Archive for the ‘政治学’







『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』 塩野七生著 新潮文庫 全四巻 200511.03.05


MovableType3.2の再構築エラー(カテゴリでの500エラー)でmaromaro.comの更新がまだとまっている、
らぶナベ@復旧までの間はこのメルマガで新規情報を更新しますです。

さて、『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』塩野七生著(新潮文庫)全四巻2005。

元首制を完成させたアウグストゥスに続く、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロの4人の皇帝、
いわゆる「ユリウス・クラウディウス朝」の時代をえがいたシリーズ第7段。

タイトルにあるようにこの4人の皇帝はとても評判が悪い。
ネロはキリスト教徒を最初に弾圧したローマ皇帝として暴君の代名詞にされているし(例:暴君ハバネロ)、
ティベリウスとカリグラは、その変態伝説が一人歩きしている。
僕も10代前半の頃に読んだカミュの戯曲『カリギュラ』や、
ドキドキしながら借りた映画『カリギュラ』からこの二人は変態皇帝のイメージが強かった。

こうした悪評は後の時代の誇張が入っているし、ティベリウスにいたっては根拠の無いものだ。
カプリ島で繰り広げられたとされる変態プレイは、後に伝説化して色々な物語にも出てくるけど、
単に根拠が無いだけでなく、ティベリウスのプライドの高さや潔癖すぎるほどの性格からは対極にある。
たとえばティベリウスは元老院から何度も提案された自分の神殿の建設を、
「このわたしを後世はどのように裁くであろうか(中略)
もし評価されるのならば、それこそがわたしにとっての神殿である」と言って断っている。
(変態プレイについては当時のローマ人の憧れが噂話として流通したのだろうと著者は書いている)

ティベリウスを含めた4人の皇帝たちは、後の時代につながる功績をいくつも残しているし、
大きな失策もほとんど無いので、後世に言われるほどの悪帝ではないというのが著者の主張だ。
では、彼らはなぜそんなに後世の悪名が高いのか。
それについてはローマの歴史家が彼らを悪く書いた理由について、
「なぜ、自らもローマ人であるタキトゥスやスヴェトニウスは、ローマ皇帝たちを悪く書いたのか」
という付記で著者が種明かしをしているので内容は読んでのお楽しみ。

ただ、この4人は元からして前回のアウグストゥスや前々回のユリウス・カエサルに比べると評価の難しいリーダーたちなので、
支持を得られなかった複合的な理由について、ところどころに著者が自分の見解を示しているのが面白い。
たとえば「民主制は政治のシロウトが政治のプロに評価を下すシステム」だから、
リーダーは「政治のプロとしての気概と技能は保持しながら同時にシロウトの支持を獲得する高等な技が必要」なのに、
この4人の皇帝はシロウトに対してアピールすることが下手だったり、端から意欲が無かった。
また、「賢帝と悪帝の境目は、公人と私人のバランスをいかにうまくとるかにかかっていた」のに、
このバランスを崩した(特にティベリウスを除く3人)。

そしてこの本の中で一番印象深かったのは著者が、
「歴史に親しむ日々を送っていて痛感するのは、勝者と敗者を決めるのはその人自体の資質の優劣ではなく、
もっている資質をその人がいかに活用したかにかかってくるという一事である」と述べているところだ。
確かにこの4人を見ているとすごく説得力のあるものだと感じるし、自分自身も振り返る機会になった。

他にも『寛容について(De Clementia)』でセネカが述べた、
「同情とは、眼の前にある結果に対しての精神的対応であって、その結果を産んだ要因にまでは心が向かない(略)
寛容は、それを産んだ要因にまで心を向けての精神的対応であるところから、知性とも完璧に共存できる」なども目にとまった。
評価が分かれる人物たちを取り上げているだけに、印象深い記述が多いシリーズ第7段だった。

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2005 11/3
歴史、政治
まろまろヒット率3
歴史

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『戦争プロパガンダ 10の法則』 アンヌ・モレリ著、永田千奈訳 草思社 200209.28.05


北斗の拳占いでは「雲のジュウザ」になった、らぶナベ@「我が拳は我流、我流は無型、無型ゆえに誰にも読めぬ」です。
(再放送で学習したので台詞ちゃんと覚えてます(^_^)v)

さて、『戦争プロパガンダ 10の法則』アンヌ・モレリ著、永田千奈訳(草思社)2002。

第一次世界大戦の経験を基にしてアーサー・ポンソンビーが『戦時の嘘』で明らかにした、
戦時プロパガンダ10の法則というものがある・・・

1:われわれは戦争をしたくはない
2:しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
3:敵の指導者は悪魔のような人間だ
4:われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う
5:われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる
6:敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
7:われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
8:芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
9:われわれの大義は神聖なものである
10:この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である

