Archive for the ‘歴史’







『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』 塩野七生著 新潮社 上中下巻 201101.21.12

渡邊義弘@去年11月の東北行脚でお手伝いした消息確認が新聞記事に取り上げられました。
(『夕刊三重』 2012年1月12日付 第1面)

さて、『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』塩野七生著(新潮社)上中下巻2011。

テオドシウス帝の死後、東西二つに分かれてゆくローマ帝国と諸民族の躍進、
西ローマ帝国の滅亡とその後のローマ世界の終焉までをえがく、
『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』に続くシリーズ第15段。
そして、この第15段が『ローマ人の物語』の完結編に当たる。

内容は、滅亡に向かうローマ帝国の顛末が詳細にえがかれていて、読んでいて辛くなる時もあった。
著者自身も・・・
「歴史には、進化する時代があれば退歩する時代もある。
そのすべてに交き合う覚悟がなければ、歴史を味わうことにはならいのではないか。
そして、「味わう」ことなしに、ほんとうの意味での「教訓を得る」こともできない」
(下巻 カバーの金貨について)
・・・と述べているように、なぜ滅んだか?ではなく、
どのように滅んだか?に重点が置かれてえがかれている。

中でも上巻の多くを占める西ローマ帝国の将軍、スティリコの姿が印象に残った。
ヴァンダル族の父を持ちながら「最後のローマ人」と呼ばれたスティリコの苦闘と、
その死によってタガが外れた西ゴート族によるローマ劫掠の様子は、衰亡の象徴のように思えた。

前巻の『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』では・・・
「ローマ帝国の滅亡とか、ローマ帝国の崩壊とかは、適切な表現ではないかと思い始めている。
(中略)ローマ帝国は溶解していった」
・・・と指摘されたローマ帝国の末路は、ローマらしさが失われ、消えてゆく過程でもある。
そんな中で、最後までローマ人として生きたスティリコの姿は強く印象に残った。

また、この『ローマ人の物語』文庫版は全43巻の表紙すべてに、その時代のローマのコインが掲載されている。
最終巻の43巻では、「コインで見るローマ帝国の変遷」として、それらを集めたカラーページが付けられている。
あらためて一覧化して見てみると、通貨の質の良し悪しはその国の状態を表す、ということがはっきりと分かるもので、
そのローマの興亡の過程が視覚的に追いかけることができるようになっている。

読書日記を振り返れば、『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』を読み終えた2002年10月2日から、
今回、この『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』を読み終える2012年1月22日まで、
僕もこの『ローマ人の物語』には約9年のお付き合いをしたことになる。
一つの文明の誕生から死までお付き合いしたことは、感無量な気持ちになった読書でもあった。

以下は、全巻へのリンク(☆は特に印象深い巻)・・・

『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』

『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』

『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』

『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』

『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』

『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』

『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』

『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』

『ローマ人の物語24,25,26 賢帝の世紀』

『ローマ人の物語27,28 すべての道はローマに通ず』

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』

『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』

ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』

『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』

『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』

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2012 1/22
歴史、政治
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『日本のもと 神さま』 中沢新一監修 講談社 201110.01.11

渡邊義弘@自分が提案したということもあって、最近は松阪市役所地下売店の松阪牛おにぎりを朝ごはんにしています。

さて、『日本のもと 神さま』中沢新一監修(講談社)2011。

日本人の精神の源泉にある「神」について、その概念の歴史的変遷と特徴を子供向けに解説した一冊。
信心とは、「なにか特別な存在を信じる心」という定義の下・・
・日本の信心の歴史をたどる「温故編」
・人類学者、中沢新一と対話する「知新編」
・日本の信心の可能性を示唆する「未来編」
・・・という三部構成になっている。

特に印象的だったのは、最後の「未来編」の中で針供養、付喪神、丸石神などを紹介しながら、
モノに気持ちや愛を込める行為が日本のアニミズムでの特徴であると指摘しているところだ。
日本語には「モノに命を吹き込む」という言葉にあるように、
その精神性がアニメ(語源もアニミズム)やものづくりに通じているとまとめられている。
ちょうど、この本の監修者である人類学者の中沢新一さんとは
大阪取材コーディネータをつとめて以来のご縁があることもあって、
このくだりは実際の肉声を聞いているような気持になった。

