Archive for the ‘心理学’





『コンプレックス』 河合隼雄著 岩波書店 197110.26.07

「おしりかじり虫」は虫じゃなくて妖精だと知った、まろまろ@思わず口ずさんでしまいますな(^_^)v

さて、『コンプレックス』河合隼雄著(岩波書店)1971。

心理学者の河合隼雄によるコンプレックス本。
そもそも「コンプレックス」という言葉はよく耳にするけれど、いったい何なのかがいまいちよく分からない。
たとえば、僕は中学の時に”complex”を「こだわり」と訳して笑われたこともある(w
コンプレックスという言葉は、もともと「主体性をおびやかすもの」として、
ユングが「感情によって色づけされた複合体(gefuhlsbetonter komplex)」と定義づけた心理学用語。
この本ではそんなユング心理学を基本にして、コンプレックスという心理現象を解説している。

読んでいて興味を持ったのはコンプレックスは感情によって色取られるものなので「劣等感とコンプレックスとは違う」という点だ。
単なる劣等感ではないのでコンプレックスの強い人は「他人を救いたがる傾向が強い」というのには納得。
<第2章 もう一人の私>

また、「精神分析の生半通は、ものごとの価値を引き下げたつもりになって喜ぶだけ」と語っている点にも興味を感じた。
ダ・ヴィンチの絵画(モナリザ)にエイディプス・コンプレックスを読みとることと、その芸術的価値とは関係がない。
それと同じようにその行為がコンプレックスによるものかどうかは、行為自体の善悪とは関係ないとしている。
<第3章 コンプレックスの現象>

また、「コンプレックスで結ばれた集団は連帯感が強い」ことについて語っている点も注目した。
連帯感の強さはメンバーの個性を殺すものとして作用するので、
メンバーがコンプレックスを統合した時にその集団から出なくてはいけないことに言及して、
「自己実現の道は孤独な道」としているのには考えさせられた。
<第3章 コンプレックスの現象>

そうしたコンプレックスについての豊富な事例を紹介しながら、
コンプレックスの解消は「感情の嵐」であり「何らかの意味で死の体験を伴う」ことを強調して、
「爆発に近い危険な過程」であると述べているのにも興味を持った。
<第4章 コンプレックスの解消>

そして最も印象に残ったのはコンプレックスの解消(自我の統一)で重要な役割を果たすことが多い、
トリックスターについて語っているところだ。
危険に満ちたコンプレックス解消の過程でトリックスター的な役割を担う存在に対して、
「挫折したトリックスター程みじめなものはない。
そこには破壊と悲惨のみが残り、怒りと嘲笑を一身に受けねばならない」と述べている箇所は、
選挙の後で体感したことをまさに言い表しているものとして印象深かった。
そして「トリックスターはしばしば世界の創世神話に登場する」ものとして、
「一人の人間を変えるというのは初めて世界をつくる程難しいこと」と指摘しているのも心に残った。
<第4章 コンプレックスの解消>

この本ではトリックスターのようにコンプレックスと神話・昔話との共通点を指摘する箇所が多くて、
「神話は事物を説明するのではなく、事物を基礎づけるためにある」(ケレニー)と述べている。
特に「事物の説明は科学で、心の中に納得のいく答を得るためには神話が必要」という部分は、
最近そういう議論(非科学的なものを求める心)をよく耳にするので印象に残った。
<第6章 コンプレックスと元型>

以下はその他でチェックした箇所(一部要約含む)・・・

○意識=自己の経験の特殊性を生きながら、この経験を自己の知識の普遍性に移すこと
→意識内容の統合の中心=自我
→意識することはそ経験を自ら語ること(アンリー・エー)
<第1章 コンプレックスとは何か>

○コンプレックスが自我に与える影響
1:抑圧、2:投影、3:反動形成、4:代償、5:同一化
<第3章 コンプレックスの現象>

○コンプレックスが問題になる時に内的な原因か外的な原因かの探求は意味が無く、
人間の内界のコンプレックスと外界の事象との間に布置が形成されていることが重要
<第3章 コンプレックスの現象>

○コンプレックスを人格化することによって、対話の相手とすることができる
<第5章 夢とコンプレックス>

○我々が誰かに対して虫が好かないとか毛嫌いするなどの場合、
我々はその人が自分のコンプレックスを人格化したものではないかと考えている
<第5章 夢とコンプレックス>

○無意識的結合を土台としての口論は、破壊も建設ももたらすことなく同じことを永久にくり返しているにすぎない
→それは真の対決ではない
<第5章 夢とコンプレックス>

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2007 10/26
心理学
まろまろヒット率4

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『カリスマ―出会いのエロティシズム』 チャールズ・リンドホルム著、森下伸也訳 新曜社 199201.17.06

修二と彰の振り付けを練習中の、らぶナベです。

さて、『カリスマ―出会いのエロティシズム』 チャールズ・リンドホルム著、森下伸也訳 新曜社 1992

カリスマの研究書、めちゃ面白かった一冊!
内容は理論編(第2部)でカリスマ研究の歴史、各分野からのアプローチを押さえながら統合理論としてまとめ、
実例編(第3部)でカリスマとその信奉者たちの典型例を取り上げて、
結論(第4部)でカリスマとその信奉者たちとの相互作用は一体何なんなのか、その今日的な意味も含めて答えを出している。
理論の深さ、実例の迫力、結論の説得力、どれを取ってもカリスマの研究の決定版と言える本。

まず、すごいなと思ったのが膨大な先行研究を押さえていているところだ。
たとえば理論編では情念に焦点を当てた哲学者たちとしてヒュームやミル、ニーチェ(2章)、社会学としてのアプローチ、ウェーバー(ヴェーバー)とデュルケム(3章)、
催眠と群集心理学からのアプローチのメスマー、ル・ボン、タルド(4章)、精神分析学からのアプローチとしてのフロイト(5章)などの
カリスマ研究の背景やそれぞれのアプローチを総括しながら、
カリスマ的リーダーシップの病理性を強調する心理学的見解と、カリスマ的集団に積極的な価値を与える社会学的言説との対比をまとめて(6章)、
カリスマ精神の病いなのか、再社会化なのだろうかと問いの下で統合理論化(7章)をしている。

その次の実例編では典型的なカリスマとその信奉者たちの実例としてアドルフ・ヒトラーとナチ党(8章)、
チャールズ・マンソンとそのファミリー(9章)、ジム・ジョーンズと人民寺院(10章)を取り上げている。
著者は文化人類学出身なので、この実例編は本領発揮という感じでとても迫力があった。
ある人物がカリスマ的パーソナリティを持つことになってゆく過程、奴隷化しているのに自分は解放されていると思う信奉者たち、
そしてカリスマと信奉者の相互作用で生まれた集団のダイナミズムが展開し、崩壊していく様が克明にえがかれていて、
単純に生々しい読み物としても読み入ってしまった。
そしてシャーマニズムとの共通点を指摘しながら(11章)、結論につなげるという流れがとても綺麗。

