Archive for the ‘エッセイ’







『歴史と視点―私の雑記』 司馬遼太郎著 新潮文庫 198007.01.01


らぶナベ@今回も我ながら暇人のような読書っす(^^;
さて、『歴史と視点-私の雑記-』司馬遼太郎著(新潮文庫)1980年初版。
僕は時々司馬さんの文章が無性に読みたくなることがある。
その物事の見方とか人物評や罪のない決めつけとかが好きなのだろう。
そんないつもの発作が起こった時に本屋で見つけたので 迷わず購入した歴史エッセイ。
そのもののタイトルから彼の視点についての考察を期待したが、
完全に歴史随筆であって「歴史と視点」ということなら、
前に読んだ『手掘り日本史』の方がはるかにこの点に重点がおかれていた。
ちょっとがっかりしたが、太平洋戦争当時に北関東守備の戦車部隊に
配属されていた彼自身のエピソードはすごく興味深かった。
東京湾から連合軍が上陸した際の南下迎撃作戦の説明を受けた時、
東京や横浜という人口集中地域を通るのに道路が空っぽという前提で
作戦の説明が終始したのに疑問を感じた司馬さんが、
「戦車が通る道路に人が溢れているのではないか?」と質問した。
将校はこんな質問については考えもしなかったらしく、
しばらく間があってから「轢っ殺してゆけ」と言ったというそうだ。
(「何のための迎撃作戦?」とはこの場合愚問のようだ)
この経験から沖縄戦で日本軍がおこなった住民への虐殺を、
一説で言われている沖縄だけの特殊な事情だったとは思えないらしい。
思想や権力を「善悪は別にして白昼のオバケ」と呼ぶ彼のスタンスの原点が
このエピソードに集約されているだろう。

この本をamazonで見ちゃう

2001 7/1
エッセイ、歴史
まろまろヒット率3

Posted in エッセイ, 歴史, 読書日記, with No Comments →

『文明が衰亡するとき』 高坂正堯著 新潮選書 198108.17.99


らぶナベ@今月18日にエニックス株が二部を飛び越して
東証一部に上場されるっす。
今年中に上場はあると思っていたけどまさかこんな早い時期に
それも飛び上場とは予想外っす、めざせ年内1万2千円台!(^^)

さて、『文明が衰亡するとき』高坂正堯著(新潮選書)1981年初版をば。
著者の高坂正堯は近代から現代にかけての日本の国際政治学の中でも
おそらく屈指の存在だろうと思われる国際政治学者。
沖縄返還では佐藤政権のブレインとしてその政策を支える
活躍をするなどの実践経験もある骨太な研究者。
個人的にも彼の今までの著作『国際政治』『世界史の中から考える』
『世界地図の中で考える』『世界史を創る人びと』などを通して
安易な理想主義の問題点を突っ込み、ドライな視点で現実を捉えながらも
だからといって決してすれたり投げやりにならない姿勢に好感を持っていた。
極端に楽観的になったり極端に悲観的になりがちな国際的なネタを
冷静にかつ愛情を持って見つめようとしている姿が伝わってくる書き手。
最近死んでしまったけど僕がもっとも好きな政治学者&物書きの一人。

この本はその彼の著作の中で一番の代表作というべき本。
いつか読みたいと思いながらもなぜか読む機会を見いだせなかった本、
大学院に入って本を読む時間があるというのはとても良いことだ(^^)
内容は誰もが一度は感じたことがある衰退と滅亡への
漠然とした不安、文明の衰亡論をテーマにしている。
衰亡の原因は一つだけではなくまた一直線で衰退するということも
無いために衰亡の究明は複雑になってくる。
だらこそ不安をかきたてられてどうしても安易な結論を出してしまいがちだが
この本はそういう意味では余裕がある書き方をしている。
構成としては古代ローマ、ヴェネツィアの隆盛と衰亡を軸にして
現代アメリカの苦悩と最後に海洋商業国家としての日本が戦後経済大国に
なりえた環境とその状況が変化しつつある今後の姿を示している。

昔から様々な人間を惹きつけてきた、
「ローマはなぜ滅んだか?」というテーマの大元、
古代ローマがどうして隆盛しどのようにして滅んでいったかを
これまで各時代ごとに出されてきた様々な仮説を紹介しながら
えがいているところは特に興味深かった。
確かにその時代その時代の不安がローマ衰亡論には見え隠れして
衰亡論の面白さが伝わってきて説得力がある。
また、様々な衰退要因を克服しながらも衰亡していったヴェネツィアの姿勢は
与えられた状況の中で困難に立ち向かう人間たちのカッコ良さを感じる。
そしてそれは領土も資源も無く海洋に面している
商業国家という点で似ている日本の姿をだぶらせてしまう。
(安易な類似は危険だけれど)

悲壮感が漂いそうなテーマでありながら決して感情的に高ぶったり
安易に悲観論に走らない、だからといって味気なく無いところは
さすが高坂史観だと思わせてくれる。
どうも僕は司馬遼太郎といい、高坂正堯といい、
安易な理想論や無責任な感情論に対して誰にも文句を言わせないほどの
資料調べとそれに基づく歴然とした事実を武器にして批判し、
それだからこその説得力を持って現実に絶望しないで
ユーモアを感じさせてくれる関西人的な書き手が好きなようだ。
(事実、二人とも根っからコテコテ関西人)
時にそれは感情論者や理想論者を逆なでしてしまうのだろうけど(^^;
現実的な視点で軟弱な理想主義を非難しつつも投げやりにならない
骨太な希望論は僕も心がけていきたいものだ。
たとえそれが避けがたい衰亡論のような一見絶望的なものであっても
それが必要だと、そう思わしてくれる名著だった。

