Archive for the ‘宗教学’







『日本のもと 神さま』 中沢新一監修 講談社 201110.01.11

渡邊義弘@自分が提案したということもあって、最近は松阪市役所地下売店の松阪牛おにぎりを朝ごはんにしています。

さて、『日本のもと 神さま』中沢新一監修(講談社)2011。

日本人の精神の源泉にある「神」について、その概念の歴史的変遷と特徴を子供向けに解説した一冊。
信心とは、「なにか特別な存在を信じる心」という定義の下・・
・日本の信心の歴史をたどる「温故編」
・人類学者、中沢新一と対話する「知新編」
・日本の信心の可能性を示唆する「未来編」
・・・という三部構成になっている。

特に印象的だったのは、最後の「未来編」の中で針供養、付喪神、丸石神などを紹介しながら、
モノに気持ちや愛を込める行為が日本のアニミズムでの特徴であると指摘しているところだ。
日本語には「モノに命を吹き込む」という言葉にあるように、
その精神性がアニメ(語源もアニミズム)やものづくりに通じているとまとめられている。
ちょうど、この本の監修者である人類学者の中沢新一さんとは
大阪取材コーディネータをつとめて以来のご縁があることもあって、
このくだりは実際の肉声を聞いているような気持になった。

ちなみに、この本の欄外には4コマ漫画が散りばめられている。
親しみやすさを目的にしたものだと思うけれど、
内容と関連が薄いダジャレが多い上に、古い芸能人(横山やすし)を使うなど、
子供が読んで面白いと思えるのかどうか疑問に思ったのはご愛敬(w

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2011 10/1
宗教、文化、人類学、歴史
まろまろヒット率3

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『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』 塩野七生著 新潮社 上中下巻 201010.11.10

『文明が衰亡するとき』を読み直したくなった、まろまろです。

さて、『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』塩野七生著(新潮社)上中下巻2010。

大帝と呼ばれたコンスタンティヌス帝の死後の混乱から、コンスタンティウス帝による統治、
背教者と呼ばれたユリアヌス帝によるキリスト教化への抵抗と、テオドシウス帝のキリスト教国教化までをえがいた、
『ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』に続くシリーズ第14段。

読んでみると、ローマ帝国のキリスト教化という大きな時代の流れの中で、
多神教である本来のローマに戻そうと抵抗するユリアヌス帝の苦闘と挫折が印象的。

多神教だったローマが一神教であるキリスト教に飲みこまれていく中で、著者は・・・
「ローマには建国の初めから専業の祭司階級が存在しなかったが、
それは、多神教徒であるローマ人の精神に忠実であったまでなのだ。
そしてこれこそが、ローマ人の文明の真髄なのである」
・・・として、ローマ文明の本質部分が変化したのだと断定している。

そして・・・
「ローマ帝国の滅亡とか、ローマ帝国の崩壊とかは、適切な表現ではないかと思い始めている。
(中略)ローマ帝国は溶解していった」
・・・として、この物語の第1段、『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』』のはじまりで投げかけた、
「なぜローマが滅んだのか?」という問いに対して、一応の答えをつけている。

それれだけに、ローマ文明のキリスト教化に最後に抵抗したユリアヌス帝と、知識人のシンマクスのもの哀しさが読後感として残った。
そして、ローマ人の物語も残りあと一つ。

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2010 10/11
歴史、政治、宗教
まろまろヒット率3

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『神は妄想である』 リチャード・ドーキンス著、垂水雄二訳 早川書房 200705.18.09

新型インフルエンザの感染拡大の流れで今週一週間お休みになったので、まろまろ茶話会2009の準備をしはじめている、
まろまろ@一両日中にもこのまろまろメルマガで告知します(*^_^*)

さて、『神は妄想である』リチャード・ドーキンス著、垂水雄二訳(早川書房)2007。

『利己的な遺伝子』『盲目の時計職人』で知られる進化生物学者、リチャード・ドーキンスが神の存在と宗教の価値を否定する本。
原題もずばり“The God Delusion”