結論(12章)では、現代のカリスマをよく指摘されるような芸能人やスポーツ選手にとどまるだけでなく、
カリスマ的な特徴を帯びた人間関係として、家族(観)とロマンティックな恋愛を挙げているのが面白い。
確かに実例編で出てきたカリスマとその信奉者たちは極端な事例かもしれないけど、
読みながらホストに入れ込む女性や、キャバクラ嬢に振り回される男性を思い起こしていただけに納得。
(実は自分自身の恋愛体験の中にも重ね合わさる面もあった(^^;)

人間関係がもたらす無我と交感の絶頂感(エクスタシー)は魅力的で、時には没頭してしまう。
コミュニケーションの快楽に耽溺する人の性向は決して特殊なものではなく、
人間の本質の一つなんだ、というこの本の主張は説得力があった。
(そこには集団のダイナミズムが生まれる源泉になる)

ちなみに、この本はインターネット普及以前に書かれたものだったので、
現在のネットコミュニティ内でのカリスマ出現に著者はどう思っているのか知りたかった。
また、理論編の第2部はけっこう面白いんだけど、理論的背景とかアプローチを退屈だと思う人は、
訳者が言っているように実例編の第3部から読んでも十分に面白く読めると思う。

以下はチェックした箇所(要約含む)・・・

○カリスマというものを理解するためには、カリスマ的人物の性格やそのカリスマ的魅力を個々の人間に受け容れやすくさせている諸属性を研究しなければならないばかりでなく、
同時に指導者と信奉者が相互作用をおこなっているカリスマ集団そのもののダイナミズムをも分析しなければならない
<第1章 序説>

○弱く空虚な人間は、服従することによって、ひとつのアイデンティティを、また力と意志という不可欠な幻想を手に入れることができる
→カリスマの信奉者たちは抑圧の中に解放されているという感覚を感じる (Hoffer 1951)
<第4章 催眠と群集心理>

☆自己の解体的幻想による同一化的経験こそが指導者に対する信奉者の愛、自我の境界が消失する超越的な愛の源泉
<第6章 カリスマは精神の病か、それとも再社会化か>

○心理学者たちが指導者に焦点をあて、彼らの障害をもったパーソナリティを強調しがちであるのに対し、
社会学者たちは指導者の性格についてほとんど論じることなく、信奉者や彼らを取り巻く環境に関心をもつ
→心理学が信奉者のうちに病理性を見ようとするのに対して、
社会学者は信奉者が普通の人間よりも深い心理学的な生涯を病んでいるわけではないことを証明することに関心をもっている
<第6章 カリスマは精神の病か、それとも再社会化か>

○カリスマに対しては大きく分けて二つのアプローチがある・・・
・精神分析学に由来するものでカリスマの感情的強烈さや超越的性格を認めはするが、それに対する価値判断を含み、指導者の個人的特長を過度に強調するもの
・社会学に由来するもので集団の重要性、共同体への参加が人々の願望の対象となりうることをよく認識しているが、
 しかし経験から情念を剥離させ、リーダーシップを閑却し、カリスマ的紐帯の根底にある無意識の衝動を軽視するもの
→どちらのアプローチもカリスマ的経験の一部を教えてくれるが全体ではない
<第6章 カリスマは精神の病か、それとも再社会化か>

☆自我がその価値を減ぜられ、アイデンティティの標識や対象とのきずなを剥奪されながら、それでもなお同時にすべての行為の唯一の正当化根拠とされるとき、
カリスマの啓示や帰依者の共同体的集団への没入によってあたえられる激しさや内的確実感は高度に魅力的
→このようにして高められた相互作用の形式は現実の社会構造に欠けている、交感の感情、エクスタシー的自己喪失、超越、信念をあたえる
<第7章 カリスマの統合理論>

☆カリスマ的な関わりへ導いていく諸条件について統合的図式・・・
・疎外された現代社会とナルシシズムの文化が結合して人々にカリスマへの没入を受容させやすくしている
・人格的アイデンティティを遮断することによって人々に自己喪失を用意させる思想改造
→いずれも人格的アイデンティティを脅かし、集団による個人の吸収を促進し、集団形成の指導者に対するエクスタシー的心酔を偏愛するように作用する、
 ある種の技法や社会状況がもつ人格解体的作用に対してまことに弱い存在として人間を描く
<第7章 カリスマの統合理論>

○ヒトラーという恐るべき事実に直面した歴史家や政治学者は、当然のことながら彼や彼の運動からその神秘的な要素を取りのぞこうとするから、
その結果として諸々の偶然の変数が結びつくことで彼に政権の掌握と維持が可能になったという事実を強調することになる
<第8章 「取り憑かれた従者」>

☆カリスマ集団の隠された目的は「成功」することではなく、経験することそれ自体
→だから外的脅威の圧力で集合体経験は強化される
<第8章 「取り憑かれた従者」>

○(ナチスのSS訓練は)極度の疲労と苦痛、そして屈辱は、男たちの過去とのきずなを切断し、いかなる自律感覚も腐食させる効果を発揮した
<第8章 「取り憑かれた従者」>

○社会変動が旧来のきずなを切断してしまったところはどこでも、補償としてのカリスマ運動を好む
<第9章 「愛こそわが裁き」>

○主観のうちに生じるエクスタシー的なトランスという変成状態の所有がシャーマニズムの中心
<第11章 「聖なるものの技術者」>

☆シャーマンの役割につくことは、現代においてカリスマとなることと同じく、アイデンティティ解体という初期局面から苦痛に満ちた自己再構成を経て、
他のもっと弱い魂たちを圧しつぶす潜在的な精霊をコントロールして顕在化させる能力をもった変身せる専門家としての再生へ向かう運動
<第11章 「聖なるものの技術者」>

☆カリスマ的啓示は、周縁に追いやられた集団を無視し抑圧してきた社会構造における弱き者の示威運動、反構造の契機、警告のコミュニタスとなる (Turner 1982)
→カリスマの形態は、いかなる社会にあっても、社会構造の中にそれがあらわれることで克服されなければなならい抑圧のタイプと程度を示す
<第11章 「聖なるものの技術者」>

○逸脱せる集団とその指導者に精神的な変調をきたした者というレッテルを貼ることと、彼らが実際に狂気に落ち込んでいくこととの間には明確な相関関係がある
<第11章 「聖なるものの技術者」>

☆今日におけるカリスマの過剰なあらわれは、交感を求める人間の根源的な欲求を社会システムが満たしえないでいることの反映
→カリスマとその集団は、その暗さによってわれわれ自身が置かれているディレンマの輪郭をくっきりと縁どる影
<第11章 「聖なるものの技術者」>

○非日常な無我の状態に到達することのできる一つの方法が、移ろいやすい気質をもったカリスマ的指導者という霊感喚起的な人物によって結合された集団に所属すること
<第12章 今日のカリスマ>

☆恋愛においては、カリスマにおいてと同じように、相手のうちへ自己を喪失することが縮小としてでなく、高揚、エクスタシー、自我の拡大として経験される (Chasseguet-Smigrel 1976)
→恋に落ちることは巨大な革命のエクスタシー感情と変革パターンを小規模で複製する集合運動の最も単純な形態 (Alberoni 1983)
→カリスマも恋愛も強烈な情動喚起的関係における自他の完全な同一化を要求するので同時並行することはできない
<第12章 今日のカリスマ>

