Archive for the ‘情報・メディア’





『メディア論』 吉見俊哉・水越伸著 放送大学教育振興会 2001改訂06.12.03

カテゴリを一覧で見れるように読書日記ページをリニューアルした、らぶナベ@HIROさんありがとうです(^^)

さて、『メディア論』吉見俊哉・水越伸著(放送大学教育振興会)2001年改訂。
放送大学の「メディア論」講義テキスト。
この本の著者二人の講義に出ることがプレハブ学校に入る楽しみの一つだったのに
二人とも開講が冬学期だったので(いやん)メディア論の概要をつかむために読んでみた一冊。

この本の中で一番興味深かったのはメディア表現で重要になってくる「遊び」とは、
「メディアと人間の関係のしかたを積極的にひっくり返したり、
組み替えたりする、異化作用をともなった営み」としている点だ。
(第12章「新しいメディア表現者たちの台頭」)
確かに僕自身、WEBサイト運営をしていて面白いなぁっと感じるのは、
読書日記や掲示板で書き手と読み手の関係をひっくり返そうとしたり、
その本のカテゴリを自分なりに組み替えたりすることも含まれている。
「限界芸術(Marginal Art)」とも呼ばれるらしいが、ちょっと共感してしまった。

以下はチェックした箇所(一部要約含む)・・・

○メディア=人間を拡張すると同時に、社会的に枠付ける役割を果たす媒介
<まえがき>

○メディア=私たちの生きる社会的世界の技術論的な次元と意味論的な次元を媒介しながら、
 個別のメディアの布置や編制を可能にしていく、より全体的な構造連関の社会的な場
 →諸々のメディアは何らかの技術的発明の所産として
  社会の外側から直接与えられるのではなく、
  そもそも社会的なプロセスのなかで構成される
<1 メディア論とは何か>

○メディアについて考えるにはメディアの「誕生」そのものを
 問題にするような歴史的な観点が不可欠
  →同時に諸々のメディアが、今日のように再び揺らぎ始め、
  再編されつつある状況もそうした歴史的なパースペクティヴのなかで
  捉え返されなければならない
<1 メディア論とは何か>

☆印刷は、定着した記憶の継続的な蓄積を、その公開化を通じて達成することを可能にした
<1 メディア論とは何か>

○17、18世紀のイギリスのコーヒーハウス、フランスのサロンの特徴=
 1:社会的地位の平等性を前提とし、さらには社会的地位を
  度外視するような行動様式が要求された
 2:これらの場での討論はそれまで自明とされていた通念や制度を問題化していった
 3:これらの場は討論を通じて情報や文化を商品に転化させ、
  そのことで公衆に開かれたものにしていく契機も内包していた
 (ユルゲン・ハバーマス『公共性の構造転換』)
<2 活字メディアの時代>

☆技術的な複製の可能性の拡大は、歴史上はじめて、
 美の基盤を儀式的な一回性から切り離していく
 →美の準拠枠は「礼拝的価値」から「展示的価値」へと重心を移していった
 (ベンヤミン『複製技術時代の芸術』)
<7 メディア論の系譜1>

○マクルーハンの電子メディアがもたらす変容=
 1:電子メディアにより地理的距離が無化され、
  電子的に媒介された同時的な場が至るところに出現する
 2:電子メディアの浸透が、人々のコミュニケーションを線形的で
  視覚的な形態から包括的で触覚的な形態に移行させる
(マーシャル・マクルーハン『メディア論』)
<8 メディア論の系譜2>

○オングのメディア発展史=口承的(oral)、書記的(chirographic)、
 活字的(typographic)、電子的(electronic)のモードが積み重なってきた過程
 →オングの特徴はメディアの変容を表現手段の変化ということにとどまらず、
  思考や記憶の様式、世界観を根底から変えてしまう構造的な契機として捉えている点
 (ウォルター・オング『声の文化と文字の文化』)
<8 メディア論の系譜2>

○スチュアート・ホールのコミュニケーションのプロセス=
 相互に結びついてはいるが相対的な自律性をもって節合される語りの戦略的な布置
 →コミュニケーション過程の一方にあるのは、
  単一の主体としての「送り手」というよりも、
  テクスト生産に向けて節合された諸契機の複合的な過程としてのコーディング
 →ホールの特徴は送り手の意図が「正しく」受け手に伝えられるのが
  コミュニケーションの「正常な」状態だとは考えない点
  (むしろコミュニケーション過程のなかに価値や
  イデオロギーの衝突やねじれを見出そうとしている)
<8 メディア論の系譜2>

○カルチュラル・スタディーズにとって重要なのは、
 自由なテクスト解釈の主体としてのオーディエンスではなく、
 あくまで階級やジェンダー、エスニシティ、世代、様々な差別の文化政治学が
 葛藤と矛盾を含みながら作動していく抗争的な場としてのオーディエンス
<8 メディア論の系譜2>

☆「メディア・リテラシー」
 =人間がメディアを介して情報を批判的に受容、解釈すると同時に、
 メディアを選び、使いこなして自らの考えていることを表現し、
 コミュニケーションの回路を生みだしていくという、複合的な活動のこと
 →使用活動、受容活動、表現活動から構成される
<11 メディア・リテラシーの回復>

☆メディア表現における「遊び」
 =メディアと人間の関係のしかたを積極的にひっくり返したり、組み替えたりする、
 いわゆる異化作用をともなった営み=「限界芸術(Marginal Art)」
<12 新しいメディア表現者たちの台頭>

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2003 6/12
メディア論、社会学、メディアリテラシー
まろまろヒット率3
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『こころの情報学』 西垣通著 ちくま新書 199905.01.03

