Archive for the ‘哲学・思想’







『哲学の謎』 野矢茂樹著 講談社 199602.05.11


最近、何かのCMのように”no reason”と”priceless”を使う機会がある、まろまろです。

さて、『哲学の謎』野矢茂樹著(講談社)1996。

「5分前に世界が創られた可能性を否定できるだろうか?」 (2:記憶と過去)
「時は本当に流れているのだろうか?」 (3:時の流れ)
「正常と異常との違いは何だろうか?」 (6:規範の生成)
・・・などの哲学の論点を取り上げた哲学書。

この本が面白いのは、タイトルにあるように哲学的な論点をあくまでも謎としている点だ。
そのために結論はなく、謎に対して二人の人間が対話をするスタイルになっている。
しかも、二人の人間というのは二人とも著者のことで、自分自身の心の中の対話を本にしている。

これは哲学を「考えることを考えること=thinking of thinking)」と捉えることが一番納得する僕の理解と合致する姿勢。
そして、こうした哲学的な姿勢について、本文の中で・・・
実生活には無関係かもしれない。
しかし、こんな懐疑に辿り着いてしまうというのも、きわめて人間的な現象だ。
そして、この懐疑に「何か気持ち悪い」と反応するのもまた、きわめて人間的な現象にほかならない。
だから、その気持ち悪さから目をそらさずにこの懐疑をもっと見つめてみることで、われわれ自身を知ることができるかもしれない。
実際、ここには哲学が問題にすべき何かがある。
この懐疑そのものはきっかけにすぎないかもしれないが、これをバネにして何か開けてくるかもしれない。
(4:私的体験)
・・・と意義づけていることが一番印象に残った。

実はこの哲学書は、こうした姿勢と接するために読んでみた本でもある。
去年は松阪などで社会的な役割を果たす機会に恵まれたけれど、その中で自分には結論をいそぐ傾向があることを自覚させられることが何度かあった。
普段は即断即決することが多くても、時には結論を焦らず、本文にあるようにじっくり「気持ち悪い問い」と向き合う必要性を感じさせられた。
そこで、同じく去年に開催したまろまろ茶話会2010の本の交換会でまろみあんの方が紹介されていたこの哲学書を、今回ひもとくことになった。
本は書かれた内容だけでなく、書かれた姿勢と接するために読むものだということをあらためて感じさせられた一冊。

ちなみに、この本と出会えたのも、結論がないこのまろまろ記を通じたご縁があったからこそ。
いま読書日記を読んでいるまろみあんの方も、結論をいそがずお付き合いいだけると嬉しい☆

この本をamazonで見ちゃう

2011 2/5
哲学書
まろまろヒット率4

Posted in 哲学・思想, 読書日記, with 1 Comment →

『本居宣長』 城福勇著 吉川弘文館 198812.08.10


松阪星座占いでは本居宣長タイプの、まろまろです。

さて、『本居宣長』城福勇著(吉川弘文館)1988。

江戸中期に国学を大成した本居宣長の伝記。
『古事記伝』『玉くしげ』などで知られる本居宣長の人生を、彼の研究と思想の過程を詳細に追いながら実証的に解説している。
最近、ご縁があって松阪にご奉公する機会を得たので、これまで断片的な知識だった本居宣長のことを一通り知ろうと手に取った一冊。
(本居宣長は松阪を代表する歴史的人物)

読んでいて特に興味を持ったのは、本居宣長の思想の本質である「物のあはれ」について解説しているところだ。
たとえば・・・

○「物のあはれ」は「物」と「あはれ」の複合語であるから、それは物の心、事の心をわきまえ知るという、むしろ知性的な働きと、
あはれという感歎・感動が総合統一されたものであり、知性と感性が見事に調和されて、
知ることが同時に感じることであるような、ある種の境地がひらけてくるといえよう。
<第3章 文学説確立期>