この本がすごいのは、科学的手法を使って神の存在を否定するだけでなく、神に救いを求めること自体を否定しているところだ。
たとえば、よく耳にする宗教心が道徳の指針になるという主張や、超自然的な存在に救いを求める人間の心理に対しても、
進化心理学の研究結果や実際の聖典の読解を通じて、道徳の指針としても心の寄り処としても宗教は不適格だと言い切っている。

科学的な証拠を積み重ねながらも、軽快な口調で論理展開していく手法は、まさにリチャード・ドーキンスらしいところ。
さらにこれまでの著書での知見を駆使しているので、この本はリチャード・ドーキンスの集大成とも言える。

それだけに、啓蒙書として書かれていることもあって、押し付けがましく感じる面もある。
たとえば、人間にはもともと隣人愛や道徳心が進化的に獲得されてるのに、あえて宗教に惹かれる原因を、
「飛んで火に入る夏の虫」と同じく進化的に獲得されたプログラムの誤作動だと言い切っているところ。
さらに超自然的なものに救いを求めることは、「くるぶしを挫いた瞬間に、誰か告訴できる相手がいないかと見まわす人間の幼児性と同じである」
と最終章で結論づけているところなどには、”You have so much smart than us, Prof. Dawkins.”と思わず突っ込みそうになった(w

ただ、イギリスの、しかも神学が発祥のオックスフォード大学の教授でありながらここまで言い切るのは勇気がいること。
それは、子供に対する宗教教育は精神虐待であることについて一章をさいているように、
宗教がもたらす流血や紛争の悲劇に対して、科学者の立場から真実を語ろうとしているからだというのは理解できる。
(日本の場合は”神”を”霊”に置き換えると分かりやすいかも)
現にドーキンスがこの本を書いたのは、9.11同時多発テロがきっかけになっている。

「科学は一般に、工学技術とはちがって、常識を侵害するものである」と言っているように、
常識と真実がぶつかった時は真実を取るというその姿勢には素直に感銘を受ける。
(確かに一般常識や社会常識を振りかざす人は、無知蒙昧で可能性の少ない人が多い)

そうした科学者としての迫力も含めて、まろまろヒット率5。

以下はチェックした箇所・・・

○もし< 神>という言葉によって、宇宙を支配する一連の物理法則を意味するのであれば、そのような神は明らかに存在する。
この神は情緒的な満足感を与えてくれるものではない。・・・重力の法則に祈ってもあまり意味がない(カール・セーガン)
<第1章 すこぶる宗教的な不信心者>

○私は要らぬ侮辱をするつもりはないが、宗教を扱うのに、ほかの事柄よりも手控えた扱いをして甘やかすつもりはない
<第1章 すこぶる宗教的な不信心者>

○ありえなさという問題に対する答として自然淘汰が有効であり、偶然と設計がはなから不適格であるのはなぜだろう?
その答は、自然淘汰が累積的な過程であり、これが、ありえなさという問題を小さな断片に分割するから、である
<第4章 ほとんど確実に神が存在しない理由>

○設計者仮説はただちに、その設計者を誰が設計したのかというさらに大きな問題を提起する
<第4章 ほとんど確実に神が存在しない理由>

○信仰者のほうが懐疑論者よりも幸福であるという事実は、酔っぱらいのほうが素面の人間よりも幸せだという以上の意味はない(ジョージ・バーナード・ショー)
<第5章 宗教の起源>

○生まれつきの二元論と生まれつきの目的論があいまって、適切な条件が与えられれば、私たちはたやすく宗教へ走ってしまう。
ちょうど、先の光コンパス反応がガをうっかりした「自殺」に追いやったように
<第5章 宗教の起源>