この本は、歴史学者の著者が一つの法則につき一章を使って、
第一次世界大戦からコソボ紛争、アフガン戦争などの最近の事例までを当てはめ、
この10の法則が現代にも通じるものだと主張している。

法則として書き出してみるとバカみたいに単純な言い訳になるだけに、
なぜいつもこの法則(というより口上)にだまされるのか、
それについて突っ込んだ考察がなされてなかったのが残念に思った。

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2005 9/28
プロパガンダ、情報・メディア、歴史、政治
まろまろヒット率2

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『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』 塩野七生著 新潮文庫 上中下巻 200411.09.04


まろまろフラッグ放浪記がついに東北の仙台まで達した
らぶナベ@フラッグをお持ちの方やお見かけの方は随時報告を待っています(^^)

さて、『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』上中下巻
塩野七生著(新潮文庫)2004年初版。

内戦終了後にローマの平和(パクス・ロマーナ)と帝政への移行に取り組んだ
34歳から77歳までのアウグストゥス(オクタヴィアヌス)をえがくシリーズ第6段。

病弱で派手さは一切ないけど、慎重でしつこいほど周到な上に野心もある・・・
一つ間違うとだいぶん嫌なやつだけど、誰もが認める真摯で寛容な姿勢で
巧妙に平和と帝政への布石を打っていくというアウグストゥスの静かな魅力が溢れる巻。
(「感動より感心を与える人物」という評がぴったり)

ちなみに著書はアウグストゥスが持っていた強烈なプレッシャーの中で生き抜く資質を・・・
1:自らの能力の限界を知ることもふくめて、見たいと欲しない現実までも見すえる「冷徹な認識力」
2:一日一日の労苦のつみ重ねこそ成功の最大要因と信じて、その労をいとわない「持続力」
3:適度の「楽観性」
4:いかなることでも極端にとらえない「バランス感覚」
・・・という風に挙げているのは興味深かった。(第三部 統治後期)

また、「平衡感覚とは(略)中間点に腰をすえることでないと思う。
両極の間の行き来をくり返しつつ、しばしば一方の極に接近する場合もありつつ、
問題の解決により適した一点を探し求めるという、永遠の移動行為ではなかろうか」
・・・と述べているのも考えさせられた。(第二部 統治後期)

アウグストゥスによってこの巻からいよいよ帝政がスタートするけど、
「帝政」と言っても古代ローマの帝政は専制君主制とはだいぶ違う。
著者は共和制時代=自由、帝政時代=圧政、という先入観に縛られすぎるのは良くないと主張する。
そういう警鐘も説得力を感じるのはアウグストゥスの人生を見た後だからだろう。

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2004 11/9
歴史、政治
まろまろヒット率4
歴史

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『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』 塩野七生著 新潮文庫 上中下巻 200410.15.04


ひょんなことから秋葉原関係の仕事を振られた、らぶナベ@駅前によく出没しています。

さて、『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』上中下巻
塩野七生著(新潮文庫)2004年初版。

『ルビコン以前』に続く「ローマ人の物語」シリーズ第5段。
カエサルがルビコン川を渡ってからの元老院派との内戦、
オリエント諸国との戦い、数々の改革、そして暗殺で倒れるまでと、
その後の後継者争いでオクタヴィアヌス(アクグストゥス)が勝利するまでをえがいている。

意外だったのはカエサルはポンペイウスとの決戦「ファルサルスの戦い」で
倍以上の兵力差の相手に対して1/4を予備兵力で残して戦って勝ち、
さらに追撃戦までやったということには少し不思議な気がした。
訓度の違いはあるけど、ほとんど同じローマ兵で編成も同じだったのに
そんなことが実現可能だったんだろうかと少し首をかしげてしまった。
ここらへんが同時代のハンニバルや大スキピオのようには
戦略戦術論の教科書にはならなかったカエサルの戦いの特徴っぽくて面白かった。

また、著者が「こうも戦闘ばかり書いているとわかったような気がするが」
という前置き付きで「戦術とは要するに、まわりこんで敵を包囲することを、
どのやり方で実現するか、につきるのではないか」と述べているのには思わず納得。
戦史上、重要な戦いを見てみると確かに「この包囲戦法のみが、
敵の主戦力の早期の非戦力化につながるからである」という気がしてくる。

そんな風に引っかかりもありながら読み終えてみると、
ローマ史上もっとも重要な期間の一つが終わったことに少し寂しさを感じてしまった。
「寛容」を掲げて頑なに対立勢力の排斥をしなかったカエサルの姿勢が
結果的に暗殺を招いたこともカエサルらしい最後のような気がした。
もちろん、もっと生きてほしかったという残念さは少し残るけど。

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2004 10/15
歴史、戦略論、政治
まろまろヒット率4

