Archive for the ‘心理学’







『コミュニケーション・入門―心の中からインターネットまで』 船津衛著 有斐閣アルマ 199611.10.03


最近になって公開している遺書がいろいろなところで取り上げられるようになった、
らぶナベ@この本風に言えば生死間コミュニケーション?(^^;

さて、『コミュニケーション・入門~心の中からインターネットまで~』
船津衛著(有斐閣アルマ)1996年初版。

コミュニケーション論についての議論を網羅的に紹介している一冊。
何となく感じてるコミュニケーション論への違和感を具体化させるために、
メルマガでこの分野の本を募集したときに紹介された本でもある。

読んでみると「うわさ」についての記述に一番の興味を持った。
曖昧な状況の中で状況を把握するために必要なものとしてうわさは発生する。
だから人々がうわさに基づいて行動するのはそのうわさを信じているからではなく、
それが必要だからだし、情報が多すぎても発生するというのは納得(第7章)。

でもやっぱり通して読んでみると全体的に何だか薄いような気がする。
これはメディア論などの本を読むときに感じる違和感にも似ている。
双方向とか強調しながら実は受信者中心で発信者への視点が弱いからだろうか?

ちなみに副題にインターネットが入っているけど、
初版が1996年ということもあって記述がすごく少ない。
(日本におけるインターネット元年が1995年)
やはりこの領域はすごいスピードで変化しているんだなぁ
っとあらためて感じたりもした。

以下はチェックした箇所(一部要約&関心が高い順)・・・

☆「うわさ」
=曖昧な状況に共に巻き込まれた人々が自分たちの知識を寄せ集めることによって
その状況についての有意味な解釈を行おうとするコミュニケーション(ジブタニ, 1985)
→うわさは単なる伝達ではなく人々が状況を規定する過程
→人々がうわさに基づいて行為するのはそれを信用しているからではなく、
それを必要としているから
<第7章 集団行動・社会運動のコミュニケーション>

☆うわさは変化していく状況に適応するために情報が必要であるにも関わらず、
制度的チャンネルが破壊されている場合に生み出される(ジブタニ, 1985)
→情報が多すぎる場合にも発生する
→新しい環境に対処する際に人々がよりいっそう適切な方法を
発達させていく過程に不可欠な要素
<第7章 集団行動・社会運動のコミュニケーション>

☆自己に対する他者の認識と評価についての想像、
それと関連する自己の感情から自我が成り立っている(クーリー, 1921)
→notワレ思うゆえにワレありbutワレワレ思うゆえにワレあり
<第2章 自我とコミュニケーション>

☆「自我は本質的に社会的」
=社会は自我に常に先行して存在し、自我は社会から生まれ、
そこにおける社会的経験と社会的活動の過程において生み出される(クーリー, 1921)
→役割取得(role-taking)を通じて具体的に形作られる
<第2章 自我とコミュニケーション>

☆マスコミは人々の「評価」や「影響」の点ではパーソナルなものにはかなわないが、
「認知」や「情報の流れ」の点では強い力を持っている(ドイッチマン&ダニエルソン)
<第8章 マス・コミュニケーション>

☆「コミュニケーション」
=2人以上の人間が意味を伝達し、その意味の伝達を通じて
互いに共通な意味を有するようになる過程
<第8章 マス・コミュニケーション>

☆「ネットワーク」
=固有の意思と主体性のあるユニットがそれぞれの自由意思で自発的に参加したまとまり
(金子, 1988)
<第5章 集団・組織のコミュニケーション>

○「自己表現」
=自分の気持ち、意志、意見、態度、思考、地位、身分などを他者に向かって表現すること
<第3章 人と人とのコミュニケーション>

○「意味の意識」
=他者の反応と自己の反応、さらにその間の関係を意識していること(ミード, 1973)
<第1章 人間のコミュニケーション>

○「意味のあるシンボル(significant symbol)」
=他者のうちに一定の反応を引き起こすと同時に、
それと同一の反応を自己のうちに引き起こすもの(ミード, 1973)
→これによって人々の共通の意味の世界(universe of discourse)が生まれる
→これは人間特有のもの
<第1章 人間のコミュニケーション>

○「創発的内省性(emergent reflexivity)」
=他者の態度を通じて自己の内面を省みて、
過去と未来を関連づけながら新たな世界を創造すること(ミード, 1973)
<第1章 人間のコミュニケーション>

○「自分自身との相互作用(self interaction)」
=人間は自我をもつ存在として物事や他者を対象化するのと同じく
自分自身を対象化して自分自身に向かって行為できるようになること
→人間は自分自身とコミュニケーションできる(ブルーマー, 1991)
<第1章 人間のコミュニケーション>

○社会規範、価値、理想に同調するときに真の自我を感じる「制度的自我」
               VS
そうしたものから解放されたときに真の自我を感じる「インパルシブな自我」
(その中にはさらにインパルス解放型とインティメート型がある)
<第2章 自我とコミュニケーション>

○「鏡に映った自我(looking-glass self)」
=人間の自我は他者を鏡として、鏡としての他者を通じて知ることができること
(クーリー, 1921)
<第2章 自我とコミュニケーション>

○役割コンフリクト=役割内(intra-role)コンフリクト&役割間(inter-role)コンフリクト
<第2章 自我とコミュニケーション>

○「役割距離」
=決められた役割期待とはズレる行為を行って、目的を達成してしまうこと
→他者の期待から相対的に自由で自律性があることを示す(ゴフマン, 1985)
<第3章 人と人とのコミュニケーション>

○「役割形成」
=既存の役割規定の枠を越えて新たな人間行為を展開すること(ターナー)
<第3章 人と人とのコミュニケーション>

○コミュニケーションの私化は結局は非私化をもたらし再社会化に進む
<第4章 電話コミュニケーション>

○「コミュニケーション合理的なもの」
=共通の状況規定のもとで相互の了解と合意が形づくられ、行為の調整がなされるもの
(ハーバーマス, 1986)
<第5章 集団・組織のコミュニケーション>

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2003 11/10
コミュニケーション論、社会学、社会心理学、心理学、教育学
まろまろヒット率3

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『箱庭療法入門』 河合隼雄編 誠信書房 200011.04.03


LOVENABE@a Sand-Player on the AGORA.

さて、『箱庭療法入門』河合隼雄編(誠信書房)2002年第31版。

HP活動と箱庭療法が似てるような気がしたので(まろまろコラム)読んでみた、
30年以上(初版1969年)使われ続けている箱庭療法の定番テキスト。
理論篇と事例篇(9例)から構成されている。

箱庭療法を「思考、感情、感覚、観念、記憶が不可解なほどにからみ合っている」
人の治療として「視覚だけでなく触覚のような感覚の要素」をもって、
「通常の治療に必要とされる解釈や転移なしに治療できる方法」として紹介している。
(第1章:技法とその発展過程)
特に子供に有効であるということを述べているが、
思考、感情、感覚、観念、記憶が複雑にからみ合っているのは
認知科学的に言っても子供に限ったことではないし、
現に事例でも32歳の成人男性(精神分裂症)への箱庭療法による治療を紹介している。

120点も収められている事例の箱庭をぱっと見ただけで伝わってくるものがあって、
確かに言葉では表現できない心情が表現されているというのが視覚的にも納得できる。
事例篇では治療が進んでいくにつれ箱庭の感じが徐々に変わっていくのが垣間見れて、
事例の最後で治療が完了した報告を読むのと同時に
最後の箱庭を見るとうるうる来そうになってしまったこともあった。

また、箱庭を作っている時には「それを見ている治療者の存在が大切」
(第3章:箱庭表現の諸相)という点や、
最初は雑然としていたものが回を追うごとにつれてだんだんとテーマ性や
その人なりの個性がはっきりしてくるところは(事例篇)、
HP(WEBサイト)にもすごく似ているように思えた。

以下は、その他でチェックした箇所(一部要約&重要と思われるもの順)・・・

☆治療的な面から見れば箱庭療法は遊戯療法と絵画療法の中間にある
→被治療者自身が創造の過程に自ら参加し、
結果の意味を直感的にしろ潜在的にしろ把握する度合いは他の投影法の場合より大
<第2章 理論的背景>