☆カリスマとは、世俗的な世界の疎外と孤立の外部にあってそれと対立する根源的な超越の瞬間をもたらす直接的なエクスタシー経験
→無我と交感というモーメントは、われわれ人間の不可欠な条件の一部
→問題はそうしたモーメントがどのような形態をとるかということ
<第12章 今日のカリスマ>

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2006 1/17
カリスマ研究、社会学、心理学、社会心理学、文化人類学、宗教学、思想史、リーダーシップ論、政治学、組織論、コミュニティ論
まろまろヒット率5
心理学 キャリア

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『ウェブログの心理学』 山下清美・川浦康至・川上善郎・三浦 麻子著 NTT出版 200509.29.05

ネットは顔の見えないコミュニケーションだとする資料の中で、「上戸彩似だと聞いてたメル友に会ったら綾戸智絵に似てた」という事例を見つけた、
らぶナベ@響きが似てるだけにちょっと笑いました(^_^)

さて、『ウェブログの心理学』 山下清美・川浦康至・川上善郎・三浦 麻子著(NTT出版)2005。

「人はなぜウェブログを書くのだろう?」、「なぜウェブログを続けるのだろう?」という疑問に社会心理学からアプローチした一冊。
社会心理学としての調査、考察だけでなく、インターネットの普及と共に始まったウェブ日記の歴史もちゃんと書かれてある。

内容はこれまで言われてきたことをまとめたという感じだけど、その分なるほどと思える要約もあった。
たとえば「ウェブログの本質はそのブロガーのライフストーリーとしての時間的な縦軸と、情報をつなげる横軸との組み合わせ」(第4章)というものや、
「ウェブログの持つ信頼性の根源は”継続性”にある」だからウェブログに必要なのは「継続する名前とそれに伴う存在感」(第5章)というものはすごく納得した。

本文に加えて附録もウェブログのススメ、ウェブログを中心にしたインターネットの歴史、ウェブログに関する論文・記事リストまであって充実している。
分量的にも読みやすいし、ネットでの情報発信に関わってる人や興味がある人には、かなり良い本ではないだろうか。

以下はチェックした箇所(重要と感じた順)・・・

☆ウェブログというコンテンツのもつ社会心理学的な意味を考えるときまずもって注目すべきは、
個人のもつ情報という横糸と、個人のなかで経過する時間という縦軸(ライフストーリー)が組み合わさることによってもたらされる絶妙の相乗作用
→2ちゃんねるなどの掲示板とウェブログの決定的な違いは、ウェブログが独立した空間だということ
<第4章 ウェブログの現在と未来>

☆ウェブログのもつ情報の信頼性の根幹=継続性
→ウェブログに必要なのは継続する名前とそれに伴う存在感(継続性があれば仮名で十分)
<第5章 ウェブログ・個人・社会>

☆ウェブ日記の効用・・・
・自己に向かう効用=感情の表出、自己の明確化、社会的妥当性、
・関係に向かう効用=二者の発展、社会的コントロール、社会的妥当性
→日記そのものは自己表現で、それを契機としたコミュニケーションの可能性にかけるのがウェブ日記の本質
→コミュニケーション志向のより強いウェブログが登場しても不思議はない
<第3章 ウェブログの社会心理学>

☆ホームページをもつ動機=「情報の呈示動機」、「自己表現動機」、「コミュニケーション動機」(池田・柴内 2000)
→ホームページはコミュニケーション動機の強いユーザーにとっては使い勝手が悪いものだったが、
 ウェブログはトラックバック機能なでで書き手同士のコミュニケーションを容易にした
<第1章 インターネット時代のコミュニケーション>

☆これまでの書物が持っていた書き手の著社性とは別に、インターネットでは読み手の著者性が生まれた
→インターネットは読み手主体のメディアという見方もできる
<第1章 インターネット時代のコミュニケーション>

○メディア・コミュニケーションの二つの方向性=コミュニケーション行為を隠す方向と明らかにする方向
<第1章 インターネット時代のコミュニケーション>

○携帯電話も電子メールも、コミュニケーションしている状況を社会関係のなかから切り離すことができるようになって、会話内容も同時に大きく変化した
<第1章 インターネット時代のコミュニケーション>

○日記を含め、自分自身の日常を記録する行為は、自己フォーカスを刺激し、自覚状態を高める効果がある
<第3章 ウェブログの社会心理学>

○トラックバックとリンクは情報をつなぐ点では共通だがその方向性は逆・・・
リンク:自分のウェブログの読み手に、情報源を伝える
トラックバック:情報源となってるウェブログの書き手と読み手に、自分が言及していることを伝える
<第5章 ウェブログ・個人・社会>

○ソーシャル・ネットワークは基本的に個人駆動型のつながりを強めるもの
→社会的強者=実名を出すことがメリットになり、すでに強固なネットワークを持つ人々が
さらにそれを拡大するためには利便性が高いが、そうでない人々にとってはメリットを感じにくいかもしれない
<第4章 ウェブログの現在と未来>

○ソーシャル・ネットワークはアクセス・コントロールの容易なウェブログに対する潜在的ニーズに応えたサービス
<第5章 ウェブログ・個人・社会>

○読者からのフィードバックはブロガーの心理的過程に大きな影響をおよぼしており、
それらを容易にコンテンツに組み込むことを可能にしたウェブログの仕様は、
ブロガーたちに読者の目を明確に意識さえ、書き続けようとする意思を力強くサポートする
<第4章 ウェブログの現在と未来>

○WBC(Web-Based Communication)=発信主体、ABC(Article-Based Communication)=メッセージ主体
<第1章 インターネット時代のコミュニケーション>

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2005 9/29
情報・メディア、HP・ブログ本、社会心理学
まろまろヒット率4
心理学 キャリア

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『進化心理学入門』 ジョン・H.カートライト著、鈴木光太郎・河野和明訳 新曜社 200509.02.05

決して鉄ちゃん(鉄道オタク)ではないけどダージリン・ヒマラヤ鉄道に飛び乗りしてみたい、らぶナベです。

さて、『進化心理学入門』ジョン・H.カートライト著、鈴木光太郎・河野和明訳(新曜社)2005。

研究室で発見したので借りて読んでみた一冊。進化心理学ではめずらしい入門書。
内容は進化心理学の主要な論点、仮説を手堅く紹介している。
章末ごとにまとめがある上に、用語説明もあってテキストとして使いやすい。
ただ、分量の関係上仕方ないとはいえ、進化心理学で僕が一番魅力的に感じる
「協力する心の理論」の記述はほしかった。

読み終えてみて、ヒトも動物の一種として進化してきたんだから、ヒトの心も環境適応の結果物
・・・っという進化心理学の基本姿勢はやっぱり説得力があると感じた。
ただ、訳者あとがきにもあったように安易な現状肯定の仮説に終始する可能性も同時に感じた。
検証が難しいだけに、時間がかかりそうな分野だけど魅力的な領域であることは確か。

