Archive for the ‘自然・科学本’





『遺伝子vsミーム-教育・環境・民族対立』 佐倉統著 廣済堂ライブラリー 200106.03.03

毎週一回くらいは我が家でお食事会を開きたいと画策している、
らぶナベ@気分は栗本はるみだす。

さて、『遺伝子vsミーム-教育・環境・民族対立』佐倉統著(廣済堂ライブラリー)2001年初版。
さくら組研究室の文献購読で『ミーム・マシーンとしての私』を発表したのをきっかけに、
ミーム論がどういう風に使われているのかもう少し知りたくなって関連本を探していたところ、
研究室の端っこにひっそりとあったのを見つけたので(研究室長が著者だから当然だけど)
さくさくっと借りてさくさくっと読んだ一冊。

内容はメディア、教育、環境、民族の各問題をミームの視点で論じている。
読んでみると確かにレベルの違う話を統一的に話せる可能性のあるところが
魅力的な理論だけど、進化論のDNAのように「これがミームだ」と言える物質が
見つからないことには信頼して使えない理論のような気がする。
僕がミーム論で興味を感じた文化・技術の自然選択的(不作為的)普及と、
性的衝動と表現衝動との関連についてもあえてミームを使わなくてもよさそうなフレイバーが(^^;
著者もあとがきで「ミーム概念の有効性は、定量的な記述や予測ではなく、
比喩やアナロジーにもとづく問題発見能力にある」と言っているように
ちょっとこましな比喩以外にはあまり使えなさそうな感じがした梅雨のはじめ。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○生命体というは、進化することができるシステムという意味
 →自分で変化できるという意味
<1-2 知識という生命体>

○生命の適応能力=自然選択を起こしうる能力→突然変異できる能力と同値
<1-2 知識という生命体>

○生物学的な文化の定義=遺伝子によらず次世代へと受け継がれていく情報の体系
<2-1 利己的な複製子たち>

○ミーム学最大のポイント=文化を進化するシステムとみなす点
 (生物進化論のツールを使える)
<2-1 利己的な複製子たち>

○進化=自己複製するシステム(生命)が累積的に変化していくこと
<2-3 老年期の役割>

○科学はどの価値が正しいのか直接答えを出せないが、
 議論のための共通の場を提供することはできる
<2-3 老年期の役割>

○(自然)選択のメカニズム=1:無方向の変異が生じる、
 2:選択が起こることで適応的な進化の方向が決定される、という二段階の過程
<3-1 伝えることの意味>

○ミーム概念の有効性は、定量的な記述や予測などではなく、
 比喩やアナロジーにもとづく問題発見能力にある
<あとがき>

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2003 6/3
自然科学、進化論、ミーム論
まろまろヒット率3

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『ミーム・マシーンとしての私』 スーザン・ブラックモア著、垂水雄二訳 草思社 上下巻 200006.02.03

『マヤ文明展』でマヤ暦のTシャツ(略して”マヤT”)を買ってしまった、
らぶナベ@展示側の戦略に簡単に乗ってしまう良い顧客です(^^;

さて、『ミーム・マシーンとしての私』上下巻
スーザン・ブラックモア著、垂水雄二訳(草思社)2000年初版。
技術、文化、考え方や理念などのも一種の遺伝子のように、
それ自体が人から人へと媒介していくという考え方=「ミーム論」の本。
(もともとはドーキンスの『利己的な遺伝子』から)

内容は第1の自己複製子=遺伝子に続く第2の自己複製子=ミームが、
人間の言語や脳を形づくり、そして「自己」というものもミームの複合体
「自己複合体(selfplex)」だという仮定をしているかなり挑戦的な一冊。
すごく面白い切り口なんだけど大部分が仮説や仮定の話を前提にしているので、
もうちょっと証拠がないと簡単には納得できない感じがした。
(物証の重視が訴訟法の原則だす(^^))

ただ、僕は『利己的な遺伝子』を読んだときにもメモしたように、
このミーム論という考え方には・・・
1:文化や考え方の普及・発展の不作為性が強調される点と、
2:何かを伝えたいとか表現したいという欲求が本能的なんだと説明できる点で、
(遺伝子を残す→性的衝動へ、ミームを残す→表現的衝動へ)
かなり興味を持っている。
こういう視点でミーム論を扱った本があれば教えてちゃぶだい。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○ミーム=非遺伝的な手段、特に模倣によって伝えわたされると考えられる文化の一要素
 from “The Oxford English Dictionary” of “meme=An element of a culture
 that may be considered to be passed on by non-genetic means, esp. imitation.”
<序文>

○私たちを特別なものにしているのは模倣の能力であるというのが本書の主題
<1 奇妙な生き物>

○私たちの観念が私たち自身の創造したものであり、
 私たちのために働いていると考えるかわりに、それらが自律的なミームであり、
 自らがコピーされることのみのために働いていると考えなければならない
<1 奇妙な生き物>

○その科学理論が有効であるかどうかの基準=
 1:その理論は他の競合する理論に比べてより簡潔ないし包括的に説明できるかどうか
 2:検証可能な予測を導くことができ、その予測が正しいと証明できるかどうか
<1 奇妙な生き物>

○ダーウィンの自然選択=変異・淘汰・保持(遺伝)が要件
 →この三つがそろっていればその種は増加する傾向を持つ
 →ダーウィン主義は「心の助けなしに混沌から構造をつくりだす図式」(Dennet1995)
<2 ミームとダーウィン主義>

○ミーム理論の要点は、ミームを独立した自己複製子として扱うことにある
 →遺伝子のではなく、ミームの複製のためにミーム淘汰が観念の進化を駆動する
  (これが従来の大半の文化的進化の理論からミーム学を分かつ大きな相違)
<3 文化の進化>

○人が考えることを止められないことへの解答=ミームの「雑草理論」
 =除草した庭はすぐに植物が生え、そこには遺伝子の生存競争が始まる
 →空っぽの心にはミームが入り込んで来て、脳内でミームの生存競争をおこなう
<4 ミームの視点から見る>

○「模倣」の定義=ある行為の仕方を、それがなされたところを見て覚える学習
 (Thorndike 1898)
 →他者の観察を通じて環境について学ぶ「社会的学習」(Heyes 1993)とは違う
<4 ミームの視点から見る>