以下、眼についた箇所の抜粋・・・
・ある時代に強力であった説というものは、時代おくれとして
簡単に片づけられないものなのである。

・ローマは狭い視野で、勝利の成果をむさぼろうとせず、
寛大に扱ったのであり、それ故、支配を永続させることができたのであった。

・財産の平等が質素を維持するように、質素は財産の平等を維持する。

・土木と法はローマ人がもっとも秀れていたところ

・権力と富を享受しうるようになったローマで、敢えてそれから逃避せず、
しかし、その奴隷にならないよう日毎自らをいさめ誘惑と戦う

・大衆は普通、彼等の属する集団やその価値によって自己を規制している。
そうしたものがなくなったとき、大衆は手取り早い方法で欲するものを
得ようとするのであるから、個人が原子化されているのが
大衆社会の特徴である。当然そこでは、大衆は操作され易い。

・幸運に臨んでは慎み深く、他人の不運からは教訓を学んで、
つねに最善をつくす

・巧妙な外交をおこなうものは、
契約を破ったりは滅多にしないものなのである。

・よい政治体制とは国内の活力と多様性とを保ちながら、
秩序と安定とを与えるもの

・勝敗の分かれ目はレーンが述べたように
「社会を組織する能力」の差にあった。
(ジェノヴァに勝ったヴェネツィアの要因)

・挫折は自らの限界を悟らせる。そして、人間は知恵を持つようになる。

・幸運に助けられた目ざましい成功と、どうしても克服できない脆弱性、
その二つが通商国家の運命であるというほかない。

・それをしていることを十分に承知している人間の行う偽善は、
有効であるとともに、かつ芸術的に美しい

この本をamazonで見ちゃう

1999 8/17
歴史、政治学、エッセイ
まろまろヒット率5

Posted in エッセイ, 政治学, 歴史, 読書日記, with No Comments →

『信長』 秋山駿著 新潮社 199607.01.99


最近、文春文庫から現代日本文芸館シリーズとして
『李陵 山月記 檸檬 愛撫 他十六篇』という本が出版されたっす。
タイトルからもわかるとおり、これは中島敦と梶井基次郎の代表的短編を
一冊の文庫にまとめたという実に小憎ったらしい戦略の文庫本っす。
一冊の本にすると短すぎるけど手元にはおいておきたい作品を
うまく入れているという(僕なら『山月記』=中島と『檸檬』=梶井っすね)
この出版社側の意図に見事にハマってしまい自分用とプレゼント用に
二冊も買ってしまった、らぶナベ@ちなみに『檸檬』の舞台になった
あの八百屋さんはまだ京都に現存するらしいっす。

さて、『信長』秋山駿著(新潮社)1996年初版をば。
前々から様々なところで評価を受けていたので気になっていた歴史評論本。
実際に読んでみると評判以上の大作で大当たりの一冊!(^o^)
けっこうな分量がありその上小説ではなく評論という取っつきにくそうな
雰囲気を持った本だけどこれは読んでおくべきと断言できる本っす。

以下は具体的な内容・・・
主に『信長公記』を元にして織田信長の革新性や天才性を考察している本。
彼に対する評論や小説は多いがこれはひと味もふた味も違う。
「モデルを持たなかった真の創造者」という視点で信長の行動を追っていき、
その革新性や創造性を支えた精神とはいったい何だったのかということを
プルタークやヴァレリー、モンテスキュー、スタンダール、デカルト
などからの引用を多様しながら紐解こうとした実に野心的な評論。
「それは持ち上げすぎやろ」とか「ホンマかいな」という突っ込みは
いくらでもできるが、それが事実かどうかということよりも
いまを生きることの意味や時代を切り開く価値について考えさせられる
歴史書というよりは創造性や革新性を信長を通して考える哲学書的な本。
野間文芸賞や毎日出版文化賞をもらっているのも
そういう側面があるからだろう。

この本の中で僕がもっとも印象に残り、
かつ信長についてとても的確に表現していると思われる箇所がここ・・・
☆リアリストは、現実を掴む。しかし、単なるリアリストは、
現実を超えない。現実の方が彼より強いから。
したがって、根底からの新しい創造などというものは無い。
これに反して、非凡なリアリストは、現実を掴むと同時に、
もう一つの見えない手、現実否定の刃を持った手で、
これを撃つのである。現実を割る。
・・・したがって非凡なリアリストは、その存在の一端で絶えず、
無、というか、非現実なものに触れているはずである。
信長が好んだという「人間五十年・・・夢幻の如くなり」の詩曲は、
そんな彼の生の深処に木霊するものであったろう。
(第四項「行動のエピソード」より)

もう一つ・・・
☆「・・・行動を制するものは精神力である。
天分が芸術の領域で作品に独特の肌ざわりを創り出すように、
精神力は行動に活力と生命を与えるのである。
事業というものに生命の息吹きを与えるかくのごとき精神力の持ち主は、
結果の責任を一身に負う気魄の人である。
困難が精神力の人を引きつけるのである。
なぜならば、彼が自己を表現できるのは困難に立ち向かう時をおいて
他にないからである。困難に打ち勝つか否かは彼だけの問題である。」
(比叡山焼き討ちについてド・ゴールの『剣の刃』を引用して)
・・・というのはぞくぞくするくらいに納得できる。