携帯電話のない80年代の青春をえがいた映画『LOVE SONG』(伊藤英明&仲間由紀恵)を
たまたまた深夜放送で観てちょっとせつなくなった、
らぶナベ@でも80年代が青春時代じゃないんですよねー(^^;

さて、『こころの情報学』西垣通著(ちくま新書)1999年初版。
研究者でもあり小説家でもある著者が提唱する基礎情報学の入門書。
内容は情報から心を眺めて情報化社会の心の問題をとらえようとしている。
そのために情報とは「生物にとって意味のあるパターン」(第1章)と定義して、
生物誕生から情報の意味をひも解いている。
著者自身が「知的乱暴さをもたないかぎり”情報化時代の心”という
巨大な疑問をまともに解くことは絶対に不可能」(あとがき)と書いているように、
情報に関わる各分野の理論を横断的に使いながら展開している新書だけど意欲作。

ちなみに著者がおこなっている講義(学際情報学概論)を受講しているけど、
朝が早いことをのぞけば笑いもあってけっこう楽しい。
そういう著者のシニカルな笑いの部分がこの本では見れなかったのは少し残念だった。
また、かなり古い話でも「周知のように」という意味の言葉がよく出てきたが、
いったいどういう年代の読者を想定しているのだろうかと疑問に思う点もあった。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

☆「情報」の定義
・工学的な情報の定義=「(複数の場合のなかで)どれが起きたかを教えてくれるもの」
 →本来あくまで「意味内容」を無視した機械的なもの(機会情報)

・社会学的な情報の定義=「人間社会に関連する< 記号>」
 →< 認知>< 指令>< 評価>の三つの機能がある

・著者による情報の定義=「それによって生物がパターンをつくりだすパターン」
 (a pattern by which a living thing generates patterns)
 →パターンの本質はその「差異」
<第1章 情報から心をみる>

☆生物とは、いわば歴史を抱え込んだ存在(中略)
 その歴史性すなわち時間的累積性こそが、< 情報>の本質的特長
<第1章 情報から心をみる>

○情報化社会とは、記号の意味作用の安定という条件の上に成立する社会
<第1章 情報から心をみる>

○「表象」(reprezentation)=
 1:非記号表象(漠然としたイメージ)、
 2:記号表象(明示的に書き下せる記号)
  →記号表象は非記号表象を抽象化し、単純化することによって、
   他人に伝達可能とし、体系化できるようにしたもの
<第2章 機械の心>

☆「オートポイエーシス・システム」=
 「構成要素を創り出すプロセスのネットワークであり、
 またその構成要素が自分自身を作ったネットワークを
 常に再生産し続けるようなシステム」(マトゥラ&ヴァレラ)
 →生物の認知的活動を理解するには、
  「内側」から歴史に沿って見なくてはならないというのがポイント
 →オートポイエーシス理論においては、社会とはヒトの集まりというより、
  「コミュニケーション」という構成要素を生みだし続ける
  オートポイエーシス・システムと定義される
<第2章 機械の心>

☆< リアリティ>とは、行動の適合性から、さらには世界の「抵抗感」
 または「操作不能性」という観点から説明することができる
<第2章 機械の心>

☆「心的システム」=自己にもとづいて自己を再帰的に形成していく動的なプロセス
 →学習によって変化する可塑性こそが心的システムの真骨頂であり、
  常に自分を作り変えていくオートポイエーシス・システムの特長
<第3章 動物の心>

○具体的な現実状況から< 言葉>が切り離されたとき、
 はじめて言葉の< 文脈>なるものが新しく出現する
 →「言葉の意味は個々の運用の局面で定められる」(ヴィトゲンシュタイン)
<第3章 動物の心>

☆コンピュータの機械原語(機械の心)は統辞論があって意味論のない世界、
 原型原語(動物の心)は意味論があって統辞論がない世界
<第4章 ヒトの心>

○オートポイエーシス理論→動物の認知行動の時間的側面に着目
 アフォーダンス理論→動物の空間的側面に着目
 →二つの理論は補完しあう
<第4章 ヒトの心>

☆文字とは、いわば言葉を空間に釘づけにするテクノロジー(中略)
 文字が登場すると、個々の言葉はまるで< モノ>のように具体的な文脈から切り離され、
 < 概念>としてとらえられるようになってくる
 (ヒトの社会に抽象化と普遍化という方向性が鮮明にあらわれてくる)
<第4章 ヒトの心>

○近代社会の基盤には「言語の意味作用の規範化」が横たわっている
 →規範化を可能にしたのが活版印刷という情報テクノロジー
<第4章 ヒトの心>

○近代の「ヒトの心」=「機械の心をつくろうとする動物の心」
<第4章 ヒトの心>

○情報化社会の方向性=技術や経済の領域は形式論理化・抽象化にむかい、
 消費文化の領域では身体化・感性化・具体化にむかう
<第5章 サイバーな心>

☆神話とは、ひそかに深層でうごめいている意識の断片をまとめあげ、
 そこに明示的表現に耐える秩序をもたらす一種の説明体系
<第5章 サイバーの心>

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2003 5/1
基礎情報学、情報関連
まろまろヒット率3
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『痛快!コンピュータ学』 坂村健著 集英社文庫 200204.23.03

真矢みきはあれだけ言って宝塚から怒られないのか心配になる、らぶナベです。

さて、『痛快!コンピュータ学』坂村健著(集英社文庫)2002年初版。
組み込みOS「TRON」を開発した著者が書いたコンピュータ学の入門書。
コンピュータの原理的な仕組みと歴史について紹介している一冊。
中でも歴史の話が面白くて、コンピュータ誕生にまつわるゴタゴタ話では
フォン・ノイマンって嫌なやつだなと思ったりもした(笑)
ちなみに僕は著者が講師をつとめる「電脳建築学」という講義を受けていて、
この本はその講義のプレテキストに指定されているのだけど、
講義名物の著者の毒舌ぶりが本書の端々でも垣間見られてそれも楽しみだった。
特に語注では江戸っ子モード全開っといった感じで笑いながら読んでしまった。