○成功する自己複製子の条件=忠実度・多産性・長寿(Dawkins 1976)
<4 ミームの視点から見る>

○言語の機能=うわさ話→うわさ話は毛づくろいの代用(Dunbar 1996)
 →うわさ話も毛づくろいも社会的集団の結束を維持する機能を果たす
<8 ミームー遺伝子の共進化>

○ミームが生まれて人々が模倣しあうことによって、
 より高度な忠誠度・多産性・寿命のミームが駆動して
 言葉を生み、人間の脳を巨大化させた
 (言語の機能も、巨大な脳もミームのためにある)
<8 ミームー遺伝子の共進化>

○ミームが発生すると生まれる過程=
 1:「ミーム淘汰」(あるミームが他のミームの犠牲のもとに生き残る)
 2:「ミーム模倣力の遺伝的淘汰」(最良の模倣者をよりよく模倣できるものが
   より大きな繁殖性向度を持つ)
 3:「最良の模倣者とつれあいになることの遺伝的淘汰」
<9 社会生物学の限界>

○芸術的な能力と創造性が異性を引きつけるディスプレイとして
 性淘汰を受けてきたという主張があるが(Miller 1998)、
 その理由は創造性と芸術的な表出はミームをコピーし、使い、拡める方法であり、
  すぐれた模倣者の印だから
<10 セックス、セックス、セックス>

○利他主義のトリック=
 1:利他的な行動は自分自身のコピーを拡め、私たちをより利他的にする
 2:利他主義はその他のミームが拡まるのを助ける
 →利他的な好ましい人に入り込んだミームは意地悪な人に入り込んだミームよりも
  よりコピーされやすいだろうという単純な考えに立脚
<13 利他主義のトリック>

○宇宙人による誘拐がミームとしてなぜ普及するのかについて
 1:睡眠麻痺という恐ろしい個人的体験に答えを与えてくれる
 2:西洋人に訴えかけるところがある(神に代わる強大な存在としての宇宙人)
 3:センセーショナリズムに敏感なマスコミと視聴者の存在
 4:反証不可能性が高い(陰謀説によっても防御)
<14 ニュー・エイジのミーム>

○宗教がミームとして成功した理由=
 1:反証不可能性と脅しと約束によって守られている
 2:普及のために美・真理・利他主義のトリックを用いている
 3:人間の心と脳は宗教的な観念にとりわけ感受性をもつように形づくられている
<15 ミーム複合体としての宗教>

○宗教と科学との違い=検証を要求するかどうか(これが科学の核心)
 →宗教は理論を構築した後はそれが検証されることを妨げる
<15 ミーム複合体としての宗教>

○情報は淘汰を受ける自己複製子
 →進化的なアルゴリズムが実行され、それがデザインを作り出す
 (デザインは全面的に進化的アルゴリズム遂行の結果)
<16 インターネットのなかへ>

○伝達が何よりも重要なミームの視点では日本語の複雑な文字体系が生き残るか疑問
<16 インターネットのなかへ>

☆自己は巨大なミーム複合体=「自己複合体(selfplex)
 →ミームにとっては自己の内部に入り込める観念=「私の」考えになれるものが勝者
 →自己はミームの最大の保護者であり、ミーム的社会が複雑であればあるほど、
  自己という保護の内部に入り込もうと戦っているミームがより多く存在している
<17 「私」という究極のミーム複合体>

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2003 6/2
自然科学、進化論、ミーム論
まろまろヒット率★★★

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『利己的な遺伝子』 リチャード・ドーキンス著、日高敏隆ほか訳 紀伊国屋書店 1991(2版)04.03.03

転居ははじめてだけど文京区はまろまろしていて何気に気に入っている、らぶナベです。

さて、『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス著、日高敏隆ほか訳(紀伊国屋書店)1991年第2版。
生物の行動を種族でも集団でも個体でもなく遺伝子を中心に見直そうとした進化論の定番本。
当時としてはインパクトが強い内容と専門家でなくても読める点から物議を醸し出した一冊。
ただ、初版(1976年)のまえがきで著者自身が「私は生物学はミステリー小説と同じくらい
刺激的なものであるべきだと前々から思っている」と述べているように、
あえて過激な表現や事例を使っている点も考慮して問題作になったことは著者の狙い通りか?(^^)

この本の中で一番興味深かったのは、考え方や文化、理念などのも一種の遺伝子のように、
それ自体が人から人へと媒介していくという考え方=「ミーム論」だ。
自分に振り返ってみると本を人に貸したり無くしたりしても大丈夫なように読書メモを残す点
(ハードウェアに依存しない)や、重要なのは本に書かれてあることそれ自体ではなく
読む人それぞれがその本から感じ取ったことだ考えている点から、この考え方はすんなり受け入れられた。
このミーム論でいくと本の遺伝子と僕の遺伝子が交配された新しいミームが読書日記で、
それを公開しているホームページはミーム配信源というところだろうか(^_^)
ただ、一般的には文化の普及や発展の不作為性が強調される点が
このミーム理論を使うことのいちばんのメリットのような気がする。

また、「われわれが死後に残せるものが二つある。遺伝子とミームだ」(11章)と著者が述べているところは、
かつてある企業とある企業の橋渡し役をつとめたときのこと(出来事メモ)を思い出させられた。
あの時は「自分の名前が残らなくても自分の考えや色のかけらは、社会に残せるかもしれない」
と感じたことが衝動のような行動意欲につながったのを覚えている。
何かを創りたいとか、残したいという気持ちはやはり性欲と同じように本能なのかもしれない。
よく考えたらリアルな遺伝子だって自分から子供に伝わるのはその半分、
子孫になるとほんのかけらだけだということを考えると、
何かを残したいというこの欲望は利己的な遺伝子的には性欲よりも効率が良いといえるだろう(^^)
この本は専門家でなくても読めるようにしているという点を差し引いても、
あまりに比喩に比喩を重ねる手法や事例の持ち出し方があからさまだったりするのが
「どうかな?」と思うところもあるが、
こうしたことを考えさせてくれたのでまろまろヒット率は最大に値すると思う。

ちなみに、思わず笑ってしまったのが、遺伝子の定義をしている第3章で、
厳密な定義からすればこの本のタイトルを・・・
『いくぶん利己的な染色体の大きな小片とさらに利己的な染色体の小さな小片』
・・・っとすべきだったと書いてあったことだ。
厳密さでは問題あっても確かにこっちの『利己的な遺伝子(The Selfish Gene)』の方が
ずっと良いミームだろう(笑)