○ほかの誰か(子供の場合は両親、大人の場合は神)が、あなたの人生に意味と理由を与える責任があるという仮定には、どこか幼児的なものがある。
くるぶしを挫いた瞬間に、誰か告訴できる相手がいないかと見まわす人間の幼児性とまったく同じである
<第10章 大いに必要とされる断絶?>

☆科学は一般に、工学技術とはちがって、常識を侵害するものである
<第10章 大いに必要とされる断絶?>

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2009 5/18
宗教、科学、進化論、学問一般
まろまろヒット率5

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『孔子伝』 白川静著 中央公論新社 200301.11.08

まろまろ@今月は東京にいます(^_-)

さてさて、『孔子伝』白川静著(中央公論新社)2003。

儒教の開祖、孔子(孔丘、Confucius)について定評のある伝記。
中心におくにせよ、否定するにせよ、東アジアの社会と文化にとっては儒教は無視できない思想。
しかし、その思想の始祖である孔子は、ソクラテスと同じように実際には何も書き残していない。
この本は「哲人の事業が、ひとえにその人の言行によってのみ示されるとすれば、伝記こそ、その思想でなければならない」として、
後世の美化や粉飾を差し引いて(『論語』もかなり怪しい部分が多い)孔子の人生に迫ろうとする一冊。

読んでみると、孔子は巫女の非嫡出子であり、シャーマン的な側面の強い人物であったという仮説を打ち立てている。
また、孔子とその弟子たちも後世の美化された思想集団ではなく、反体制的な生々しいカルト教団だった可能性を示唆している。

特に興味を持ったのが、『論語』と『聖書』との共通点を指摘している部分だ。
ナザレのイエス(イエス・キリスト)も孔子も、聖人として美化されやすいけれど、実際はかなり人間くさかった可能性が高い。
そんな彼らの思想を受け継いだ『論語』も『聖書』も「敗北者のための思想」としているのは印象深い。

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2008 1/11
歴史、思想、宗教
まろまろヒット率3

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『図説 金枝篇』 サー・ジェームズ・ジョージ・フレーザー著、メアリー・ダグラス監修、サビーヌ・マコーマック編、内田昭一郎・吉岡晶子訳 東京書籍 199412.01.07

100年後くらいに今の占いやスピリチュアル、オーラなどのポピュラーさがどう評価されるのかちょっと興味がある、まろまろです。

さて、『図説 金枝篇』サー・ジェームズ・ジョージ・フレーザー著、メアリー・ダグラス監修、
サビーヌ・マコーマック編集、内田昭一郎・吉岡晶子訳(東京書籍)1994。

イタリアにあるネミの村には、森の王と呼ばれる祭司がいた。
その祭司の地位は、聖なる樹の枝(金枝)を折って現職の祭司を殺した逃亡奴隷だけが引き継ぐことができた。
なぜ聖なる樹の枝を折ることが必要だったのか?
なぜ祭司を殺すことが必要だったのか?

宿り木信仰や祭司殺し、王殺しの風習は世界中の”未開社会”(この本の用語)に共通して見られるものとして、
膨大な類似例を比較研究しながら人類に共通する思考パターンにアプローチする・・・

・・・人類学、民俗学、宗教学、神話学、魔術考察などの古典とされる本で、
原著”The Golden Bough”(1936)は全13巻、約1300000語にわたる超大作。
ただ、今となっては正確性に欠けるものや誤解のある部分も明らかになっているので、
そうしたものを省いて金枝編のエッセンスを抜き出してイラストや写真を加えて再編したものがこの本。
コンパクトに要約したといっても二段組みで約400ページもあったりする(^^;
去年の夏に一緒に仕事をした人からオススメされた本で、
フレーザーに対する批判とその反論も載せられているのでこの本の位置づけもわかるようになっているのが便利。