さらにこの本の根幹である信長(革命家)と他の戦国大名
(例え優れていても単なる時代の追随者)との違いについて・・・
○信玄と信長とでは、戦争の方法が違う、あるいは、
戦争をする意味つまり原理が、違っているのだ・・・
信玄は、自分の家が大切な男だった。
・・・これに反して、信長は・・・いわば、生まれ育った場処の否定、
自分の家の否定、ということになる。
・・・天下、という観念、あるいは「天下布武」という思想は、
こういう自分の家否定、のところから出発する。
信玄にはこれが無かった。

○信玄や謙信の場合は、結局のところ、自分がそこに起って
生きているところの、現在の、日常生活というものが基礎になっている。
信長はそれとは反対のことをしている。彼の土台は、戦争である。
戦争は、自分を主人公にして場面を変化させるものだ。
あるいは現実を動かす。そういう戦争の精神が基礎であって、
日常生活はそこから割り出される。だから日常生活も改変される。

○彼等の誰一人として、「天下」などという観念を抱いてはいないのだ。
仮りに天下といっても、それは漠然たるイメージであって、
観念の明晰さを持っていない。
・・・彼等には、天下という理想が無かった。
仮りに彼等の一人に天下を与えてみよ。
何も為ることが思い浮かばず、ただ右往左往とうろうろするだけだろう。

・・・このようなことを展開をしながら・・・
☆反信長同盟には、中心がない。
力がそこから発してそこへと帰着する球心点を欠いている。
したがって統一がない。
これに反して、信長軍では各武将が、
一つの中心から各方面に一斉に放射される力のヴェクトルのように、
統一の形状を成している。
・・・信長軍は到る処で現状を改変しようとするシンボル、
生き生きと動く信長という、一つの理想があった。
それが統一の根拠となる。
・・・以来、十年ばかり、周囲はすべて敵であり、
天下の反信長勢を相手に、信長軍が、いわば孤軍奮闘することになる。
天下を(敵として)相対する信長軍は、何を以ってその重さを持ち堪えたのか。
それはやはりー天下布武、という理想だと考えていい。
(なぜ織田勢が長年敵勢に包囲されながら崩壊しなかったかについて)
・・・としているのは爽快感さえある。

また、このことに関連することで・・・
☆「人間は弱いがゆえに、目的に完全性を求め、弱いがゆえに、
精神がうっ屈するがゆえに、無限に願望をふくらませ、
自分の無力さをしっているがゆえに、偉大な行動に参加を求めるのである。
指導者は人間のこの曖昧模糊とした願いに堪えてやらねばならない。
この偉大さというダイナミズムを利用せずしては
なんぴとも人に自分の意志を強要することは不可能である。」
(比叡山焼き討ちや一向一揆との戦いになぜ信長の配下武将が
従ったかについてド・ゴールの『剣の刃』を引用して)

☆「暗澹たる、並々でなく責任の重い問題への只中にあって
みごとに快活さを保つといふことは、決して些細な芸当ではない、
とはいへ、快活さ以上に必要なものがどこにあらう?
・・・力の過剰こそ初めて力の証拠である。」
(信長の全行動についてニーチェの『偶像の薄明』を引用して)
・・・などの箇所が印象深い。

他にも・・・
☆野望は自己の肥大化であるが、理想は自己一身の献身を要求する。
野望はそれを抱いた人の死で熄むが、理想は抱いた人の死を超えて生きる。
理想は、天下布武というようなものでなければならぬ。
偉大な将帥の本質とは何であろうか。
それは理想を、己の精神の内密の秘密と化し、
己の日常の生の波動と化している人のことだ。
理想を一秒の休みもなしに刻々の火と化している精神力の人のことだ。
戦術の巧妙とか戦術眼の確かさなどは、佐官クラスの器量に過ぎぬ。
(長篠の戦いで優れた人物とされた武田勝頼が挫折したことについて)

☆「カエサルは多数の成功を収めたが、天性大事業に対する名誉心が
強かったために、骨を折つて果たした仕事を味はふ気持ちにはならず、
それらが将来の仕事に対する燃料と自信を与え、
一層大きな事業に対する計画と名声に対する欲望を生じ、
現在の名声は用が済んだものと見て、自分自身の功績を他人の功績のやうに
考へて絶えずそれを凌がうとし、既に果たした仕事を向ふに廻して
将来の仕事に抱負を懸けた」と『プルターク英雄伝』を引用して・・・
独創の人の戦争は、実は、その始源は自分との戦争から始まる。
彼は、絶えず間断なく、かつて在った自分、そこに在る自分を、
乗り越えようとする。
(本能寺の変直前の信長について)

☆「剛胆とは、大きな危難に直面した時に襲われがちな胸騒ぎ、狼狽、
恐怖などを寄せつけない境地に達した、桁はずれの精神力である。
そして、英雄たちがどんなに不測の恐るべき局面に立たされても
己を平静に持し、理性の自由な働きを保ち続けるのは、この力によるのである。」
(本能寺での軽装備について『ラ・ロシュフーコー箴言葉』を引用して)