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○コンピュータという道具は、水や空気のよに本質的に「無色透明」
 →いままでの道具は人間の肉体の能力を増強するものが多かったが、
  コンピュータは人間の脳の働きを増幅してくれるもの
<第1章 コンピュータ学へ、ようこそ>

○情報の単位「ビット」を考えたシャノンの功績は、
 数字だけでなく全ての情報をコード化できるとした点
<第2章 20世紀を変えた情報理論>

○アナログとデジタルの違い・・・
 ・アナログ情報=コード化されていない情報→連続性があり切れ目がない
 ・デジタル情報=コード化された情報→不連続で飛び飛び
<第2章 20世紀を変えた情報理論>

○電子式計算機(コンピュータ)が成功を収めた最大の原因
 =計算のベースを10進法ではなく2進法に置いたところ(プール代数のおかげ)
<第4章 0と1のマジック・プール代数>

○コンピュータ学をマスターするコツは
 「とりあえず分かった気になれば、それでいい」と考えること(略)
 その意味ではコンピュータ学は英語に似ている
<第4章 0と1のマジック・プール代数>

○フォン・ノイマン型コンピュータの最大の特徴は、
 一度に一つのことしかできない点=逐次処理
<第5章 プログラム コンピュータとの会話術>

○アルゴリズムを勉強することはプログラミング言語の勉強をするよりずっと重要
 (プログラムを書くことはプロットを重視する小説を書くことに似ているから)
<第5章 プログラム コンピュータとの会話術>

○メイン・フレーム市場で圧倒的な強さを持っていたIBMが
 パソコン市場で覇権を失ったのは、
 CPU(インテル)とOS(マイクロソフト)の自社開発をせずに囲い込み戦略が失敗したため
<第6章 世界を変えた小さな「石」>

○「モデム」の語源=Modulation(変調)+DE-Modulation(復調)を合わせたもの
<第8章 インターネットのは「信頼の輪」>

○コンピュータが誕生してからこの半世紀の流れ
 =「集中(メインフレーム)から分散(パーソナルコンピュータ)へ」
  →「孤立(スタンドアロン)から共同(オンライン)へ」
<第8章 インターネットのは「信頼の輪」>

○ボーダレスな時代だからこそ、それぞれの国民性や文化が大切になってくる(略)
 世界中が金太郎飴のように同じでは、わざわざネットにつなぐ必要性はない
<第8章 インターネットのは「信頼の輪」>

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2003 4/23
コンピュータアーキテクチャ、情報関連
まろまろヒット率3
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『利己的な遺伝子』 リチャード・ドーキンス著、日高敏隆ほか訳 紀伊国屋書店 1991(2版)04.03.03

転居ははじめてだけど文京区はまろまろしていて何気に気に入っている、らぶナベです。

さて、『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス著、日高敏隆ほか訳(紀伊国屋書店)1991年第2版。
生物の行動を種族でも集団でも個体でもなく遺伝子を中心に見直そうとした進化論の定番本。
当時としてはインパクトが強い内容と専門家でなくても読める点から物議を醸し出した一冊。
ただ、初版(1976年)のまえがきで著者自身が「私は生物学はミステリー小説と同じくらい
刺激的なものであるべきだと前々から思っている」と述べているように、
あえて過激な表現や事例を使っている点も考慮して問題作になったことは著者の狙い通りか?(^^)

この本の中で一番興味深かったのは、考え方や文化、理念などのも一種の遺伝子のように、
それ自体が人から人へと媒介していくという考え方=「ミーム論」だ。
自分に振り返ってみると本を人に貸したり無くしたりしても大丈夫なように読書メモを残す点
(ハードウェアに依存しない)や、重要なのは本に書かれてあることそれ自体ではなく
読む人それぞれがその本から感じ取ったことだ考えている点から、この考え方はすんなり受け入れられた。
このミーム論でいくと本の遺伝子と僕の遺伝子が交配された新しいミームが読書日記で、
それを公開しているホームページはミーム配信源というところだろうか(^_^)
ただ、一般的には文化の普及や発展の不作為性が強調される点が
このミーム理論を使うことのいちばんのメリットのような気がする。

また、「われわれが死後に残せるものが二つある。遺伝子とミームだ」(11章)と著者が述べているところは、
かつてある企業とある企業の橋渡し役をつとめたときのこと(出来事メモ)を思い出させられた。
あの時は「自分の名前が残らなくても自分の考えや色のかけらは、社会に残せるかもしれない」
と感じたことが衝動のような行動意欲につながったのを覚えている。
何かを創りたいとか、残したいという気持ちはやはり性欲と同じように本能なのかもしれない。
よく考えたらリアルな遺伝子だって自分から子供に伝わるのはその半分、
子孫になるとほんのかけらだけだということを考えると、
何かを残したいというこの欲望は利己的な遺伝子的には性欲よりも効率が良いといえるだろう(^^)
この本は専門家でなくても読めるようにしているという点を差し引いても、
あまりに比喩に比喩を重ねる手法や事例の持ち出し方があからさまだったりするのが
「どうかな?」と思うところもあるが、
こうしたことを考えさせてくれたのでまろまろヒット率は最大に値すると思う。

ちなみに、思わず笑ってしまったのが、遺伝子の定義をしている第3章で、
厳密な定義からすればこの本のタイトルを・・・
『いくぶん利己的な染色体の大きな小片とさらに利己的な染色体の小さな小片』
・・・っとすべきだったと書いてあったことだ。
厳密さでは問題あっても確かにこっちの『利己的な遺伝子(The Selfish Gene)』の方が
ずっと良いミームだろう(笑)