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『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』 塩野七生著 新潮文庫 上中下巻 200409.22.04


アクティヴな引きこもりにしてはめずらしく第1期生になった、らぶナベです。

さて、『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』上中下巻
塩野七生著(新潮文庫)2004年初版。

待ちに待ったカエサル編がスタートした『ローマ人の物語』シリーズ文庫化第4段。
古代ローマ史上もっとも有名な人物の1人で、後の時代に与えた影響は高く
皇帝の代名詞にまでなったユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が
ローマ掌握に乗り出したルビコン川渡河までをえがいている。

これまでカエサルにまつわるエピソードや名言は断片的にしか知らなかったので、
この本を読んではじめて彼の通した伝記を知ることになった。
だから早熟な割に30代後半になってからようやく芽が出始めた遅咲き
というのはかなり意外だったし(活躍期は40代に入ってから)、
器用に見えて不器用なカエサルにナニゲに親しみを感じてしまった。

構成的にはようやく活躍期に入った40代のガリア戦役(8年間)が半分以上を占めている。
カエサル自身が「ガリア戦記」を書いていたり発掘調査も進んでいるので
戦略・戦術面の記述や論考などの戦史的側面がとても面白かった。
また、常に法を遵守する姿勢を貫いたのに、教条主義的な法に縛られなかったという
(元老院最終勧告を無視)、彼の生き方からにじみ出る魅力に僕も惹かれた。

そんな風に面白かったけれど、これまでのシリーズに比べると
修飾語や接尾語も含めて文章の読みにくさを感じてしまった。
カエサルに対する愛情がこうさせてしまったのか?

ちなみにこの『ルビコン以前』はタイトル通りルビコン川を渡る
「賽は投げられた(jacta alea est)」で終わる。
僕は最近までこの賽(さい)のことをサイコロではなく動物のサイだと思っていた。
ハンニバルは象部隊を率いていたし、サイを投げるくらい大変な思いをして
決断するのだという風に解釈していた・・・人の勘違いとは怖いものである(^^;

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2004 9/22
歴史、戦略論、政治
まろまろヒット率4
歴史

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『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』 塩野七生著 新潮文庫 上下巻 200210.13.02


塩野七生はよく研究者から叩かれるけどその半分くらいはヒガミ節だと思う、
らぶナベ@安藤忠雄や小澤征爾に対する批判と似たものを感じます(^^)
勉強のために勉強しても仕方ない・・・とまでは言わないけど、
“歴史を学ぶ”と”歴史から学ぶ”はちょっと違ってもOKなはずさ、がんばれ七生!

さて、そんなこんなで『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』上下巻
塩野七生著(新潮文庫)2002年初版。
『ローマ人の物語』シリーズ第三段。
ポエニ戦争後、地中海の覇者となったローマの改革に取り組んだ
グラックス兄弟(第一章)、マリウスとスッラ(第二章)、ポンペイウス(第三章)を中心に
内乱と混乱の約100年を取り上げている。

内容は第一段『ローマは一日にして成らず』の時代に確立された、
政治体制の制度的疲労に対する取り組みの紆余曲折がメインとなっている。
こういう政治改革の話ではやはりローマ史は古典ではないだろうか。
(そういう意味でこの本も政治学カテゴリに追加)
ただ、純粋な物語としては前二作に比べてやはり迫力が落ちる。
どうしても『ハンニバル戦記』『ユリウス・カエサル』との間の
“つなぎ”的印象を受けてしまった。(前後作に比べて分量も少ない)
そういうわけでこの本を読み終えて「さぁ、いよいよカエサルだ!」
っと意気込んでいたが文庫化されているシリーズはここまでだった(>_< )
次の文庫化は来年まで待たなくてはいけないようでちと残念。

以下、チェックした箇所・・・

○直接民主政の欠陥の一つは、容易に投票場に来られる人の意見が
より多く反映されるところにある。
<第一章 グラックス兄弟の時代>

○(元老院制を維持するために行ったスッラの独裁について)
「理」を理解する人が常にマイノリティである人間世界では、
改革を定着させるにはしばしば、手段を選んではいられないのである。
<第二章 マリウスとスッラの時代>

○優れた能力に恵まれた人はしばしば、前段階で成しとげた事柄を定着させることで、
現に解決を迫られている事柄への打開の出発点とする。
<第三章 ポンペイウスの時代>

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2002 10/13
歴史、政治学
まろまろヒット率3
歴史

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『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』 塩野七生著 新潮文庫 上中下巻 200210.08.02


リクエストに応えて読書日記を新しい順に入れ替え中の、
らぶナベ@参考にするので引き続きご意見&ご要望お待ちしております(^^)