☆「彼らが殊に注意して糺明するのは、どういふ点でその的は自分たちより
秀れているのだらうかといふことだつた。
そして、まづそれを自分のものにした。
・・・戦は彼らにとつて一つの考察であり、平和は実習だつたのである。」
(美濃攻略の過程をモンテスキューの『ローマ人盛衰原因論』から引用)

☆「天才とは己が世紀を照らすために燃えるべく運命づけられた流星である。」
(「本能寺の変」でスタンダールの『ナポレオン』を引用して)
・・・などはしっかりとメモを取る価値のある箇所だろう。

以下はこれら以外で気になった箇所の抜粋・・・
○戦闘において、自分の軍勢を敵より常に到る処で二倍にすることにあった
(スタンダールがナポレオン戦法について述べたことを引用して)

○二千の兵を、無意識に義元と妥協しているような人々から切り離して、
何処へ往ってもいいような一個の流動体と化して行動させた
ーそこに合戦の鍵があった、と思う。
(桶狭間の戦いの革新性を述べて)

○なるほど、われわれにとっては町を歩きながら「瓜をかぶりくひ」
するのは、普通の行為普通の光景だろうが、そこに信長が参加すると、
あるいは信長を中心にそれが行われると、異なった光景が出現する・・・
・・・信長が、新しい世界異なった世界へ入っていくのではない。
単身先頭をきって駆ける信長が、常に到る処で、自分の周囲に、
新しい世界異なった世界を出現せしめているのだ、と。
(「うつけぶり」から彼の革命性を読みとって)
              ↓
○「強気にしろ、弱気にしろだ、貴様がさうしている、
それが貴様の強みぢやないか」
(ランボオの『地獄の季節』から引用して)

○剛毅な心だけが、人の精神をリードして、新しい現実を創り出させるのだ。
(尾張統一戦での信長の苛烈な戦いぶりをスタンダールを引用して)

○発進する思考と、考え込む思考との違いがある。
この信長の行動と見えるもの、実は、
それが「剛毅な心」というものの表現なのであり、
あるいは、そこから発する思考のスタイル、といってもいいものだ。
・・・その思考の尖端に居座っているのは、現実そのものの真と偽を、
厳しく弁別、検証する力だ。
・・・現実の真偽の弁別を、いったい何がするのか、ということだ。
(疑問を自らの行動で確かめようとする傾向を指して)

○自分の家を捨て、いわば城も捨て、ことによったら「死のふは一定」で、
自分さえ捨てることのできる信長が相手だと、勝ったところで・・・
戦争の採算が取れぬ・・・これは危険な男だ。
(なぜ信玄が強大化する前に信長を討とうとしなかったかについて)

○「言葉固有の目的は、聞く人に信念の念を起こさせることにある」
(斉藤道三が信長を信じた根拠についてプルタルコスからの引用して)

○「諸君は、幸福の一致ばかり説くが、しかし誰も、
不幸を一致しようとは言わぬではないか」・・・「友」とは何か
ーそれは、不幸と死を、一致する相手のことである。
(信長と家康の関係をトゥーキュディデース『戦史』から引用して)

○「余は恒に二年後のみに生きて居る。
かういふ男に取つては現在といふものが存在しなかつたのだね。」
(このようなことをヴァレリーの『固定観念』からの引用して)

○これは見られる所のものを、見られる所のものに、
形と運動に還元することではないのか。
(上洛後の行動についてヴァレリーの『オランダよりの帰途』から引用)

○自己から発しての一尺度の創造。これが信長の本質である。
(貨幣統一と宗教宗論を起こした原因について)

○危急の瞬間、人は三十分もあれば最高の判断を下す。
(浅井長政の離反時の信長の行動について)

○「難局に立ち向かう精神力の人は自分だけを頼みとする。」・・・
「英雄とは、自己を信じるといふ道を選んだ人間でなくして何であらう。」
(比叡山焼き討ちについてド・ゴールの『剣の刃』、
アランの『デカルト』からそれぞれ引用をして)

○自分の心のかたちになぞらえて他人の心理を読む者がいる(信玄)。
人間通である。が盲点がある。
よく似た心が隣接すれば必ず反撥するということに。
自分が人とはまったく異なった生き物だと思うゆえに、
人間機械でも洞察するように他人の心理を読む者がいる(信長)。
これも人間通であるが盲点がある。
洞見されたと知ることによって変態してしまうほど、
人の心は不合理なものであることに。
(信玄、信長それぞれの人間観について)

○「最も簡単なものが通常最もすぐれたものである」
(鉄船の発明についてデカルトを引用して)

○信長の武辺道には、単に現実の局面その場その場での、
勇猛心や憶隠の情の発揮だけではなく、戦争における行為の一貫性、
あるいは生の態度の明晰さ、というものが必要であった。
(反乱を起こした荒木村重の武辺道と信長の武辺道との違いについて)

○第一。ふと好奇心を発したら、直ちにそれを確かめる。
・・・第二。信長の精神の内部にあっては、精神のもっとも高級な問題と、
これとは対極的なもっとも日常的な現実の些細事とが、
見えない直線で直結している。
・・・第三。徹底性、あるいは完結性。
(信長の日常の態度から彼の精神の三つの面を割り出して)

○もし、信長が、単なる大軍の軍司令官だとしたら、
かなり以前に石山本願寺という本拠を撃滅しただろう。
しかし、こんな「本拠」の撃滅は、相手が宗教戦争を仕掛けてくるのでは、
たいして意味がない。
相手の「中枢」を撃たねばならぬ。中枢とはこの場合、
対信長戦争の無意味化であり、朝廷の斡旋による和睦の成立にあった。
(なぜあれほど激しく戦った本願寺を撃滅せずに和睦したかについて)