以下はチェックした箇所の抜粋(一部要約)・・・

○この本の主張するところは、われわれおよびその他のあらゆる動物が
 遺伝子によって創りだされた機械にほかならないというものである。
 →自己利益の基本単位は、種でも、集団でも、厳密には個体でもない(略)
  それは遺伝の単位、遺伝子である。
<1 人はなぜいるのか>

○成功した遺伝子に期待される特質のうちでもっとも重要なのは無常な利己主義である(略)
 しかし(略)遺伝子が固体レベルにおけるある限られた形の利他主義を助長することによって、
 もっともよく自分自身の利己的な目標を達成できるような特別な状況も存在する。
 注:利他主義と利己主義の上述の定義が行動上のものであって、
   主観的なものではないことを理解することが重要(略)
   利他的にみえる行為はじつは姿を変えた利己主義であることが多い。
<1 人はなぜいるのか>

○(正確な複製と突然変異との両立の問題について)
 進化とは、自己複製子(今日では遺伝子)が
 その防止にあらゆる努力をかたむけているにもかかわらず、
 いやおうなしにおこってしまうというたぐいのものである。
<2 自己複製子>

○一個の遺伝子は、何世代もの個体の体を通って生きつづける単位。
<3 不滅のコイル>

☆遺伝子と進化の定義☆
・「遺伝子」
 =自然淘汰の単位として役立つだけの長い世代にわたって続きうる染色体物質の一部
 =複製忠実度(コピーの形での寿命)のすぐれた自己複製子
 =十分に存続しうるほどには短く、自然淘汰の意味のある単位として
  働きうるほど十分に長い染色体の一片

・「進化」
 =遺伝子プール内である遺伝子が数を増やし、ある遺伝子が数を減らす過程
 =たえまない上昇ではなくて、むしろ安定した水準から安定した水準への不連続な前進のくり返し
<3 不滅のコイル>+<5 攻撃ー安定性と利己的機械>

☆個体は安定したものではない(略)染色体もまた、配られてまもないトランプの手のように、
 まもなくまぜられて忘れ去られる。
 しかし、カード自体はまぜられても生きのこる。このカードが遺伝子である。
<3 不滅のコイル>

○意識とは、実行上の決定権をもつ生存機械が、究極的な主人である遺伝子から
 解放されるという進化傾向の局地だと考えることができる。
<4 遺伝子機械>

○遺伝子は方針決定者であり、脳は実施者と考えられる。
<4 遺伝子機械>

☆進化的に安定な戦略(Evolutionarily Sable Strategy=”ESS”)
 =個体群の大部分のメンバーがそれを採用すると、
  べつの代替戦略によってとってかわられることのない戦略
 →個体にとって最善の戦略は、個体群の大部分がおこなっていることによってきまる
<5 攻撃ー安定性と利己的機械>

○(ESSのコンピュータシミュレーション実験からから)
 重要な一般的結論は、ESSが進化する傾向があること、
 ESSが集団の申し合わせによって達成されうる最適条件と同じではないこと、
 そして常識は誤解を招くことがあるということである。

○まったくでたらめをいうよりポーカー・フェイスのほうがいいのはなぜだろうか?
 やはり、うそをつくことが安定ではないからだ。
<5 攻撃ー安定性と利己的機械>

○賭博師にとって最良の方策は、ときには猛烈攻撃作戦ではなく、
 幸運待望作戦かもしれないのである。
<7 家族計画>

○(親動物の家族計画は集団のためではない点について)
 個体に過剰な数の子をもたせるように仕向ける遺伝子は、
 遺伝子プールの中にはとどまれない。その種の遺伝子を体内にもった子供らは、
 成体になるまで生き残るのがむずかしいからである。
<7 家族計画>

○親子の争いの場合、敵対者は互いにある程度の遺伝的利益を共有しており(略)
 一定の限度、あるいは一定の感受期間の間においてのみ、敵対関係を形成するのである。
<8 世代間の争い>

○精子と卵子の大きさおよび数にみられる根本的な相違が原因で、
 雄には一般に、乱婚と子の保護の欠如の傾向がみられる。
 →これに対抗する雌の戦略がたくましい雄を選ぶor家庭第一の雄を選ぶこと
<9 雄と雌の争い>

○不妊の働きバチが一匹死ぬことは(略)木の遺伝子にとって、
 秋に葉を一枚落とすことが、些細なことであるのとまったく同じことである。
<10 ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう>

☆ヒトの肥大した大脳や、数学的にものごとを考えることのできる素質は、
 より込み入った詐欺行為を行ない、同時に他人の詐欺行為を
 より徹底的に見破るためのメカニズムとして進化したのだという可能性すら考えられる。
 このような見方からすれば、金銭は、遅滞性の互恵的利他主義の形式的象徴である。
<10 ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう>

○人間をめぐる特異性は、「文化」という一つの言葉にほぼ要約できる(略)
 基本的には保守的でありながら、ある種の進化を生じうる点で、
 文化的伝達は遺伝的伝達と類似している。
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>

○生物の基本原理=すべての生物は、自己複製を行なう実体の生存率の差に基づいて進化する
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>

☆文化伝達の単位(模倣の単位)=mimeme(ギリシア語で模倣)+gene(遺伝子)→”meme”(ミーム)
 →ミームがミームプール内で繁殖する際には、
 広い意味で模倣と呼びうる過程を媒介して脳から脳へと渡り歩く
 (楽曲、思想、標語、ファッション、建築など文化のすべてがミームの例))
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>