以下はチェックした箇所の抜粋(一部要約)・・・

○この本の主張するところは、われわれおよびその他のあらゆる動物が
 遺伝子によって創りだされた機械にほかならないというものである。
 →自己利益の基本単位は、種でも、集団でも、厳密には個体でもない(略)
  それは遺伝の単位、遺伝子である。
<1 人はなぜいるのか>

○成功した遺伝子に期待される特質のうちでもっとも重要なのは無常な利己主義である(略)
 しかし(略)遺伝子が固体レベルにおけるある限られた形の利他主義を助長することによって、
 もっともよく自分自身の利己的な目標を達成できるような特別な状況も存在する。
 注:利他主義と利己主義の上述の定義が行動上のものであって、
   主観的なものではないことを理解することが重要(略)
   利他的にみえる行為はじつは姿を変えた利己主義であることが多い。
<1 人はなぜいるのか>

○(正確な複製と突然変異との両立の問題について)
 進化とは、自己複製子(今日では遺伝子)が
 その防止にあらゆる努力をかたむけているにもかかわらず、
 いやおうなしにおこってしまうというたぐいのものである。
<2 自己複製子>

○一個の遺伝子は、何世代もの個体の体を通って生きつづける単位。
<3 不滅のコイル>

☆遺伝子と進化の定義☆
・「遺伝子」
 =自然淘汰の単位として役立つだけの長い世代にわたって続きうる染色体物質の一部
 =複製忠実度(コピーの形での寿命)のすぐれた自己複製子
 =十分に存続しうるほどには短く、自然淘汰の意味のある単位として
  働きうるほど十分に長い染色体の一片

・「進化」
 =遺伝子プール内である遺伝子が数を増やし、ある遺伝子が数を減らす過程
 =たえまない上昇ではなくて、むしろ安定した水準から安定した水準への不連続な前進のくり返し
<3 不滅のコイル>+<5 攻撃ー安定性と利己的機械>

☆個体は安定したものではない(略)染色体もまた、配られてまもないトランプの手のように、
 まもなくまぜられて忘れ去られる。
 しかし、カード自体はまぜられても生きのこる。このカードが遺伝子である。
<3 不滅のコイル>

○意識とは、実行上の決定権をもつ生存機械が、究極的な主人である遺伝子から
 解放されるという進化傾向の局地だと考えることができる。
<4 遺伝子機械>

○遺伝子は方針決定者であり、脳は実施者と考えられる。
<4 遺伝子機械>

☆進化的に安定な戦略(Evolutionarily Sable Strategy=”ESS”)
 =個体群の大部分のメンバーがそれを採用すると、
  べつの代替戦略によってとってかわられることのない戦略
 →個体にとって最善の戦略は、個体群の大部分がおこなっていることによってきまる
<5 攻撃ー安定性と利己的機械>

○(ESSのコンピュータシミュレーション実験からから)
 重要な一般的結論は、ESSが進化する傾向があること、
 ESSが集団の申し合わせによって達成されうる最適条件と同じではないこと、
 そして常識は誤解を招くことがあるということである。

○まったくでたらめをいうよりポーカー・フェイスのほうがいいのはなぜだろうか?
 やはり、うそをつくことが安定ではないからだ。
<5 攻撃ー安定性と利己的機械>

○賭博師にとって最良の方策は、ときには猛烈攻撃作戦ではなく、
 幸運待望作戦かもしれないのである。
<7 家族計画>

○(親動物の家族計画は集団のためではない点について)
 個体に過剰な数の子をもたせるように仕向ける遺伝子は、
 遺伝子プールの中にはとどまれない。その種の遺伝子を体内にもった子供らは、
 成体になるまで生き残るのがむずかしいからである。
<7 家族計画>

○親子の争いの場合、敵対者は互いにある程度の遺伝的利益を共有しており(略)
 一定の限度、あるいは一定の感受期間の間においてのみ、敵対関係を形成するのである。
<8 世代間の争い>

○精子と卵子の大きさおよび数にみられる根本的な相違が原因で、
 雄には一般に、乱婚と子の保護の欠如の傾向がみられる。
 →これに対抗する雌の戦略がたくましい雄を選ぶor家庭第一の雄を選ぶこと
<9 雄と雌の争い>

○不妊の働きバチが一匹死ぬことは(略)木の遺伝子にとって、
 秋に葉を一枚落とすことが、些細なことであるのとまったく同じことである。
<10 ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう>

☆ヒトの肥大した大脳や、数学的にものごとを考えることのできる素質は、
 より込み入った詐欺行為を行ない、同時に他人の詐欺行為を
 より徹底的に見破るためのメカニズムとして進化したのだという可能性すら考えられる。
 このような見方からすれば、金銭は、遅滞性の互恵的利他主義の形式的象徴である。
<10 ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう>

○人間をめぐる特異性は、「文化」という一つの言葉にほぼ要約できる(略)
 基本的には保守的でありながら、ある種の進化を生じうる点で、
 文化的伝達は遺伝的伝達と類似している。
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>

○生物の基本原理=すべての生物は、自己複製を行なう実体の生存率の差に基づいて進化する
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>

☆文化伝達の単位(模倣の単位)=mimeme(ギリシア語で模倣)+gene(遺伝子)→”meme”(ミーム)
 →ミームがミームプール内で繁殖する際には、
 広い意味で模倣と呼びうる過程を媒介して脳から脳へと渡り歩く
 (楽曲、思想、標語、ファッション、建築など文化のすべてがミームの例))
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>

○概念のミーム=脳と脳の間で伝達可能な実体
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>

○(かつて宗教勢力が多様した「地獄の恐怖」についてミームの視点から)
 それ自体は意識をもたないミームが、成功する遺伝子が示すのと同じ
 類似的残忍性という特性をもったおかげで、
 自らの生存を確保できたのだというほうがあたっているような気がする。
 地獄の却火という観念は、まったく単純に、それ自体がもつ強烈な心理的衝撃力のおかげで、
 自己を永続化しえているのである。
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>

○われわれが死後に残せるものが二つある。遺伝子とミームだ。
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>

○人間には、意識的な先見能力という一つの独自な特性がある(略)
 この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである。
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>

○ダーウィン主義者にとって、成功する戦略はさまざまな戦略の集団の中で多数になったもののことである。
<12 気のいい奴が一番になる>

○ほとのどの遺伝子は、たとえば緑色の眼と巻毛といった、二つ以上の表現型効果をもっている。
 自然淘汰は。遺伝子そのものの性質のゆえではなく、
 その表現効果のゆえに、ある遺伝子を他の遺伝子よりも優遇する。
<13 遺伝子の長い腕>