○なるほど、時間の余裕があれば、光秀の態度は賢明であろう。
まず言葉を発し、用意してから、行動に移る。
だが火急の一瞬、信長は恒に、言葉より前に行動を発した。
行動こそが言葉であった。
(信長を倒した光秀がなぜあれほど早く滅びたかについて)

・・・ふぅ、この本とにかく価値ある大作です。

この本をamazonで見ちゃう

1999 7/1
歴史、エッセイ、哲学
まろまろヒット率5

Posted in エッセイ, 哲学・思想, 歴史, 読書日記, with No Comments →

『草原の記』 司馬遼太郎著 文春文庫 199502.08.99


らぶナベ@エニックス内定者HomePage・・・

http://home.interlink.or.jp/~d-ike/ENIX99.htm

・・・がモデルチェンジしたので良かったら見て下さいです。
やばいやつらだけどとってもいきいきした面々がいる上に
彼らにはこの読書会にも入ってもらおうと思っているので(^^)

さて、本題・・・
『草原の記』司馬遼太郎著(文春文庫)1995年初版を読んだです。
以前読んだ『モンゴル紀行~街道をゆく5~』(朝日文芸文庫)の
著者が17年後にもう一度モンゴルに行き、
その経験を元にモンゴルというものの全体像を掴もうとした作品。
彼特有の風景、情況から歴史的な視点に発展させるという
少しとりとめのない話の展開から(壮大感はあるんだけどね)
17年前『モンゴル紀行』でガイドをしてくれたツェベクマさんという
剛気な気質が印象的だった女性の半生を追っていく展開だった。
彼女の幼児期に強い影響を与えた日本人女性、満州国崩壊、
内モンゴル自治区独立運動、中ソ国交断絶、
文化大革命によるモンゴル人弾圧と夫との別れと亡命、
26年後に改革開放政策のために彼との再開という生涯三つの国と
四つの草原に住んだ彼女の半生をインタビューを通して紹介している。
また、基本的に馬には帰巣本能が無いと言われているが
モンゴル馬には古くから故郷に帰ってくる話が多い。
最近ではヴェトナム戦争時にハノイに軍事物資としておくられた
あるモンゴル馬が何年もかけてモンゴル高原まで歩いて帰っていったという
話が伝えられている。
この本はこのようなモンゴル馬の帰巣本能とツェベクマさんの半生を
対比させながら結んで終わっている。

本自体の分量も少なく、中身の方も『モンゴル紀行』の続編的な
ものだろうと思って読んだので東京から帰って来る新幹線の中で
この本を読み終えた時は不覚にも感動していた。
(前半と後半のテンションが違うので意外性もあった)
例えるなら『大地の子』みたいな感動を与えてくれたが、
これはさしずめ『草原の子』って感じだろう(^o^)

この本をamazonで見ちゃう

1999 2/8
エッセイ、歴史
まろまろヒット率5

Posted in エッセイ, 歴史, 読書日記, with No Comments →

『モンゴル紀行―街道をゆく5』 司馬遼太郎著 朝日文芸文庫 197801.16.99


さてさて、『モンゴル紀行~街道をゆく5~』司馬遼太郎著、
朝日文芸文庫(1978年初版)を読み終えたです、はい。
卒論とテスト勉強の合間に書店で見つけて思わず衝動買いしてしまった
旅行記『街道をゆく』シリーズのモンゴル紀行編。
元々このシリーズにはあまり興味がなかったのだが、
旅路がモンゴルだということで気晴らしにでも一度読んでみようと思った本。
来年度から立命の政策科学部でモンゴルに行って羊飼いをするという
インターンシッププロジェクトが始まるということも読む動機付けになった。

内容の方は、著者自身が学生時代に大阪外国語大学モンゴル語学科に
在籍していたこともあって単なる旅行記と言っても
モンゴルの風土、歴史、気風についてかなり突っ込んだことを
現地の人と対話しているのが特徴的だ。

興味深く感じたのはモンゴルに入る経由地であるハバロフスクや
イルクーツクなどのソ連領(当時)での旅がいかに重苦しく
ストレスが溜まるものかということをつらつらと述べた後に
モンゴルのウランバートルに入るや否や自由で躍動感溢れる人々と
街の雰囲気を感じたということを強調しているところだ。
同じ社会主義国家で、かつ世界史では二番目に社会主義化した
モンゴルは(著者の表現を借りると「社会主義の老舗」)
ソ連と別の国家体系かと思うほどの違いがあったという感想を述べている。
その原因として考えられるモンゴル人特有の大らかさ、豪快さや
遠くから来た客を珍しがり自分の家に招きたがる気風があり、
これらのことはモンゴルの長らく続いた騎馬民族としての生活、風土、
それから発生する文化にすべてに共通することであると
この旅行記を通して語っているように感じられる。

また、モンゴル人の日本人への親近感というものもあげられていたが
意外であったのは同時に近代国家としては若いこのモンゴルで
国家的危機を生んだ原因が日本人であったという事実だ。
1939年のノモンハン事件(モンゴル側:ハルハ・ゴル戦争)が
如何にその後のモンゴルを疲弊させたかという歴史が
いまも初等教育で強く強調されているらしい。
(日本ではあまり知られていない歴史的事実)