○概念のミーム=脳と脳の間で伝達可能な実体
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>

○(かつて宗教勢力が多様した「地獄の恐怖」についてミームの視点から)
 それ自体は意識をもたないミームが、成功する遺伝子が示すのと同じ
 類似的残忍性という特性をもったおかげで、
 自らの生存を確保できたのだというほうがあたっているような気がする。
 地獄の却火という観念は、まったく単純に、それ自体がもつ強烈な心理的衝撃力のおかげで、
 自己を永続化しえているのである。
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>

○われわれが死後に残せるものが二つある。遺伝子とミームだ。
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>

○人間には、意識的な先見能力という一つの独自な特性がある(略)
 この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである。
<11 ミームー新登場の自己複製子ー>

○ダーウィン主義者にとって、成功する戦略はさまざまな戦略の集団の中で多数になったもののことである。
<12 気のいい奴が一番になる>

○ほとのどの遺伝子は、たとえば緑色の眼と巻毛といった、二つ以上の表現型効果をもっている。
 自然淘汰は。遺伝子そのものの性質のゆえではなく、
 その表現効果のゆえに、ある遺伝子を他の遺伝子よりも優遇する。
<13 遺伝子の長い腕>

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2003 4/3
進化論、自然科学、情報関連
まろまろヒット率5
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『アフォーダンス―新しい認知の理論』 佐々木正人著 岩波科学ライブラリー12 199401.12.03

セブンイレブンで売っている「牛乳シャーベット」は
何気に美味しいと思う、らぶナベです。

さて、『アフォーダンス-新しい認知の理論』佐々木正人著
(岩波科学ライブラリー12)1994年初版。
初めて読んだアフォーダンス(生態心理学の基本概念)の本。
情報は環境から受ける刺激を脳で処理して意味のあるものへと作られるのではなく、
情報はその人をとりまく環境そのものの中にあるという考えを提唱した
ギブソンの研究過程を追いながらアフォーダンスの考え方を紹介している。
この本では視覚と触覚についての記述がメインになっているが、
著者も後半で述べているようにアフォーダンスは
言語や芸術などの他の分野へも応用されるものなので興味深かった。

特に知覚について「五感」のように個々の感覚器官に注目するのではなく
複数の知覚システムの束とみなす考えは新鮮だった。
確かにこれだと盲目の人が自由に歩けることが不思議じゃない。

また、変化の中にある不変を知覚することを重視する考え方(不変項)も面白かった。
なんだかよくわからない非現実的な芸術作品を観て、
なんだかうまく説明できないけどそこに現実的なものを感じたとき、
その作品の中に不変項があるのだという視点はちょっと楽しい(^^)
この不変項という考え方は前に読んだ『日本人と日本文化』
ドナルド・キーンが「矛盾を見ればその人が何を考えているのかわかる」と
言っていたことと何か通じるような気がする。

さらにこれは前提として述べられたことだけど、
「人は記憶を語るときに記憶と過去を表現するメディア(映像や文字)と混同しがち。
思い出されることはビデオに映っているような文字通りの過去じゃないし、
会話は文字に書き写された言葉とは違う」
という趣旨のことがエピローグに書かれてあった。
これは僕自身ときどき完全に忘れていることなのでハッとさせられた。

ちなみに著者とは院の説明会と二次試験の口頭試問
少しだけ言葉を交わしたことがある。(単に試験官だっただけだけどラッキー)
そのときは個性的だけど温和な印象を受けて好感が持てたのを覚えている。
この本の最後で「あせらなくてもいい。情報は環境に実在して、
お前が発見するのをいつまでも待っている」(あとがき)という
著者自身に向けられた言葉を発見したときに会った時の印象が思い返された。
これも不変項か?(^^)

以下は、チェックした箇所(一部要約)・・・

○「フレーム問題」=ある行為に関連することとしないことを
 効率的に見分けるにはどのようにすればよいのかという問題(主にAI領域)
<プロローグ なぜいまアフォーダンスなのか?>

○デカルトの「こころ」とは、感覚刺激を統合し、判断し、推論し、
 意味をつくりだすメカニズム(略)いわゆる「中枢」
 →環境からの入力が「点運動」のようなものであるという仮定が、
  知覚理論への「有能なこころ」の概念の導入を招いた
<プロローグ なぜいまアフォーダンスなのか?>

○「ゲシュタルト」=「感覚要素の総和以上のもの、総和とはことなったもの」
 (エーレンフェルス)
<1 ギブソンの歩み>

☆知覚者が対象の変化から見ているのは「形(form)」ではなく、
 対象そのもの、それのリアルな「姿(shape)」
 →姿は、形からではなく、それ自体は形をもたない「変形」から知覚される(略)
  知覚ににとっては「変化という次元」こそが問題
  (「変化」のなかに埋め込まれている「不変」の知覚)
<1 ギブソンの歩み>

☆ギブソンが捜し求めた「知覚の刺激」の本質=環境の中で、動き回って、
 何かを見ようとしている観察者がその全身の動きとともに発見するもの
<1 ギブソンの歩み>

☆「生態光学(エコロジカル・オプティックス)」=環境に充満している光=包囲光
 (ambient light)を視覚の基礎にすべきであるという考え
 →包囲光の「異質性」=「包囲光配列(ambient array)」」
<2 情報は光の中にある>

☆「不変項(インバリアント)」=変形から明らかになる不変なもの
 →見るということで観察者が行っていることは、
  包囲光配列から不変項をピックアップすることである
<2 情報は光の中にある>

○不変項=
 1:構造不変項→恒常的に保たれている性質を知覚すること
 2:変形不変項→生じている変化がどのような変化であるか特定すること
 →動くものが何であるか特定するのが構造不変項、
  その動きがどういうものであるのか特定するのが変形不変項
<2 情報は光の中にある>