読んでみると、著者は「人間の思考法は呪術的→宗教的→科学的という変遷を経ている」と主張している。
そして「科学と呪術は、あらゆる事象の根底にある基本原則としての秩序を信じるという点で共通している」、
「呪術の根底にある秩序は、観念が生み出した秩序を、誤った類推で敷衍したものにすぎないが、
科学が自明の理とする秩序は、自然現象そのものを忍耐強く厳密に観察した結果」というスタンスで書かれている。

生々しい王殺しや生贄の風習の詳細な紹介と、その意味を解明しようとする内容は単純に読み物としておもしろい。
また、第6部で「身代わり」について詳しく書かれているのも興味深かった。
「自分の罪や苦悩を何かほかの存在に転化して代わりに背負ってもらえるというのは、未開人にとってはごくありふれた考え方」
という身代り思考は身代わりにされる方はたまったものじゃないし、
差別を生み出すものでもあるけれど、それは人間の自然な心理かもしれないと感じた。

また、フレーザーは19世紀の学者なので”未開社会”や”未開人”という言葉を頻繁使っているけれど、
占いや前世、霊やオーラ、スピリチュアルを信じる人の多い現代もそういう意味では”未開社会”ではあると感じた。
(それが人間の自然な観念かもしれない)

以下はその他でチェックした箇所(要約含む)・・・

○タブーを犯したら恐れていた厄災が必ず訪れるとすれば、そのタブーはもはやタブーではなく、道徳または常識の教えとなる
<第1部第3章 共感呪術>

☆共感呪術(共感の法則)-類感呪術(類似の法則)
           -感染呪術(接触の法則)
<第1部第3章 共感呪術>

☆呪術-理論的呪術(疑似科学としての呪術)
   -実践的呪術(疑似技術としての呪術)-肯定的呪術(魔法)
                    -否定的呪術(タブー)
<第1部第3章 共感呪術>

○厄除けの祭りの共通点
1:直接追放も間接追放も意図は同じ
2:決まった時期に行われる場合はたいてい間隔は1年
3:決まった時期に行われる場合はたいていその前後にハメをはずして騒ぐ時期がある
4:神格を持つ人間か動物を身代わりにする
<第6部第2章 身代わりについて>

○神が自然に死ぬのを待っていたら当然老いて衰弱していくので、その前に殺してしまうのは、
神の活力を若々しい力のみなぎったまま永遠にとどめようとする手段にすぎない
<第6部第4章 身代わりについて>

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2007 12/1
人類学、宗教
まろまろヒット率3

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『神話と意味』 クロード・レヴィ=ストロース著、大橋保夫訳 みすず書房 199609.05.07

「メーン」と「ディスる」がまわりで流行っている、まろまろです。

さて、『神話と意味』クロード・レヴィ=ストロース著、大橋保夫訳(みすず書房)1996。
(原題“Myth and Meaning”)

文化人類学者・思想家のレヴィ=ストロースによるCBC(Canadian Broadcasting Corporation;カナダ放送協会)ラジオ講話を元に書かれた一冊。
フランス語を母国語にする著者が「英語で説明するのは面倒なので、うんと単純化した」と述べているように、とても読みやすい。
訳者も「格好のいい聴かせどころを探す人はがっかりするだろう」と書いているほどで、代表作の『悲しき熱帯』とは比べものにならないほどの簡明さがある本。

文学的要素は無いけれど、その分、彼の構造主義アプローチのエッセンスがシンプルに語られているという点で入門書として最適な本だと思う。

以下はチェックした箇所(一部要約含む)・・・

☆構造主義的アプローチ=普遍なものの探求=外見上の相違の中に普遍の要素を求めるもの
<神話と科学の出会い>

○科学には二通りの方法がある=簡単にする還元主義的方法&関係に注目する構造主義的方法
<神話と科学の出会い>

☆「意味する」とは、ある種類の所与が別の言語に置きかえられる可能性
<神話と科学の出会い>

☆人類の知的業績を見わたすと、世界中どこでもその共通点は決まって何らかの秩序を導入すること
<神話と科学の出会い>

○神話的思考(野生の思考)の特徴=可能な限り最短の手段で宇宙の一般的理解に達することを目的
→一般的に加えて全的理解に達することも目的
<”未開”思考と”文明”心性>