しかしこれもまた意外であったのはモンゴルでは中国よりもはるかに
日本に対する親近感を持っていることもまた既述されている。
元々東アジアの歴史は騎馬民族(トルコ系、モンゴル系など)と
農耕民族(漢民族)とのシーソーゲームという側面もあり
長らく抗争し続けていたということもあるが、
近現代史でも清朝や中華民国時代の軍閥がモンゴルに対しておこなった抑圧の
反動がモンゴルをソ連に近づけ社会主義化したきっかけでもあるためだ。
それ故モンゴル人は中国人と同一視されることを非常に嫌う。
現にシナ・チベット語族である漢民族やツングース系民族である朝鮮人よりも
人類学的にはモンゴロイド・アルタイ語族として
モンゴル人と日本人は近い民族として知られているからだ。

また、日本人からすれば考えられないほど自分たちの故郷であるの
思いが強く、今も昔も盛んである詩や唄のほとんどがモンゴル高原や
ゴビ砂漠の自然のすばらしさを唱ったものが多いらしい。
このことは日本の詩歌が昔からそのほとんどが恋愛歌だったことを
対比させて、非常に興味深い点であると著者も述べている。
さらに「お前さんたち日本人は俺たちのご先祖さんから分かれたもんだろ?」
とモンゴル人に戯れに言われたことをきっかけに著者が
「その考えに則れば、なるほどモンゴルに住む人々は我々の先祖の中で
もっとも頑固に故郷を捨てなかった人々の末裔になる・・・故郷に対する
愛が強いのもまた遺伝学的にみて当然か。」と
彼らしい冗談で書いているのが印象深かった。

この本の最後近くである詩が紹介されていたが
それは現代詩人であるチミド作の「我はモンゴルの子」という作品だ・・・
アルガルの煙のたちのぼる
牧人の家に生まれし我
人の知らぬこの広野を
これぞ我が揺りかごと思う
・・・これこそがモンゴル人の心意気だなと感じられた。

しかしこの旅行記が書かれたのは今から二十年以上も前の話で
今では当時と比べてソ連の崩壊、改革開放と状況が大きく変わっている。
その中でモンゴル人がいまではどのような気風を持っているのか
一度実際に行って見てみたいと感じてしまった。

・・・やっぱり大学院行ってモンゴルインターンシップに参加して
「政策騎馬隊」とか創ってやろうかな?(^_^)

この本をamazonで見ちゃう

1999 1/16
エッセイ、歴史
まろまろヒット率4

Posted in エッセイ, 歴史, 読書日記, with No Comments →

『読書と社会科学』 内田義彦著 岩波新書 198512.15.98


らぶナベ@「そこそこ」の本だけどこの時期に読むにはとても良い本をば(^^)

『読書と社会科学』内田義彦著(岩波新書)を読み終えました。
立命の古本市でタイトルがなかなか興味深かったのでシャレ半分で購入した本。
社会科学というテーマの元での読書や読書会というものへの
著者自身の考えを公演風に述べられている。
話し言葉で書かれているので読みやすいが、
逆にちょっとしたことを述べるのにも長々しい言い回しをしていたり、
くどかったりする感じを受けることもけっこう多かったように思える本。
しかしフォーラム論、ゼミ論、卒論など論文を書かなくてはいけない
この時期にはどう読書を社会科学の研究につなげていくのかという
テーマを持ったこの本の読書はとても知的好奇心を刺激されるものだった。
(チェックしまくりぃ)

この本で彼がもっとも言いたかったことは・・・
・「本をではなくて、本で『モノ』を読む」と、
・「本を読むことは大事ですが、自分を捨ててよりかかるべき
結論を求めて本を読んじゃいけない。
本を読むことで、認識の手段としての概念装置を獲得する。」
・・・と著者自身が述べているところに凝縮されているんだろう。
また、本流とはあんまり関係ないことだけど意外だったのは
経済学者のケネーはもともと外科医だったということ。
彼は60歳を過ぎてから経済研究をおこなったが
それまでの外科医としての概念装置が経済研究に活かされていたというのが
興味深い。明治維新の倒幕軍総司令官であり日本陸軍の基礎を造った
大村益次郎も内科医であるということを思い出した。
(ここらへんは司馬遼太郎著『花神』新潮文庫に詳しい)

以下、興味をおぼえた箇所の摘出・・・
・「本は読むべし読まれるべからず」

・「(読書)会運営の要は、他人の言をいかに聴くかにあり、
そして、その聴き上手には、本を大事に読むという仕事ー大事に取り扱って
『聴き取る』風習と技術ですねーを深めてゆくことにとってなれる、
もともと本とはほんらいそう読むべきもの」

・「5より4は小さいみたいな、誰が見ても同じ判断をひき出せる
ー判断力を要しないで判断できるーものだけが、
学問的に正確で頼りになるという考え方自体、
理性のあり方として問題とすべき」

・「正確な理解というと個性的な理解を排除し、何か根拠をもって
判断しなきゃならないというと、『主観性』をさけて、
4よりも5が大きいというような、誰がみても同じ判断が可能というか、
そもそも判断力の行使の必要のないところへもっていって
『判定』する風習がある」

・「概念装置という、ものを見るための装置を脳髄のなかに組み立てるために
読む仕事が含まれており、とくに社会科学の場合には、
これ(概念装置)を獲得するための読書が特徴的に大きくなっていて、
問題を複雑にしています。」