☆環境に満ちているのは、「持続と変化」である
 →生態光学はそこが「情報に満ちた海」であることを示した
<3 エコロジカル・リアリズム>

☆生態学的認識論は、情報は人間の内部にではなく、人間の周囲にあると考える
 →私たちが認識のためにしていることは、
  自身を包囲している環境に情報を「探索」すること
<3 エコロジカル・リアリズム>

○「生態学的測定法(エコ・メトリクス)」=物理的絶対値ではなく
 生き物を基準にして表した値
<3 エコロジカル・リアリズム>

☆アフォーダンス=「動物との関係として定義される環境の性質」(ギブソン)
 =環境が動物に提供する「価値」
 =物理的な性質ではなく「動物にとっての環境の性質」
  →アフォーダンスが環境の中に実存することを強調するギブソンの理論
  =「エコロジカル・リアリズム(生態学的実存論)」
<3 エコロジカル・リアリズム>

○感覚器官をもとにした古典的分類「五感」は多様な知覚体験を説明できない(略)
 五は感覚器官の種類の数ではなく「環境への注意のモード」の種類と考えるべき
 =「基礎的定位づけシステム」「聴くシステム」、「触るシステム」、
  「味わいー嗅ぐシステム」、「視るシステム」
<4 知覚するシステム>

☆知覚システムの特徴
1:”複数の知覚システムの獲得する情報は
 「等価」であるので「冗長」であることが多い”
  →盲目の人が自由に移動できるのは神秘的なことではなく
  「視るシステム」以外でもピックアップ可能な情報を知覚しているから
2:”動きが固定されていない”
  →知覚システムの動作を洗練し、分化していくことが学習
  →「わざ」を可能にするのは知覚システムの束
<4 知覚するシステム>

☆ギブソニアン(ギブソンの後継者たち)の主張
 =「運動研究の単位を変えよう」
 →関節などの要素でなくマクロな「結合」を単位に
<5 共鳴・同調の原理>

○運動系は、身体の内部に閉じて組織化しているのではなく、
 環境の中の情報とも協応の関係を結び、
 知覚情報をもそのシステムの一部としている
<5 共鳴・同調の原理>

○「タウ(τ)」=行為の制御に利用されている視覚情報
 =「衝突・接触」のアフォーダンス
<5 共鳴・同調の原理>

○知覚と行為の協応を、ギブソニアンは「知覚と行為のカップリング」と呼ぶ
<5 共鳴・同調の原理>

☆画家が遠近法で描いた絵も、抽象画も、もしそれが私たちに
 何らかのリアリティーを伝えることができるならば、
 そこには知覚された不変項が記録されていると考えるべき
<エピローグ リアリティーのデザイン>

○「あせらなくてもいい。情報は環境に実在して、
 お前が発見するのをいつまでも待っている」
 (略)研究だって知覚行為の一種なんだから
<あとがき>

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2003 1/12
アフォーダンス、心理学、認知科学、情報関連
まろまろヒット率4
心理学 キャリア

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『おしえて先輩!人気ホームページのつくり方』 井上真花著 ソシム 200211.19.02

そろそろ読書日記をDateBase管理&HP更新できるようにしたい、らぶナベです(T_T)

さて、『おしえて先輩!人気ホームページのつくり方』井上真花著(ソシム)2002年初版。
人気HomePageの運営者に対するインタビュー本。
ネットというメディアを考える上で、また一人のHP運営者として、
いろいろと考えるきっかけになるのでこの手の本は最近いくつか読んでるけど、
レイアウトも含めてこの本が一番読みやすいと思う。
各インタビューごとにそのHPの開設時期や維持費が紹介されているのも興味深い。
どうせなら「アクセス数が急に伸びたきっかけ」や、
「HPが軌道に乗ったと思った時期」なんて項目も入れてほしかった。

中でも驚いたのが東京トップレスの運営者へのインタビューだ。
実は僕がインターネットをはじめた時期、1995年に、
大学から買わされたモノクロノートパソコン(PowerBook520)で
テレホーダイになる11時過ぎに14Kbps(遅っ!)で
一生懸命見ていたHPがこの東京トップレスだったからだ(^^;
もう長いこと訪れていなかったのでまだあったんだということもびっくりしたが、
今でも無料で続けているというのにかなり驚いた。
「ここで有料サイトにしたらただの商品になってしまう。
これだけのメディアをただの商品にまで格下げするのは、あまりにもったいない」
・・・っという運営者の言葉にはある意味で清清しい姿勢さえ覚えた。

この本に限らずHP運営者へのインタビュー本はどれも
インターネットというメディアを考える上で格好の素材だとあらためて感じた。
「メディアとしてのインターネット」については
さまざまな場所でさまざまな角度から議論がなされているけど、
その議論の説得性はこうした当事者の生の声を
いかに把握&昇華できるかで決まるような気がする。

以下は、チェックした箇所・・・
○(モデルに風俗嬢が多いことについて)
 雑誌はお店にスポットをあてて記事にするけど(略)
 お店の女の子として紹介されたって、
 あんまり彼女たちにメリットないんですね。
 東京トップレス(http://tokyotopless.com/)

○メールマガジンを発行する人は、人を集められる人だと思ったんです。
 そういう人を集めれば、人の集まるサイトになるのではないかと。
 ゴザンス(http://www.gozans.com/)

○なにを集めるか、そのアンテナこそが、自己表現になっているのだと思います。
 TECHSIDE(http://www.iris.dti.ne.jp/~spec/news2/bbsf.html)

○しょせん、クラスの中で2人か3人が「おもしろい」と思うようなものしか、
 やっていないんです。でも、クラスの中の2人って場合をインターネットで考えると、
 それなりにかなりの人数に、なってしまう訳です。
 Webやぎの目(http://www.kt.rim.or.jp/~yhayashi/)