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2003 4/3
進化論、自然科学、情報関連
まろまろヒット率5
マスコミ キャリア

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『進化論という考えかた』 佐倉統著 講談社現代新書 200209.25.02

ありあわせで作ったオイルサーディンとキャベツのパスタは何気に美味しかった、
らぶナベ@健康にもめちゃイイ!・・・はず(^^;

さて、『進化論という考えかた』佐倉統著(講談社現代新書)2002年初版。
進化論の視点から「人間」と「情報」を捉えようとした一冊。
前から僕は『数学の秘かな愉しみ』(K・C・コール)などの
異分野の視点から光を当てる(自然科学→人文科学など)本に興味を持っていた。
愛読書の『坂の上の雲』(司馬遼太郎)も秋山真之が村上水軍の戦法にヒントを得て
日本海海戦の基本戦術を組み上げるところに見所のひとつを感じているくらいだ。
そんな僕だからこの本もワクワクして読みはじめると、
実際には進化論を中心とした研究者たちがいかに「人間」と「情報」を
捉えようとしたかについての科学史の再編的な色合いが強かった。
そういう点では以前読んだ『化学入門』(原光雄)に近い印象を受けた。

この本の中で一番興味深かったのは専門家と非専門家
(異分野の人々)の間をつなぐものは「物語」だとしている点だ。
僕も前々から一口に日本語といってもマクドでの中学生の会話、法廷での会話、
メーカーの研究部門での会話、IT企業でのシステム開発の会話
・・・同じ言語を使っていても通じないことが多いということを感じていた。
そういう場面に出会うたびに「もったいない」という気持ちを強く感じていたので
ときどき自分が異分野をつなげるメディアになっていることに喜びを感じたり
(出来事メモなど)、
「読書」という切り口と「まろまろ」というエッセンスをメディアにして
様々な分野の本を同じ土俵で扱おうとするこのHPの基本理念にも
つながっているので「物語性」を重視するこの視点にはとても共感した。
さらにこの本では物語の重要性を唱えながらも、
進化論が曲解して使われた経験から、物語性の暴走を防ぐために
「第三の文化」(多くの分野へのリンク)と
「センス・オブ・ワンダー」(謙虚さ)の重要性を述べている。
ただ、これは第二次大戦で政治への介入を控えるあまりに
ヒトラーの暴走を許したとされるドイツ参謀本部への評価と同じく、
結局は研究や理論の問題ではなく政治や教育などの
社会システム全体で語られるべきことなのだろう。
(説得力ある理論ほど無茶な使われ方するけどそれは理論のせいじゃない)

加えて、この本で著者は「ハンバーグのつなぎ」のように
異分野をつなげてひとつの料理にする素材として
進化論の可能性を述べているが(第4章)、
思えば『ブレードランナー』『2001年宇宙の旅』『ガルフォース』
『超時空要塞マクロス~愛おぼえていますか~』
『甲殻機動隊』とそれに影響を受けまくった『マトリックス』などなど
これまでも進化論の要素を取り入れた映画やアニメの名作は数多い。
ハンバーグのつなぎとしての機能は科学・研究分野だけでなく
コンテンツ分野ではすでにその機能を十分に発揮しているのだろう。
(それだけ強い物語性があるということかな?)

また、この本を読んで発見したことが
前に読んだ『狂骨の夢』(京極夏彦)の中で
「コペルニクスが人が宇宙の中心であることを奪い、
ダーウィンが人が神の子であることを奪い、
フロイトが人が自分自身を支配できるということさえ奪った」
という印象深い記述があったが
これはB・マズリッシュという人の言葉だとわかったのが少し嬉しかった。
(ただし『狂骨の夢』ではこれはフロイト自らの発言だと紹介されていたような)

ちなみに著者は来春から東大院・学際情報学府での僕の指導教官(予定)。
著者とは院試説明会でほんの数分しか話をしたことがなかったが、
知的守備範囲の広さや新しいことに積極的に取り組む姿勢に即座に感銘を受けた。
何よりも僕の問題意識やスタンスに関心を示してくれたのが嬉しかったが、
よく考えたらその寛容さは多様性を重要視する進化論の影響かもしれない。
彼のバックボーンを知って人となりに近づければと思って読んだ本でもある。

以下はチェックした箇所・・・

☆生物は、環境資源が許容するよりもたくさん産まれる。
したがって、同じ種の個体の間に生存と繁殖をめぐる競争関係が生じる。
その結果、より環境に適応したものが、
そうでないものより多くの子孫を残すことになる。
この差異の原因となる形質がいくばくか遺伝するものであれば、
この形質を所有している個体は、
世代を経るにしたがって個体数を増やしていくことになる
ーこれが自然選択理論の骨子である。
<自然選択理論>

☆造物主の作業の「誤差」と考えられていた個体差を、
それぞれが生物進化の原動力であると喝破したこと。
つまり、生物観を百八十度転倒させたこと。
これこそが、ダーウィンの進化思想の真髄のひとつ。
<ダーウィン亡き後の進化論>

○進化心理学のアイデンティティは、対象ではなくその視点と枠組みにある。
(略)進化心理学というのは、固有の分野というよりもアプローチの仕方、
あるいは研究プログラムとみなした方がいい。
<心と行動の進化学>

☆ディーコンは(略)人間が進化したことで言語を獲得したというよりは、
言語の方も人間の脳にあわせるように進化してきた、というのだ。(略)
文法構造は、言語が「人間の脳」という媒体に適応するために
進化してきた構造なのだという。(略)
脳と言語は相互に影響しあいながら共進化してきたのだ、と。
<脳と言語は共進化した?>

○人間が文化的な動物であるというのは
大昔から繰り返しいわれてきたことだけれども、
それが環境適応へのオプションのひとつであるということは、
人間を進化学的に見直してはじめて理解できることなのである。
人間の進化論的な研究は、文化の意味をも再定位する。
<「今の人間」を知るために>

☆コンピュータ自体は子孫をもうけませんー
しばらく使われたあとは、スクラップにされます。
でも、コンピュータを作るためのアイディアは、遺伝子のように繁殖できるのです。
(ドーキンスとバスとのインタビューより)
<ドーキンスの示したこと>