☆箱庭の空間配置について・・・
・左側はその人の内的世界・無意識世界、右側は外的世界・意識世界を示すことが多い
・すべてが一定方向に向いているときには、左向きは退行(regression)を、
 右向きは進行(progression)を示すことが多い
(ただしこれらは例外もあるので絶対ではない)
<第3章 箱庭表現の諸相>

☆箱庭の主題になりやすいテーマ・・・
(意識を無意識を含めた)全体性の象徴、全体性の中心としての自己(Self)、
二つの世界の統合、二つの世界の領域の反転、死と再生、領域の拡大、
渡河や出立(人格発展に立ち向かう姿勢を示す)、
行列や川の流れ・動物の行進(エネルギーの流れを表す)、
給油(エネルギーの供給を表すのでガソリンスタンドの模型は大切)、
勢力が均衡している戦闘場面(単なる攻撃性ではなく新しい発展を示す)、
蛇は劇的な変容を象徴する場合が多い、
(ただしこれらは例外もあるので絶対ではない)
<第3章 箱庭表現の諸相>

○まず大切なことは、作品をできるだけシリーズとして見ること
→箱庭の作品を見たとき、それに対して全体として受ける感じ、
印象のようなものを大切にしなければならない
<第3章 箱庭表現の諸相>

○(箱庭療法の有効性について)人間に自由を与えてその内的なものを深く掘り下げた
表現をさせる場合、何らかの制限を必要とする→自由と同時に適切な制限が必要
<第2章 理論的背景>

○箱庭は治療者と被治療者との人間関係を母胎として生み出された一つの表現
=心像(image)=意識と無意識・内界と外界の交錯するところに生じたものを、
視覚的な像として捉えたもの
→心像は具象性、直接性、集約性といった特徴をもっている
<第2章 理論的背景>

○(箱庭療法は)患者が言語を手段とすることなく
保護された場面における象徴体験によって治療が進んでいく(略)
象徴の意味する点を何ら解釈して患者に伝えなくても治療がなされることもある
<第2章 理論的背景>

○統合性=分離、粗雑、貧困、機械的、固定的な要素の少ないこと

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2003 11/4
心理学、臨床心理、箱庭療法
まろまろヒット率4

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『オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情』 R.H.フランク著、山岸俊男監訳 サイエンス社 199504.17.03


最近は屋号(?)で「まろまろさん」と呼ばれたりもする、らぶナベです。

さて、『オデッセウスの鎖ー適応プログラムとしての感情ー』
(原題”Passions within Reason-The Strategic Role of the Emotions-”)
R.H.フランク著、山岸俊男監訳(サイエンス社)1995年初版。
前に読んだ『マインドー認知科学入門』の中で「合理的思考プロセスでも感情は重要だ」
と述べられているところが一番面白かったと言うと佐倉助教授が貸してくれた一冊。

この本では自己利益追求(感情は合理的判断の邪魔)という経済学の前提条件を
感情の重要さに注目しながら修正しようとしている。
合理的自然人という考え方や利潤追求モデルは前々から批判を受けているけれど、
経済学者が経済学的アプローチから感情の重要性を考察している点が面白い。
(著者は経済学者だけど訳者は社会心理学者という点もユニーク)
だから自己利益追求モデルを否定しているわけではなく、
利益追求の意味と過程をもう一段階広くとらえようとしている。
読んでいるとちょっと無理っぽい展開だと感じる箇所もいくつかあるけれど
「その理論に反するデータを示されただけでは重要な理論は変わらない」から、
「事実により良く合致する代替理論が提出される必要がある」として
この本を書いている著者の姿勢はすごく好感が持てた。

以下はチェックした箇所の抜粋(一部要約)・・・

☆私は(略)感情が自己利益追求にうまく役立つと考えている。
 ただしその理由は、感情に駆られた行為が隠された利益を生み出すからではなく、
 合理的行動によっては解決できない重要な問題が存在しているからである。
 そういった問題の特徴は、自分に不利益な状況になっても行動を変えられないように、
 自分の行動をあらかじめ自分で縛りつけておかなくては解決できない点にある。
 →オデッセウスの故事に
<1章 自己利益を越えて>

☆「自己利益追求モデル」=人が常に効率良く自己利益を追求しようとする視点
 「コミットメント・モデル」=一見非合理な行動がコミットメント問題の解決に役立つ
               感情傾向だとする視点
<1章 自己利益を越えて>

○コミットメント問題は、後で自分の行動を変えられなくするよう、
 自分の行動をあらかじめ一定の方向に縛りつけておくと得になる場合に生じる。
 →誤魔化し、抑止、結婚など
<3章 道徳感情の理論>

☆道徳感情は報酬のメカニズムを微調整し、特定の状況で将来の報酬やペナルティに
 もっと敏感にさせるための荒削りな試みとして考えることができる。
<4章 評判>

○さまざまな不快感情を避けたいという欲求が、道徳行動を引き起こす主要な要因。
 (ケーガン)
<8章 道徳を身につける>

○愛について思慮深い人は、愛することができない。(ダグラス・イェーツ)
<10章 愛>

○判別フィルターがなければ、環境からもたらされる刺激はわれわれを圧倒してしまうだろう。
 脳は実際に意識されているよりもずっと多くの情報にアクセスしている、
 それらの情報の多くは意識されていないけれども、だからといって、
 感情や行動に何の影響も与えないわけではない。
<10章 愛>

○感情にもとづく行動はコストをともなっているように見えるが、
 そういった行動が必ずしも物質的に不利になるとは限らない。
<11章 人間の品位>

○全盛をきわめている理論は、その理論に反するデータを示されただけでは変わらない。
 事実により良く合致する代替理論が提出されてはじめて、
 既存の理論は本当の挑戦を受けることになる。(トーマス・クーン)
<12章 まとめ>

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2003 4/17
進化心理学、経済学、社会心理学
まろまろヒット率3

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『アフォーダンス―新しい認知の理論』 佐々木正人著 岩波科学ライブラリー12 199401.12.03


セブンイレブンで売っている「牛乳シャーベット」は
何気に美味しいと思う、らぶナベです。

さて、『アフォーダンス-新しい認知の理論』佐々木正人著
(岩波科学ライブラリー12)1994年初版。
初めて読んだアフォーダンス(生態心理学の基本概念)の本。
情報は環境から受ける刺激を脳で処理して意味のあるものへと作られるのではなく、
情報はその人をとりまく環境そのものの中にあるという考えを提唱した
ギブソンの研究過程を追いながらアフォーダンスの考え方を紹介している。
この本では視覚と触覚についての記述がメインになっているが、
著者も後半で述べているようにアフォーダンスは
言語や芸術などの他の分野へも応用されるものなので興味深かった。

特に知覚について「五感」のように個々の感覚器官に注目するのではなく
複数の知覚システムの束とみなす考えは新鮮だった。
確かにこれだと盲目の人が自由に歩けることが不思議じゃない。

また、変化の中にある不変を知覚することを重視する考え方(不変項)も面白かった。
なんだかよくわからない非現実的な芸術作品を観て、
なんだかうまく説明できないけどそこに現実的なものを感じたとき、
その作品の中に不変項があるのだという視点はちょっと楽しい(^^)
この不変項という考え方は前に読んだ『日本人と日本文化』
ドナルド・キーンが「矛盾を見ればその人が何を考えているのかわかる」と
言っていたことと何か通じるような気がする。

さらにこれは前提として述べられたことだけど、
「人は記憶を語るときに記憶と過去を表現するメディア(映像や文字)と混同しがち。
思い出されることはビデオに映っているような文字通りの過去じゃないし、
会話は文字に書き写された言葉とは違う」
という趣旨のことがエピローグに書かれてあった。
これは僕自身ときどき完全に忘れていることなのでハッとさせられた。

ちなみに著者とは院の説明会と二次試験の口頭試問
少しだけ言葉を交わしたことがある。(単に試験官だっただけだけどラッキー)
そのときは個性的だけど温和な印象を受けて好感が持てたのを覚えている。
この本の最後で「あせらなくてもいい。情報は環境に実在して、
お前が発見するのをいつまでも待っている」(あとがき)という
著者自身に向けられた言葉を発見したときに会った時の印象が思い返された。
これも不変項か?(^^)

以下は、チェックした箇所(一部要約)・・・

○「フレーム問題」=ある行為に関連することとしないことを
 効率的に見分けるにはどのようにすればよいのかという問題(主にAI領域)
<プロローグ なぜいまアフォーダンスなのか?>