・「私は、少なくとも社会科学の領域では、
化学と思想は切り離せないと考えておりますので、文学上の古典にも通じ、
そこで特徴的に現れるような問題を含めての『古典として』の読みの習熟を、
概念装置の獲得のためにも不可欠と考えております。」

・「信じて疑え」

・「まともにぶつかってゆくことに危惧を感じる。
曖昧模糊としたままに置くことによって保たれねばならないような
『信頼』関係。それは信頼関係とはいえますまい。」

・「理路整然と他人に理解可能なかたちでの感想文を、みだりに、
早急に書くことは特別に要注意です。早急な理路整然化の危険と、
他人の同意を安直に求める危険の二つを含んでいますから。」

・「書け、而して書くな」

・「本当の批判力とは、俗眼には見えない宝をー未だ宝と見られていない
宝を、宝としてー発見する能力です。ポジティブにものを見る眼ですね。」

・「経験は最良の学校である。しかしその授業料はきわめて高い。」

・「要するに学問の研究(勉強)とは、何かでき上がった学問を
研究するのではなくて、学問によってこの眼の働きー一般に五感の
ー不十分さ、至らなさのほどを自覚し反省して、
その(この眼の)機能を高めながら、対象であるもの、
あるいは事象を研究する。それが学問のあり方、方法でもあり、
効用でもあります。」

・「社会科学の勉強では、そういうものとしての概念装置を脳中に
組み立てることがかなめになります。歴史的にみても、
人文学の流れのなかから経験科学としての社会諸科学が生まれ
さまざまに発展してきたのも、先学が、
ものを有効にみとどけるために苦労して概念装置をつくり上げる
努力をかさねたその営為の結果です。」

この本をamazonで見ちゃう

1998 12/15
エッセイ、読書法、学問一般
まろまろヒット率4

Posted in エッセイ, 学問一般, 読書日記, 読書法, with No Comments →

『世界地図の中で考える』 高坂正堯著 新潮選書 196809.14.98


そろそろ大学も始まるのでこの「読書会」も念願のML化を本格的に
開始したいなぁって思っている、
らぶナベ@文学部インステテゥートさとー、ちょっとお願いするっす(^^)

さて『世界地図の中で考える』高坂正堯著(新潮選書)を読み終えたっす。
院試対策の為と単純に気に入っているから高坂正堯の本を読んでいるが、
これはこの著者の代表作。
タスマニア島に半年大学講師として訪れた体験から(第一章)
現在世界が直面している問題まで(最終章)ピンスポットから
大局に流れていく書き方は相変わらず読んでいて気持ちが良い。
それ故あまり簡単にはまとめずらい本ではあるが
か忘れられない記述部分が多かった一冊でもある。
特に人体に有害なバクテリアを根元から絶滅させようとすることの有害さ
(すでに医学では常識)をイデオロギー論にも用いて
「抵抗とバランス」を重視する着眼点、
アメリカの強さを「不完全性」に求めるあたりの記述が興味深く読めた。

この本をamazonで見ちゃう

1998 9/14
歴史、政治学、エッセイ
まろまろヒット率4

Posted in エッセイ, 政治学, 歴史, 読書日記, with No Comments →

『手掘り日本史』 司馬遼太郎著 集英社文庫 199009.04.98


この前、織田くんから「・・おセンチなんですね」っていうPメールが来て
「これはやっぱり本格的に詩作活動しろというお告げだな」と決意(?)を
新たにした「まい・ぽえむの会」会員第2号の(もちろん1号は春菜、
ただ今第3号募集中)らぶナベ@署名もこれに関連して久々に変えてみました
どっからの引用か一番最初に当てた人にはご飯おごってあげましょう(^^)
ヒントは流れ的に当然と言えば当然ですが「ぽえむ」っす。

さて『手掘り日本史』司馬遼太郎著(集英社文庫)を前に読み終えたっす。
司馬遼太郎がいままでの書いてきた作品すべての中で強調されている
その背景、風土、文化などに対する視点を語ったものをまとめた一冊。
土方歳三(『燃えよ剣』)や坂本竜馬(『竜馬がゆく』)、
河合継之助(『峠』)などの司馬作品の主人公たちの性格や気質の後ろにある
もの、「フライパンにこびり付いた油のようなもの」を中心に述べている。
そういう意味で「司馬史観」を自ら語ったものと言って良い本。

印象深い箇所も多い本だったが、特に・・・
「史料というものはトランプのカードのようなもので、
カードが勝負を語るものではないように、
史料自体は何も真実を語るものではない(中略)
史料に盛られているものはファクトにすぎません」
という言葉は彼の異常なほどの史料調査故に説得力の持つものだろうし、
「歴史への接近は、ひとつは感じをもとめてゆく作業だと思います」
というのはまさに彼の作品を読んでいて感じること。
明治維新の指導者たちと明治政府の指導者たちを比べてみて
「物事の処理とは歯切れの悪い思考が必要なのです」と
言っているのは彼らしい意見と感じた。