ちなみに、この本の欄外には4コマ漫画が散りばめられている。
親しみやすさを目的にしたものだと思うけれど、
内容と関連が薄いダジャレが多い上に、古い芸能人(横山やすし)を使うなど、
子供が読んで面白いと思えるのかどうか疑問に思ったのはご愛敬(w

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2011 10/1
宗教、文化、人類学、歴史
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『海国記』 服部真澄著 新潮社 上下巻 200705.30.11

今月は構想した松阪市情報のかけ橋委員会がスタートした、まろまろです。

さて、『海国記』服部真澄著(新潮社)上下巻2007。

院政がおこなわれていた平安時代後期、海の道は富が流れる宝の道でもあった。
その海の道に注目した人々が新しい時代の担い手となっていく・・・

経済的な視点をからめながら、平家とその縁者を中心にえがく歴史小説。
平安時代後期から鎌倉時代前期までの100年以上にわたる長編で、
登場する天皇家だけも白河上皇から後堀河天皇まで実に14代にわたっている。

『平家物語』よりもずっと長い時間軸は内容面にも反映されていて、
社会・経済的な流れを強調した物語となっている。
そうした大きな流れの中で繰り広げられる人間模様の浮き沈み、儚さが強調されているのが印象的。

特に、平清盛の誕生の場面にある・・・
「幻視と願いとの境は、あいまいであった。双方の境を確かに分けてゆくものがあるとすれば、明日という時代の波である」
・・・という一節は、大河小説としてのこの物語の性格を凝縮して表しているように思えた。

ちなみに、この本はある経済学者の方からお貸しいただいた。
大きな流れの中で生きることの意味を伝えていただいたように思えた一冊でもある。

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2011 5/30
歴史小説
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『日本の歴史をよみなおす (全)』 網野善彦著 筑摩書房 200503.01.11

まろまろ@この「まろまろ記」のサーバをCORESERVER.JP(CORE-B)に引越しました。
これでサイト開設以来、実に5度目の移転ですが、許容負荷率が約4倍になったので安定度UPです☆

さて、『日本の歴史をよみなおす (全)』網野善彦著(筑摩書房)2005。

「日本は自給自足の農耕社会ではなく、交易を前提とした多様な社会だった」、
「百姓と呼ばれた人々には非農業民も多数含まれていた」という研究によって、
日本は均質的な農耕民族だったという常識に疑問を呈した歴史学者による解説書。

もともとは口述筆記を基本にした『日本の歴史をよみなおす』『続・日本の歴史をよみなおす』を合わせたものなので、
代表作の『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和』より読みやすくなっているけれど、
内容はより幅広く日本社会全体の変遷をとらえたものになっている。

特に、『続・日本の歴史をよみなおす』の部分に当たる後半は、かつての日本社会がネットワーク化され、ダイナミックな生活基盤を持っていたことを証拠を示して解説しているので興味深い。
読みやすい中にも、これまでの常識を再考させられるほどの迫力を持った一冊。

ちなみに、著者の甥に当たる中沢新一さんとは講談社大阪取材のコーディネータとしてご一緒したことがある。
僕も著者が研究テーマとした家系なので、ある種の親近感を持って読むことのできた本でもある。

以下、チェックした個所(一部要約含む)・・・

○(市場では)日常の世界、俗界から、モノも人も縁が切れるという状態ができて、はじめて商品の交換が可能だった
<貨幣と商業・金融>

○14世紀の社会の大きなt年間のなかで、かつてマジカルな古い神仏の権威に支えられていた商業、
交易あるいは金融の性格が変化してきたわけで、鎌倉仏教は、かつての神仏と異なり、
新しい考え方によって商業、金融などに聖なる意味を付加する方向で動きはじめていた
→贈与互酬を基本とする社会の中で、神仏との特異なつながりをもった場、あるいは手段によって行われていた商品交換や金融が、
一神教的な宗派の祖師とのかかわりで、行われるようになってきたと考えられる
<貨幣と商業・金融>