以下は、チェックした箇所(一部要約)・・・

○ダーウィンの進化論が意味するおそるべきこと=自然界には究極的な目的も設計も運命も存在しない
<第1章 進化―自然淘汰と適応>

○人間行動の至近的説明と究極的説明を区別することが重要
<第1章 進化―自然淘汰と適応>

○性淘汰において性内淘汰と性間淘汰と区別することが重要
→性内淘汰と性間淘汰の両方がヒトの心の性質を形作ってきたと考えられる
<第3章 性淘汰>

○典型的なヒトの配偶を一言で言えば、不倫に悩む表向きの一夫一妻制
<第4章 人間の性を解明する>

○「心の原型」と「内的衝動の表出」という考えは新しいものではないが、
ユングは原型を神秘的な集合的無意識から解釈、
フロイトは子ども時代の原型的意志の欲求不満を過度に強調(さらにラマルク主義)
→進化精神医学はダーウィン理論。
<第5章 心の原型―適応反応としての恐怖と不安>

○進化精神医学は現代精神医学を精神障害のメカニズムの正常な機能を理解しようとせず、
その原因となっている欠陥だけを見つけようとしていると批判する(Nesse and Williams, 1995)
→至近的要因と究極的要因の違いとの批判
<第6章 心の病を進化から説明する>

○祖先の環境と現在の環境の間の相違点を強調するよりむしろ類似点を探すべき(Crawford, 1998)
<第6章 心の病を進化から説明する>

○精神障害の原因に対する仮説
=心的モジュール機能不全説、楽園追放説(ゲノム・ラグ説)、適応的堅実性説、
準備性説、正規分布説、抑うつ階級説、包括適応度説
<第6章 心の病を進化から説明する>

○ヒトの脳が大きくなった原因についての仮説
=多様な食物に関する認知能力の必要性説、社会的要因の役割説(マキャヴェリ的知能仮説と心の理論)、
性淘汰の効果説、脳と言語(ハードウェアとソフトウェア)の共進化説、道具使用説
<第8章 知能の進化>

○進化的適応環境=”Enviroment of Evolutionary Adaptation”(EEA)
→ヒトの持つ遺伝子が進化の過程で、その時の生存問題を解決するため自然淘汰によって形成された時期の環境
→約300万年~3万5千年前
<用語解説>

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2005 9/2
進化心理学
まろまろヒット率3
心理学 キャリア

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『暗黙知の次元』 マイケル・ポランニー著、高橋勇夫訳 ちくま学芸文庫 2003(原著1966)05.23.04

実はハンガリーってすごいんじゃないかと思いはじめてる、らぶナベ@天才多い?

さて、『暗黙知の次元』マイケル・ポランニー著、高橋勇夫訳
(ちくま学芸文庫)2003年初版(原著1966年初版)。
「言葉にできない知がある」として暗黙知を打ち出した本として有名な一冊。

もともと言葉にできないものを言葉にしようとしているので
やっぱり読みずらいところや突っ込みどころはかなりあるけれど、
よくある言いっぱなしじゃなく、神秘主義に走っているわけでもなくて読み応えがある。
おかげでそれまでは「そんなこと言っても始まらない」と言われていた、
コツやカンなどを議論の場で話せるようになった功績は大きいとされている。
(僕が関心を持っているいまの”雰囲気”もそう?)

また、なぜか読みづらい本にありがちな嫌な感じは別にしなかった。
たぶん訳者も書いているように、初版当時隆盛だった共産主義でも実存主義でもなく、
(人間に対して悲観的ではなく)その隠れた可能性を信じる彼の姿が垣間見れるからだろう。

実はこの本は今年からできた佐倉研究室指定必読書の僕の担当文献。
リストアップ案(まろまろ原案)を出した人間として、
リストの中で一番読みにくい&一番発表しにくいものを選ぶべきだろうと読んでみた。
暗黙知という言葉やこの本については経営学や組織論を学んだ時に
よく出てきたのでペラ読みはしたことはあったけど、
まさかこんな機会に通読するとは思わなかった。
人生って不思議ですな。

ちなみに著者は邦訳だとマイケル・ポラニーとも書かれることがあるけど、
ハンガリー発音だとポラーニ・ミハーイというらしい(Michael Polanyi)。
お兄さんは経済人類学者のカール・ポランニー(『大転換』、『経済の文明史』)。
こんなすごい親や叔父がいると子供はプレッシャーかかるだろうって思ってたら
著者の子供、ジョン・ポランニーは1986年にノーベル化学賞受賞、冗談みたいな一家だ。
おそるべしマジャール!&同じアジア系としてちょっと親近感(^^)

以下はチェックした箇所・・・

○暗黙知の構造によれば、すべての思考には、その思考の焦点たる対象の中に
私がちが従属的に感知する、諸要素が含まれている
→しかも、すべからく思考は、あたかもそれらが自分の体の一部ででもあるかのように、
 その従属的諸要素の中に内在化(dwell in)していくものなのだ
<序文>

○私たちのメッセージは、言葉で伝えることのできないものを、あとに残す
それがきちんと伝わるかどうかは、受け手が、
言葉として伝え得なかった内容を発見できるかどうかにかかっている
<第1章 暗黙知>

☆第一条件について知っているとは、ただ第二条件に注意を払った結果として、
第一条件について感知した内容を信じているのにすぎない
<第1章 暗黙知>

☆暗黙地の特徴・・・
・機能的構造(functional structure)
=暗黙知が機能しているとき、私たちは何か別のもの「に向かって」注意を払うために、
 あるもの「から注意を向ける」(attend from)

・現象的構造(phenominal structure)
=A(近位項)からB(遠位項)に「向かって」注意を移し、Bの様相の中にAを感知する

・意味論的側面(semantic aspect)
=すべからく意味とは「私たち自身から遠ざかって」いく傾向がある
(道具を使用して得られた出来栄えを介して、道具の感触が意味するものに注意を傾ける)

・存在論的側面(ontological aspect)
=暗黙的認識とは、二つの条件の間に意味深長な関係を樹立するものであり、
 したがってそうした二つの条件が相俟って構成する
 包括的存在(comprehensive entity)を理解すること
<第1章 暗黙知>

○ある人の精神はその活動を追体験することによってのみ理解されうる(ディルタイ)
<第1章 暗黙知>

○審美的鑑賞とは芸術作品の中に参入し、さらに創作者の精神に内在すること(リップス)
<第1章 暗黙知>

☆理論の内面化・・・
私たちは理論から、その理論の観点で見られた事物へと、注意を移動させ、
さらに、そうした具合に理論を活用しながら、
理論が説明しようと努めている事物の姿を介して、理論を感知している
→数学理論が自らを実際に応用することでしか修得されえないのはこのため
<第1章 暗黙知>

☆問題を考察するとは(略)まだ包括されていない
個々の諸要素に一貫性が存在することを、暗に認識すること
→独創性とは期待している包括の可能性を他の誰も見いだすことができないときのこと
<第1章 暗黙知>

☆包括的存在の安定性に機能する暗黙知・・・
1:包括的存在を制御する諸原理は、具体的な諸要素を
 それ自体として統治している諸規則に依拠して機能する
2:同時に諸要素をそれ自体として統治している諸規則は、諸要素が構成する、
 より高次の存在の組織原理の何たるかを明らかにするものではない
<第2章 創発>