○人は、「物のあはれ」に堪えぬときは、言うまいとしても言わずにおれない。
これはやむにやまれぬ人情の自然というもので、歌・物語とは結局そのような人の心の本然に基づいて詠み出され、語り出されたものであり、
したがってこれを詠み、聞き、書くことに何の利、何の益があるかなどと問うのは、もとより間違っている。
こう考えて宣長は、「物のあはれ」を知ることを以て『源氏物語』の本意と考え、
やがて和歌を含めて、広く文芸の本質は「物のあはれ」を知ることにあるとして文芸本質論を展開したのである。
<第3章 文学説確立期>

○文芸本質論としての「物のあはれ」説が、宣長の歌学者としての知的反省なら、「雅」の論は詠歌の、歌人としての体験の漂白であるといえよう。
彼の歌・物語に対する見解には、この二つのものが常に交錯してあらわれているがゆえに、案外わかりにくいところがある。
<第3章 文学説確立期>

・・・とするところは、これまで自分の中では断片的だった本居宣長の思想が立体的に把握できたように感じられた。

また、本居宣長の性格は基本的に穏健中正だったけれど・・・

○自己の信念に忠実な余り多少「狂信的な神経」を出してしまうところもある。
<第8章 風貌・性格など、および死>

・・・と評価されるところや、本居宣長の死の前年に詠まれたとされる・・・

○「わがよはひのこりすくなしいくかへりよめどもあかぬ書(ふみ)はおほきに」
<むすび>

・・・という歌などを知ると、確かに松阪星座占いの結果もあながち外れてはいないと思えるほどの親近感を覚えた(w

この本をamazonで見ちゃう

2010 12/7
歴史、国学、思想、文化論
まろまろヒット率3

Posted in 哲学・思想, 文化論・美学, 歴史, 読書日記with No Comments →

『文学の記号学―コレージュ・ド・フランス開講講義』 ロラン・バルト著、花輪光訳 みすず書房 199802.04.10


ちょっとした試験に通ったので特命係長プレイとして4月から倫理も担当することになった、
まろまろ@人類の哲学・思想・宗教の流れを知ることは、自分が悩んだり迷ったりした時に大きな参考になると思ったからです☆

さて、『文学の記号学―コレージュ・ド・フランス開講講義』ロラン・バルト著、花輪光訳(みすず書房)1998。

副題にあるように、ロラン・バルトがおこなったコレージュ・ド・フランス(Collège de France, CdF)の講義をまとめた一冊。
原題は”Leçon: Leçon inaugurale de la chaire de sémiologie littéraire du Collège de France” (1978)。

読んでみると、まずロラン・バルトが文学の定義を・・・
「私が文学という語によって意味するのは、一群または一連の作品のことではなく、それにまた、商売や教育上の一部門のことでもない。
ある実践、各という実践が残す痕跡からなる複合的な書き物(グラフ)のことである」
・・・と広がりを持って捉えているところが注目された。

また・・・
「たとえ権力の外にある場所から語ったとしても、およそ言説には、権力(支配欲 libido dominandi)がひそんでいる」
・・・と指摘しているのは、インターネットで情報を発信する自分自身のことを振り返ることになり、
またmixi日記などで無自覚に支配欲を発揮する人たちのことも重ね合わせて考えさせられるものがあった。

そして論旨を展開しながら・・・
「科学は粗雑であり、人生は微妙である。そしてこの両者の距離を埋めるからこそ、文学はわれわれにとって重要なのである」
・・・と言い切っているところも印象深い。

講義の最後で・・・
「一生のうちには、自分の知っていることを教える時期がある。しかしつぎには、自分の知らないことを教える別の時期がやって来る。それが研究と呼ばれる」
・・・と述べているのは、すごく良い表現だと感じた。

とはいえ、ロラン・バルトの言っていることはコロコロと変わっている(「転位」)し、使っている用語もかなり曖昧なもので、何だかよく分からないところも多い。

そんな分かりにくい講義内容でも、この本の半分にもなる訳者の解説が付いているので、通読すれば理解しやすいように工夫されている。
訳者が解説の中で・・・
「彼の本質的寄与は(中略)彼の言表の内容にあるのではなく、言表の仕方にあるのだ」
・・・というロラン・バルトの評価を紹介しているように、
エクリチュール(écriture、言説)の快楽に注目したロラン・バルトのあやしい魅力があふれる講義録。