○非人たちのなかの少なくとも主だった人びとは、商工業者や芸能民、(略)一般の職能民と同様、
神人・寄人という地位を、明確に社会のなかであたえられている
→なぜ非人が神人・寄人になったかについては、ケガレがこの時代の社会ではまだ、畏怖感をもってとらえられていたこと、
非人たちはそれをキヨメることのできる特異な力を持っていたとみられていたことと、深い関係がある
→それゆえ非人は神人・寄人、神仏の直属民という社会的な位置づけをあたえられていた
→非人や河原者を社会外の社会、身分外の身分ととらえることはできない
<畏怖と賤視>

○まだ未開の要素を残し、女性の社会的地位も決して低くない社会に、文明的、家父長的な制度が接合したことによって生じた、
ある意味では稀有な条件が、このような女流文学の輩出という、おそらく世界でもまれに見る現象を生み出す結果になった
<女性をめぐって>

○現代は権力の性格というより、むしろ権威のあり方を否応なしに変化させるような転換期にはいりこんでいるように思える
<天皇と「日本」の国号>

○百姓は決して農民と同義ではなく、たくさんの非農業民ー農業以外の生業に主としてたずさわる人びとをふくんでおり、
そのことを考慮に入れてみると、これまでの常識とはまったく違った社会の実態が浮かび上がってくる
→頭振(水呑)の中には、土地と持てない人ではなくて、土地を持つ必要がのない人がたくさんいた
<日本の社会は農業社会か>

○日本列島の社会は当初は交易を行うことによってはじめて成り立ちうる社会だった、
厳密に考えれば「自給自足」の社会など、最初から考えがたいといってよい
<海からみた日本列島>

○海にとりかこまれた島だから孤立しているのではなく、逆に、島は海を通じて広く四方と結びついており、
田畠が少ないから島は貧しいのではなく、それ以外の生業と交易で豊かになっていることも多い
<荘園・公領の世界>

○「明治維新」を推進した薩摩、長州、土佐、肥前の諸藩は、辺境のおくれた大名などではなくて、
みな海を通じて貿易をやっていた藩
→江戸時代末までに日本社会に蓄積されてきた商工業・金融業などの力量、資本主義的な社会の成長度は決して過小評価できない
<続・日本の歴史をよみなおす>

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2011 3/1
日本史
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『本居宣長』 城福勇著 吉川弘文館 198812.08.10

松阪星座占いでは本居宣長タイプの、まろまろです。

さて、『本居宣長』城福勇著(吉川弘文館)1988。

江戸中期に国学を大成した本居宣長の伝記。
『古事記伝』『玉くしげ』などで知られる本居宣長の人生を、彼の研究と思想の過程を詳細に追いながら実証的に解説している。
最近、ご縁があって松阪にご奉公する機会を得たので、これまで断片的な知識だった本居宣長のことを一通り知ろうと手に取った一冊。
(本居宣長は松阪を代表する歴史的人物)

読んでいて特に興味を持ったのは、本居宣長の思想の本質である「物のあはれ」について解説しているところだ。
たとえば・・・

○「物のあはれ」は「物」と「あはれ」の複合語であるから、それは物の心、事の心をわきまえ知るという、むしろ知性的な働きと、
あはれという感歎・感動が総合統一されたものであり、知性と感性が見事に調和されて、
知ることが同時に感じることであるような、ある種の境地がひらけてくるといえよう。
<第3章 文学説確立期>

○人は、「物のあはれ」に堪えぬときは、言うまいとしても言わずにおれない。
これはやむにやまれぬ人情の自然というもので、歌・物語とは結局そのような人の心の本然に基づいて詠み出され、語り出されたものであり、
したがってこれを詠み、聞き、書くことに何の利、何の益があるかなどと問うのは、もとより間違っている。
こう考えて宣長は、「物のあはれ」を知ることを以て『源氏物語』の本意と考え、
やがて和歌を含めて、広く文芸の本質は「物のあはれ」を知ることにあるとして文芸本質論を展開したのである。
<第3章 文学説確立期>

○文芸本質論としての「物のあはれ」説が、宣長の歌学者としての知的反省なら、「雅」の論は詠歌の、歌人としての体験の漂白であるといえよう。
彼の歌・物語に対する見解には、この二つのものが常に交錯してあらわれているがゆえに、案外わかりにくいところがある。
<第3章 文学説確立期>