○境界制御の原理(the principle of marginal control)
=上位レベルの組織原理によって下位レベルの諸要素に及ぼされるコントロール
<第2章 創発>

☆創発の過程
=より高位のレベルは下位のレベルでは明示されない過程を通してのみ出現できること
<第2章 創発>

☆ある論文の科学的価値=厳密性、体系的重要性、内在的興趣
<第3章 探求者たちの社会>

☆理論の不意の確証(surprising confirmations)
→発見は現行の知識が示唆する探求可能性によってもたらされる
<第3章 探求者たちの社会>

○可能性を論じる主張は確実性を論ずる主張と同様に個人的な判断を含んでいる
→結論とはそれに到達する人間の掛かり合い(commitment)を表現するもの
<第3章 探求者たちの社会>

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2004 5/23
暗黙知、哲学、組織論、認知科学、情報・メディア、心理学、学問一般
まろまろヒット率4
心理学 キャリア

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『コミュニケーション学―その展望と視点』 末田清子・福田浩子著 松柏社 200304.15.04

弊社建物に新しい顔が増えてどぎまぎしている、らぶナベ@実は人見知り系です(^^;

さて、『コミュニケーション学-その展望と視点-』
末田清子・福田浩子著(松柏社)2003年初版。

評判が良かったので読んでみたコミュニケーション学関連領域の概要書。
コミュニケーションをめぐる用語の定義や研究の背景を丁寧に紹介してくれている。

コミュニケーションに対する各分野からの主要なアプローチを
「機械論的視点」、「心理学的視点」、「相互作用論的視点」、
「システム論的視点」に分類して紹介したり(3、4章)、
言語学からのアプローチや(5、6、7章)、
コンテクスト研究(9章)に対するフォローもされている。
定義・引用・索引が充実しているので辞書としても使えるし、
コミュニケーション学関係の概要書では決定版的ではないだろうか?

以下はチェックした箇所(一部要約含む)・・・

☆コミュニケーションの定義=
・ラテン語の共通項(communicare)が語源→当事者が共通項をつくりあげるプロセス
・”Culture is communication and communication is cultre”(E.T.Hall)
・本書の定義=シンボルを創造し、そのシンボルを介して意味を共有するプロセス
<第1章 コミュニケーションとは何か>

☆コミュニケーションの特徴=
シンボルを介して行われる、言葉や行為そのものに意味はなく人が意味づけする、
意識無意識を問わず人はコミュニケーションを行う、
あるコミュニケーション場面を同じように再現はできない、
コミュニケーションとはプロセス、コミュニケーションの問題は単純化できない
<第1章 コミュニケーションとは何か>

☆コミュニケーション論をめぐる主要な4つの視点・・・

☆「機械論的視点」(The mechanistic perspective)
・命題:「どのチャンネルが一番大きい量のシグナルを送れるか、
     どれくらいノイズが生じるか」の問いに答えるために構築
・特徴:全体は部分の総体に等しいとういう立場
・研究:チャンネルの違いによるコミュニケーション効果など
・コミュニケーション能力:いかにノイズを減らし効率を高めるか
・文化の扱い:文化は要素として組み込まない
→古いモデルでシンプルなので広く使用されている

☆「心理学的視点」(The psychological perspective)
・命題:「刺激をどのように選択し、どのように反応しているか」
・特徴:メッセージの意味はコミュニケーションを行う人が与えるものであるという立場
・研究:概念フィルターを持った個人など
・コミュニケーション能力:いかに当事者相互のフィルターを近似させられるか
・文化の扱い:人が様々な刺激を選別して取り入れる際のフィルターを形作るもの
→メッセージの送り手よりも受け手側に焦点を当てているので応用範囲が広い
  (特に異文化間コミュニケーションではよく使用される)

☆「(シンボリック)相互作用論的視点」(The interactionist perspective)
・命題:「(言葉や行為などの)シンボルがいかに創造され、共有されるか」
・特徴:コミュニケーションは役割取得・遂行によって成立するという立場
・研究:シンボルがある文化でどのように創られるか、変るかなど
・コミュニケーション能力:当事者がどの程度意味を共有しているか
・文化の扱い:コミュニケーションの当事者が共有するシンボル
→文化や副文化の創造、言語発達、認知的プロセスなどに応用可能

☆「システム論的視点」(The perspective of general systems theory)
・命題:「いかにコミュニケーション・パターンを探求するか」
・特徴:全体は部分の総体よりも大きいという立場
・研究:小集団や家族内コミュニケーション・パターンの探求など
・コミュニケーション能力:いかにルールに従ってコミュニケーションできるか
・文化の扱い:習得されたある解釈のシステム(知識体系)であり受け継がれるもの
→まだ新しい理論
<第3章 コミュニケーションの4つの視点>
<第4章 文化に対する視点の多様化>

☆四つの視点の分類・・・

「機械論的視点」&「心理学的視点」
・法則によってコミュニケーションは司られる
・因果関係の探求
・仮説検証型の量的研究(quantitative research)

「シンボリック相互作用論的視点」&「システム論的視点」
・調整可能なルールがコミュニケーションにはある
・現象の探求
・仮説構築型の質的研究(qualitative research)
<第3章 コミュニケーションの4つの視点>

☆言語の定義=
・「言語は思考を形成していく器官である」(Humboldt)
・”a set(finite or infinite) of sentences, each finite
in length and constructed out of a finite set of elements”(Chomsky)
<第5章 言語コミュニケーション(1)>

☆言語の特性=
1:超越性(displacement)、2:恣意性(arbitrariness)、3:生産性(productivity)
4:文化的伝承(cultural transmission)、5:非連続性(discreteness)、6:二重性(duality)
<第5章 言語コミュニケーション(1)>

○普遍文法(Universal Grammar)=
人間の言語の能力を言語能力(competence)と言語運用(performance)に分けて、
前者の言語獲得装置(Language Acquisition Device)が
人類には生まれながらに備わっているとすること(Chomsky)
<第6章 言語コミュニケーション(2)>

○言語学のコミュニケーション能力(communicative competence)=
文法能力(grammatical competence)、社会言語能力(sociplinguistic competence)
談話能力(discourse competence)、方略能力(strategic competence)
(Canale&Swain)
<第6章 言語コミュニケーション(2)>

○協調の原則(cooperative principle)=
会話のやり取りはある程度までは協調的作業であること(H.P.Grice)
<第6章 言語コミュニケーション(2)>

○会話の格率(Maxims of conversation)=
量の格率(Maxims of quantity)、質の格率(Maxims of quality)、
関連性の格率(Maxim of relation)、様態の格率(Maxims of manner)
<第6章 言語コミュニケーション(2)>

☆言語コミュニケーションの特徴=
デジタルである、新しい社会現実を創ることが可能、
抽象思考で重要になる、内省的である(Trenholm&Jensen)
<第7章 言語コミュニケーション(3)>

○言語コミュニケーションの意味の3レベル
・意味論レベル=外延的(denotative)意味+内包的(connotative)意味
・統語論レベル=語彙が文法的に正しい順序に並べる必要性
・語用論レベル=CMM(Coordinated Management of Meaning)
<第7章 言語コミュニケーション(3)>