さて、『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』上中下巻
塩野七生著(新潮文庫)2002年初版。
『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』に引き続いて堪え性なく読んだ、
ローマ人の物語シリーズ第二段。
文庫化される前からこの第二段『ハンニバル戦記』はずっと気になっていた。
何しろ戦略や戦史を語る際には必ずと言っていいほど出てくる
カルタゴの悲劇の天才戦略家ハンニバルが主役だからだ。
今まで読んだ戦略関係の本で何度このハンニバルの名前が出てきたかわからない。
特に前216年の「カンネーの戦い」での彼の両翼からの包囲殲滅作戦、
相手の主戦力を無力化させる戦術についての考察は、
現在も欧米の士官学校では必ず習うというほどだ。
そうは言うものの彼の第二次ポエニ戦争を通した戦い方、
そしてローマとカルタゴの戦いの全体像はよく知らなかったので
この本はとても面白く読めた。
(断片的な知識がつながっていくパズル的快感)

読んでみて改めて感じたことは、ハンニバルは戦略の天才だと称されることが多いが、
ローマ同盟都市を離反させる最初の戦略プラニングで思いっきりつまずいている。
その彼の戦略・戦術がこれほどまで研究されてきたのは、
彼自身の要因に加えてローマという後に巨大な国家として
長年栄えた国を何度も破ったからというのも大きな理由なのだろう。
ローマが繁栄すればするほど、長く存続すればするほど、
ハンニバルの名前は広く長く普及するしその戦い方も詳細な記録に残りやすい。
だから後の世の研究対象にもなりやすい。
ちょうど三方ヶ原の戦いで徳川家康を破った武田信玄が江戸時代を通して
戦国最高の武将と言われたりその戦い方が研究されたりしたのと似ている。
ハンニバルはちょっと得してる(^^)

僕は彼を破ったスキピオ・アフリカヌス(大スキピオ)の方に強い興味を持った。
ローマ軍が完全に壊滅したカンネーでは司令官を救出しての脱出に成功するなど
様々な運にも恵まれていたが彼の気持ち良いほど大胆で鮮やかな戦略にはひかれる。
ちなみに地中海世界でのハンニバルと大スキピオの決戦「ザマの戦い」が前202年、
東アジアでの項羽と劉邦との決戦「亥下の戦い」もちょうど同じ前202年。
高校の世界史の教科書でこのことを発見した時には
(勉強できなかったけど教科書眺めるのは好きだった)
「東西で凡人が天才がを破った年なんだなぁ」と勝手に思っていたが
大スキピオは彼自身、非常に才気溢れる人間のようで
僕の年来のこの考えを修正することにもなった一冊。
彼についてのいい本があればまたあらためて読んでみたい。

以下はチェックした箇所・・・

☆戦争終了の後に何をどのように行ったかで、その国の将来は決まってくる。
勝敗は、もはや成ったことゆえどうしようもない。
問題は、それで得た経験をどう生かすか、である。
<第二章 第一次ポエニ戦役後>

○戦闘の結果を左右する戦術とは、コロンブスの卵であると同時にコロンブスの卵ではない。
誰も考えなかったやり方によって問題を解決するという点ではコロンブスの卵だが、
そのやり方をと踏襲すれば誰がやっても同じ結果を産むとはかぎらないという点で、
コロンブスの卵ではないのである。
<第三章 第二次ポエニ戦役前期>

○天才とは、その人だけに見える新事実を、見つけることのできる人ではない。
誰もが見ていながらも重要性に気づかなかった旧事実に、気づく人のことである。
<第三章 第二次ポエニ戦役前期>

○(ハンニバルの言葉として)多くのことは、それ自体では不可能事に見える。
だが、視点を変えるだけで、可能事になりうる。
<第四章 第二次ポエニ戦役中期>

○信頼は、小出しにしないほうが、より大きな効果を産みやすい。
<第五章 第二次ポエニ戦役後期>

☆優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。
率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。
持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。
<第六章 第二次ポエニ戦役終期>

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2002 10/8
歴史、戦略論、政治学
まろまろヒット率4

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『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』 塩野七生著 新潮文庫 上下巻 200210.02.02


堪え性がなく買ってしまった、らぶナベです。

さて、『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』上下巻
塩野七生著(新潮文庫)2002年初版。

ハードカヴァーの初版から10年たって出版された、
塩野七生のライフワーク『ローマ人の物語』シリーズの文庫版第一弾。
10年前に出たときにも読みたかったが妙に値段が高かったのと、
シリーズが全部出揃ってから一気に読みたくて手をつけずにいた。
なのに書店に並ぶ文庫本にひかれて思わず購入してしまった。
(本シリーズもまだ未完なのに堪え性がない(^^;)
手にしてみるとせっかく文庫本になったのにハードカヴァー1冊分の分量を
わざわざ分冊にしているのにはちょっと残念だなぁっと感じたが、
これは文庫は「背広のポケットに入れてもポケットが型崩れしない」
ものにするという著者の意図らしい。