○生物の進化は、このでこぼこ地面のような適応度地形
(生物が利用できる環境のこと)の中を、
ころころと球が転がるのに似たプロセスとみなせる。
球は生物の比喩で、地形が急峻だとわずかな突然変異で急激な変化が生じるし、
なだらかな地形だとゆっくりとしか転がらないので、
突然変異の効果はわずかなものになる。
つまり、徳永とウェイドは、適応度地形も生物進化の段階によって
変わっていくということを主張したことになる。
<旅する円錐>

☆結局は、あれこれやってみるという変異と選択の二段階プロセスが、
環境に適応するためにはいちばん安全で確実な方法なのだ。
シーコは、人間の経済システムや社会システムなどにとっても、
事態は同じであると主張する。
それが普遍的選択理論である。
<「進化する能力」の進化>

☆ダーウィン・アルゴリズムの本質は、
変異の生成(突然変異)、
変異と複製率の間の相関(適応度)、
そして変異の遺伝(自己複製)の三点セットだ。
<ミームで何が説明できるか>

○進化とは、人間の、そして生命の壮大な歴史にほかならない。
だからこそ進化論は「取扱い注意」なのであり、
事実、過去に何度も破滅への道しるべとなったのだった。
<生物学哲学の正念場>

○(ダーウィン最後の著書『ミミズと土』は)
「目に見えない微細な変化が累積して、とてつもなく大きな結果を生み出す」
というダーウィンの自然観の集大成でもあった。
<『セルボーンの博物誌』とダーウィンのミミズ>

☆問題は、相手と価値観が共有できていないところにある。文化が異なるのだ。
価値観が異なるから、コミュニケーションがとれない。
一見、同じ問題について議論しているようでも、
実はそこで情報のほとんどは、ただ流されているだけである。
(略:それを解決するには)ぼくは、その鍵は科学の物語ではないかと思っている。
<非専門家に伝えるために>

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2002 9/25
自然科学、進化論
まろまろヒット率4
最新 本

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『ブラックジャック』 手塚治虫著 秋田文庫 全16巻 2000(最終巻初版)11.21.01

らぶナベ@すばらしい作品っ(*o*)

『ブラックジャック』全16巻・手塚治虫著(秋田文庫)2000年最終巻初版。
中学の頃から手塚作品は『火の鳥』『ブッダ』など好んで読んできたが
なぜかこの作品はつい最近までちゃんと読もうという気持ちにならなかった。
映像化されたものを何度か観ることがあっても今回通して読んでみて
この作品が短編集だということを始めて知ったくらいに手つかずだった。
なぜこの本を通して読んでみようと思ったのか、
自分自身の気持ちに興味があるくらいだ。

読んでみると映像化ではマイルド化されている
この作品の暗い面ばかりが印象に残って仕方ない。
ブラックジャックの天才的な技術を持ってしてもバタバタと死んでいく人々、
たとえ助かったとしても決して救われることのない人々・・・
中には読むに耐えないくらい後味の悪い結末もある。
死亡率絶対100%である生命の寿命を一時延ばすことへの空しさ、
救われない心への哀しさという抽象的なテーマを外科手術という
具体的な演出でえがく手塚氏の手法に完全にはまってしまった。
インパクトのある場面場面で「もし自分が患者だとしたら」、
「もし自分がブラックジャックだったら」と振り返って
全巻読み通すのにずいぶん時間とエネルギーを使った。

そうした読むに耐えないほどの生々しいシーンには同時に
生命としての限界に立ち向かうことへの無力感に悩まされながらも
それでも立ち向かっていくブラックジャックの姿が常にある。
その彼の姿に言い知れない感動をおぼえる、
この感動こそがこの作品の最大の特徴なのではないだろうか?
よく医師(科学)、法律家(規範)、宗教家(真理)としての役割が
世の中のすべての役割の基本だということを聞くことがあるが
この作品が与えてくれる感動はその意味を直接考えるきっかけになった。
また、それは法外な報酬を要求して安易な正義感を振りかざさない
屈折した主人公を通してこその感動なのかもしれないとも思う。

解説の中に「ブラックジャックは手塚氏自身の姿じゃないのか?」
という興味深い問いかけがあった。
手塚氏がブラックジャックを無免許のままにしていたのは
『火の鳥』や『ブッダ』など人間の本質をえぐる作品を創りだしても
「しょせんは漫画じゃないか」と言って片づけられてしまう
中身の伴わない権威主義・先入観に苦しめられて来られたことへの
皮肉だという解釈があるようだ。
確かに医学博士の肩書きがあった彼自身がこの作品を世に出す際には
医学博士(高い評価)の書いた漫画(低い評価)という先入観のギャップが
起こるだろうと予想してそれに対する無言の批判を主人公に投影させた
という考えは面白い見方だなぁっと思った。

そして皮肉ではなく僕の読書録ではこの作品を「文学」カテゴリに置こう(^^)

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2001 11/21
文学、マンガ、自然科学全般
まろまろヒット率5

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『法医学 推理する医学―死体は真実を語る』 塩野寛著 羊土社 199804.01.01

『レオン』は何度見直してもゲーリー・オールドマンの演技が
一番印象深いと思う、らぶナベ@だって痛いもん(^^;

さて、『法医学ー推理する医学~死体は真実を語る・・・~』
塩野寛著(羊土社)1998年初版。
法医学の本を読むのは始めてだし馴染みの薄い科学書だけど
法律関係を学ぶ僕にとってはまた別の意味がある一冊。
神田神保町の本屋で見つけて思わず衝動買いしてしまった。
内容の方はかなり面白い!
「男の睾丸はおもりとなるか」(溺死)、「オンディーヌの呪い」
(乳幼児突然死症候群)など各項の題名のつけ方もセンスがあって楽しい。
ただ専門書ではないので物足りない面もあるが
これ以上深くなるとまた読みにくい本になるのだろうと思う。
民事専門のはずなのにこんな本を読んでしまうと
刑事事件を担当したくなる(^^;

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2001 4/1
法医学、自然科学、法学、その他
まろまろヒット率3
法務 キャリア

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『数学の秘かな愉しみ』 K.C.コール著、大貫昌子訳 白揚社 199908.27.99

『数学の秘かな愉しみ』(原題”THE UNIVERSE AND THE TEACUP”)
K.C.コール著、大貫昌子訳(白揚社)1999年初版を読み終えました。

もともと自分でも笑ってしまうほど数学的センスが無いのに加えて
数学的視点や思考に対して不慣れなために読もうと思った一冊。
この前、大阪に来た北陸先端科学技術大学大学院の南さんに
「数式とか入って無くて簡単に読めて内容も面白いけど
ちゃんと数学的なものの見方が分かる本ないっすか?」
というかなり舐めた条件を提示して薦めてもらった本。