○デカルトの「こころ」とは、感覚刺激を統合し、判断し、推論し、
 意味をつくりだすメカニズム(略)いわゆる「中枢」
 →環境からの入力が「点運動」のようなものであるという仮定が、
  知覚理論への「有能なこころ」の概念の導入を招いた
<プロローグ なぜいまアフォーダンスなのか?>

○「ゲシュタルト」=「感覚要素の総和以上のもの、総和とはことなったもの」
 (エーレンフェルス)
<1 ギブソンの歩み>

☆知覚者が対象の変化から見ているのは「形(form)」ではなく、
 対象そのもの、それのリアルな「姿(shape)」
 →姿は、形からではなく、それ自体は形をもたない「変形」から知覚される(略)
  知覚ににとっては「変化という次元」こそが問題
  (「変化」のなかに埋め込まれている「不変」の知覚)
<1 ギブソンの歩み>

☆ギブソンが捜し求めた「知覚の刺激」の本質=環境の中で、動き回って、
 何かを見ようとしている観察者がその全身の動きとともに発見するもの
<1 ギブソンの歩み>

☆「生態光学(エコロジカル・オプティックス)」=環境に充満している光=包囲光
 (ambient light)を視覚の基礎にすべきであるという考え
 →包囲光の「異質性」=「包囲光配列(ambient array)」」
<2 情報は光の中にある>

☆「不変項(インバリアント)」=変形から明らかになる不変なもの
 →見るということで観察者が行っていることは、
  包囲光配列から不変項をピックアップすることである
<2 情報は光の中にある>

○不変項=
 1:構造不変項→恒常的に保たれている性質を知覚すること
 2:変形不変項→生じている変化がどのような変化であるか特定すること
 →動くものが何であるか特定するのが構造不変項、
  その動きがどういうものであるのか特定するのが変形不変項
<2 情報は光の中にある>

☆環境に満ちているのは、「持続と変化」である
 →生態光学はそこが「情報に満ちた海」であることを示した
<3 エコロジカル・リアリズム>

☆生態学的認識論は、情報は人間の内部にではなく、人間の周囲にあると考える
 →私たちが認識のためにしていることは、
  自身を包囲している環境に情報を「探索」すること
<3 エコロジカル・リアリズム>

○「生態学的測定法(エコ・メトリクス)」=物理的絶対値ではなく
 生き物を基準にして表した値
<3 エコロジカル・リアリズム>

☆アフォーダンス=「動物との関係として定義される環境の性質」(ギブソン)
 =環境が動物に提供する「価値」
 =物理的な性質ではなく「動物にとっての環境の性質」
  →アフォーダンスが環境の中に実存することを強調するギブソンの理論
  =「エコロジカル・リアリズム(生態学的実存論)」
<3 エコロジカル・リアリズム>

○感覚器官をもとにした古典的分類「五感」は多様な知覚体験を説明できない(略)
 五は感覚器官の種類の数ではなく「環境への注意のモード」の種類と考えるべき
 =「基礎的定位づけシステム」「聴くシステム」、「触るシステム」、
  「味わいー嗅ぐシステム」、「視るシステム」
<4 知覚するシステム>

☆知覚システムの特徴
1:”複数の知覚システムの獲得する情報は
 「等価」であるので「冗長」であることが多い”
  →盲目の人が自由に移動できるのは神秘的なことではなく
  「視るシステム」以外でもピックアップ可能な情報を知覚しているから
2:”動きが固定されていない”
  →知覚システムの動作を洗練し、分化していくことが学習
  →「わざ」を可能にするのは知覚システムの束
<4 知覚するシステム>

☆ギブソニアン(ギブソンの後継者たち)の主張
 =「運動研究の単位を変えよう」
 →関節などの要素でなくマクロな「結合」を単位に
<5 共鳴・同調の原理>

○運動系は、身体の内部に閉じて組織化しているのではなく、
 環境の中の情報とも協応の関係を結び、
 知覚情報をもそのシステムの一部としている
<5 共鳴・同調の原理>

○「タウ(τ)」=行為の制御に利用されている視覚情報
 =「衝突・接触」のアフォーダンス
<5 共鳴・同調の原理>

○知覚と行為の協応を、ギブソニアンは「知覚と行為のカップリング」と呼ぶ
<5 共鳴・同調の原理>

☆画家が遠近法で描いた絵も、抽象画も、もしそれが私たちに
 何らかのリアリティーを伝えることができるならば、
 そこには知覚された不変項が記録されていると考えるべき
<エピローグ リアリティーのデザイン>

○「あせらなくてもいい。情報は環境に実在して、
 お前が発見するのをいつまでも待っている」
 (略)研究だって知覚行為の一種なんだから
<あとがき>

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2003 1/12
アフォーダンス、心理学、認知科学、情報関連
まろまろヒット率4

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『こころの処方箋』 河合隼雄著 新潮文庫 199807.07.02


らぶナベ@『姑獲鳥の夏』に続き今年二冊目のお勧め度サイコー本っす(^_-)

さて、その『こころの処方箋』河合隼雄著(新潮文庫)1998年初版。
いま日本でもっとも有名な心理学者・河合隼雄(現職は文化庁長官)の代表的著作。
臨床心理の現場にカウンセラーとして長年たずさわって来た経験をもとに、
人生の場面場面にふと出てくる気持ちに対して言葉の光を当てている。
心理学のバックボーンがある名言集といったところだろうか。

中でも面白いなぁっと思ったのは著者は初対面の人と接するときには、
「人の気持ちなんてわかるはずがない」と思って接するという点だ。
一見、当たり前のことのように思えるけど今まで自分は安易に
「この人は機嫌悪いな」とか「自分に良い感情を持っていないな」とか、
いろいろな判断(実は単なる先入観)を持って人と接したこともあったなと反省。

また、「己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、100%正しいことを言うだけで、
人の役に立とうとするのは虫がよすぎる」という言葉にはとても共感した。
近頃、何人かそういう人と接したことがあったので
自分は恥をかきたがらずだからといって努力も少ないのに
イイ気になりたがる人間への痛烈な批判はある意味で爽快でもあった。
(さすがNo.1カウンセラー(^_-))。

こうしたことだけでなく親と子、教師と生徒、上司と部下など
導く人と導かれる人との関係についての事例も多かった。
(こういう人間関係が一番トラブルが多いからかな?)
たとえば「自分の権力や権威を否定する人ほど自分を安定させるために
気づかないところで権威を振りかざしたり権力にしがみつくこともある。
・・・自分がどれほどの権力と権威を持っているかしっかり自覚し、
自身を高めることによって内的権威(これは誰にも奪われない)を高めるべき」
などというのは様々な人を見て漠然と感じていたことに形を与えてくれた気がする。
この本はいろんな意味で教育や助言の仕事にたずさわる人間は必読書じゃないだろうか?

・・・こう書くと何か教条主義的な感じがするけど、
終始やわらかい言葉で語られている上に関西のおっちゃんらしい
「まぁええがな」的な視点には思わず笑ってしまうところもある。
本来はこういう話は宗教が担うべきものなんだろうけど、
日常と宗教が遠い存在になりがちな今の日本では必要な本なんだろう。
末尾で谷川俊太郎が「河合さんは海千山千」と愛を込めて表現していたのは
実はそういう意味もあったのかなと感じた。

ちなみにこの本は“西行法師プレイ~出会い系サイトを歩く編~”で知り合った
高校生から薦められたのが実際に読むきっかけになった。
奇しくも七夕に読み終える自分の痛さに笑ってしまった。
(痛いものコレクター)

以下は、チェックした箇所(あえて順不同、☆は特に共鳴したもの)・・・

☆「うそはあんがい「まこと」を引き出してくれる力をもっている(略)
その「うそ」のなかに、何らかの”真実味”がこもっていることが必要で、
それをどうやって見つけ出してゆくかがポイント
17「うそからまことが出てくる」