・・・とするところは、これまで自分の中では断片的だった本居宣長の思想が立体的に把握できたように感じられた。

また、本居宣長の性格は基本的に穏健中正だったけれど・・・

○自己の信念に忠実な余り多少「狂信的な神経」を出してしまうところもある。
<第8章 風貌・性格など、および死>

・・・と評価されるところや、本居宣長の死の前年に詠まれたとされる・・・

○「わがよはひのこりすくなしいくかへりよめどもあかぬ書(ふみ)はおほきに」
<むすび>

・・・という歌などを知ると、確かに松阪星座占いの結果もあながち外れてはいないと思えるほどの親近感を覚えた(w

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2010 12/7
歴史、国学、思想、文化論
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『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』 塩野七生著 新潮社 上中下巻 201010.11.10

『文明が衰亡するとき』を読み直したくなった、まろまろです。

さて、『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』塩野七生著(新潮社)上中下巻2010。

大帝と呼ばれたコンスタンティヌス帝の死後の混乱から、コンスタンティウス帝による統治、
背教者と呼ばれたユリアヌス帝によるキリスト教化への抵抗と、テオドシウス帝のキリスト教国教化までをえがいた、
『ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』に続くシリーズ第14段。

読んでみると、ローマ帝国のキリスト教化という大きな時代の流れの中で、
多神教である本来のローマに戻そうと抵抗するユリアヌス帝の苦闘と挫折が印象的。

多神教だったローマが一神教であるキリスト教に飲みこまれていく中で、著者は・・・
「ローマには建国の初めから専業の祭司階級が存在しなかったが、
それは、多神教徒であるローマ人の精神に忠実であったまでなのだ。
そしてこれこそが、ローマ人の文明の真髄なのである」
・・・として、ローマ文明の本質部分が変化したのだと断定している。

そして・・・
「ローマ帝国の滅亡とか、ローマ帝国の崩壊とかは、適切な表現ではないかと思い始めている。
(中略)ローマ帝国は溶解していった」
・・・として、この物語の第1段、『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』』のはじまりで投げかけた、
「なぜローマが滅んだのか?」という問いに対して、一応の答えをつけている。

それれだけに、ローマ文明のキリスト教化に最後に抵抗したユリアヌス帝と、知識人のシンマクスのもの哀しさが読後感として残った。
そして、ローマ人の物語も残りあと一つ。

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2010 10/11
歴史、政治、宗教
まろまろヒット率3

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『史記』 横山光輝著 小学館 全11巻 200104.16.10

文京区友の会で会長である僕自身が幹事を担う朝オフ会を3年ぶりに開催した、まろまろです。

さて、『史記』横山光輝著(小学館)全11巻2001。

司馬遷の『史記』を、『鉄人28号』『魔法使いサリー』『三国志』などで知られる漫画家、横山光輝が手がけた長編漫画。
マンガ化と言っても、取り上げていない話やアレンジを加えている部分もあるので、
どちらかというと『史記』を原案にした人間劇という感じになっている。

たまたまフフレの家にあったので手にとって読んでみると・・・これがとても痛い。
人の歴史の醜い部分が鮮明にえがかれていて、読んでいて胸が痛くなることの連続だった。

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』の中で哲人皇帝と呼ばれたマルクス・アウレリウス帝に対して・・・
「マルクスが傾倒していた哲学は、いかに良く正しく生きるか、への問題には答えてくれるかもしれないが、
人間とは(略)下劣な動機によって行動に駆られる生き物でもあるという、人間社会の現実までは教えてくれない。
それを教えてくれるのは、歴史である」
・・・と指摘する部分があったけれど、この『史記』はそうした人の下劣さをイヤというほどえがいている。

ちょうど自分の社会活動=人間関係を振り返っていた時でもあったので、自分のことに照らし合わされて読み進めるのが辛くなることもあった。
人には下劣な面があり、人の営みの結果である歴史はそうした下劣さの連続であるのは事実だけど、
これまでの自分を振り返れば、自分自身が高潔で美しくあろうとするあまりに、
人の下劣さや醜さに対して目を向ける機会が少なかったことを思い起こさせられた。

