クーリー, 1921)
<第2章 自我とコミュニケーション>

○役割コンフリクト=役割内(intra-role)コンフリクト&役割間(inter-role)コンフリクト
<第2章 自我とコミュニケーション>

○「役割距離」
=決められた役割期待とはズレる行為を行って、目的を達成してしまうこと
→他者の期待から相対的に自由で自律性があることを示す(ゴフマン, 1985)
<第3章 人と人とのコミュニケーション>

○「役割形成」
=既存の役割規定の枠を越えて新たな人間行為を展開すること(ターナー)
<第3章 人と人とのコミュニケーション>

○コミュニケーションの私化は結局は非私化をもたらし再社会化に進む
<第4章 電話コミュニケーション>

○「コミュニケーション合理的なもの」
=共通の状況規定のもとで相互の了解と合意が形づくられ、行為の調整がなされるもの
(ハーバーマス, 1986)
<第5章 集団・組織のコミュニケーション>

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2003 11/10
コミュニケーション論、社会学、社会心理学、心理学、教育学
まろまろヒット率3
心理学 キャリア

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『フィールドワーク-書を持って街へ出よう』 佐藤郁哉著 新曜社 199210.31.03

マリノフスキーっておちゃめさんと思っている、らぶナベだす。

さて、『フィールドワーク-書を持って街へ出よう』佐藤郁哉著(新曜社)1992年初版。
対象との間合い(距離感)について考えていたら佐倉助教授から「名著だよ」と紹介された本。
著者は暴走族(『暴走族のエスノグラフィ』)や現代演劇(『現代演劇のフィールドワーク』)
へのフィールドワーク研究をしたことで有名な人。

内容は文字通りフィールドワークの概要や考え方について紹介している。
だからといってフィールドワーク至上主義というわけではなく、
サーベイとの対比をしながらそれぞれの一長一短を分析して
それぞれを補い合うよう提言している。
対象との距離感や社会調査法についてのことだけでなく、
仮説や概念のとらえ方についても議論しているので
こうしたことを全般的に通して考えるきっかけになる。

読み終わってからインターンシップで企業現場に飛び込んだり、
産学協同事業に携わったときにこの本を読んでいればとちょっと思ってしまった。
まぁまだ生きてるんだし、次は使えるさ。(自作自演な慰め)

ちなみにこの本の「書を持って街へ出よう」という副題は気に入った。
僕の場合なら「箱庭を持って広場へ出よう」という感じだろうか(^^)

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○文化=知識・信仰・法律・風習、その他社会のメンバーとしての人間によって獲得された、
あらゆる能力や習慣を含む複合体の全体(エドワード・タイラー)
<カルチャー・ショック>

○フィールドワーク=文化的な子供時代の再現
→ただし子供のように白紙の状態からとは違い、
 既に身につけている自分の社会の文化を前提として
 調査地の文化を学んでいくのがフィールドワーカー
<カルチャー・ショック>

○「居心地の悪さ」を感じることこそ「文化」を知るための最良の方法
→フィールドワーカーは「プロの異人」
<カルチャー・ショック>

○エスノグラフィー=
 人類学者が異文化における日常生活を身近に観察し、記録し、
 それにみずから参加し、細部を丹念に記述しながら
 その文化についての話を書き上げる調査のプロセス(Marcus&Fischer, 1986)
→文学と科学の二つのジャンルにまたがる性格をもつ文章であり、
 また、そうした文章を作るための調査法でもある
<民族誌>

☆フィールドワークとサーベイ
・フィールドワーク→定性的(質的)調査=
 限られた範囲の対象について多様な事柄を調べられる
・サーベイ→定量的(量的)調査=
 広範囲の対象に限定された事柄を調べられる
→一般的にフィールドワーカーvsナンバークランチャーの対立と言われるものは
 この二つのアプローチの違いが原因
<アンケート・サーベイ>

☆サーベイとフィールドワークは対立する二つの方法ではなくて、
本来補い合うべきアプローチ(それぞれの違いは質的ではなく程度の問題)
<事例研究>
→派閥争いではなくトライアンギュレーション(マルチメソッド)でおこなうべき
<トライアンギュレーション>
→複数のモデルを使うのは目的地にたどり着くために何枚かの地図を使うプロセスと同じ
<モノグラフ>

☆信頼性と妥当性の区別が必要=その調査方法が信頼性があっても
 その事柄への妥当性があるとはいえない
<信頼性と妥当性>

○統計データの多くは過去におこなわれたサーベイという
 干渉的な調査結果であることを忘れてはいけない(Maier, 1991)
<トライアンギュレーション>

☆理論の検証(verification)=グランドセオリー(総合理論)と、
理論の発見(discovery)、理論の生成(generation)=グラウンディッド・セオリー
(データ密着型理論)を併用して、理論の生成と理論の検証の双方をめざすべき
<理論の検証と理論の生成>