☆コミュニケーション能力研究の歴史的な2つの潮流
・レトリック研究(humanistic rhetorical study)
 →構想(invention)、配置(disposition)、修辞(style)、
  記憶(memory)、所作(delivery)から構成
・社会科学的研究(social-scientific communication theory)
<第7章 言語コミュニケーション(3)>

○翻訳・通訳の等価性=
語彙の等価性、慣用表現の等価性、文法的等価性、経験・文化的等価性、概念の等価性
<第8章 言語と文化の相互作用>

○イーミックとエティック
・イーミック(emic)=ある特定の文化の枠組みに依存して事象をみる
・エティック(etic)=ある特定の文化の枠組みに依存しないで事象をみる(Pike)
<第8章 言語と文化の相互作用>

☆コンテクストをとらえす尺度は主に2つ・・・
・静的か、動的か(コミュニケーションを規定するのか、お互いに変化していくものか)
・コミュニケーションが起こっている場のことか、その場を取り囲む背景か
<第9章 コミュニケーションの場と背景>

☆コンテクストの種類(Malinowski)=
・状況のコンテクスト(context of situation)
 →活動領域(field)、役割関係(tenor)、伝達様式(mode)が構成要素
・文化のコンテクスト(context of culture)
<第9章 コミュニケーションの場と背景>

☆コンテクスト化(contextualization)=
言語及び非言語を使ってある時ある場所で言った言葉と過去の知識を結びつけ、
会話を保持していくプロセス(Gumperz)
→コンテクスト情報をもとにある会話表現を選ぶこと(Maynard)=
 自己コンテクスト化(self-contextualization)
<第9章 コミュニケーションの場と背景>

☆Hallのコンテクスト定義=
「できごとを取り巻く情報であり、そのできごとの意味と密接に結びついているもの」
→共有している情報量が多ければハイ・コンテクスト文化、
 共有している情報量が少なければロー・コンテクスト文化
<第9章 コミュニケーションの場と背景>

○言語コード=制限(restricted)コード+複雑(elaborated)コード(Bernstein)
<第9章 コミュニケーションの場と背景>

○音調学(Vocalics)=韻律素性(prosodic features)+周辺言語(paralanguage)
<第11章 非言語コミュニケーション(2)>

☆ジェスチャーの機能=
1:表象記号(Emblems)、例示子(Illustrators)、感情表示(Affect displays)、
発話調整子(Regulators)、適応子(Adaptors)
<第11章 非言語コミュニケーション(3)>

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2004 4/15
コミュニケーション学、言語学、社会心理学、心理学、教育学
まろまろヒット率4
心理学 キャリア

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『トポスの知―箱庭療法の世界』 河合隼雄・中村雄二郎著、明石箱庭療法研究会協力 TBSブリタニカ 1993(新装)12.05.03

奇しくもまろプチフラッグが端っこに撮影されていた、らぶナベです。

さて、『トポスの知~箱庭療法の世界~』河合隼雄・中村雄二郎著、
明石箱庭療法研究会協力(TBSブリタニカ)1993年新装初版。
『箱庭療法入門』に続いて読んだ箱庭療法関係本。
心理学者と哲学者の二人が箱庭療法の事例を通して、
場(トポス)の哲学的なパフォーマンスや科学論を議論している。

「自分で作ることが自分を治癒する」とか「言語化を急ぐと失敗する」という
箱庭療法の特徴は確かに魅力的な話題のネタなんだろう。
言語化を急ぐと失敗するというのは何かを作ろうとするときには共通したことだし、
自分で作って自分で癒すというのはHPを作る僕にとっても興味深かった。
まさに「自作自癒」(新まろまろ用語候補)。

以下は、チェックした箇所(一部要約)・・・

○患者は自分自身による自己実現の力に頼ることによってみずから治ってゆくもの
(中略)患者の無意識内に存在する自己治癒の力に対して
畏敬の心を持つことが箱庭療法をはじめる出発点(河合)
<箱庭療法と< 私>>

☆イメージこそは、無意識から意識へのコミュニケーションのメディア
→イメージは常に多義性をもち、多くのことを集約的に表現している(河合)
<箱庭療法と< 私>>

○ふつう視覚的なものは、触覚性を失って独走することが多いわけですけれど、
その二つが箱庭療法では非常にうまく結びついているために日本では成功した(中村)
<< 自由に創ること>の楽しさ>

☆箱庭療法が成功した要因は、箱の大きさがちょうど一つの視野にパッと入ること
→一つのインテグレーションというのを考えて置くようにできている
(中略)置いて表現できて、だれか他人がわかるということは、
人間にとって結局はものすごいこと→わかるだけで何も言わなくたっていいんです(河合)
<豊かなイメージの世界>

☆まったくの自由というのは近代の一つの迷妄であって、
ある形が与えられている、基本的なものがあることによって、
かえって自由になれるんです(中村)
<豊かなイメージの世界>

☆早く言語化してしまうと流れが止まって大失敗する倍が多い(中略)
箱庭はわからないものに身を任してもいいような場を治療者が提供している
→治療者は水路付ける(canalization)役割をしている(河合)
<< 癒やす>意味とその動き>

○箱庭のいいところは三次元だということ、それから砂があるということ(河合)
<隣接する領域とのかかわり>

☆箱庭はイメージ表現がはっきりした枠の中で一つの世界を形作っているのが大きな特徴
→箱庭療法の世界は盆栽的な箱庭よりもむしろ都市論の問題の方につながる(中略)
みんな自分の世界、自分の都市を置いているわけだから
単純にこれは何を象徴しているとか言うんじゃなくて、
その人の世界がそこにあるというふうに見ていけばそう簡単な置き換えはできない(中村)
<箱庭・その哲学的パフォーマンス>

☆トポスでは、空間と時間が一体化している
→均質的な空間ではなくて独特の雰囲気のある歴史的空間=ゲニウス・ロキ(中村)
<箱庭・その哲学的パフォーマンス>

○いつのまにか我々の社会の中ででき上がり物質化されているような
あれこれのイメージが用意されている
→箱庭はそれらを組み合わせで表現するというところに、
一見ありきたりなように見えながら、そういうことを通して
一番うまく自分たちの心の中の願望を引き出す仕掛けになっている(中村)
<箱庭・その哲学的パフォーマンス>

○価値判断を括弧にいれて、見えるかぎりのことを記述する
→そこに表れているいろいろな意味をおのずと浮かび上がらせるようにする(略)
箱庭療法はそのような現象学の方法と非常に近い(中村)
<箱庭・その哲学的パフォーマンス>

○個別性を組み込むとは、個の人間、時間、場所の要素が加わることによって、
選択可能ないくつもの意味のなかからどれかが選ばれること(中村)
<近代科学と新しい< 知>のあり方>

○コスモロジーとシンボリズムとパフォーマンスという三つの要素は、
別々ものもではなくて互いに結びついて「臨床の知」の原理をなしている(中村)
→シンボリズムで成り立っている世界は否応なしにリゾーム的
(シンボルの多義性=シンボル相互の結びつきに多様な可能性があること)
<近代科学と新しい< 知>のあり方>