よく「政治は汚い」とか「あそこは裏でドロドロしている」などということを、したり顔で話す人を見かけることがある。
でも、政治は人がおこなう以上、政治が汚いのは人に汚い面があるからというのも無視できない事実だ。
そして、人にはドロドロした面がある以上、社会と呼ぼうが、組織と呼ぼうが、グループと呼ぼうが、ネットワークと呼ぼうが、コミュニティと呼ぼうが、
人の集まりはドロドロした部分があるものだ。

また、『こころの処方箋』の中で・・・
「自分の権力や権威を否定する人ほど自分を安定させるために気づかないところで権威を振りかざしたり権力にしがみつくこともある」
・・・という指摘があったように、普段したり顔で自分の潔癖さを語る人ほど、
いざ当事者の立場なると途端に醜い姿を曝け出すのを見かけることもよくある。
それは自分自身を含めた人の下劣で醜い部分に対して目を背け、無自覚であるからだ。

このマンガの中でえがかれた醜い歴史エピソードの数々は、人には美しくない部分があることの事実を雄弁に物語っている。
スッガー・ロウが「悲しいけど、これ戦争なのよね」と言ったように、「悲しいけど、これ現実なのよね」という気持ちで、
「美しさは求めていくものであって、前提とするものではない」ということを受けとめる機会の一つとなった。
その一点だけを持って、自分にとってはとても意義深い一冊。

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2010 4/16
歴史、マンガ本
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『鬼平犯科帳〈1〉』 池波正太郎著 文藝春秋 200002.26.10

せっかく電源が使えるN700系新幹線に乗ったのに、Let`s noteのACアダプタを忘れて来たことに気づいて「そして、僕は途方に暮れる」 by 金色鍋生です。

さて、『鬼平犯科帳〈1〉』池波正太郎著(文藝春秋)2000。

浅間山の噴火や相次ぐ飢饉によって治安が悪化した江戸時代中期、長谷川平蔵(宣以)は江戸の火付盗賊改方長官に就任する。
闇社会にも精通する情報網と苛烈な取り締まりぶりから、長谷川平蔵は鬼の平蔵、鬼平と呼ばれていく・・・

1968年初版の池波正太郎の代表作、鬼平犯科帳シリーズ第1弾。
僕にとって鬼平犯科帳と言えば、二代目中村吉右衛門が演じる時代劇の印象が強いけれど、
今回は池波正太郎記念文庫で開催されるイラスト展のお誘いが
まろまろ談話室(mixiまろみあんコミュニティ)に寄せられたので、予習のために読んでみた。

読んでみると、鬼平は基本的に「まとめ役」(著者談)で、同心や盗賊、庶民たちが各話の主役となっている。
江戸の庶民の暮らしぶりを丁寧にえがきながら、人間味あふれる話が進んでいくというストーリー展開。

ただし、単純な「人情もの」ではなく、人情の空しさや儚さが強調されている。
人間の持つ憧れや信頼というものが、いとも簡単に崩れていく様子が鮮明にえがかれているのが印象深い。
特に第3話「血頭の丹兵衛」の中で、密偵となった粂八がかつての親分に対して言い放つ言葉は胸が打たれた。

ちなみに、僕は大阪(上方)出身だけど、ちょうどこの本を読んでいる時に引率をしていた際には、
「若けえ連中には腹いっぱいにさせてやらねえとな」などという風に江戸口調になっていたらしい。
まったく、何にでもすぐに影響されちまっちゃあいけねえや。

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2010 2/26
時代小説
まろまろヒット率4

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『アレクサンドロス大王―「世界征服者」の虚像と実像』 森谷公俊著 講談社 200012.29.09

まろまろ@携帯電話を洗濯するというドジっ子プレイをしてしまったので、
携帯電話をdocomoのSH-03AからSH-01Bに機種変更しました、てへっ。
携帯カメラも800万画素から1210万画素になったので、ごはん日記の写真も向上すると思います(^_-)

さて、『アレクサンドロス大王―「世界征服者」の虚像と実像』森谷公俊著(講談社)2000。

アレクサンドロス大王(アレキサンダー大王、アレクサンドロス3世)の実像に迫ろうとする歴史書。
20歳でマケドニア王になってから33歳で急死するまでの間に、東地中海からインド西部までの
広大な領域を征服したアレクサンドロス大王は世界史上で最も英雄らしい英雄の一人。
ヘレニズム時代をつくったその影響力は絶大で、同時代からすでに伝説化と神格化が進んでいた。
そんな伝説と神話的エピソードに包まれたアレクサンドロス大王の実像を原典研究を通して解明しようとしている。