そして何よりこの本で一番印象の残っている箇所は彼自身の背景である
大阪について語っている箇所だ・・・
「日本全体が封建的体験をし、封建的美意識の洗礼を受けているのに、
大阪だけがその影響をほとんど受けずにきた。
そのために、大阪の奴は変な奴だ、ということにもなる」や、
「ルールに対する厳しさというようなものは、
封建時代から日本人が引き続きもっている緊張感に支えられていて、
その匂いが、おなじ日本の都会でも、東京のほうがはるかに強い」
などを始め、「ただ、大阪には物事を論ずる場合には、
具体的に論じていくという思考法がある。
自分が手で触ったものしか論じない。論理で把握したもの、
抽象的なものを論じたがらない。そういうところがあります。
これは大体、かつては天領(幕府直轄領)であった
土地にことごとく共通したものかもしれません」
・・・このように好き勝手に脱線しつつ話していくと自体に
「知っていることは全部言いたがる」大阪人の特徴があらわれていて
親近感を覚える(^^)

この本をamazonで見ちゃう

1998 9/4
エッセイ、歴史
まろまろヒット率4

Posted in エッセイ, 歴史, 読書日記, with No Comments →

『世界史の中から考える』 高坂正堯著 新潮選書 199608.28.98


“think through world history”
らぶナベ@交流会が終わり、明日は交流会OB会(^^)

さて、『世界史の中から考える』高坂正堯著(新潮選書)
高坂正堯が死ぬ直前まで『FORESIGHT』に連載していた
歴史エッセイをまとめたもの。
前半はヨーロッパ史から現代と対比できるような
(対比とははっきり言わないでも参考になるような)
事例を出しつつ現代の課題を述べている。
例えばバブルとその崩壊はイギリス
(南海会社水泡事件←バブル経済の語源)、オランダチューリップ投機、
アメリカ大恐慌などが日本のバブルと経済背景的に似ている点に
注目したりしているという風に。(二流の国が一流を目指そうとしている時に
起こりやすい事象と判断している)
後半は太平洋戦争へいたる過程を綴って「なぜ日本は失敗したのか?」
というテーマについて政党運動や経済政策、軍事政策で述べた後に、
重要な要素として日本人の気質的欠点を述べている。
しかし気質とは本質的に欠点でもありはそのまま美点でもあるので、
そのことを見つめることの難しさを述べている。

全体的には一章3,4ページで書かれていて読みやすかったが
歴史的事象の説明と彼自身の解釈がよく出ていて興味深かった。
以下は上記以外で印象に残っている箇所・・・
「響きのよい抽象的な言葉は、力ある人がその気になれば
なんとでも解釈できる。しかし、具体的に散文的に書いていることは
ごまかしようがない。」(味気ないが歴史的意義の大きい権利章典を表して)
「休んでいるものを邪魔するな」(ウォルポールの言葉)
「弱国は冒険を避けなくてはならない。
何ら威信のない王朝の基礎を固めるには、ゆっくり時期を待つことが肝要だ」
(アンドレ・モロアの言葉)は進路を決める立場にある
僕のような個人にも適用できるのだろう。

この本をamazonで見ちゃう

1998 8/28
エッセイ、歴史、政治学
まろまろヒット率4

Posted in エッセイ, 政治学, 歴史, 読書日記, with No Comments →

『自省録』 マルクス・アウレリウス・アントニヌス著、神谷美恵子訳 岩波文庫 195602.05.98


ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(相変わらず長い名前!)
が自らの行為、感情について自省するために記述したと思われる本。
元々人に見せるためのものではなく、自らの反省と励ましに
記述したものなので「どうしてそういう考えにいたったのか?」という
個々の前後関係や背景が全く書かれてない。
また、欠落している箇所や読み方不明の箇所も多い。
そのためにこの本は一見、単なる教条主義的説教本に見えてしまう。
これは僕がやりたい参加観察としての視点から見れば決定的な欠陥になるが、
彼自身が内的人格と向き合うために使った言葉や表現は
その背景が不明確でも何か心打つものがある。
この本の中で「君」と呼びかけている箇所は実は自分自身に投げかけている
言葉だということ、強大な権限と責任を常に意識しながらも自らの力量の限界
と理性の破綻を必死で止めようとした葛藤は十分に伝わってくる。

たとえ一冊の本として完全ではなくても、卒論で参加観察を書く僕にとっては
パックス・ロマーナを築き上げた五賢帝最後のローマ皇帝として
執務に奔走しながらストア派哲学者としての視点から自らの行動を見直し
記述したこの本は非常に興味深いものだ。このような彼の姿勢は学ぶ点が多いと思う。
ちなみにほとんど意味も分からない点も多いこの本の中で
僕の心をどこかしらとらえてしまった記述を・・・
「遠からず君はあらゆるものを忘れ、遠からずあらゆるものは
君を忘れてしまうであろう。」
「行動においては杜撰になるな。会話においては混乱するな。
思想においては迷うな・・・人生におていは余裕を失うな。」
ところでこうやって誰にも見せないように影でこそこそ文字を
書きながら自分を励ましたり反省したりと
・・・彼ってけっこう性格暗いんとちゃうん?(笑)

この本をamazonで見ちゃう

1998 2/5
エッセイ、哲学
まろまろヒット率4

Posted in エッセイ, 哲学・思想, 読書日記, with No Comments →








このサイトについて  サイトポリシー  連絡先  サイト来歴  メディア掲載  お願い



 
Web maromaro.com
まろまろと探しちゃう
Amazon.co.jp のロゴ


  • カテゴリー

  • アーカイブ



  • カテゴリー



このサイトについて   サイトポリシー   連絡先   サイト来歴   メディア掲載   お願い