☆権力を行使してその場をごまかしてしまうよりは、
後で自分なりに調べたりする方が労力が必要である。
このような労力を惜しまないことによって得た権威は、
自分の”身についた”ものとして、他人に奪われることがない(略)
自分は権力などに関心がないとか、大嫌いという人があんがい多い(しかし)
不安を解消するために、急に妙なところで権威者ぶろうとしたり、
権力にひそかにしがみついたりしている人は実は多いのである。
そんな面倒くさいことはやめにして、人間は自分の存在を支えるもののひとつとして、
内的権威が必要であることを認め、それをいかにして磨いてゆくかを考えた方が、
効果的であるし、近所迷惑も少ない
45「権力を棄てることによって内的権威が磨かれる」

☆(生徒や部下と同等だと言いたがる教師や上司が多いことについて)
権力を否定することよりも、まず自分がどれだけの権力を持っているかをはっきりと意識し、
それに見合うだけの孤独に耐える強さを持っているかを考えてみる方が意味が深い
46「権力の座は孤独を必要とする」

☆簡単に判断を下さず人の心というものはどんな動きをするのかわかるなずない
という態度で他人に接する(略)それまで見えなかったものが見えてくるし
一般の人々が思いもよらなかったことが生じてくる
1「人の心などわかるはずがない」

☆「ふたつよいことさてないものよ」とつぶやいて、全体の状況をよく見ると、
なるほどうまく出来ている、と微笑することまでゆかなくとも、
苦笑くらいして、無用の腹立ちをしなくてすむことが多い
2「ふたつよいことさてないものよ」

☆己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、100%正しいことを言うだけで、
人の役に立とうとするのは虫がよすぎる
3「100%正しい忠告はまず役に立たない」

☆自立ということを依存と反対である、と単純に考え、依存をなくしてゆくことによって
自立を達成しようとするのは、間違ったやり方である。
自立は十分な依存の裏打ちがあってこそ、そこから生まれでてくる(略)
自立ということは、依存を排除することではなく、必要な依存を受けいれ、
自分がどれほど依存しているのかを自覚し、感謝していることではないだろうか
22「自立は依存によって裏づけられている」

☆人に遅れをとることの悔しさや、誰もができることをできない辛さを味わったことによって、
弱い人の気持ちがよくわかるし死について生についていろいろ考え悩んだことが意味をもってくる
40「道草によってこそ”道”の味がわかる」

☆早すぎる知的理解は、人間が体験を味わう機会を奪ってしまう(略)
ある程度のことは知っていても、事が起こるとあわてふためき、
それでも知っていたことがじわっと役立ってきて収まりがつくという形になることが多い
53「”知る”ことによって二次災害を避ける」

☆私が大切にしているのは(略)「”私が”生きた」と言えるような人生をつくり出すこと
55「すべての人が創造性を持っている」

☆実際に、自分の根っこをぐらつかせずに、他人を理解しようとするのなど、甘すぎる
20「人間理解は命がけの仕事である」

☆(会社でトラブルがあって疲れ切って帰って来ると息子が万引きで捕まったことが発覚)
いい加減に説教しても、少しぐらい怒ってみても、80点では駄目、98点でも駄目
12「100点以外はダメなときがある」

☆どちらにしろ、ひとつの考え方を維持するために支払わねばならぬ
努力の質と量についての自覚がないかぎり、うまくはいかない
6「言いはじめたのなら話合いを続けよう」

☆理想は人生の航路を照らす灯台ではあるが、それに至るべき到達点ではない
9「灯台に近づきすぎると難破する」

☆何か仕事をしながら、やっぱりあの好きなことをしておけばよかったとか、
いやだなとか思っているときは、心のなかに生じる摩擦のためにエネルギーを消耗するもの
14「やりたいことは、まずやってみる」

☆(更生と悪化が極端に変化し続けてゆくことについてその人は)
われわれが依然と変わらぬ態度で接していることに助けられ、
もう一度、自分の生き方にういての検討をはじめられることになる
15「一番生じやすいのは180度の変化である」

☆その人が適切な感謝をする力があるかどうかは、相当に信頼できる尺度
35「強い者だけが感謝することができる」

☆われわれの人生は(略)「楽譜」を与えられているにしろ、
“演奏”の自由は各人にまかされており、演奏次第でその価値はまったく違ったものになる
30「同じ”運命”でも演奏次第で値段が違う」

三年も彼女にだまされていたなどと考えるのではなく、自分の心の中で活動し続けた
「優しく賢い女性」という絵姿は、自分にとって何を意味するのだろうと考えてみる
4「絵に描いた餅は餅より高価なことがある」

理解ある親が悪いのではなく理解あるふりをしている親が子供にとってはたまらない存在となる
5「”理解ある親”をもつ子はたまらない」

子どものためと思ってやっている”開発事業”が、自然破壊につながってゆく(略)
それをキャッチすることが、大人にとって非常に大切
8「心のなかの自然破壊を防ごう」

イライラは自分の何かー多くの場合、何かの欠点にかかわることーを見出すのを防ぐために、
相手に対する攻撃として出てくることが多い
10「イライラは見とおしのなさを示す」

「己を殺す」と言っても(略)自分を殺しきることなど出来たものではない(略)
半殺しの存在やらが、本人の気づかぬところで、急に動き出すこともある
11「己を殺して他人を殺す」

マジメな人は住んでいる世界を狭く限定して、そのなかでマジメにやっているので、
相手の世界まで心を開いて対話してゆく余裕がない(略)
マジメな人の無反省さは、鈍感や傲慢にさえ通じる(略)
笑いと言うものは、常に「開く」ことに通じるもの
13「マジメも休み休み言え」

ともかく、勝負を焦ることはない
16「心のなかの勝負は51対49のことが多い」

(説教はする方の欲求不満の形を変えた表出であることが多いことについて受ける側は)
説教している人の精神衛生のために御協力しているのだと思ってもう少し暖かい気持ちできける(略)
説教をしたくなった場合、その背後にどのような欲求不満がそんざいしているかを考えてみる
18「説教の効果はその長さと反比例する」

今まで仲良くやっていた夫婦が中年になって(略)離婚などというとこまで出て来そうになるのは、
多くの場合、協力から理解へと至る谷間にさしかかっているとき
19「男女は協力し合えても理解し合うことは難しい」

心のエネルギーの出し惜しみは、結果的に損につながることが多い
23「心の新鉱脈を掘り当てよう」

ノイローゼさえなかったら、あれもするこれもすると言っている人は、
本当はそれを避けるためにノイローゼになって、
それを嘆くことによって安定を保っている(という説もある)
28「文句を言っているうちが華である」

「ここは逃げる」と決めたとき、うろうろしないことが肝心
33「逃げるときはもの惜しみしない」

「どっぷり」体験をしようとする人は、恐怖を乗り越える体験をする点でも意味がある
34「どっぷりつかったものがほんとうに離れられる」

「昔はよかった」という論議は、それでは今何をすべきか、今何ができるか、
という点で極めて無力なことが多い
39「”昔はよかった”とは進歩についてゆけぬ人の言葉である」

いざというときは、思わずその(生地)傾向がでてくるにしろ、
やはり鍛えられているものの方が役に立つ
41「危機の際には生地が出てくる」

親の個性にふさわしい心のエネルギーの消費によって、子どもは親の愛を感じる
44「物が豊かになると子育てが難しくなる」

「羨ましい」という感情は、どの「方向」に自分にとっての可能性が向かっているかという
一種の方向指示盤としての役割をもって出現してきている
48「羨ましかったら何かやってみる」

沢山ある心配のなかで、特にその心配が自分に与えられることになった。
それも大きく考えてみると、人生の楽しみのうち
49「心配も苦しみも楽しみのうち」

何か精神的なことを言いたくなったり、言ったりしたときは、
自分が「精神」ということからズレていたり、逃げようとしたり、
それについてはっきりとわからなかったりしているときだということ
52「精神的なものが精神を覆い隠す」

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2002 7/7
心理学、名言集、エッセイ、教育学
まろまろヒット率5

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『不幸になりたがる人たち―自虐指向と破滅願望』 春日武彦著 文芸春秋 200012.29.00


これが今年38冊目に読み終えた本&20世紀最後に読んだ本になる、
らぶナベ@さぁ来い俺の世紀!(^_^)