特にアレクサンドロス大王の生涯を代表する戦いである、
グラニコスの会戦(第2章)、イッソスの会戦(第3章)、ガウガメラの会戦(第4章)の三つの戦いに
それぞれ1章づつ割り当てて戦いの実像を再現しようとしているところが中心部分になっている。

原典研究から再現した戦いの推移を読んでみると、完全無欠のように評価されることが多いアレクサンドロス大王も、結構失敗をしている。
戦略論として、戦略的なミス(イッソスの戦いでダレイオス3世に後方を遮断される)と、
戦術的なミス(すべての戦いで深追いしすぎる)の両方があったこを解明しているのが印象深い。

読み物としても、アレクサンドロスが展開した戦略・戦術の本当の姿を、原典研究の過程を追いながら丁寧に再現されていくのには、
歴史研究の静かなおもしろさと、アレクサンドロス大王の実際の思考・行動の躍動感の両方を感じた。

また、古代からアレクサンドロス大王の成功は「単に幸運だったのか、それとも実力か?」という議論があったことも興味深かった。
ダレイオス3世の再評価や東方政策の実像も再現して、「東西融合はフィクション」だとしているなど、
アレクサンドロス大王の実際の戦いと生身の姿をかいま見ることができる。

この本の結論部分では伝説的な側面を削り取ったアレクサンドロス大王の実像を「未熟だが成長する若い将軍」として結論づけている。
それでも「大王の魔力」として、人を引き付けていったエピソードをエピローグで紹介しているのも印象深かった。

英雄伝説としてでは無く、歴史上の人物としての生身のアレクサンドロス大王に迫ろうとする一冊。

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2009 12/29
歴史、戦略論
まろまろヒット率3

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『シュメル―人類最古の文明』 小林登志子著 中央公論新社 200512.24.09

まろまろ@「お願いしマウス、チューチュー」まろまろ用語集にあげました☆

さて、『シュメル―人類最古の文明』小林登志子著(中央公論新社)2005。

現在確認されている人類最古の文明、シュメル文明(シュメール文明)の社会、風習を解説する歴史本。
アッシリアやバビロニアを含めたメソポタミア文明についての解説書はいくつかあるけれど、
シュメル文明にスポットを当てたものは少ないので貴重な本。

読んでみて特に興味深かったのは、シュメル文明とエジプト文明の対比をしているところだ。
比較的閉鎖性が強かったエジプト文化は来世志向の強い「死の文化」を生み出した。
その一方で、周囲が開けていて、その成立当初から異民族と接点を持ってきたシュメル社会は、
現実生活に即した文化を生み出し、その後の文明社会でも残ったものが多いことを強調している。
(確かに、60進法、1週間7日制、法典、印章などのシュメル文明の遺産として長く残っている)

また、シュメル文明を解読する出土品の解説がおもしろい。
パピルスや紙は燃えてしまえば終わりだけど、シュメル文明が残した粘土板は比較的強度が強いので解読しやすい。
その粘土板や印章、像を解読して歴史を再現する様子は読んでいて楽しいかった。

たとえば、ニップル市から出土のお互いに手を取り合って前を向いている男女一対像については、
「長く連れ添った夫婦の情愛と結婚生活の満足感を表現している像」と一般的に解釈されている。
しかし、著者はこれを「手をとりつつも、そっぽを向いた夫婦とはこんなものといったあきらめが垣間見える」と解釈し、
「このあたりの微妙な心理を見逃さなかったシュメル人の彫刻師の人間観察はなかなかのもの」としている。
さすがにこれは著者の主観が強すぎるような気もするけれど、もし実際そうならばある意味で微笑ましいところだと思った。
(第5章:「母に子を戻す」―「徳政」と法の起源)

人類最古の文明社会も現在の人類社会が持つ問題点と葛藤があったことを教えてくれる一冊でもある。

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2009 12/24
歴史
まろまろヒット率3

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