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2002 11/19
情報関連、メディア論
まろまろヒット率4
マスコミ キャリア

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『2ちゃんねる公式ガイド2002』 2ちゃんねる監修 コアマガジン 200210.14.02

何気にまろまろ掲示板でも2ちゃんねるはお勉強ネタになったことがある・・・
らぶナベ@これからも法的視点は欠かさず注目です。

さて、その『2ちゃんねる公式ガイド2002』2ちゃんねる監修(コアマガジン)2002年初版。
21世紀初頭の日本が生んだ世界最大規模の匿名掲示板
「2ちゃんねる」(http://www.2ch.net/)の公式ガイドブック。
管理人であるひろゆきの視点やスタンスについては
以前読んだ『個人ホームページのカリスマ』(講談社)で垣間見たが
2ちゃんねる自体のちゃんとしたガイドが欲しかったので購入。
たまたま発売日に書店で見かけた時は手持ちがなかったので
次の日に買おうとしたら既に売り切れていた。
さすが話題性No.1WEBサイト、かなり売れている本のようだ。

期待して読んだものの2ちゃんねるの歴史や体制についての体系的な説明がないのに、
関係者各位の書きものが単発で散らばっているので内輪ノリを強く感じた。
経緯や背景の説明がないと共有できない話が多いのにその説明がない。
公式ガイドと銘打っているだけにこれにはちょっと残念。

ただ、第4章「2ちゃんねるほぼ全板ガイド2002」は面白かった。
何しろ実際にネットでの手探り状態だけでは、
まず全部の板(カテゴリ)を網羅的に見ることができないので
こういうガイド本の存在意義を感じさせてくれるものだった。
中にはその板の歴史まで書かれてあるものまであって、
コミュニティの栄枯盛衰を見るようで読み入ってしまった。
この全板ガイドの分量をもっと増やせばいいのにとか、
コーエーの歴史シミュレーションゲーム(『三国志』など)の
『武将ファイル』のように各板のパラメータまで出してくれればいいのに
とか感じたがこれは次の改訂に期待しよう。

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2002 10/14
情報関連、メディア論、ムック本
まろまろヒット率2
マスコミ キャリア

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『伽藍とバザール』 エリック・S・レイモンド著、山形浩生訳 光芒社 199908.05.02

HP英語化プロジェクトもOpenSourceを参考にしようと思う、らぶナベっす。

さて、『伽藍とバザール』エリック・S・レイモンド著&山形浩生訳
(光芒社)1999年初版。
Linuxに代表されるオープンソースについての理論書。
僕はHPのちょっとした修正にもヒィヒィ言ってるくらい文系人間で、
プログラミングやソフト開発のことはほとんどわからないけれど、
Linuxやオープンリソースの盛り上がりや可能性には前から興味を持っている。
たぶん読書日記や体験記を公開し続けている経験から
「公開」のメリットを自分のテーマとして感じているからだろう。
聞かれないことは自分からは教えないコンサルタントを知っているが、
ろくに資格も知識もないのにそれを消費財のように扱う姿に、
萎縮した人生を送っている卑屈さや惨めさを垣間見ることがある。
オープンソースにひかれるのはそういう性格的なものもあるかもしれない。
そんなこんなでオープンソースについて一冊は通読しようと選んだ本。

内容は本書の核となる三つの論文
「伽藍とバザール」、「ノウアスフィアの開拓」、「魔法のおなべ」と、
「エリック・S・レイモンド大いに語る」(著者と訳者のインタビュー)、
「ノウアスフィアは、ぼくたちの開墾を待っている」(訳者解説)
からなる五部構成になっている。
僕のようにプログラミングの知識がない人は訳者解説から読むのがお勧め、
本書の中心である三つの論文についてわかりやすく解説してくれている。
特にこの本の中心である伽藍方式とバザール方式の違いについて・・・
「伽藍方式は村上龍が自分で村上龍の長編を書く方式、
バザール方式は読書参加で村上龍の長編を書く方式。
有象無象を集めて村上龍の小説を書かせた方が、村上龍一人が書くよりも
優れた小説が書けると村上龍に言うようなものがこの論文」
・・・と解説しているのには思わず笑ってしまった。
ネタ的にも面白いがオープンソースのイメージを見事に伝えている。
この訳者は訳や説明がうまいなぁっと思っていたら訳者自身のHPも実に楽しい。
生けるOpenSourceという感じだ(^^)

また、オープンソースは皆がチェックして貢献するというのが前提だけど、
ソースをオープンにしただけでは皆がチェックしたり貢献したりしてくれる
とは限らないと指摘していたのには共感した。
では何がオープンソースと利用者をつなげるのか・・・
そこに「感性の共鳴」のようなものがある気が僕はする。

以下は、その他の気になった箇所(一部要約)・・・
☆オープンソースのメリットが高いのは・・・
 a)信頼性、安定性、スケーラビリティがとても重要な場合
 b)デザインや実装の正しさが、独立プアレビュー以外の方法では
  きちんと検証できない場合
 c)そのソフトがその利用者のビジネス展開を決定的に左右するような場合
 d)そのソフトが、共通のコンピュータ・通信インフラを確立するか可能にする場合
 e)その核となるメソッド(あるいは機能的にそれと等価なもの)が、
  よく知られた工学的な知識の一部であるとき

○すごいプログラマの大事な特徴の一つが、建設的な面倒くさがり

○(Linuxの公開者) リーヌスはハッカーやユーザーたちを
 たえず刺激して褒美を与え続けた。
 刺激は→全体の動きの中で一員となることでエゴを満足させられるという見込み
 褒美は→自分たちの仕事がたえず(まさに毎日のように)進歩 している様子