さてさて、『不幸になりたがる人たち~自虐指向と破滅願望~』
春日武彦著(文芸春秋)2000年初版。
産婦人科医から精神科医に転向した著者によって書かれた
ちょっと奇妙に思える人々や不可解な事件についてのコレクション的な本。
思わず扇風機に指を入れてしまうとか運には限りがあると思いこんで
落ちている小銭を拾わなかったり幸運があっても不安に感じる人たちから
悲惨さの中に呆気なさや滑稽さを感じてしまう事件などについて
紹介しながら精神科医としての意見や感想を書いている。
人間が抱ちがきな不合理な思考や奇異なこだわりについて
正面から書かれているでの読んでいて楽しい。

確かに不幸だと思うことや絶望を感じることには独特の甘さがあり、
その快楽が忘れられずに中毒のようになってしまうことや
単なる不満や妬みなだけなのに自己正当化のために
責任を転化させることの快感は、ちゃんと「楽しみ」として認識しにくい。
この本はその認識しにくい快楽について書かれている点が興味深い。
さらに一歩踏み込んで自らのトラウマや人格形成状況さえも
自己正当化の言い訳に使う人々を紹介しているのも面白い。
ただし事例の紹介が伝聞推定に基づくものがほとんどなのは気になった。
(これは精神科医としての守秘義務から仕方ないかもしれないけど)
さらに妙に攻撃的というか冷ややかさを気取るところが鼻につく。
個人的にはあまりお友達にはなりたくない(^^;
また、人格障害と精神病とはまったく違うと主張しているがどうなのだろう?
その人そのものである人格障害と本来その人ではない精神病とは違うという
意見だったけれどちょっと納得できなかった。
(人格障害と精神病は重複することがあるので誤解を生むとも書いているけど)

以下、ちょっと面白いと思ったところ・・・
☆精神のアキレス腱は「こだわり・プライド・被害者意識」の三つだけ
→その中でも被害者意識は単なる不平や妬みをぶつける「敵」と
自分は優遇されるべきだという「特権」を求める点でたちが悪い
→被害者意識はアル中にとってのアルコールのように依存性がある・・・
つつましい幸せを得るよりもあえて被害者意識を堪能することを選ぶ人間は
世の中にはいくらでもいることを我々はしっておくべき

☆自分の気持ちを表現するぴったりくる言葉はないので近似値として言葉を
選んで我慢する→いつも我慢するのは耐えられないので既成の言葉に
感じ方や思考の方を微妙に迎合させていく←これが様々な不合理の原因

☆人間の価値観や物事の優先順位は「面倒」というキーワードによって
簡単に入れ替わっていく→面倒だからという理由で現状の不幸
に甘んじることはいくらでもある=億劫という心性こそが人間の行為を
不可解にしたり人生を不幸にする大きな要素のひとつ

☆(特異な事件と幼児体験や特殊な環境などとの因果関係について)
表面的な因果関係に拘ってしまい実際とはまったく別の物語が
周囲の人間によって勝手に作り上げられてしまうことが精神科領域の周辺では
しばしば起こる・・あたかも原因として映る出来事は実は契機でしかなく
潜在していた病状がそれによって顕在化したに過ぎないことが多い

☆催眠術は患者と医療者が共同作品としての物語を語ることが少なくない
→多重人格や記憶喪失、憑依といったものは確かに劇的だがこうした症状には
周囲へのアピールやブラフといった性格が強く付与されている
←本態は未熟な人格構造だからこそ示せる大胆な自己主張といった趣であり
心の深淵を覗き込むような根拠的な感触はない
(結局のところドラマティックなものがもたらす分かりやすさが
往々にして当事者同士の馴れ合いでしかないことが多い)

☆たとえ悲惨であったり不幸であろうとそれが具体的であればかえって
安心感につながる場合がある→曖昧であったり不確定であることは何よりも
人の心を不安に駆り立てるので何らかの具体的な事象に直面するほうが
心の負担が少ないと考える人は少なくない
→新興宗教などへの不可解な服従はこれが原因になることが多い

○神経症の人たちと話には運命に対して妙に理屈っぽいところと
呆れるばかりに詰めの甘いところが入り混じっていて
そのバランスの悪さこそが不幸を招いている原因のように感じられる
→心のバランスを失った人たちはある種の現実感を喪失しているので
奇矯なロジックがあたかも神託のように当人の行動を律する。
えてして精神の止んだ人々の言動は支離滅裂ではなく異様に論理的なだけ

○同じ偶然は繰り返さないという考えはいったん起きたことは
すぐには起きない→不幸を先取りして起こしてしまえば
もはや危険はなくなるといった奇想につながる

○(精神科にかかってくる自殺予告電話の対応について
ベテランとビギナーの差)=ベテランは特別な対応法など無いことを
最初から分かっているがビギナーはひょっとしたら何か特別なコツがあって
それを自分の不勉強や経験不足のために知らないのではないかと不安になる
→マスターしているべきところに空白が残っていると懸念している限りは
実力など発揮できない、勉強とは実際に使用する知識だけでなく
自信や覚悟やその根拠とおぼしきものを獲得するために行うのである

○過酷な人生を乗り切るために無意識のうちにいくつかの方策がある
=一つは運命などのように人間にとって不可解で不可抗力なものを受け入れて
納得するロジック、もう一つはひたすら現状維持を図り不幸を
慣れ親しんだものにして悩みや苦しみの輪郭を曖昧にすること、
さらにもう一つはこれ以上危険や不安と対立しないですむように
手っ取り早く小さな不幸を具体化させて
大きな不幸をやり過ごしてしまおうといった心の働き
→だから人間は気持ち悪いと思うか、それとも面白いと思うか
その捉え方の違いによって世の中のつらさは大きく違ってくるだろう

○説明が困難でしかも関心をそそってやまない事象に対する
アプローチの一つはコレクションの対象にすることである
←説明はできないけれどとにかく真実は手元にあるとして相対化を図る

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2000 12/29
心理学、教育学
まろまろヒット率4

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『秘密の心理』 小此木啓吾著 講談社現代新書 198611.18.00


懸賞で当てた図書券を『バガボンド』(講談社モーニングKC)購入に使った、
らぶナベ@先入観を捨てて読んでみると意外に面白いっすよ(^_^)

さて、『秘密の心理』小此木啓吾著(講談社現代新書)1986年初版。
精神科医が書いた秘密がもたらす作用をテーマにした本。
これは文句なしに面白い!(^o^)
精神医学のアプローチから秘密が与える人間関係への影響や
さらには社会構造までを視野に含めて書かれている。
症例による具体例だけでなく有名な映画や物語の中に潜む秘密の効果を
心理的作用の視点から分析しているので読んでいて楽しかったりする。
例えばこの著者によると『忠臣蔵』の面白さはどうやって秘密を全うしたかの
苦労話にあるし『勧進帳』は秘密を見逃すところが感動を与えてくれる。
松本清張の『天城越え』は思春期に誰もが体験する親や憧れの人に対する
原光景体験(幻滅や失望)と自律がテーマだとしている。
何となく納得(^^)
さらにこれ系の本によくあるような単なる分析に終わらずに、
現代を原光景(親や尊敬するものに対する幻滅)社会と定義して、
その病理性を騒ぎ立てるのではなく積極的な歴史的過程と捉えなおして、
不可知に耐える自我能力の必要性を提起している点は
単なる医学者の書いた心理本を越えている。
主張の善し悪しを別にしてもその挑戦的な姿勢はすばらしい。
薄い本だけど単純に面白さだけでいえば今年読んだ本の中で
1,2をあらそうくらいの本じゃないかな?