内容の方は普段、単なる数や数式の猥雑さにばかり眼を奪われて
見失ってしまっている数学的な(≒論証的な)アプローチについて
ごく日常のできごとや普段の生活の中の話題から例を使って説明している。
そこから「確率って結局何なのか?」、「統計ってどういうものか?」、
「証明とはどこまでの真実を約束するものか?」という
僕たち素人が考えるいかにも数学的なネタから始まり
そこからさらに「常識とは何を指しているのか?」、
「事実とは何を示しているものなのか?」、
「生きるということはどういうことなのか?」、
「真実とはなにをもって言うのか?」そして最後は「真理とは何か?」
というとても深い話まで展開していく構成になっている。
哲学的技法としての数学を使って一見何のつながりもなさそうな
宇宙の真理と日常の日々を無理なくつなげてまとめているすごい本。
(まさに”THE UNIVERSE AND THE TEACUP”の原題通り)
この本のすごさは何といっても独りよがりな妄想に走りがちな
このような哲学的なネタに科学者たちの悪戦苦闘を紹介することで
決定的な説得力を持たせているところだろう。
数学的思考というスキルを鍛える目的で読み始めたが
純粋な読み物としてとても面白い上に転換ということを考えさせてくれる。
読み終わってみて自分の頭が勝手につくりあげた狭い狭い常識に
いかに凝り固まっていたのかということを痛感させられた。
僕が単にこういう数学的論証に慣れていないから
特にそう感じているだけかもしれないが良い本と言える一冊だろう。
そう思ってふと、読書録を振り返ってみると大学に入ってから
ちゃんと一冊通して読み終えた純粋に理系の本と言えるものを選定してみると
『はじめての統計学』鳥居秦彦著(日本経済新聞社)
『システム科学入門』北原貞輔著(有斐閣ブックス)
『数学的思考』森毅著(講談社学術文庫)
『化学入門』原光雄著(岩波新書)
『図解雑学 算数・数学』大矢浩史監修(ナツメ社)
・・・と、この本を加えてもたったの5冊(全181冊中)。
つまり基礎的知的活動である読書の36分の1しか
数学・理学系の本に使っていないということになる。
「そりゃあダメなのは仕方ないな」とけっこう反省した。

また、内容の方では論理展開の根底には数学が流れている本なので、
部分部分の抜粋はあまり意味が無いだろうけど
それでも一部分だけでもとても興味深かったのは
「何でこんなところに数学が?」の章の中での
物理学者リチャード・ファインマンの言葉・・・
「必要なのは『なぜそれがわかるのか?』とか
『どの証拠に基づいているのか?』『他の何と比較しているのか?』とか、
おそらくすでに頭の中にあった疑問を口に出して言う自信だけである。」
「科学とは自分をいかに騙さないようにするかを学ぶ長い歴史である。」
・・・としているのは僕も意識していきたい気がする。

それだけでなく「当たらない予測を科学する」の章で、
「『理論は予測する』・・・これは現在の予測を指しているのだ。」
「科学予測は、言うなれば天気予報というより
むしろ思考の流れのようなものだ・・・
予測は理解への道を照らす道標であって、ゴールの目印ではないのだ。
・・・つまりどのように、なぜ?を理解するのであって、
いつ、どこに?ではないのだ。」
「科学が特に予測に優れているのは、何といっても
いわゆるパターン認識だろう・・・科学の畠で予測をあまりにも
重要視したことが、おそらく大衆の科学不信を招いたのではないか。」
(物理学者オッペンハイマー)
・・・というものがあった。
これをおさえていないと科学に対する
過度の期待や不信を生んでしまうんだろう。

加えて「偶然、必然、O・J・シンプソン」の章では・・・
「証明とは何かがほんとうかどうかを確かめることではなく、
『その背後にある主張のあいだの論理的関係』を明らかにすることなのだ。」
・・・ということを強調した上で法廷の証拠として科学的実証が
求められることについて科学史家ポーターの主張・・・
「法廷では、科学ではとうてい不可能な基準を要求される・・・
法廷では科学者がまるで機械のようにふるまうことを期待しているけれども、
そんなことをすれば結論などだせたものではない。」
・・・法廷では科学者グループの総意を結論として扱うが・・・
「総意とは、正しい意見というわけではなく、ただの合意にすぎない。」
・・・というのを紹介しているのは科学的実証が証拠として
より認められていくだろう今後も意識して注目していかなくてはいけない点。

「量が質に転換するとき」の章では「覆り点」について・・・
「だがその臨界点に達したとき、ほんのわずかな変化が大々的な効果を
現わすのだ。ただしその決定的な境界に達するまでは、
かなり大きな変化さえも、
がっかりするほどのわずかな効果しか現わさない。」
・・・としているのは何でもやるにはかなりの粘りがいる
ということの科学的証明だろう。

そしてこの本の結論的な部分である「真理の不変性」の章では・・・
「自分が見ているものと、そこで起こっているできごととの関係を
理解するためには、自らの準拠の枠(立場や主観性、見る時の状況など)
の影響を足すか引くかしなくてはならないのだが、
ほとんどの人は自分がそんな準拠の枠などというものを持ち歩いているとは、
まったく意識していない。」・・・と、いままでこの本の中で
科学的試行錯誤を紹介した後に言っているのは説得力がある。
「人々はよく正しいとか間違っているとか言って言い争うけれども、
本当は正誤というより、準拠の枠の違いを言い争っていることが多い。」
「さまざまなものの見方は、見るものが自分の立っている枠の種類と、
自分が見とおしている光景の力を理解している限り、
それぞれがさらに新しい洞察を加えていくことになる。」
「浅薄な真理の逆は誤りだ。だが深遠な真理の逆は、やはり事実である。」
・・・としているのは説得性がある。

また、この「真理の不変性」の章では音楽家兼数学者のロススタインの言葉
「対象性をさがしているときの私たちは『どの面を最も重要と考え、
どの面を関係ないことと考えるかを定義しているのだ。』」に加えて・・・
物理学者ヴァイスコップフの言葉・・・
「科学で美しいものは、ベートーヴェンに感じられる美しさと
まったく同じものなのだ・・・さまざまなできごとのもやのなかに、
突然つながりが見えてくる。それは絶えずわれわれの心の奥底に
ひそんでいながら、一度も結びついたことのない、
複雑なことがらのつながりを表しているのだ。」
「自然の秘密はシンメトリ(対象性)にある・・・ただしこの世界の質感は、
シンメトリの破れの機構からくるのだ。」
・・・というのはとても深いが説得性がある。