この本をamazonで見ちゃう

2010 2/4
文学論、記号論、思想
まろまろヒット率3

Posted in 哲学・思想, 文化論・美学, 記号論, 読書日記, with No Comments →

『ピュタゴラス派―その生と哲学』 ブルーノ・チェントローネ著、斎藤憲訳 岩波書店 200007.15.09


まろまろ@今週土曜日は、久々に東京大学駒場キャンパスでコメンテイターをします

さて、『ピュタゴラス派―その生と哲学』ブルーノ・チェントローネ著、斎藤憲訳(岩波書店)2000。

「ピタゴラスの定理」で有名な、ピュタゴラス(ピタゴラス、Pythagoras)とピュタゴラス派の哲学史本。

哲学、数学、科学、政治にまで大きな影響を与えたとされる、ピュタゴラスとピュタゴラス派(主義)は、
さまざまな伝説に彩られている上に、偽書も多く、実態が神秘のベールに包まれている。
ピュタゴラスには最近何かとご縁があるので、この伝説的な知の系統に実証的なアプローチするこの本を手に取った。

読んでみると、現存する文献、資料の断片を紹介して、批判を加えながら、ピュタゴラスとピュタゴラス派の実像にせまっている。
その結果、ピュタゴラスとピュタゴラス主義は「何よりもまず一つの生(bios)のあり方を意味する」ものであり、
「ピュタゴラスの知が本質的に宗教的なもの」であることを明らかにしている。
それが歴史を経るに従って、プラトンとプラトン主義によって権威づけられていく過程がえがかれている。

中でもプラトンとプラトン主義が、ピュタゴラスの伝説とカリスマ性を権威づけに利用していった過程が印象深い。
後世の人々が権威付けのために伝説的な人物の名前を借りるという点では、
日本の厩戸皇子(聖徳太子)や空海(弘法大師)にも見られる傾向で、ある種の人間の本能かもしれない。
(ピュタゴラスの方がはるかに巨大な影響を与えているけれど)

訳者があとがきで「出来上がった哲学史の記述ではなく、哲学史研究の工事現場を訪れる趣が本書の最大の特徴」と書いているように、
原典である資料、文献の丁寧な紹介と批判をしているので、入門書のように気軽には読みこなせない本でもある。
ただ、それは「機械的必然と恣意の間のどこかに合理性の基準を打ち立てることこそが古典学を始めとする人文学の役割」であり、
「その目的は権威に仕えることではなく、正しい批判によって人を権威から自由にすること」を目指した本として好感が持てた。

この本をamazonで見ちゃう

2009 7/15
哲学、歴史
まろまろヒット率4

Posted in 哲学・思想, 歴史, 読書日記with No Comments →

『ピュタゴラスの旅』 酒見賢一著 集英社 200107.02.09


実は最近ピュタゴラスにご縁がある、まろまろです。

さて、『ピュタゴラスの旅』酒見賢一著(集英社)2001。

「ピュタゴラスは旅人であった」

・・・ピュタゴラス教団の教主、ピュタゴラスは突発的な旅に出る。
教団はピュタゴラスの旅に後継者と期待される英才の少年、テゥウモスを同行させる。
輪廻転生を信じ、無知な人々の期待に応えようとするピュタゴラスの態度に、少年テゥウモスは疑問を感じてゆく・・・

表題の『ピュタゴラスの旅』を含む五編の短編集。
何と言っても表題の『ピュタゴラスの旅』が印象深い。

伝説に包まれた哲学者、ピュタゴラス(ピタゴラス,Pythagoras)を主役にした歴史小説というだけでも珍しいけれど、
宗教的な救いに応えるピュタゴラスと、科学の探究を求める弟子テゥウモスとの対立の中に、
宗教と科学と哲学が、まだ渾然一体だった時代の思想性がえがかれている。
「旅」の意味が、実際の旅と、精神の探求の意味の両方が重ねあわせられている短編。
この本をamazonで見ちゃう