以下は重要だと思ったところから書き出したチェックポイント・・・
☆アンネ・フランクはキティさんという架空の人物を造りあげ、
この対象と対話するという形式で『アンネの日記』を書いた
→子供は親以外に秘密や親密さを共有する対象と出会い、
心の中でそれらとの関わりを通して親から自立した心の構造を形成する
→一歩誤ると親からも離れ、しかも新しい対象も発見できず、
人との関わりのよりどころを失って心の真空状態に落ち込むおそれがある
→親以外の親密な対象を持つことができるかどうかが発達心理上重要

☆恥の心理はその人物が心の中でどんな自己像を持とうとしているか
によって決まる面がある→本質的には自分に向けられた怒り

☆相手に誉めてもらうなどの形で自己愛を満たしたいという
受け身的な自己愛の満たし方が日本的な甘えの心理
→相手にどう思われるか、自分の自己像を受け入れてもらえるかどうかが
日本的な人間関係では最も重要なテーマとなる

☆人みしりは日本的な甘えや依存の心理と深く関わっている
→日本人が世間に対して自分のことを恥ずかしいと思うときの、
その世間とは全くの他人を意味しているわけではなく
むしろそれは顔みしりの集まった自分と一体の世間のことである
→こちらが優しい相手を期待するからこそ人みしりも起こる

☆公式な課題集団の情報伝達構造に十分な信頼をおかず、
非公式な憶測集団に自分を置いて情報を得ようとするのが日本的組織の特徴
→職場からすぐに帰らなかったり仕事の後にみんなで
飲んだりしなければならなくなるのはこのため
→米国の精神科医による日本人は同性愛的な気持ちが強いとの指摘

☆原光景体験を通して親に幻滅した子供はその幻滅と失意の克服を通して
やがては親との間に同等な人間同士としての対話的構造を作り上げていく、
現在の原光景社会はそのような社会的自我の発達と真の対話的構造を持った
情報交流可能なより成熟した社会への過渡的な一段階とみなすことができる、
このような積極的な歴史的意義を見失って現代の様々な原光景反応を
ただいたずらに病的な徴候とみなすことは集団幻想時代へ逆コースを
引き起こすおそれがある、それはタブーと抑圧の支配する隠蔽社会への逆戻り
→いま我々が身につけなければならないのは不可知に耐える自我能力である

・”secret”はラテン語”scereta”(分泌物)から来ている
→自分の分泌物を触れさせない距離感が他人との境界

・一杯飲みたくなる気持ちの中には秘密(分泌物)を共有する
一体感への渇望がある

・それまでタブー視していた家族についての不満や批判を
家族以外の人間に打ち明ける経験が自我の目覚めを体験するきっかけとなる
→精神分析やカウンセリングが発展したのは核家族化が進んで
個々の家族メンバーに対する家族の支配権が弱まったため

・子供の心の健全な発展には親は親、子供は子供という
世代境界の確立された秩序感覚が大切
→この世代境界はあらゆる組織にも存在する

・乳幼児期から子供は親に対して大便処理に関する嘘をつく
→フロイトによると自分の大便に対する執着が自己感覚の形成と
自律的な意思の成立につながっていくとされる

・サディズムとは相手の見せかけの強さ、尊厳、美しさなどの社会的、
人格的価値の背後にひそむ、弱さ、汚れ、醜さを暴く心理のこと
(その心理は強迫告白の心理と深層で深く関わっている)
→いじめ、家庭内暴力を引き起こす衝動がこれ

・原光景反応(幻滅など)が進むと自分自身が直接触れることのできる
狭い世界に退行したり現実を超えた神秘的な世界を頼りにするようになる

・人みしりは人に笑いものにされることを恐れる心理であり、
ユーモアは自分から笑いものになって結果として
他の人から笑いものにされることを防ぐ心理的技術

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2000 11/18
心理学、教育学、社会学
まろまろヒット率5

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『うその自己分析―虚感の時代を生きる』 折橋徹彦・杉田正樹著 日本評論書 199910.31.00


NHK総合でいま一番あつい番組、『プロジェクトX』
マニアのマニアによるマニアのための番組だと思えてならない、
らぶナベ@あの痛さが最高っす!

さて、『うその自己分析~虚感の時代を生きる~』
折橋徹彦・杉田正樹著(日本評論書)1999年初版。
社会心理学者(第1部)と哲学者(第2部)による嘘に関する共著。
嘘が良いとか悪いとかいう倫理観ではなくどうして嘘をついたのか、
その背景には何があるのかという科学的アプローチを持って
嘘と接する必要がある仕事をする予定なので読んでみた。
これは以前読んだ『人はなぜウソをつくのか』渋谷昌三著(河出書房新社)
1996初版を読んだ時と同じ動機からだが精神医学的な視点で書かれた
『人はなぜウソをつくのか』と違って、この本はエッセイ風になっている。
(自然科学と社会・人文科学との本質的な差でもあるのだろうけど)

特に哲学者が書いた第2部は純粋な読み物としてもとても面白く感じた。
例えば「世界一の美女はいたのか、それともいなかったのか」
というエピソードはドイツの捕虜収容所でフランス兵が
「この独房に世界一の美女がいることにしよう」というルールを決めて
活き活きと生活しているのに対して
捕虜収容所の所長がその世界一の美女を連行しようとし、
またフランス兵たちがそれに抵抗するというものだ。
世界一の美女なんていなかったに決まっているが、かといって
彼らを動かしていたのが世界一の美女であるのことも事実だ。
そしてこれこそが宗教や神や真理、社会原理だと言っている。
「意味は、意味であるが故に無意味である、と言える。なぜか。
ゲームがルールによって支えられているように、
意味が成り立つのは、それを支える広い意味での文法があるからだ・・・
意味は、最終的な文法がない以上、宙づりになっている、ということだ」
という風に結論づけているが妙に印象に残っている。
身近なエピソードだけでなく各哲学者の嘘に対する接し方を紹介するなど
哲学入門としてもすごく良い本ではないだろうかとも思った。
社会心理学の視点で書かれた第1部も面白かったがどうせ非科学的ならば
割り切って人文科学的なアプローチに徹したこの第2部の方が説得的だった。

基本的に僕は社会・人文科学的な心理学のアプローチには
どうも説得力が欠けると感じる傾向があるけれど
この本は読み物としても面白かったし、倫理的ではなく事実的として
嘘を考えるきっかけとして良い本だった。
けっこうお薦めかもしれない。

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2000 10/31
心理学、教育学、社会学、哲学
まろまろヒット率4

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『人はなぜウソをつくのか』 渋谷昌三著 河出書房新社 199602.04.00


らぶナベ@苦手なものランキングトップクラスのカラオケを克服中、
練習していると「紙ヒコーキ飛ばし過ぎ」と突っ込まれるっす(^^;

さて、『人はなぜウソをつくのか』渋谷昌三著(河出書房新社)1996初版。
去年は個人的にも何かとウソに苦労させられたし、
僕が選んだ進路も嘘と接していくことになるものなので
嘘についてちゃんと取り上げた本を一度は読んでみようと思い、
医科大学で教鞭を取る心理学者が書いたこの本を買って読んでみた。
実際に嘘は身近なものだが「ウソはいけない」と教義的に捉えるあまりに
意識して正面から嘘と向き合う事は少ないように思える。
この本の中でもっとも印象に残り有意義だと思えるのは・・・
「嘘はその人の置かれた立場を明確にする。
・・・相手を思いやるきっかけに」と著者が述べている点だ。
この本では発達心理学的側面から「なぜ人は嘘をおぼえていくのか」
という事も取り上げられているが、当人が嘘を憶えた事情や
うそをつく状況を冷静に受けとめれば一様に責めるのは良くないなと感じた。
また、この本は嘘にまつわる実験やアンケート結果を紹介しているのだが
その中に今までについた嘘とその結果についてのアンケート答案例・・・
「(女性)3歳くらいの時に死んだふりをした→そのまま放っておかれた」
・・・というのには不覚にも笑ってしまった(^^)
子供の嘘に対しては「許せるものに対しては大いに笑ってやり、
許せないものに対しては大いに怒るなどの柔軟な対応が必要」
・・・という風な事を書いていたがこれは大人にも当てはまるだろう。
そしてこの本では普段は経験的に分かっていることでも
心理学的にはどう説明していてどのような学説があるかの記述があり、
それがなかなかに興味深かった。
日常生活を捉える際の新しいフレームワークを得た感じがする。
薄っぺらい新書のわりにはなかなかに読む価値があった一冊(^_^)

以下、その他チェックした項目・・・
○嘘の定義・・・
「騙すことによってある目的を達成しようとする意識的な虚偽の発言」
(シュテルン)←つまり無意識についた嘘は嘘とは簡単には言い切れない

○ウソの分析は「嘘の意図」と「嘘の結果」を使って
立体的に分析する(ピーターソン)

○ヒステリーや意志薄弱性の人間にみられる虚言症は
事実に反しているにも関わらず事実であるように思いこんでいる
→ヒステリーの人間の自己顕示欲求=「喝采願望」

○「halo効果」=ある人の際立った特徴があると
その他の特徴がすべてその特徴に従属して評価されること

○生後10ヶ月でも寝たふりや聞こえないふりなどの嘘をつく
→自分以外の存在がわかると子供は嘘をつき始める(ごまかしをおぼえる)