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2003 12/5
心理学、臨床心理、箱庭療法、哲学、対談
まろまろヒット率4
心理学 キャリア

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『コミュニケーション・入門―心の中からインターネットまで』 船津衛著 有斐閣アルマ 199611.10.03

最近になって公開している遺書がいろいろなところで取り上げられるようになった、
らぶナベ@この本風に言えば生死間コミュニケーション?(^^;

さて、『コミュニケーション・入門~心の中からインターネットまで~』
船津衛著(有斐閣アルマ)1996年初版。

コミュニケーション論についての議論を網羅的に紹介している一冊。
何となく感じてるコミュニケーション論への違和感を具体化させるために、
メルマガでこの分野の本を募集したときに紹介された本でもある。

読んでみると「うわさ」についての記述に一番の興味を持った。
曖昧な状況の中で状況を把握するために必要なものとしてうわさは発生する。
だから人々がうわさに基づいて行動するのはそのうわさを信じているからではなく、
それが必要だからだし、情報が多すぎても発生するというのは納得(第7章)。

でもやっぱり通して読んでみると全体的に何だか薄いような気がする。
これはメディア論などの本を読むときに感じる違和感にも似ている。
双方向とか強調しながら実は受信者中心で発信者への視点が弱いからだろうか?

ちなみに副題にインターネットが入っているけど、
初版が1996年ということもあって記述がすごく少ない。
(日本におけるインターネット元年が1995年)
やはりこの領域はすごいスピードで変化しているんだなぁ
っとあらためて感じたりもした。

以下はチェックした箇所(一部要約&関心が高い順)・・・

☆「うわさ」
=曖昧な状況に共に巻き込まれた人々が自分たちの知識を寄せ集めることによって
その状況についての有意味な解釈を行おうとするコミュニケーション(ジブタニ, 1985)
→うわさは単なる伝達ではなく人々が状況を規定する過程
→人々がうわさに基づいて行為するのはそれを信用しているからではなく、
それを必要としているから
<第7章 集団行動・社会運動のコミュニケーション>

☆うわさは変化していく状況に適応するために情報が必要であるにも関わらず、
制度的チャンネルが破壊されている場合に生み出される(ジブタニ, 1985)
→情報が多すぎる場合にも発生する
→新しい環境に対処する際に人々がよりいっそう適切な方法を
発達させていく過程に不可欠な要素
<第7章 集団行動・社会運動のコミュニケーション>

☆自己に対する他者の認識と評価についての想像、
それと関連する自己の感情から自我が成り立っている(クーリー, 1921)
→notワレ思うゆえにワレありbutワレワレ思うゆえにワレあり
<第2章 自我とコミュニケーション>

☆「自我は本質的に社会的」
=社会は自我に常に先行して存在し、自我は社会から生まれ、
そこにおける社会的経験と社会的活動の過程において生み出される(クーリー, 1921)
→役割取得(role-taking)を通じて具体的に形作られる
<第2章 自我とコミュニケーション>

☆マスコミは人々の「評価」や「影響」の点ではパーソナルなものにはかなわないが、
「認知」や「情報の流れ」の点では強い力を持っている(ドイッチマン&ダニエルソン)
<第8章 マス・コミュニケーション>

☆「コミュニケーション」
=2人以上の人間が意味を伝達し、その意味の伝達を通じて
互いに共通な意味を有するようになる過程
<第8章 マス・コミュニケーション>

☆「ネットワーク」
=固有の意思と主体性のあるユニットがそれぞれの自由意思で自発的に参加したまとまり
(金子, 1988)
<第5章 集団・組織のコミュニケーション>

○「自己表現」
=自分の気持ち、意志、意見、態度、思考、地位、身分などを他者に向かって表現すること
<第3章 人と人とのコミュニケーション>

○「意味の意識」
=他者の反応と自己の反応、さらにその間の関係を意識していること(ミード, 1973)
<第1章 人間のコミュニケーション>

○「意味のあるシンボル(significant symbol)」
=他者のうちに一定の反応を引き起こすと同時に、
それと同一の反応を自己のうちに引き起こすもの(ミード, 1973)
→これによって人々の共通の意味の世界(universe of discourse)が生まれる
→これは人間特有のもの
<第1章 人間のコミュニケーション>

○「創発的内省性(emergent reflexivity)」
=他者の態度を通じて自己の内面を省みて、
過去と未来を関連づけながら新たな世界を創造すること(ミード, 1973)
<第1章 人間のコミュニケーション>

○「自分自身との相互作用(self interaction)」
=人間は自我をもつ存在として物事や他者を対象化するのと同じく
自分自身を対象化して自分自身に向かって行為できるようになること
→人間は自分自身とコミュニケーションできる(ブルーマー, 1991)
<第1章 人間のコミュニケーション>

○社会規範、価値、理想に同調するときに真の自我を感じる「制度的自我」
               VS
そうしたものから解放されたときに真の自我を感じる「インパルシブな自我」
(その中にはさらにインパルス解放型とインティメート型がある)
<第2章 自我とコミュニケーション>

○「鏡に映った自我(looking-glass self)」
=人間の自我は他者を鏡として、鏡としての他者を通じて知ることができること
(クーリー, 1921)
<第2章 自我とコミュニケーション>

○役割コンフリクト=役割内(intra-role)コンフリクト&役割間(inter-role)コンフリクト
<第2章 自我とコミュニケーション>

○「役割距離」
=決められた役割期待とはズレる行為を行って、目的を達成してしまうこと
→他者の期待から相対的に自由で自律性があることを示す(ゴフマン, 1985)
<第3章 人と人とのコミュニケーション>

○「役割形成」
=既存の役割規定の枠を越えて新たな人間行為を展開すること(ターナー)
<第3章 人と人とのコミュニケーション>

○コミュニケーションの私化は結局は非私化をもたらし再社会化に進む
<第4章 電話コミュニケーション>

○「コミュニケーション合理的なもの」
=共通の状況規定のもとで相互の了解と合意が形づくられ、行為の調整がなされるもの
(ハーバーマス, 1986)
<第5章 集団・組織のコミュニケーション>

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2003 11/10
コミュニケーション論、社会学、社会心理学、心理学、教育学
まろまろヒット率3
心理学 キャリア

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『箱庭療法入門』 河合隼雄編 誠信書房 200011.04.03

LOVENABE@a Sand-Player on the AGORA.