2009 7/2
歴史小説、哲学
まろまろヒット率3

Posted in 哲学・思想, 小説, 歴史, 読書日記, with No Comments →

『この哲学者を見よ―名言でたどる西洋哲学史』 ピエトロ・エマヌエーレ著、泉典子訳 中央公論新社 200511.04.08


まろまろ@「ミスチる」をまろまろ用語集にアップしました(^_-)

さて、『この哲学者を見よ―名言でたどる西洋哲学史』ピエトロ・エマヌエーレ著、泉典子訳(中央公論新社)2005。

現代イタリア哲学を代表する哲学者による、西洋哲学史。
その哲学者の哲学・思想を象徴する名言を紹介しながら哲学史をたどっているので、名言集としても読める一冊。
原題はデカルトの「我思う、故に我在り」を意味する”Cogito Ergo Sum” (2001)。

内容は、名言を中心にしていることに加えて、文章が軽やかなので哲学書にしてはスイスイと読めるものになっている。
それでも基本的な思想、概念はきっちりと押さえてあるのがポイント高い。
「大まじめでも不まじめでもない、小まじめな哲学史」と訳者があとがきで表現しているのはまさにその通りだと感じた。

また、単に高名な哲学者たちの名言を紹介するだけでなく、解説の中で著者自身の言葉で語っている部分も興味深いものが多い。
たとえば・・・

神秘主義的な傾向の強いプラトンが弁証法にたどりついた過程を解説しているところで、「哲学者は示唆するだけではなくて、説明もできなければならない」と述べているところ。
<プラトン―そべてはイデアの影にすぎない>

スピノザの流転性を解説しているところで、「誰も故郷では預言者などやってられない」と述べているところ。
<スピノザ―孤独な形而上学者>

・・・などは著者の哲学者としての視点を垣間見せる箇所だと感じた。
今まで読んだ西洋哲学史の中では指折りの良書としてお勧めの一冊。

以下はその他でチェックした箇所・・・

エピクロスの主張:「将来への心配の対処法は、あらゆる望みを叶えようなどとはしないで、必要で当然な望みだけを考えればいい」。
<ゼノンとエピクロス―柱廊の哲学と庭園の哲学>

ヴォルテール:「神がいないなら創らねばならぬ」。
<ヴォルテールとルソー―パラドックスは活性剤>

ヘーゲル:「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」。
<ヘーゲル―理性探求のエース>

ニーチェ:「人間の偉大さを私が表す言葉は『運命愛』である。必要なことは、運命をただ耐えることではなく、ましてや無関心でいることでもなく、愛することなのだ」。
<ショーペンハウアー、マルクス、ニーチェ―近代の反逆者>

フッサール:「哲学者でいたければ常識には背を向けよ」
<フロイトとフッサール―無意識と意識の戦い>

この本をamazonで見ちゃう

2008 11/4
西洋哲学史、名言集
まろまろヒット率4

Posted in 名言集, 哲学・思想, 歴史, 読書日記, with No Comments →

『世界を変えた、ちょっと難しい20の哲学』 フランソワ・ダゴニェ著、宇波彰訳 PHP研究所 200610.01.08


ちょっとしたお手伝いのお礼にJR西日本の株主優待券をいただいたので旅ろうかと思う、
まろまろ@西日本のまろみあんのみなさんよろしくお願いします(^^)v

さて、『世界を変えた、ちょっと難しい20の哲学』フランソワ・ダゴニェ著、宇波彰訳(PHP研究所)2006。

現代フランス哲学を代表する著者による西洋哲学史。
哲学者たちを時系列で並べていく一般的な哲学史のスタイルを批判して、哲学の「流れ」ではなく「断絶」の方に注目して哲学史をまとめた一冊。
原題は”Les Grands Philosophes et leur philosophie : Une histoire mouvemente’e et belliqueuse, Empe^cheurs de Penser En Rond” (2003)。
直訳すると「偉大な哲学者達と彼らの哲学」という感じ。

この本の中で著者は、哲学で最も重要な役割はこれまでの哲学を否定して新しい哲学を打ち立てることであるので、
百科全書的な哲学史ではその哲学の持つ本当の意味を理解することはできないと主張している。
そこで新規性と革新性を明らかにするために、哲学の連続性では無く、断絶に注目して哲学史を解説している。