それほど主要な箇所ではないが注目してしまったのが、
「こんなに危ないことをしているあなた」の章で・・・
例えばタバコに1万8250箱中、一本ずつタバコ型の爆弾が入っていれば
絶対に発売禁止になる。それは一日に3000万箱ずつ売れるとすると
一日平均1600人が確実に死ぬからだ。しかしそれ以上の人間が
確実にニコチンの害とわかっている原因で死んでいる。
このようなことから心理学者ワインスタインが・・・
「人が自分に降りかかりそうなリスクを何とか小さく見積もろうとする努力は
まさに涙ぐましく、それこそ『独創的』とも言えそうだ。
・・・おそらくこれは自尊心を守ることと関係がありそうだ・・・
『自分がリスクにさらされていることを認めることは、
とりもなおさずストレスを処理できないこと、
つまり他の人ほど強くないことを認めるようなものだからだ。』」
・・・として危機感への対処に心理的防御機能が働くことを述べている点だ。
これに関して人類学者コナーは「おそらく人間の脳は、もともと現代生活の
リスクを念入りに計算するようにはできていないのかもしれない。」
「私たちの知的器官というものは、珍しく強く情に訴えてくるような危険、
突飛で劇的な危険向きにできているのだ。」
・・・としたりしているが僕自身の経験からどう見ても
「このままだとぜったいヤバイやろう?」と思っても本人は
びっくりするほど危機感を受け入れようとしない人を見たことがあるが
これはこういったものなんだなと変に納得してしまった。

笑ってしまったのが「割れた卵はもとに戻るか」の章の
最後の方でクラウジウスの・・・
「生命とは自然に反するふるまいの常として、何か強い力によって、
あるエンジンが正常のふるまいの法則を逆行させえた結果に他ならない。
(熱は普通高温から低温へと流れるものである)」ことから・・・
「なぜ生よりも死に勝ち目があるのかを悟り、
そしてそのゆえに生命には一つ残らず終わりがあること、
それも決して例外がないことを理解したのだった。」
・・・という確信を紹介してその締めくくりとして
ストッパード著の『アルカディア』をさらに引用して・・・
「彼はそのとき突然、ものごとが必然的に向かう方向は
無秩序しかないという、トマシナの数学的発見の重大さに気づいたのである。
・・・『そうですとも』とトマシナは答えた。
『ダンスに行くのなら急がなきゃ。』」・・・として終わっているところだ。

だいたいこういったところに興味を感じたが、
以下はそれ以外でチェックしたところ・・・
「優雅な果実」の章・・・
理論物理学者デーヴィッド・グロスによる言葉
「理由はともかく、自然は根底のレベルでは、必ず美を選ぶものだ。」
「量的な論証と質の高い人生を求める心とが決して矛盾しない・・・
そもそも質と量とを引き離すことはできないものなのだ。」

「何でこんなところに数学が?」の章・・・
物理学者フランク・オッペンハイマー
「ものごとを理解するということはセックスみたいなものだ。
たしかに実用的な目的はあるのだが、人はふつう目的のために
それを実行するわけではない。」
「数学は混乱した関係をはっきりさせるのに役立つ考え方である。
それは世界の複雑さを扱いやすいパターンに書きかえる言語とも言えよう。」

「こんなに危ないことをしているあなた」の章・・・
「切迫した危険は、はるか先にある危険よりずっと強い恐怖を呼び起こす。」
心理学者ツヴァースキーとカーネマンの共同研究
「ほとんどの人はたとえ大きな報酬をふいにしてまでも、
小さな危険を避けるのにやぶさかではない。
『何かを失う危険は同等の利益より、
はるかに強く人の判断を左右するものだ』と。」
「ところが行動にでる場合のリスクと行動しない場合のリスクの
どちらをとるかを判断するとなると今度は逆で、
実際には行動しないほうのリスクが大きいかもしれなくても、
やっぱり行動をとるため冒すリスクのほうがずっと大きく見えるものなのだ」

「男を測る、女を測る」の章・・・
「計測自体、実際にはそんなに簡単なものではない。
どんな場合もまず引き離せないものをむりやり離したり、
数えられないものを測ったり、
漠然としたものを定義したりする必要があるのだ。
おまけに測るという行為は、たいがいその対象物に影響を及ぼすものだし、
ときにはそれを壊してしまうことすらある・・・
何かを計るとき、得失は必ず相半ばするのだ。」

「なぜ惑星はみんな丸いのか?」の章・・・
生物学者グールド「それぞれの体内の時計で計れば、
どんなに大きさの違う哺乳動物でもみな同じ長さの
時間を生きていることになる。」

「干草の山に埋もれた信号」の章・・・
「そもそも事実というのは、それだけが完全に隔離されて汚れもなく、
すぐさま人に鑑賞され、ちやほやされるような便利な形で
現われてくることは滅多にない。」

「どちらからも文句のでない離婚条件」の章・・・
公平な分配について「その要点は、公平な分割といっても
単にものを等分するのではなく、さまざまな『競り手』が、分けようとする
当の対象にどれほどの価値を見ているかを考えることなのだ。」
→政治学者のブラムズと数学者のテイラーが導き出した「勝者調停」
→分割の対象物に各当事者が自分の好みによって100点ずつ割り当てる。

「神は親切な者の味方」の章・・・
囚人のジレンマを繰り返すコンピュータプログラムの対戦トーナメントで
優勝した協力を第一とするプログラムの特徴を一言で言うと・・・
「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。
さもなければ思い知れ!」
このことを踏まえて政治学者アクセルロッドは・・・
「長い目でみれば『親切でない戦略』は結局自らの成功に
必要な環境そのものを破壊してしまう・・・
戦略の一つが他の成功を羨んでそれを出し抜こうとすると、
たいていの場合結局自分の損になるのだ。」
「他人の成功が、実質上自分自身の成功の必要条件なわけだから、
他を羨ましがっても意味がない。」
ダーウィンの進化論に対するシミュレーションの結果を
微生物学者マーグリスの言葉を引用して・・・
「『適者』が生き残ることが多かったからといって、
必ずしもその『適者』が最も強く、
最も強引で最も多産だったことにはならない。
『適者』とは、あるいは自分の目的達成のため協力を利用することを、
最もよく収得できるものを指している」