○小さな子供ほど現実の出来事と空想との産物がつきにくい
→悪意とは言い切れないので頭ごなしに怒ってはいけない

○子供が意識して嘘をつくようになる時にモデルとなるのは
「嘘はいけない」と言っている親自身(エクマン)
→ごまかした態度を子供に見せたり「言うな」と嘘を強制したり
「人を育てる」として適応のための嘘をつく人間を育てている

○子供が親に初めて嘘をうまくついた時に
子供は絶対的だった親の束縛から自由になれる(ホイト)

○契約社会の西欧では嘘に代わりユーモアが発達し、
曖昧な日本においては嘘ではないとされる外交辞令が盛んになった

○女性には「ふりをする」などの対人摩擦から身を守ろうとする嘘が多い

○嘘の自白と同じく役割が期待される嘘を社会として紡ぎだしている
=「権力を背景に持つ一種の役割期待」(浜田)

○男性は相手とうまくやっていこうとしながら
常に相手より優位に立とうとするために嘘をつく
女性はとにかく相手との摩擦をさけようとする嘘をつく(実験結果より)

☆自己防衛のために嘘を守り通すのでやがてそれが身についてしまい
その人のパーソナリティを形成する→嘘が人格を形成する側面もある

☆「防衛規制」(フロイト)=人は強い不安を体験すると
パニックになるので自分に都合の良い解釈をして自己防衛する
→相手がどんなに怒ろうとも本人には問題意識が希薄なので
どうして相手が怒っているのかわからない
(つまりどんなに怒っても意味無いわけね(;_;))

○「甘いレモンの理論」=イソップ物語にある「すっぱい葡萄」を
応用させたもの、自分のやったことを過大評価させる合理化

☆不安から一時的に逃れる「逃避」には・・・
「空想への逃避」と「現実への逃避」がある
→現実への逃避には無益なこと(テレビを見まくる)、
有益なこと(仕事に打ち込む)の二つともあるが
どうせ逃避するならば「有益な現実への逃避」を心がけたいものだ

○被害者意識の強い人間は事実を曲げて他人のせいにする
「投射」という防衛機能を持っていることがある

○自分の気持ちと正反対の態度を示す=「反動形成」
→本音を隠すための嘘

○失敗した時のための口実をあらかじめ用意しておくこと
=”self handicaping”
→自己評価の低い人間ほどこの傾向が強い

○最初の判断が間違いだったことを認めると
自分の判断能力に問題があることになりプライドが傷つくので
当人の努力不足や運の悪さなど自分勝手な嘘の理由を築き上げる
→教師や指導者に多い

○人の記憶は残りやすいが場所の記憶は残りにくい
→名刺の余白に日時や場所、要件などのメモを入れたりすると有効

○計画的に過去の記憶を強調する質問をすると
その記憶が様々に加工されてよみがえることがあるので
記憶の内容が変わってしまうことがある→意識しない嘘

○強い不安にされされている人は他人と一緒にいたいと思う
=「親和欲求」(シャクター)
→長子、一人っ子に強い

○嘘を公開して自分をその状況に追い込む=”public commitment”
→本田宗一郎が成功した秘訣

○話すよりも書くことで嘘がつけなくなる傾向がある
→「わかった」という人に対して
「具体的に計画書を書いてきてくれ」と求めることによって
嘘や寝返りの防止につながる
(“public commitment”はプライドに訴えるもの)

○人がよく考えた上で判断できるのは
そうしようとする強い欲求と能力がある時だけに限られる
→機長症候群の温床

○誰もが了承できる事から頼んで本題を切り出す
“fit in the technique”(段階的説得法)の要点は
自分の行動に矛盾が生じてしまうことへの警戒を突く点

○絶対OKしそうもないことから要請出して譲歩案を切り出す
“shut the door in the face technique”(門前払い法)の要点は
譲歩のお返しという相手の義務感と印象を良くしたいという気持ち、
そして最初の案を拒絶した事への罪を補う気持ちを突く点

○嘘でも最高の条件を出してその承諾後に修正を求める
“low ball technique”(釣り球説得法)の要点は
一旦応じてしまうと深い関係ができてしまい
それを維持しようとする気持ちを突く点

○普段使うキーワードが入ればそれに反応してしまう
簡便法=「ヒューリステック」
→どんな要請でも「~ので」が入ると了承しやすくなるなど

○自動車ディーラーや不動産屋などがメインを値引きをして
オプションでその値引き分を取り返そうとするのは
「コントラストの原理」を利用している

○人は常に相手の期待に対してもっとも敏感に反応する(ローゼンソール)

○相手への感情が同時に相手から自分への感情と共鳴する=「好意の返報性」

○集団の中の真の権力者は地位が最も高い人間ではなく、
もっともよくまねをされる人間(デッカー)

○会議などで発言しなくても相手の動作をまねることで
相手と同じ意見であることを伝える=「同調ダンス」(シェフレン)は
似たものを愛する「類似性の原理」がその根幹
→自分と違うタイプの他人に接すると「自己不確定感の脅威」を受けるため

○不自然なまばたきが多いと嘘だったり自信が無かったりする可能性が高い
→弱点を知られないように自分のまなざしを隠そうとしている

○まばたきは情報処理中は抑えられ終了すると多くなる

☆自分の気持ちを発信する能力は「顔→手→足の順」だが
嘘やごまかしの手がかりは逆に「足→手→顔の順」に出る!
→顔には漏れにくいが首からしたには漏れやすい

○会話などでの嘘の徴候・・・
沈黙に敏捷に反応する、短く話そうとする、話に柔軟性が無くなる、
手を動かしたり隠そうとする、相手との距離(個人空間)を取ろうとする

○会話に集中する電話より直接会う方が騙しやすいことが判明している
→相手の手足に注目し後日電話で確認すると見抜きやすい

○聞き間違いも言い間違いも共に「錯誤行為」(フロイト)
→ど忘れは忘れたことにしたいという願望がある時が多い

○英語に見る嘘の種類・・・
lie,deception,cheat,fraud,fake,sham,swindle,charlatan,fib,trick

○女性は嘘を漏らすこと(符号化)が多いが
男性は嘘を見つけること(解読化能力)が低いので見破れない
→よくできたものだ

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2000 2/4
心理学、教育学
まろまろヒット率5

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『君主論』 マキアヴェッリ著、河島英昭訳 岩波文庫 199805.27.99


「チェキッ娘」の人数がわからなくて迫り来る年波を感じてしまう、
らぶナベ@そういえば「YURIMARI」の見分けもできないっす(^^;

さて、今回はけっこうな大著なのでいきなり本題をば・・・
『君主論』マキアヴェッリ著、河島英昭訳(岩波文庫)1998年第一版発行。
さとまん教授から「『君主論』にすごく良い新訳が出た」と聞いたので
いまさらながら読んでみようと思った古典の名著。
っというか一度はきっちりと精読しておかないといけないだろう本。
実際に新訳を読んでみるとそのそつの無さを感じた、一読の価値あり。
昔から様々な批判を浴びている本でありながら
いまだに読み継がれているという事実がこの本の価値を物語っているだろう。
ちなみにさとまん教授とT教授によると政策科学部生にとって
本質的な点でもっとも重要なものはこの本に出てくる、
「virtu」(この訳者は「力量」と訳している)らしい。

さて、内容の方はこの本自体が古い時代の古典だということに加えて
著者のマキアヴェッリ自身もダンテの『新曲』の影響を受けまくっていて
よくわからない比喩や回りくどい言い方をして書いているので
理解に苦しむ箇所がかなりある。
それに対して訳者は様々な資料を洗い直して
原典(主にカゼッラ版)への独自の考察を元に新訳をしている。

特に訳者の見解としてこの本の構成を・・・
『君主論』
前半<君主政体論>
(その一)第一章ー第十一章
(その二)第十二章ー第十四章
後半<君主論>
(その一)第十五章ー第二十三章
(その二)第二十四章ー第二十六章
・・・と前半と後半に分類しているのは非常に興味深い。