読んでみると、著者の意図通り哲学の歴史に名前を残した哲学者たちが先行者をいかに批判・否定していったかがよくわかるようになっている。
ただし、この内容をタイトル通り「ちょっと難しい」と感じるのか、「だいぶ難しい」感じるかは個人差が大きいと感じた(w

以下はチェックした箇所(一部要約含む)・・・・

○哲学者たちがプラトン、デカルト、カントに近づく理由
=精神だけに組織する力があり、実存はかたちが無くてどの方向にも折れ曲がる劣ったもの、
という考え方を広めるキャンペーンに参加したから
<はじめに>

○プラトンの主要な論点=話されることばが交換を生み出し、関係を作る
→話しことばが録音され伝達できるコミュニケーション技術の発達によりプラトンのテクストは再び力を得る
<プラトンー哲学という考え方の基礎をつくる>

○アリストテレス哲学の根幹=根幹質料形相論=材料にかたちを与えて存在ができるという考え方
→実存する実態の別名
→イデア(決定因)は質料に刻み込まれる
<アリストテレスー大切なのは幸福になること>

この本をamazonで見ちゃう

2008 10/1
哲学史
まろまろヒット率3

Posted in 哲学・思想, 歴史, 読書日記, with No Comments →

『老子・荘子―中国古典百言百話』 守屋洋編 東洋経済新報社 200709.26.08


関東の東の端にある犬若食堂にいってきた、まろまろです。

さて、『老子・荘子―中国古典百言百話』守屋洋編(東洋経済新報社)2007。

老荘思想(タオイズム)の開祖、老子と荘子の中から100個の言葉と100話のエピソードを編集した一冊。

老荘思想は、中国の思想史の中で儒教のカウンターパートとして存在し続けたように、読んでみるとのびやかでしなやかなものが多い。
たとえば、「有の以って利を為すは、無の以って用を為せばなり」(第11章)という言葉からは、
確かに業績やキャリアにこだわる人に限って中身が無かったり薄っぺらい印象を受けることの理由を説明してくれていると感じた。
また、「足るを知れば辱められず、止るを知れば殆うからず」(第44章)という言葉からは、
何かを得ることばかり夢中になることの危険性を端的に表現したものとして印象深い。

ただ、現代語訳と解説をしている編者のコメントが、「昔はよかった」という感じでまとめられたり、
「そうは言っても難しい」となったりするものが多くて、何だか負け犬のつぶやきのように思えてしまった。
老荘思想は一つ間違えると、単なる拗ねた人間の戯言にすぎなくなるということをあらためて感じた本でもある。

以下は、その他でチェックした箇所・・・

○人を知る者は智なり。自らを知る者は明なり(第33章)

○日にこれを計りて足らず、歳にこれを計りて余りあり(庚桑楚篇)

○至人はすなわち能く世に遊びて辟せず、人に順いて己を失わず(外物篇)

○楽しむ所は窮通に非ざるなり(譲王篇)

この本をamazonで見ちゃう

2008 9/26
名言、思想
まろまろヒット率3

Posted in 名言集, 哲学・思想, 読書日記, with No Comments →

『孔子伝』 白川静著 中央公論新社 200301.11.08


まろまろ@今月は東京にいます(^_-)

さてさて、『孔子伝』白川静著(中央公論新社)2003。

儒教の開祖、孔子(孔丘、Confucius)について定評のある伝記。
中心におくにせよ、否定するにせよ、東アジアの社会と文化にとっては儒教は無視できない思想。
しかし、その思想の始祖である孔子は、ソクラテスと同じように実際には何も書き残していない。
この本は「哲人の事業が、ひとえにその人の言行によってのみ示されるとすれば、伝記こそ、その思想でなければならない」として、
後世の美化や粉飾を差し引いて(『論語』もかなり怪しい部分が多い)孔子の人生に迫ろうとする一冊。

読んでみると、孔子は巫女の非嫡出子であり、シャーマン的な側面の強い人物であったという仮説を打ち立てている。
また、孔子とその弟子たちも後世の美化された思想集団ではなく、反体制的な生々しいカルト教団だった可能性を示唆している。