「真理の数学」の章・・・
「不変の真理に到達する道は、皮肉にも自らの観点を
鋭く自覚することにある。」

「割れた卵は元に戻るか」の章・・・
確立論に決定的な役割を果たしたニューマンの確率論に対する要点
「偶然という概念全体が、単に無知を婉曲に言っただけのことなのだ。
ただし偶然には規則性がある。」

相関関係について一卵性双生児を別々の環境で育ててみても
似たような育ち方をする実験結果について遺伝学者ローズは・・・
「血が続いていようといまいと、
とにかく対象は同時代に育った人々なのだ。」
・・・そこから「相関関係は、要するにそこに何か関係が
あるかもしれないことを暗示しているにすぎない。
一つのことがもう一つのことを引き起こすという
原因結果の信頼できそうな機構なしには、
相関関係などまずほとんど役には立たない。」
児童保護財団のスミスの言葉「僕らの脳には統計的才能に欠けている」

「偶然、必然、そしてO・J・シンプソン」の章・・・
物理学者リヒター「われわれの社会では、科学的な発表とは、
データの確率的な解釈であることが多い」
→「科学的な真理とは、必ず暫定的なものなのだ。」
これに加えて物理学者ハラリ「どんな計測であれ、
ある意味ではすべて近似値である」、
数学者クライン「矛盾の代価は不完全さだ」
・・・これをさらに展開させて・・・
「そもそも自然の法則も含めた最高の法則が不変であるからには、
法的概念も不変であるべきだと人は考えがちだ。
多数決とか武装する権利のような概念はドグマに凝り固まったあげく、
それが自然の法則が科学の方法に従っているものとして、
正当化されているようにさえ見える。
しかし自然の法則がドグマであることはまずない。
だいいちそれははっきり定義された限界のなかだけに通用するのだ。」
「諸法則が思いがけず新しい情況内で働くとき、
ルールが以前と同じでなくてはならない理由などどこにもない。
だから人間の脳などという複雑怪奇なところに、
単純な論理の法則があてはまらないのは当然だ。
地球上ですら平行線は湾曲した面では交わるのである。」

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1999 8/27
数学、自然科学、哲学
まろまろヒット率5

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『図解雑学 算数・数学』 大矢浩史監修 ナツメ社 199607.08.98

さてさて、大矢浩史監修『図解雑学 算数・数学』(ナツメ社)を読んだです。
数学的センスが無く、かつ数字に対しても拒絶反応を示す自分を
そろそろ変えていこうとチャレンジした一冊目。
左ページに記述、右ページに図形で構成された見開きごとに
項目が簡潔していて読みやすかった。
題名はいかにも内容のなさそうな表題だが、
項目項目で数学の基本はちゃんと押さえてくれていた。
算数から数学に移行した中学の時にこの本を読んでいたらと
ちょっと悔やまれる(^^;

どれも「なるほどそうやったんか!」と思わせてくれる親切な内容だっが、
特に僕としてはゼノンのパラドックス、ギリシアの三大難問
(頭がぱふんってなりそうになったが)、
幾何学と代数学がいかにしてパスカルによって統合されたか(結果から見れば
何だこれだけかということだが)などが興味深く感じられた。

しかしメビウスやケイリーによって主張され、
後にヒースウッドとイリノイ大学のコンピューターで証明されたという
いわく付きの数学テーゼ、どんな複雑な境界線がかかえれている
地図も四色の色で塗り分けられるという「四色問題」と
トポロジーの発祥のきっかけとなったオイラーの一筆書きについて
「ホンマなんかい?」と納得できなかった。

総じて幾何学の方が面白く感じた、
やっぱりパズルのおもしろさだからだろう。

しかしこれは良い一冊っすよ~!!
僕みたいな数学がアレルギーになっているような人にはぜひお薦め!

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1998 7/8
自然科学、数学
まろまろヒット率4

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『化学入門』 原光雄著 岩波新書 197412.30.97

波瀾万丈の1997年最後に読み終えた本。
藤江の家に行ったときにもらった化学の入門書。
化学入門とは言っても著者の書いているように化学成果の羅列ではなく
「化学的アプローチ」について説明している。
とても興味深い本だが、初版が昭和28年と古いせいか旧態漢字が
使われていたのが読みづらかった。
第一部:化学の対象と内容、第二部:化学と社会、
第三部:化学の方法の三部構成だが第一部で化学的思考について語り、
その事例として歴史的発見の経緯を述べているという書き方。
歴史オタクの僕としては各発見経緯も楽しく読めた。
そして印象に残った点としては「純粋自然科学の目的は二段構えに
なっている・・・自然現象の客観的反映という当面の目的と、
社会的有用性とい究極の目的とである。この二つの目的はたがいに
密接に関連しているのであって、前者は後者なしにありえず、
後者も前者なしには有効的ではありえないのである。」という箇所は
自然現象を社会現象に置き換えればまさに政策学の目的となる。
そして「観察に多く依存しているような分科は、進歩がおそい。
これに反して、実験によって新しい個別的事実がどんどん発見されるような
分科は、進歩がはやい。」という箇所は社会科学にとって耳の痛い話だ。
このような自然科学の実験主義の性格もいくらかは
政策学に取り入れるべきだとあらためて思う。

1997 12/30
化学、自然科学、学問一般
まろまろヒット率4

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『数学的思考』 森毅著 講談社学術文庫 199104.03.97

自分は数学的なものが決定的に足りないので、
この時期に少しでも補おうと思って読んだ一冊。
著者が左派な上にもともと1964年に出版されたものなので、
どうも不適切な例えや納得できないものも多々あるが数学の流れ、
歴史などはとても良く分かる。
後半は数学教育論になっていまいち面白くないが、
前半の数学の迷信シリーズなどはためになると思う。
特に「公式を使うにしても、その公式のことをちゃんと知っていなないで
その公式には不適切な状況で使い、その公式が無意味だと認識する過ちが
多い」という風なことを言っていたのは社会科学にも当てはまると思う。
印象に残ったのは「自然科学の分野は、それぞれの境界が曖昧に
なってきている」というところ。
これは社会科学が現在直面していることでもある。

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1997 4/3
自然科学、数学
まろまろヒット率3

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