内容は前書きに当たる”読者へ”で「史実が述べられるにつれて、私も考えるが、
あなたも考えてほしい。”なぜローマ人だけが”と」という呼びかけをおこなっているように、
知力でも体力でも技術力でも経済力でもまわりの諸民族に見劣りしていたローマ人が
なぜあれだけの巨大な国家を築き、長年維持できたのか、
そしてなぜ衰退したのかというという疑問がこの長い長い物語を貫くテーマになっている。

第一弾の『ローマは一日にして成らず』はローマ建国から共和制への移行、
そしてイタリア半島統一までの約五百年を書いている。
ヴェネツィアの千年史を書いた『海の都の物語』もそうだったが、
著者は社会システムについての洞察が非常にするどい。
ギリシアのポリスに使節団を送り込んでおきながら直接民主制を採用しなかった
共和制ローマについての彼女の考察は特に興味深かった。
理念に眼を曇らせない彼女の冷静な視点は読んでいて爽快感を感じるほどだ。
この本ではギリシアのポリスついてもかなり詳細な記述があるが、
もし政治学を学ぶならこの本で取り上げられていることは
前提として押さえておかないとわからない話が続出するだろうと思う。
そういう意味で政治学を学ぶ上での必須前提書でもあるのだろう。
(この時代を取り上げた他の本でもいいけどね、この本は面白いから)

「一日にして成らず」というように三歩進んで二歩下がるような
ゆっくりしたローマの成長はまだまだ始まったばかりだが、
この第一弾を読んだだけですっかり著者の問いかけに魅了されてしまった。
僕もこのシリーズを読みながら考えていこう、「なぜローマ人が?」と。

以下、チェックした箇所・・・
○神話や伝承の価値は、それが事実か否かよりも、
どれだけ多くの人がどれだけ長い間信じてきたかにある
<建国の王ロムルス>

☆多神教では、人間の行いや倫理道徳を正す役割を神に求めない。
一方、一神教では、それこそが神の専売特許なのである
<二代目の王ヌマ>

○人間の行動原則の正し手を、宗教に求めたユダヤ人。哲学に求めたギリシア人。
法律に求めたローマ人。
<二代目の王ヌマ>

○戦争は、それがどう遂行され戦後の処理がどのようになされたかを追うことによって、
当事者である民族の性格が実によくわかるようにできている。
歴史叙述に戦争の描写が多いのは(中略)戦争が、歴史叙述の、
言ってみれば人間叙述の、格好な素材であるからだ
<ペルシア戦役>

☆歴史は必然によって進展するという考えが真理であると同じくらいに、
歴史は偶然のつみ重ねであるとする考え方も真理になるのだ。
こうなると、歴史の主人公である人間に問われるのは、
悪しき偶然はなるべく早期に処理することで脱却し、
良き偶然は必然にもっていく能力ではないだろうか
<南伊ギリシアとの対決>

☆ローマ人の真のアイデンティティを求めるとすれば、
それはこの開放性ではなかったか
<ひとまずの結び>

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2002 10/2
歴史、政治学
まろまろヒット率4

追記:この約9年後の2012年1月21日に最終巻『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』を読み終えて、全巻読破。

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『文明が衰亡するとき』 高坂正堯著 新潮選書 198108.17.99


らぶナベ@今月18日にエニックス株が二部を飛び越して
東証一部に上場されるっす。
今年中に上場はあると思っていたけどまさかこんな早い時期に
それも飛び上場とは予想外っす、めざせ年内1万2千円台!(^^)

さて、『文明が衰亡するとき』高坂正堯著(新潮選書)1981年初版をば。
著者の高坂正堯は近代から現代にかけての日本の国際政治学の中でも
おそらく屈指の存在だろうと思われる国際政治学者。
沖縄返還では佐藤政権のブレインとしてその政策を支える
活躍をするなどの実践経験もある骨太な研究者。
個人的にも彼の今までの著作『国際政治』『世界史の中から考える』
『世界地図の中で考える』『世界史を創る人びと』などを通して
安易な理想主義の問題点を突っ込み、ドライな視点で現実を捉えながらも
だからといって決してすれたり投げやりにならない姿勢に好感を持っていた。
極端に楽観的になったり極端に悲観的になりがちな国際的なネタを
冷静にかつ愛情を持って見つめようとしている姿が伝わってくる書き手。
最近死んでしまったけど僕がもっとも好きな政治学者&物書きの一人。