特に興味を持ったのが、『論語』と『聖書』との共通点を指摘している部分だ。
ナザレのイエス(イエス・キリスト)も孔子も、聖人として美化されやすいけれど、実際はかなり人間くさかった可能性が高い。
そんな彼らの思想を受け継いだ『論語』も『聖書』も「敗北者のための思想」としているのは印象深い。

この本をamazonで見ちゃう

2008 1/11
歴史、思想、宗教
まろまろヒット率3

Posted in 哲学・思想, 宗教学, 歴史, 読書日記, with No Comments →

『論理哲学論考』 ウィトゲンシュタイン著、野矢茂樹訳 岩波書店 200310.08.07


この本で読書日記500冊目になった、まろまろ@数の追求はしていないとはいえ一つの区切りを感じてます(^^)v

さて、『論理哲学論考』ウィトゲンシュタイン著、野矢茂樹訳(岩波書店)2003。

20世紀を代表する哲学者、ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン(ヴィトゲンシュタイン)の代表的著作。
原題は”Tractatus Logico – Philosophicus” (Ludwig Josef Johann Wittgenstein, 1922)。
前期ウィトゲンシュタインの考えをまとめたものだけど、そもそも著者の生涯で完成された著作はこの一冊のみ。

ウィトゲンシュタインと言えば、数々の伝説的なエピソードで知られている哲学者だけど、
実際に読んでみると確かにまずウィトゲンシュタインの孤高ぶりがよく伝わってきた。
「私がいっさい典拠を示さなかったのも、私の考えたことがすでに他のひとによって考えられていたかどうかなど、
私には関心がないからにほかならない」(序)
・・・と言い切っているところなどは彼の唯我独尊ぶりがある意味でまぶしい。

ウィトゲンシュタインはこの本を書いた頃(前期)の考えの誤りを後に修正するけれど、この本がすべて否定された訳ではない。
たとえば・・・
「哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
哲学は学説ではなく、活動である。
哲学の仕事の本質は解明することにある
哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
思考は、そのままでいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。」(4.112)
・・・という部分などは、ウィトゲンシュタインの哲学に対する変わらないスタンスとして印象深い。

また、この『論理哲学論考』には初版からバートランド・ラッセルの解説がついていて、それが議論になったことでも知られるけれど、
日本語版は訳注が用語集としても書かれているので読む際の参考として役立った。

ちなみにこの本は、後にウィトゲンシュタインが博士号を取得するための博士論文として提出されている。
口頭試問の後に、試験官だったラッセルとムーア)の肩を叩いて、
「心配しなくていい、君たち理解できないことは分かっている」と言ったという伝説も含めて、
哲学書としてだけでなく一つの生き様を表現した本としても読める一冊。

以下はその他でチェックした箇所(一部要約含む)・・・・

○およそ語られうることは明晰に語られうる
→論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない
<序>

○命題の意味を特徴づける命題の各部分を、私は表現(シンボル)と呼ぶ
→表現は形式と内容を特徴づける
<3.31>

○値の確定がシンボルの記述にすぎず、それが何を表しているかには触れないということ、
値の確定にとって本質的なのはこのことだけである
<3.317>

○定義とは、ある言語から他の言語への翻訳規則である
<3.343>

○確率とは一般化にほかならない
<5.156>

○世界の意義は世界の外になければならない
→世界の中ではすべてはあるようにあり、すべては起こるように起こる
→世界の中には価値は存在しない
<6.41>

この本をamazonで見ちゃう

2007 10/8
哲学、論理学、言語学、記号論
まろまろヒット率4

Posted in 哲学・思想, 言語学, 記号論, 読書日記, with No Comments →








このサイトについて  サイトポリシー  連絡先  サイト来歴  メディア掲載  お願い



 
Web maromaro.com
まろまろと探しちゃう
Amazon.co.jp のロゴ


  • カテゴリー

  • アーカイブ



  • カテゴリー



このサイトについて   サイトポリシー   連絡先   サイト来歴   メディア掲載   お願い