○文字をもたない社会における神話の目的=未来が現在と過去に対してできる限り忠実であることの保証
<神話が歴史になるとき>

○神話と音楽の共通点・・・
・言語;音素○ 語○ 文○
・音楽:音素○ 語× 文○
・神話:音素× 語○ 文○
→音楽も神話もに言語から発したが、別々の方向に分かれて生長している
→神話は音楽の総譜と同じく一つの連続シークェンスとして理解することは不可能
<神話と音楽>

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2007 9/5
文化人類学、神話学、宗教、文化論
まろまろヒット率4

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『捨聖 一遍』 今井雅晴著 吉川弘文館 199901.22.07

まろまろ@各地で朝オフが盛んになってきています、ビバ!早起き!

さて、『捨聖 一遍』今井雅晴著(吉川弘文館)1999。

遊行と踊り念仏で有名な一遍の生涯を追った伝記。
最近、一遍がつくったとされる・・・
「こころより こころをえんと こころえて こころにまよふ こころなりけり」
・・・という歌を知り、この歌が妙に印象深かったので彼の人生も知りたいと思って手に取った一冊。

そもそも鎌倉仏教の開祖たちの中で、一遍の生涯はよくわからない部分が多い。
それは一遍が死ぬ直前に、自分の関連書籍を燃やしてしまったからだ。
この一点からも分かるように、こだわりを捨てることを掲げて「捨聖」と呼ばれた一遍の人生には独特のにおいがある。
彼の人生を読んでみると、「こころより こころをえんと・・・」の歌は、そんな一遍のにおいを感じるものとしてしっくり来た。

ただ、捨てるはずの遊行が結果的に時衆(後の時宗)を引き連れることになり、
自分自身が信徒の固執の対象になったことの苛立ちや悲しさが伝わってくる
晩年のエピソードは読んでいてちょっと切なくなった。

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2007 1/22
宗教、歴史、仏教
まろまろヒット率3
スピリチュアル

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『誰も知らない男 なぜイエスは世界一有名になったか』 ブルース・バートン著、小林保彦訳 日本経済新聞社 2005(改訳)01.12.07

気がついたらデート&恋愛ブログとして紹介されていた、まろまろ@「一人歩きしてこそのブランド」とか言いながらも皮肉を感じますな(^^;

さて、『誰も知らない男 なぜイエスは世界一有名になったか』ブルース・バートン著、小林保彦訳(日本経済新聞社)2005(改訳)。

キリスト教を創設した、ナザレのイエスの実像は信仰によって歪曲されている。
彼の実像は、神学がつくりだしたイメージの弱々しく清い聖人ではなく、
実際は力強く、社交的で、ユーモアとリーダーシップに満ちあふれ人物だった。
それは信仰に包まれたイエス像とはまったく違う、”誰も知らない男”なのだ・・・

広告代理店BDO(BBDO)の創業者による、イエスの再評価本。
原題は”The Man Nobody Knows: A Discovery of the Real Jesus” (1924)。
イエスを聖人としてでなく、世界一の広告名人ととらえて、
彼の宗教活動からビジネスのエッセンスを抽出しようとしている意欲作。

特に著者は広告ビジネスの第一人者なので、イエスの広告戦略分析に注目していて、聖書を広告の教科書だと評価しているのが面白い。
たとえば、著者はイエスの広告を1:「イエスは良い広告がニュースであることを知っていた」、
2:「イエスは説教によってではなく奉仕をすることで広告をした」という2点の特徴があることを指摘している。
また、イエスが得意とした例え話からも1:「文章は圧縮する」、2:「言葉は単純にする」、3:「誠実に語る」、
4:「繰り返し伝える」(評判は繰り返しである)という4点の広告理論を導き出している。