この本はその彼の著作の中で一番の代表作というべき本。
いつか読みたいと思いながらもなぜか読む機会を見いだせなかった本、
大学院に入って本を読む時間があるというのはとても良いことだ(^^)
内容は誰もが一度は感じたことがある衰退と滅亡への
漠然とした不安、文明の衰亡論をテーマにしている。
衰亡の原因は一つだけではなくまた一直線で衰退するということも
無いために衰亡の究明は複雑になってくる。
だらこそ不安をかきたてられてどうしても安易な結論を出してしまいがちだが
この本はそういう意味では余裕がある書き方をしている。
構成としては古代ローマ、ヴェネツィアの隆盛と衰亡を軸にして
現代アメリカの苦悩と最後に海洋商業国家としての日本が戦後経済大国に
なりえた環境とその状況が変化しつつある今後の姿を示している。

昔から様々な人間を惹きつけてきた、
「ローマはなぜ滅んだか?」というテーマの大元、
古代ローマがどうして隆盛しどのようにして滅んでいったかを
これまで各時代ごとに出されてきた様々な仮説を紹介しながら
えがいているところは特に興味深かった。
確かにその時代その時代の不安がローマ衰亡論には見え隠れして
衰亡論の面白さが伝わってきて説得力がある。
また、様々な衰退要因を克服しながらも衰亡していったヴェネツィアの姿勢は
与えられた状況の中で困難に立ち向かう人間たちのカッコ良さを感じる。
そしてそれは領土も資源も無く海洋に面している
商業国家という点で似ている日本の姿をだぶらせてしまう。
(安易な類似は危険だけれど)

悲壮感が漂いそうなテーマでありながら決して感情的に高ぶったり
安易に悲観論に走らない、だからといって味気なく無いところは
さすが高坂史観だと思わせてくれる。
どうも僕は司馬遼太郎といい、高坂正堯といい、
安易な理想論や無責任な感情論に対して誰にも文句を言わせないほどの
資料調べとそれに基づく歴然とした事実を武器にして批判し、
それだからこその説得力を持って現実に絶望しないで
ユーモアを感じさせてくれる関西人的な書き手が好きなようだ。
(事実、二人とも根っからコテコテ関西人)
時にそれは感情論者や理想論者を逆なでしてしまうのだろうけど(^^;
現実的な視点で軟弱な理想主義を非難しつつも投げやりにならない
骨太な希望論は僕も心がけていきたいものだ。
たとえそれが避けがたい衰亡論のような一見絶望的なものであっても
それが必要だと、そう思わしてくれる名著だった。

以下、眼についた箇所の抜粋・・・
・ある時代に強力であった説というものは、時代おくれとして
簡単に片づけられないものなのである。

・ローマは狭い視野で、勝利の成果をむさぼろうとせず、
寛大に扱ったのであり、それ故、支配を永続させることができたのであった。

・財産の平等が質素を維持するように、質素は財産の平等を維持する。

・土木と法はローマ人がもっとも秀れていたところ

・権力と富を享受しうるようになったローマで、敢えてそれから逃避せず、
しかし、その奴隷にならないよう日毎自らをいさめ誘惑と戦う

・大衆は普通、彼等の属する集団やその価値によって自己を規制している。
そうしたものがなくなったとき、大衆は手取り早い方法で欲するものを
得ようとするのであるから、個人が原子化されているのが
大衆社会の特徴である。当然そこでは、大衆は操作され易い。

・幸運に臨んでは慎み深く、他人の不運からは教訓を学んで、
つねに最善をつくす

・巧妙な外交をおこなうものは、
契約を破ったりは滅多にしないものなのである。

・よい政治体制とは国内の活力と多様性とを保ちながら、
秩序と安定とを与えるもの

・勝敗の分かれ目はレーンが述べたように
「社会を組織する能力」の差にあった。
(ジェノヴァに勝ったヴェネツィアの要因)

・挫折は自らの限界を悟らせる。そして、人間は知恵を持つようになる。

・幸運に助けられた目ざましい成功と、どうしても克服できない脆弱性、
その二つが通商国家の運命であるというほかない。

・それをしていることを十分に承知している人間の行う偽善は、
有効であるとともに、かつ芸術的に美しい

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1999 8/17
歴史、政治学、エッセイ
まろまろヒット率5

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『君主論』 マキアヴェッリ著、河島英昭訳 岩波文庫 199805.27.99


「チェキッ娘」の人数がわからなくて迫り来る年波を感じてしまう、
らぶナベ@そういえば「YURIMARI」の見分けもできないっす(^^;

さて、今回はけっこうな大著なのでいきなり本題をば・・・
『君主論』マキアヴェッリ著、河島英昭訳(岩波文庫)1998年第一版発行。
さとまん教授から「『君主論』にすごく良い新訳が出た」と聞いたので
いまさらながら読んでみようと思った古典の名著。
っというか一度はきっちりと精読しておかないといけないだろう本。
実際に新訳を読んでみるとそのそつの無さを感じた、一読の価値あり。
昔から様々な批判を浴びている本でありながら
いまだに読み継がれているという事実がこの本の価値を物語っているだろう。
ちなみにさとまん教授とT教授によると政策科学部生にとって
本質的な点でもっとも重要なものはこの本に出てくる、
「virtu」(この訳者は「力量」と訳している)らしい。