☆恥知らずに折衷主義=
 その社会に含まれる矛盾や非一貫性をすぐ単純化や抽象化するのではなく、
 (抽象度が高いものはほとんど何でもいえてしまう危険がある)
 ひとつの方法だけではとらえられない事柄は別の方法を使うという姿勢
 (Suttles, 1976)
<恥知らずの折衷主義>

○操作主義(操作的定義の概念)=
操作の手続きで概念を定義することによって、客観化を目指すこと
 →限定概念(definitive concept)と批判される
これに対して感受概念(sensitizing concept)=
研究のはじめに大まかな方向性(問題を検証する手がかりとなる感受の方向)を示す概念
 →調査が進むにつれて概念規定そのものを練り上げていく柔軟性あり
<概念>

○仮説=すでにある程度わかっていることを土台にして、
 まだよく分かっていないことについて実際に調べて明らかにするための見通し
<仮説>

○外国語の翻訳と同じように、ある行為の意味を明らかにするためには、
 その行為が埋め込まれている社会生活の全体の文脈をあきらかにする必要がある
<分厚い記述>

○参与観察(participant observation)=
1:社会生活への参加、2:対象社会の生活の直接観察、
3:社会生活に関する聞き取り、4:文書資料や文物の収集と分析、
5:出来事や物事に関する感想や意味づけのついてのインタビュー
<参与観察>

○インフォーマントとは「客観性を失わないラポール」
(rapport combined with objectivity)が重要
 →ここにフィールドワーカーだけが明らかにできるものがある
<インフォーマント>

○遂行面での知と批評的理解の知とは同じ性質の能力や知識ではない(Ryle, 1949)
<第三の視点>

☆時期尚早のコーディングの誘惑=
 枠組みがあまり早い時期に固まるとその枠組みからはみ出した事柄は
 観測や資料収集できなくなるおそれがあること

・それを防ぐ方法=
1:一般理論や他のフィールドワーカーが書いた民族誌の内容とつきあわせて、
 調査の枠組みの位置づけを検討、確認する作業を怠らないこと
 (理論的な前提に関して視野を狭めないようにする)
2:調査項目に関する網羅的なチェック・リストを作る
 (調べる事柄にバラツキがないかを常にチェックする)
3:網羅的なフィールドノーツをつける
 (ある段階で出来た枠組みにとって都合の悪いデータも記録するように自分にしむける)
4:データの分類だけでなく配列を考える
 (一般的な基準で配列すれば都合の都合の善し悪しに関わらず一緒にリストアップ)
→現場が新しい発想を発見することができる宝庫だとしたら、
分類と配列はその宝庫の扉を開いて価値を何倍にも拡大するカギ
<分類と配列>

☆フィールドワーカーを調査の対象となる社会や文化を計る計測器にたとえれば、
日誌はその機械自体のコンディションをチェックするモニタリング装置
 →日記は自分の置かれた環境の状態を測るだけでなく、
 自分自身のフィールド体験による変容をとらえることができる装置
<フィールド日記・フィールド日誌>

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2003 10/31
学問一般、フィールドワーク、社会調査法、社会学、人類学
まろまろヒット率4

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『メディア・コミュニケーション論』 竹内郁郎・児島和人・橋元良明編著 北樹出版 2000(3版)09.20.03

TBS系列で再放送していた『愛なんていらねえよ、夏』にちょっと感動した、らぶナベです。

さて、『メディア・コミュニケーション論』竹内郁郎・児島和人・橋元良明編著
(北樹出版)2000年第3版。
コミュニケーション論の本を探していたらメディア論との関連で構成されている
この本を見つけたので読んでみることになった。

一章ごとに執筆者が違っていて全部で序章+15章とけっこうな分量だったけど、
内容は「薄いやん」っと思うような章もところどころあった。
おかげでメモを残した章がかなり偏っている(^^;
第7章の「マス・コミュニケーションと社会をめぐる理論の成果と展開」が
この本の一応の中心にはなるんだろう。

また、この本で扱うメディアは新聞、ラジオ、テレビなどの
既存のマスメディアが中心になっていて、ネットや携帯電話などの
新しいメディアへの記述が少なくてちょっと残念だった。

ただ、各章末にそれぞれ3冊ずつ、そのテーマに関係する参考図書を
執筆者のコメントつきで紹介してくれているのはテキストとして役立った。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

☆メディア・コミュニケーション研究の対象=人間・メディア・社会の相関の磁場、
入れ子状の関係のもとでの社会的相互作用としてのコミュニケーション
<序章 メディア・コミュニケーション論の生成>