○(デザイン上の)完成とは、付け加えるものがなにもなくなったときではなく
 むしろなにも取り去るものがなくなったとき

○コミュニティ形成を始めるときは、まずなによりも実現できそうな
 見込みを示さなきゃいけない

○伽藍やバザールなんかの社会的な機構は、
 その火花をつかまえて洗練させることができるけど
 でもその機構が命令して着想を生み出したりはできないんだ

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2002 8/5
情報関連、オープンソース、社会学
まろまろヒット率4
マスコミ キャリア

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『テキストサイト大全』 釜本雪生+くぼうちのぶゆき編著 ソフトマジック 200208.01.02

読書日記の下にあるコラムやポエムは見落としがちだという指摘を複数受けている、
らぶナベ@独立コンテンツにすべきかどうかご意見募集しまっす(^^)

さて、『テキストサイト大全』釜本雪生+くぼうちのぶゆき編著
(ソフトマジック)2002年初版。
「個人による情報発信」は21世紀のキーワードの一つになりそうだと感じ始めている。
さらに『個人ホームページのカリスマ』や『万有縁力』が思ったよりも良かったので、
網羅的なタイトルと分量の厚さにひかれて購入した一冊。

HP運営者の一人としても何かヒントが得られればと読んだのだが、
「テキストサイトの平均寿命が半年から一年の間・・・
しかし閉鎖した人間のほとんどが再びサイトをたちあげる」というのが面白かった。
演劇にしろ写真にしろ芸能活動にしろどんな表現活動でも、
一度表現者としての充実感を感じた人間はそれを忘れられないのだろう。
「表現は麻薬」とも言うが、その薬をいかに楽しめるかが
情報化社会を生きる上で重要な鍵の一つとなってくるだろう。
(妄想銀行)

しかし、残念ながらこの本には重大な欠点が・・・
最初の方でテキストサイトの定義をする箇所があるのにそれを曖昧にさせている。
それなのにその後は常に「テキストサイトというものは」として話を進めているので
結果的に派閥などの内輪的な話や著者の先入観ばかりが妙に目立ってしまっている。
特にこの分野は信頼できる統計データがほとんどない上に変化も激しいので
「個人サイト」と言わずにあえて「テキストサイト」と打ち出すなら、
誤解を恐れずに最初に定義をしっかりと徹底的にやるか
もしくは完全に定義を放棄するのかのどちらかにしないと、
不完全燃焼に終わってしまうのだろう。
(どちらも勇気がいるが新しい分野を扱うのには必要なこと)
新しい分野に挑戦するというこの本の姿勢もタイトルも扱う素材も
良いだけにもったいなさを一番に感じてしまった。
インタヴューをおこなった有名テキストサイト(とされる)の運営者の多くが
「自分のところはテキストサイトじゃない」と言っていたのが象徴的だろう。
ただ、非常に魅力的な素材や姿勢なので、こういう本がまた出ることを期待。
個人サイトは今後減ることはなさそうなので安心して期待しよう(^^)

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2002 8/1
情報関連、メディア論
まろまろヒット率2
マスコミ キャリア

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『万有縁力―ネットの向こうに人が見える』 とってもe本プロジェクト編 プレジデント社 200106.24.02

ブラジル代表のロナウドの新しい髪型はさすがに違うだろうと思った、らぶナベっす。

さて、『万有縁力~ネットの向こうに人が見える~』とってもe本プロジェクト編
(プレジデント社)2001年初版。
前に読んだ『個人ホームページのカリスマ』がけっこう面白かったので買った本。
物質が引き合う「引力」と同じように人が引き合う「縁力」があるという視点で、
企業運営や文化活動など様々な分野で情報発信する人々へインタビューしている。
タイトルフェチなのでこういうタイトルにはすごくひかれてしまう(^^;
自分もまろまろHPを運営しているので情報発信に取り組む人たちの姿や考えを知るのは
すごく刺激になるし見つめなおす機会にもなる。

特にほぼ日刊イトイ新聞(http://www.1101.com/index0.html)を運営する、
糸井重里さんへのインタビューで出た話・・・
「お金にはお金そのもののハードマネーと、信用や魅力などのソフトマネーがある」
・・・は言葉としてはありがちだけど、
彼のネット活動を見てみると本当に実践しているんだなぁっと関心した。
大阪人がいうところの「人の金持ちになれ」のネット版だろうか(^^)
紹介されているのは総じて興味深い人物、事例ばかりだったけど惜しむらくは
「万有縁力」というからにはそれぞれの「縁」についてもっと光を当ててほしかった。
(特に後半は単なるビジネスモデル話が多くて縁力じゃないじゃんと思ってしまった)

以下、チェックした箇所・・・
☆情報というのは、発信した人のところに集まってくるものなんです
池内ひろ美
http://www.ikeuchi.com/rikon/

☆表現ってのは、自分のDNAをばらまきたいわけですよね。
 そして、「あ、同じ」と言い合いたいわけです
糸井重里
http://www.1101.com/index0.html

☆インターネットは(中略)きれいなものを見て感動するというよりも、
 生きている間に溜まってしまった汚物を一緒に見て「私も同じだよ」と言い合える場です。
 (中略)肥やしになる汚物を書きたい
村山らむね
http://www.lamune.com/
(この人の「自分自身に情報発信」というのも納得してしまった)

○欠点を詳しく説明して理解して商品を買われたお客さんは、納得ずくで購入してくれる。
 逆に、悪い部分を書かないと評価がおちることにもつながる
佐野吾郎
http://jizake.com/

○リアルな世界よりネットのお客様のほうが偉いじゃないですか。
 情報受信の選択や権限がお客様側にあります。
宮井芳行
http://www.japannetbank.co.jp/

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2002 6/24
情報関連、メディア論
まろまろヒット率3
マスコミ キャリア

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