さて、内容の方はこの本自体が古い時代の古典だということに加えて
著者のマキアヴェッリ自身もダンテの『新曲』の影響を受けまくっていて
よくわからない比喩や回りくどい言い方をして書いているので
理解に苦しむ箇所がかなりある。
それに対して訳者は様々な資料を洗い直して
原典(主にカゼッラ版)への独自の考察を元に新訳をしている。

特に訳者の見解としてこの本の構成を・・・
『君主論』
前半<君主政体論>
(その一)第一章ー第十一章
(その二)第十二章ー第十四章
後半<君主論>
(その一)第十五章ー第二十三章
(その二)第二十四章ー第二十六章
・・・と前半と後半に分類しているのは非常に興味深い。

以下の「○」はチェックした項目、
「☆」は特に重要であると思われた箇所・・・

第三章:複合の君主政体について
○「戦争を避けるために混乱を放置してはならない」

第四章:アレクサンドロスに征服されたダレイオス王国で、
アレクサンドロスの死後にも、その後継者たちに対して
反乱が起きなかったのは、なぜか
○「(君主政体の違いについて)一つはひとりの君主と
他はすべてが下僕である者たちによって治められる方法・・・
いま一つはひとりの君主と封建諸侯たちによって治められる方法」

第五章:征服される以前に、固有の法によって暮らしていた
都市や君主政体を、どのようにして統治すべきか
○「獲得された諸政体が、固有の法によって自由に生活するのに
慣れてきたものであるときには、支配を維持するための方法は三つある。
第一は、これらを壊滅させること。第二は、みずからそこへ移り住むこと。
第三は、固有の法によって暮らすのを認めながらも、
内部にあなたと密接な関係を保つ寡頭政権を確立し、
租税を取り立てること。」

第六章:自己の軍備と力量で獲得した新しい君主政体について
☆「新制度の導入者は旧制度の恩恵に浴していたすべての人びとを
敵にまわさねばならない。・・・そして新制度によって恩恵を受けるはずの
すべての人びとは生温い味方にすぎない・・・この生温さが出てくる原因は、
一つには旧来の法を握っている対立者たちへの恐怖心のためであり、
いまひとつには確かな形をとって経験が目のまえに姿を見せないかぎり、
新しい実態を真実のものとは信じられない、人間の猜疑心のためである。」
              ↓
☆「したがって、これら改革の側に付く者たちが自分の力で立っているのか、
それとも他者の力に依存しているのかを、
すなわち自分たちの事業の遂行にさいして、彼らが祈っているだけなのか、
それとも実力を行使できるのか、仔細に検討しておかなければならない。」

○「ここから生まれてきた事実によれば、軍備ある予言者はみな勝利したが、
軍備無き予言者は滅びてきた。・・・人民は本性において変わりやすいので、
彼らを一つのことを説得するのは容易だが、
彼らを説得した状態に留めておくことは困難であるから。」

第九章:市民による君主政体について
○「賢明な君主は、いついかなる状態のなかでも、
自分の市民たちが政権と彼のことを必要とするための方法を、
考えておかねばならない。
そうすれば、つねに、彼に対して彼らは忠実でありつづけるだろう。」

第十二章:軍隊にはどれほどの種類があるのか、また傭兵隊について
○「すべての政体が・・・持つべき土台の基本とは、
良き法律と良き軍隊である。」

第十四章:軍隊のために君主は何をなすべきか
○「精神の訓練に関しては、君主は歴史書を読まねばならない。
そしてその内に卓越した人物たちの行動を熟慮し、
戦争のなかでどのような方策を採ったかを見抜き、
彼らの勝因と敗因とを精査して、
後者を回避し前者を模倣できるように勤めねばならない。」

第十五章:人間が、とりわけ君主が、
褒められたり貶されたりすることについて
☆「いかに人がいま生きているのかと、
いかに人が生きるべきなのかとのあいだには、非常に隔たりがあるので、
なすべきことを重んずるあまりに、いまなされていることを軽んずる者は、
自らの存続よりも、むしろ破滅を学んでいるのだから。
なぜならば、すべての価値において善い活動をしたいと願う人間は、
たくさんの善からぬ者たちのあいだにあって破滅するしかないのだから。」