○メディア変容で注目する点→
1:メディアにおける身体の根源性と基本性
2:新たな個別メディアの登場とメディア総体の自己変容
3:道具・機械メディアの独自の系
<序章 メディア・コミュニケーション論の生成>

○第一次集団(家族や企業組織など)ほど個別間の結合が強固ではなく、
大衆ほどには離散的でもない中間的結合体系=「集合体」(collectivity)
<序章 メディア・コミュニケーション論の生成>

☆メディアはそのメディア内容を離れてメディアそれ自体の独自の次元でも
リアリティ形成の力を一定の社会的文脈の中で発揮する
→メディア独自のリアリティ形成力=「メディウム性」
<序章 メディア・コミュニケーション論の生成>

○社会的格差の中にあるリテラシーを動員した実践が、
コミュニケーションという相互作用によって他者と共有するリアリティを
構成することを通じて、新たな自己、新たな他者との関係形成の一歩を築く
<序章 メディア・コミュニケーション論の生成>

○群集の特徴(Tarde,J.G.)=情動や集団的感情の模倣を通じての集団的一体感(コミュニオン)
<第1章 メディアとしての身体からグーテンベルクへ>

○文字の特性(Platon)=
1:書かれたものは客観的なモノと化して人工物となる、
2:書くことは記憶能力を衰退させる、
3:書かれたものは読み手に応答することはなく自らを弁護することもない
<第1章 メディアとしての身体からグーテンベルクへ>

○従来のメディアと電子メディアの相違点=
1:遠隔地間の情報伝達を瞬時に行える
2:同時に広範囲の人々に対する情報伝達ができる
3:電気信号によって多様な情報を蓄積、伝達することが可能
<第3章 メディアの今日的生成と諸形態>

○通信機器の普及の特徴=相手も同じ機器を持つ必要があるので
普及が十分ではない時期にはなかなか広まらないが、
普及がある一定数(クリティカル・マス)を超えると
逆にその機器を持っていないことに対して社会的圧力がかかる(吉井,1997)
<第6章 パーソナル・メディアとコミュニケーション行動>

☆ある年齢層の行動・意識を調査・分析する際の注意点=
1:「年齢層効果」(特定の年齢層であることの影響)、
2:「時代効果」(調査した時代の影響)、
3:「コーホート効果」(同時代に生まれた集団=コーホートが持つ特性の影響)
<第6章 パーソナル・メディアとコミュニケーション行動>

○メディアの公共性の基準(McQuail,1994)
=自由、平等、多様性、情報の質(客観性、均衡など)、社会的秩序と連携、分化的秩序
<第7章 マス・コミュニケーションと社会をめぐる理論の成果と展開>

○マス・コミュニケーションの社会的機能(ラザーフェルド&マートン,1960)
=1:地位付与の機能、2:社会規範の強化、麻薬的逆機能(潜在的機能)
<第7章 マス・コミュニケーションと社会をめぐる理論の成果と展開>

☆マス・コミュニケーションの社会的機能(ラスウェル,1960)
=1:環境の監視、2:環境への反応にあたっての社会の諸部分の調整、3:社会的遺産の世代的伝達
(国家単位で当てはめれば1:外交官、2:ジャーナリスト、3:教育者)
→ライト(Wright,C.R.,1960)はこれに4:娯楽の提供を追加
<第7章 マス・コミュニケーションと社会をめぐる理論の成果と展開>

○カルチュラル・スタディーズは第一段階では記号論や精神分析のアプローチを導入、
第二段階では社会的な主体としてのオーディエンスに焦点を合わせることで
その構造的な規定性を脱構築するという二重のパースペクティヴを有する
→メディアの基本的契機であるテクスト、テクノロジー、オーディエンスを
 それぞれ独立した変数とみなして議論を進めることは無い
<第9章 カルチュラル・スタディーズのメディア・コミュニケーション研究>

☆カルチュラル・スタディーズにとって重要なのは、
自由なテクスト解釈の主体としてのオーディエンスではなく(略)
様々な差別の文化政治学が葛藤と矛盾、せめぎあいを含みながら作動していく
政治の現場としてのオーディエンスの社会的身体である
<第9章 カルチュラル・スタディーズのメディア・コミュニケーション研究>

○メディアと日常生活を分離させてそれぞれの分野の科学性を追及するのではなく、
日常生活や郊外や都市、グローバルな空間システムの作用についての分析と
コミュニケーションについての分析を統合させる
→家庭には、想像される家庭(home)、社会関係の場の家族(family)、
 モラル・エコノミーの場の世帯(household)の三つの次元がある(Silverstone,1994)
<第9章 カルチュラル・スタディーズのメディア・コミュニケーション研究>

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2003 9/20
メディア論、コミュニケーション論、社会学、社会心理学
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マスコミ キャリア

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