さて、『箱庭療法入門』河合隼雄編(誠信書房)2002年第31版。

HP活動と箱庭療法が似てるような気がしたので(まろまろコラム)読んでみた、
30年以上(初版1969年)使われ続けている箱庭療法の定番テキスト。
理論篇と事例篇(9例)から構成されている。

箱庭療法を「思考、感情、感覚、観念、記憶が不可解なほどにからみ合っている」
人の治療として「視覚だけでなく触覚のような感覚の要素」をもって、
「通常の治療に必要とされる解釈や転移なしに治療できる方法」として紹介している。
(第1章:技法とその発展過程)
特に子供に有効であるということを述べているが、
思考、感情、感覚、観念、記憶が複雑にからみ合っているのは
認知科学的に言っても子供に限ったことではないし、
現に事例でも32歳の成人男性(精神分裂症)への箱庭療法による治療を紹介している。

120点も収められている事例の箱庭をぱっと見ただけで伝わってくるものがあって、
確かに言葉では表現できない心情が表現されているというのが視覚的にも納得できる。
事例篇では治療が進んでいくにつれ箱庭の感じが徐々に変わっていくのが垣間見れて、
事例の最後で治療が完了した報告を読むのと同時に
最後の箱庭を見るとうるうる来そうになってしまったこともあった。

また、箱庭を作っている時には「それを見ている治療者の存在が大切」
(第3章:箱庭表現の諸相)という点や、
最初は雑然としていたものが回を追うごとにつれてだんだんとテーマ性や
その人なりの個性がはっきりしてくるところは(事例篇)、
HP(WEBサイト)にもすごく似ているように思えた。

以下は、その他でチェックした箇所(一部要約&重要と思われるもの順)・・・

☆治療的な面から見れば箱庭療法は遊戯療法と絵画療法の中間にある
→被治療者自身が創造の過程に自ら参加し、
結果の意味を直感的にしろ潜在的にしろ把握する度合いは他の投影法の場合より大
<第2章 理論的背景>

☆箱庭の空間配置について・・・
・左側はその人の内的世界・無意識世界、右側は外的世界・意識世界を示すことが多い
・すべてが一定方向に向いているときには、左向きは退行(regression)を、
 右向きは進行(progression)を示すことが多い
(ただしこれらは例外もあるので絶対ではない)
<第3章 箱庭表現の諸相>

☆箱庭の主題になりやすいテーマ・・・
(意識を無意識を含めた)全体性の象徴、全体性の中心としての自己(Self)、
二つの世界の統合、二つの世界の領域の反転、死と再生、領域の拡大、
渡河や出立(人格発展に立ち向かう姿勢を示す)、
行列や川の流れ・動物の行進(エネルギーの流れを表す)、
給油(エネルギーの供給を表すのでガソリンスタンドの模型は大切)、
勢力が均衡している戦闘場面(単なる攻撃性ではなく新しい発展を示す)、
蛇は劇的な変容を象徴する場合が多い、
(ただしこれらは例外もあるので絶対ではない)
<第3章 箱庭表現の諸相>

○まず大切なことは、作品をできるだけシリーズとして見ること
→箱庭の作品を見たとき、それに対して全体として受ける感じ、
印象のようなものを大切にしなければならない
<第3章 箱庭表現の諸相>

○(箱庭療法の有効性について)人間に自由を与えてその内的なものを深く掘り下げた
表現をさせる場合、何らかの制限を必要とする→自由と同時に適切な制限が必要
<第2章 理論的背景>

○箱庭は治療者と被治療者との人間関係を母胎として生み出された一つの表現
=心像(image)=意識と無意識・内界と外界の交錯するところに生じたものを、
視覚的な像として捉えたもの
→心像は具象性、直接性、集約性といった特徴をもっている
<第2章 理論的背景>

○(箱庭療法は)患者が言語を手段とすることなく
保護された場面における象徴体験によって治療が進んでいく(略)
象徴の意味する点を何ら解釈して患者に伝えなくても治療がなされることもある
<第2章 理論的背景>

○統合性=分離、粗雑、貧困、機械的、固定的な要素の少ないこと

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2003 11/4
心理学、臨床心理、箱庭療法
まろまろヒット率4
心理学 キャリア

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『オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情』 R.H.フランク著、山岸俊男監訳 サイエンス社 199504.17.03

最近は屋号(?)で「まろまろさん」と呼ばれたりもする、らぶナベです。

さて、『オデッセウスの鎖ー適応プログラムとしての感情ー』
(原題”Passions within Reason-The Strategic Role of the Emotions-”)
R.H.フランク著、山岸俊男監訳(サイエンス社)1995年初版。
前に読んだ『マインドー認知科学入門』の中で「合理的思考プロセスでも感情は重要だ」
と述べられているところが一番面白かったと言うと佐倉助教授が貸してくれた一冊。

この本では自己利益追求(感情は合理的判断の邪魔)という経済学の前提条件を
感情の重要さに注目しながら修正しようとしている。
合理的自然人という考え方や利潤追求モデルは前々から批判を受けているけれど、
経済学者が経済学的アプローチから感情の重要性を考察している点が面白い。
(著者は経済学者だけど訳者は社会心理学者という点もユニーク)
だから自己利益追求モデルを否定しているわけではなく、
利益追求の意味と過程をもう一段階広くとらえようとしている。
読んでいるとちょっと無理っぽい展開だと感じる箇所もいくつかあるけれど
「その理論に反するデータを示されただけでは重要な理論は変わらない」から、
「事実により良く合致する代替理論が提出される必要がある」として
この本を書いている著者の姿勢はすごく好感が持てた。

以下はチェックした箇所の抜粋(一部要約)・・・

☆私は(略)感情が自己利益追求にうまく役立つと考えている。
 ただしその理由は、感情に駆られた行為が隠された利益を生み出すからではなく、
 合理的行動によっては解決できない重要な問題が存在しているからである。
 そういった問題の特徴は、自分に不利益な状況になっても行動を変えられないように、
 自分の行動をあらかじめ自分で縛りつけておかなくては解決できない点にある。
 →オデッセウスの故事に
<1章 自己利益を越えて>

☆「自己利益追求モデル」=人が常に効率良く自己利益を追求しようとする視点
 「コミットメント・モデル」=一見非合理な行動がコミットメント問題の解決に役立つ
               感情傾向だとする視点
<1章 自己利益を越えて>

○コミットメント問題は、後で自分の行動を変えられなくするよう、
 自分の行動をあらかじめ一定の方向に縛りつけておくと得になる場合に生じる。
 →誤魔化し、抑止、結婚など
<3章 道徳感情の理論>

☆道徳感情は報酬のメカニズムを微調整し、特定の状況で将来の報酬やペナルティに
 もっと敏感にさせるための荒削りな試みとして考えることができる。
<4章 評判>

○さまざまな不快感情を避けたいという欲求が、道徳行動を引き起こす主要な要因。
 (ケーガン)
<8章 道徳を身につける>

○愛について思慮深い人は、愛することができない。(ダグラス・イェーツ)
<10章 愛>

○判別フィルターがなければ、環境からもたらされる刺激はわれわれを圧倒してしまうだろう。
 脳は実際に意識されているよりもずっと多くの情報にアクセスしている、
 それらの情報の多くは意識されていないけれども、だからといって、
 感情や行動に何の影響も与えないわけではない。
<10章 愛>

○感情にもとづく行動はコストをともなっているように見えるが、
 そういった行動が必ずしも物質的に不利になるとは限らない。
<11章 人間の品位>

○全盛をきわめている理論は、その理論に反するデータを示されただけでは変わらない。
 事実により良く合致する代替理論が提出されてはじめて、
 既存の理論は本当の挑戦を受けることになる。(トーマス・クーン)
<12章 まとめ>

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2003 4/17
進化心理学、経済学、社会心理学
まろまろヒット率3
心理学 キャリア

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