○「悪徳からも、可能なかぎり、身を守るすべを知らねばならないが、
それでも不可能なときには、さりげなくやり遣り過ごせばよい。」

第十六章:気前の良さと吝嗇について
○「賢明であるならば、君主は吝嗇ん坊の名前など気にしてはならない。」

○「奪い取らないことによって、
無数に近い人びとのすべてに気前の良さを示し、また与えないことによって、
少数の人びとのすべてに吝嗇を行使することんある。」

○「君主たる者は・・・吝嗇ん坊の名前が広まるのを・・・
いささかも気にしてはならない。
なぜならばこれを彼をして統治者たらしめる悪徳の一つであるから。」

☆「その君主は自分のものや自分の臣民のものを費やしてきたのか、
それとも他人の所有物を費やしてきたのか。
第一の場合ならば、控え目にすべきである。
第二の場合ならば、いかなる形の気前の良さも惜しんではならない。」

○「気前が善いと呼ばれたいばかりに、憎しみにまみれた悪評を生み出す
強欲という名前へ陥ってゆくよりは、
むしろ憎しみの混ざらない悪評を生み出す吝嗇ん坊という名前を
身につけてゆくほうが、はるかに賢明なのである。」

第十七章:冷酷と慈悲について。
また恐れられるよりも慕われるほうがよいか、それとも逆か
○「君主は、慕われないまでも、憎まれることを避けながら、
恐れられる存在にならねばならない。」

第十八章:どのようにして君主は信義を守るべきか
○「闘うには二種類があることを、知らねばならない。
一つは法に拠り、いま一つは力に拠るものである。
第一は人間に固有のものであり、第二は野獣のものである。」
            ↓
☆「君主には獣を上手に使いこなす必要がある以上、
なかでも、狐と獅子を範とすべきである。
なぜならば、獅子は罠から身を守れず、狐は狼から身を守れないからゆえに。
したがって、狐となって罠を悟る必要があり、
獅子となって狼を驚かす必要がある。」

○「君主たる者に必要なのは、先に列挙した資質のすべてを
現実に備えていることではなくて、
それらを身につけているかのようにみせかけることだ。
いや、私としては敢えて言っておこう。
すなわち、それらを身につけてつねに実践するのは有害だが、
身につけているようなふりをするのは有益である、と。」
            ↑
○「あなたの外見をだれもが目で知ってはいても、
あなたの実態に手で触れられるのは少数の者たちだけであるから。」

第十九章:どのようにして軽蔑と憎悪を逃れるべきか
○「陰謀に対して君主がなすべき最も強力な手当の一つは、
大多数の人びとから憎まれないことである。」

第二十章:城砦その他、君主が日々、政体の維持のために、
行っていることは、役に立つのか否か
○「君主たちが既存の政体を新たに征服したさいに、
その政体の内部にありながら支持してくれた者たちがいたときには、
自分を支持してくれた者たちがいかなる理由で支持に踏み切ったのかを、
よく考え直して、思い返す必要があるということだ。
そしてその理由が、自分たちに寄せられた自然の敬愛のためではなく、
単に彼らが元の政体に満足していなかったためだけであるならば、
彼らを味方にしておくことは困難であり到底かなわぬであろう。
なぜならば、彼らを満足させることは不可能であるゆえ。
・・・満足していないがために、相手の味方について、
それまでの政体が征服されるのに力を貸したがごとき者たちよりも、
以前の政体に満足していたがために敵対した者たちのほうが、
己の真の味方になることは、はるかに容易に看て取れるであろう。」

第二十一章:尊敬され名声を得るために君主は何をなすべきか
○「旗幟を鮮明にする態度は、中立を守ることなどよりも、
つねに、はるかに有用である。・・・勝ったほうには、
逆境のなかで助けてくれなかった疑わしい味方など、要らないし、
負けたほうには、武器を執って自分と運命を共にしたがらなかった、
あなたのことなど、受け容れられるはずもないから。」

☆「慎重な心構えとは数々の不都合の特質をよく見分けて、
最悪でないものを良策として選び取ることにある。」

第二十三章:どのようにして追従者を逃れるべきか
☆「良き助言というものは、誰から発せられても、
必ず君主の思慮のうちに生まれるのであり、
良き助言から君主の思慮が生まれるものではない。」

第二十五章:運命は人事においてどれほどの力をもつのか、
またどのようにしてこれに逆らうべきか
○「運命がその威力を発揮するのは、人間の力量がそれに逆らって
あらかじめ策を講じておかなかった場所においてであり、そこをめがけて、
すなわち土手や堤防の築かれていない箇所であることを承知の上で、
その場所へ、激しく襲いかかってくる。」

○「私としてはけれどもこう判断しておく。
・・・慎重であるよりは果敢であるほうがまだ良い。
なぜならば運命は女だから・・・
そして周知のごとく冷静に行動する者たちよりも、
むしろこういう者たちのほうに、彼女は身を任せるから。
それゆえ運命はつねに、女に似て、若者たちの友である。」

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1999 5/27
政治学、心理学、リーダーシップ論、哲学
まろまろヒット率5

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