信仰心のあまり無い人間からするとごく普通のことかもしれないけど、この本を20世紀前半のアメリカで出した著者の挑戦がすごいなと感じた。

以下はその他のチェックした箇所・・・

○神学が、イエスは生まれながらにして全知全能だったと決めてしまったために、
その生涯が実に味気ないものになってしまった
<第一章 人の上に立つ者>

○重大な任務を負っている人間は、忙しさの中で実にうまく自分を介抱するものだ
→いつでも自分の時間を作り出せるということが、偉人の一つの条件なのかもしれない
<第三章 社交家イエス>

○今は市場の代わりに新聞や雑誌がある(略)記事欄は現代の往来である
<第五章 彼の広告>

○イエスのたとえ話は、広告の教科書どおり→冒頭の一文を読めばその光景が目に浮かぶ
<第五章 彼の広告>

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2007 1/12
宗教、歴史、キリスト教、ビジネス書
まろまろヒット率3
スピリチュアル

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『時代を変えた祖師たち―親鸞、道元から蓮如まで』 百瀬明治著 清流出版 199501.04.07

暮れに宿坊に泊まった流れで年始もお坊さん系の読書をした、まろまろ@でも信仰心はありません(^^;

さて、その『時代を変えた祖師たち―親鸞、道元から蓮如まで』百瀬明治著(清流出版)1995。

不安の混乱の時代に新たな生きる指針を創り出した祖師たちとして、
親鸞、道元、日蓮、一遍、蓮如の5人の軌跡を取り上げている一冊。

読んでみると、道元の孤高さと一遍の潔さが印象深かった。
どちらもその徹底ぶりに惹かれるものを感じた。

ただ、そもそもこのタイトルでなぜこの5人が選ばれたのか分からなかったし、
特に親鸞と蓮如の二人を書いていることに偏りも感じた本でもある。

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2007 1/4
歴史、宗教、仏教
まろまろヒット率2
スピリチュアル

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『名僧百言―智慧を浴びる』 百瀬明治著 祥伝社 200512.30.06

まろまろ@宿坊に泊まったのでお坊さん系の本を読み積んでます。

さて、『名僧百言―智慧を浴びる』百瀬明治著(祥伝社)2005。

宿坊に泊まるということで、持って行った名僧による名言集。
名僧・高僧たちも本質的に私たちと変わらない凡人だった→彼らが漏らした言葉には生きる智慧がある
・・・というこの本の姿勢にひかれて手に取った一冊。

行きの高速バスの中から読み始め、お風呂めぐりで乗った身延線の中などで読書、
ちょうど帰りの高速バスの中で読み終えることとなった。

読んでみると、名僧たちの言葉はそれぞれ迫力があって引き込まれるものもあった。
ただ、名言に対してその解釈は違うんじゃないかと思うようなところもあり(愚痴に聞こえる箇所も多かった)、
もっとその言葉が生まれた経緯や文脈に集中して解説してほしいと思った。

以下はチェックした箇所(印象深い順)・・・

☆こころよりこころをえんと意得(こころえ)て 心にまよふこころ成(なり)けり
一遍『一遍上人語録』

☆生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し
空海『秘蔵宝鑰』

○志しの至らざることは無常を思わざる故なり
道元『正法眼藏随聞記』

○道は人を弘め、人は道を弘む
最長『顕戒論』

○然れども、時至らずして、素意未だ果たさず 今、事の縁によりて年来の本意を遂げん事、頗る朝恩ともいふべし
法然『法然上人絵伝』

○災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 これはこれ災難をのがるる妙法にて候
良寛『書簡』

○よりて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと仰さふひき
親鸞『歎異抄』

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2006 12/30
名言集、宗教、仏教
まろまろヒット率3
スピリチュアル

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