以下の「○」はチェックした項目、
「☆」は特に重要であると思われた箇所・・・

第三章:複合の君主政体について
○「戦争を避けるために混乱を放置してはならない」

第四章:アレクサンドロスに征服されたダレイオス王国で、
アレクサンドロスの死後にも、その後継者たちに対して
反乱が起きなかったのは、なぜか
○「(君主政体の違いについて)一つはひとりの君主と
他はすべてが下僕である者たちによって治められる方法・・・
いま一つはひとりの君主と封建諸侯たちによって治められる方法」

第五章:征服される以前に、固有の法によって暮らしていた
都市や君主政体を、どのようにして統治すべきか
○「獲得された諸政体が、固有の法によって自由に生活するのに
慣れてきたものであるときには、支配を維持するための方法は三つある。
第一は、これらを壊滅させること。第二は、みずからそこへ移り住むこと。
第三は、固有の法によって暮らすのを認めながらも、
内部にあなたと密接な関係を保つ寡頭政権を確立し、
租税を取り立てること。」

第六章:自己の軍備と力量で獲得した新しい君主政体について
☆「新制度の導入者は旧制度の恩恵に浴していたすべての人びとを
敵にまわさねばならない。・・・そして新制度によって恩恵を受けるはずの
すべての人びとは生温い味方にすぎない・・・この生温さが出てくる原因は、
一つには旧来の法を握っている対立者たちへの恐怖心のためであり、
いまひとつには確かな形をとって経験が目のまえに姿を見せないかぎり、
新しい実態を真実のものとは信じられない、人間の猜疑心のためである。」
              ↓
☆「したがって、これら改革の側に付く者たちが自分の力で立っているのか、
それとも他者の力に依存しているのかを、
すなわち自分たちの事業の遂行にさいして、彼らが祈っているだけなのか、
それとも実力を行使できるのか、仔細に検討しておかなければならない。」

○「ここから生まれてきた事実によれば、軍備ある予言者はみな勝利したが、
軍備無き予言者は滅びてきた。・・・人民は本性において変わりやすいので、
彼らを一つのことを説得するのは容易だが、
彼らを説得した状態に留めておくことは困難であるから。」

第九章:市民による君主政体について
○「賢明な君主は、いついかなる状態のなかでも、
自分の市民たちが政権と彼のことを必要とするための方法を、
考えておかねばならない。
そうすれば、つねに、彼に対して彼らは忠実でありつづけるだろう。」

第十二章:軍隊にはどれほどの種類があるのか、また傭兵隊について
○「すべての政体が・・・持つべき土台の基本とは、
良き法律と良き軍隊である。」

第十四章:軍隊のために君主は何をなすべきか
○「精神の訓練に関しては、君主は歴史書を読まねばならない。
そしてその内に卓越した人物たちの行動を熟慮し、
戦争のなかでどのような方策を採ったかを見抜き、
彼らの勝因と敗因とを精査して、
後者を回避し前者を模倣できるように勤めねばならない。」

第十五章:人間が、とりわけ君主が、
褒められたり貶されたりすることについて
☆「いかに人がいま生きているのかと、
いかに人が生きるべきなのかとのあいだには、非常に隔たりがあるので、
なすべきことを重んずるあまりに、いまなされていることを軽んずる者は、
自らの存続よりも、むしろ破滅を学んでいるのだから。
なぜならば、すべての価値において善い活動をしたいと願う人間は、
たくさんの善からぬ者たちのあいだにあって破滅するしかないのだから。」

○「悪徳からも、可能なかぎり、身を守るすべを知らねばならないが、
それでも不可能なときには、さりげなくやり遣り過ごせばよい。」

第十六章:気前の良さと吝嗇について
○「賢明であるならば、君主は吝嗇ん坊の名前など気にしてはならない。」

○「奪い取らないことによって、
無数に近い人びとのすべてに気前の良さを示し、また与えないことによって、
少数の人びとのすべてに吝嗇を行使することんある。」

○「君主たる者は・・・吝嗇ん坊の名前が広まるのを・・・
いささかも気にしてはならない。
なぜならばこれを彼をして統治者たらしめる悪徳の一つであるから。」

☆「その君主は自分のものや自分の臣民のものを費やしてきたのか、
それとも他人の所有物を費やしてきたのか。
第一の場合ならば、控え目にすべきである。
第二の場合ならば、いかなる形の気前の良さも惜しんではならない。」

○「気前が善いと呼ばれたいばかりに、憎しみにまみれた悪評を生み出す
強欲という名前へ陥ってゆくよりは、
むしろ憎しみの混ざらない悪評を生み出す吝嗇ん坊という名前を
身につけてゆくほうが、はるかに賢明なのである。」

第十七章:冷酷と慈悲について。
また恐れられるよりも慕われるほうがよいか、それとも逆か
○「君主は、慕われないまでも、憎まれることを避けながら、
恐れられる存在にならねばならない。」

第十八章:どのようにして君主は信義を守るべきか
○「闘うには二種類があることを、知らねばならない。
一つは法に拠り、いま一つは力に拠るものである。
第一は人間に固有のものであり、第二は野獣のものである。」
            ↓
☆「君主には獣を上手に使いこなす必要がある以上、
なかでも、狐と獅子を範とすべきである。
なぜならば、獅子は罠から身を守れず、狐は狼から身を守れないからゆえに。
したがって、狐となって罠を悟る必要があり、
獅子となって狼を驚かす必要がある。」

○「君主たる者に必要なのは、先に列挙した資質のすべてを
現実に備えていることではなくて、
それらを身につけているかのようにみせかけることだ。
いや、私としては敢えて言っておこう。
すなわち、それらを身につけてつねに実践するのは有害だが、
身につけているようなふりをするのは有益である、と。」
            ↑
○「あなたの外見をだれもが目で知ってはいても、
あなたの実態に手で触れられるのは少数の者たちだけであるから。」

第十九章:どのようにして軽蔑と憎悪を逃れるべきか
○「陰謀に対して君主がなすべき最も強力な手当の一つは、
大多数の人びとから憎まれないことである。」

第二十章:城砦その他、君主が日々、政体の維持のために、
行っていることは、役に立つのか否か
○「君主たちが既存の政体を新たに征服したさいに、
その政体の内部にありながら支持してくれた者たちがいたときには、
自分を支持してくれた者たちがいかなる理由で支持に踏み切ったのかを、
よく考え直して、思い返す必要があるということだ。
そしてその理由が、自分たちに寄せられた自然の敬愛のためではなく、
単に彼らが元の政体に満足していなかったためだけであるならば、
彼らを味方にしておくことは困難であり到底かなわぬであろう。
なぜならば、彼らを満足させることは不可能であるゆえ。
・・・満足していないがために、相手の味方について、
それまでの政体が征服されるのに力を貸したがごとき者たちよりも、
以前の政体に満足していたがために敵対した者たちのほうが、
己の真の味方になることは、はるかに容易に看て取れるであろう。」

第二十一章:尊敬され名声を得るために君主は何をなすべきか
○「旗幟を鮮明にする態度は、中立を守ることなどよりも、
つねに、はるかに有用である。・・・勝ったほうには、
逆境のなかで助けてくれなかった疑わしい味方など、要らないし、
負けたほうには、武器を執って自分と運命を共にしたがらなかった、
あなたのことなど、受け容れられるはずもないから。」

☆「慎重な心構えとは数々の不都合の特質をよく見分けて、
最悪でないものを良策として選び取ることにある。」

第二十三章:どのようにして追従者を逃れるべきか
☆「良き助言というものは、誰から発せられても、
必ず君主の思慮のうちに生まれるのであり、
良き助言から君主の思慮が生まれるものではない。」

第二十五章:運命は人事においてどれほどの力をもつのか、
またどのようにしてこれに逆らうべきか
○「運命がその威力を発揮するのは、人間の力量がそれに逆らって
あらかじめ策を講じておかなかった場所においてであり、そこをめがけて、
すなわち土手や堤防の築かれていない箇所であることを承知の上で、
その場所へ、激しく襲いかかってくる。」

○「私としてはけれどもこう判断しておく。
・・・慎重であるよりは果敢であるほうがまだ良い。
なぜならば運命は女だから・・・
そして周知のごとく冷静に行動する者たちよりも、
むしろこういう者たちのほうに、彼女は身を任せるから。
それゆえ運命はつねに、女に似て、若者たちの友である。」

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1999 5/27
政治学、心理学、リーダーシップ論、哲学
まろまろヒット率5

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