Archive for the ‘エッセイ’





『モンゴル紀行―街道をゆく5』 司馬遼太郎著 朝日文芸文庫 197801.16.99

さてさて、『モンゴル紀行~街道をゆく5~』司馬遼太郎著、
朝日文芸文庫(1978年初版)を読み終えたです、はい。
卒論とテスト勉強の合間に書店で見つけて思わず衝動買いしてしまった
旅行記『街道をゆく』シリーズのモンゴル紀行編。
元々このシリーズにはあまり興味がなかったのだが、
旅路がモンゴルだということで気晴らしにでも一度読んでみようと思った本。
来年度から立命の政策科学部でモンゴルに行って羊飼いをするという
インターンシッププロジェクトが始まるということも読む動機付けになった。

内容の方は、著者自身が学生時代に大阪外国語大学モンゴル語学科に
在籍していたこともあって単なる旅行記と言っても
モンゴルの風土、歴史、気風についてかなり突っ込んだことを
現地の人と対話しているのが特徴的だ。

興味深く感じたのはモンゴルに入る経由地であるハバロフスクや
イルクーツクなどのソ連領(当時)での旅がいかに重苦しく
ストレスが溜まるものかということをつらつらと述べた後に
モンゴルのウランバートルに入るや否や自由で躍動感溢れる人々と
街の雰囲気を感じたということを強調しているところだ。
同じ社会主義国家で、かつ世界史では二番目に社会主義化した
モンゴルは(著者の表現を借りると「社会主義の老舗」)
ソ連と別の国家体系かと思うほどの違いがあったという感想を述べている。
その原因として考えられるモンゴル人特有の大らかさ、豪快さや
遠くから来た客を珍しがり自分の家に招きたがる気風があり、
これらのことはモンゴルの長らく続いた騎馬民族としての生活、風土、
それから発生する文化にすべてに共通することであると
この旅行記を通して語っているように感じられる。

また、モンゴル人の日本人への親近感というものもあげられていたが
意外であったのは同時に近代国家としては若いこのモンゴルで
国家的危機を生んだ原因が日本人であったという事実だ。
1939年のノモンハン事件(モンゴル側:ハルハ・ゴル戦争)が
如何にその後のモンゴルを疲弊させたかという歴史が
いまも初等教育で強く強調されているらしい。
(日本ではあまり知られていない歴史的事実)

しかしこれもまた意外であったのはモンゴルでは中国よりもはるかに
日本に対する親近感を持っていることもまた既述されている。
元々東アジアの歴史は騎馬民族(トルコ系、モンゴル系など)と
農耕民族(漢民族)とのシーソーゲームという側面もあり
長らく抗争し続けていたということもあるが、
近現代史でも清朝や中華民国時代の軍閥がモンゴルに対しておこなった抑圧の
反動がモンゴルをソ連に近づけ社会主義化したきっかけでもあるためだ。
それ故モンゴル人は中国人と同一視されることを非常に嫌う。
現にシナ・チベット語族である漢民族やツングース系民族である朝鮮人よりも
人類学的にはモンゴロイド・アルタイ語族として
モンゴル人と日本人は近い民族として知られているからだ。

また、日本人からすれば考えられないほど自分たちの故郷であるの
思いが強く、今も昔も盛んである詩や唄のほとんどがモンゴル高原や
ゴビ砂漠の自然のすばらしさを唱ったものが多いらしい。
このことは日本の詩歌が昔からそのほとんどが恋愛歌だったことを
対比させて、非常に興味深い点であると著者も述べている。
さらに「お前さんたち日本人は俺たちのご先祖さんから分かれたもんだろ?」
とモンゴル人に戯れに言われたことをきっかけに著者が
「その考えに則れば、なるほどモンゴルに住む人々は我々の先祖の中で
もっとも頑固に故郷を捨てなかった人々の末裔になる・・・故郷に対する
愛が強いのもまた遺伝学的にみて当然か。」と
彼らしい冗談で書いているのが印象深かった。

この本の最後近くである詩が紹介されていたが
それは現代詩人であるチミド作の「我はモンゴルの子」という作品だ・・・
アルガルの煙のたちのぼる
牧人の家に生まれし我
人の知らぬこの広野を
これぞ我が揺りかごと思う
・・・これこそがモンゴル人の心意気だなと感じられた。

しかしこの旅行記が書かれたのは今から二十年以上も前の話で
今では当時と比べてソ連の崩壊、改革開放と状況が大きく変わっている。
その中でモンゴル人がいまではどのような気風を持っているのか
一度実際に行って見てみたいと感じてしまった。

・・・やっぱり大学院行ってモンゴルインターンシップに参加して
「政策騎馬隊」とか創ってやろうかな?(^_^)

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1999 1/16
エッセイ、歴史
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『読書と社会科学』 内田義彦著 岩波新書 198512.15.98

らぶナベ@「そこそこ」の本だけどこの時期に読むにはとても良い本をば(^^)

『読書と社会科学』内田義彦著(岩波新書)を読み終えました。
立命の古本市でタイトルがなかなか興味深かったのでシャレ半分で購入した本。
社会科学というテーマの元での読書や読書会というものへの
著者自身の考えを公演風に述べられている。
話し言葉で書かれているので読みやすいが、
逆にちょっとしたことを述べるのにも長々しい言い回しをしていたり、
くどかったりする感じを受けることもけっこう多かったように思える本。
しかしフォーラム論、ゼミ論、卒論など論文を書かなくてはいけない
この時期にはどう読書を社会科学の研究につなげていくのかという
テーマを持ったこの本の読書はとても知的好奇心を刺激されるものだった。
(チェックしまくりぃ)

この本で彼がもっとも言いたかったことは・・・
・「本をではなくて、本で『モノ』を読む」と、
・「本を読むことは大事ですが、自分を捨ててよりかかるべき
結論を求めて本を読んじゃいけない。
本を読むことで、認識の手段としての概念装置を獲得する。」
・・・と著者自身が述べているところに凝縮されているんだろう。
また、本流とはあんまり関係ないことだけど意外だったのは
経済学者のケネーはもともと外科医だったということ。
彼は60歳を過ぎてから経済研究をおこなったが
それまでの外科医としての概念装置が経済研究に活かされていたというのが
興味深い。明治維新の倒幕軍総司令官であり日本陸軍の基礎を造った
大村益次郎も内科医であるということを思い出した。
(ここらへんは司馬遼太郎著『花神』新潮文庫に詳しい)

以下、興味をおぼえた箇所の摘出・・・
・「本は読むべし読まれるべからず」

・「(読書)会運営の要は、他人の言をいかに聴くかにあり、
そして、その聴き上手には、本を大事に読むという仕事ー大事に取り扱って
『聴き取る』風習と技術ですねーを深めてゆくことにとってなれる、
もともと本とはほんらいそう読むべきもの」

・「5より4は小さいみたいな、誰が見ても同じ判断をひき出せる
ー判断力を要しないで判断できるーものだけが、
学問的に正確で頼りになるという考え方自体、
理性のあり方として問題とすべき」

・「正確な理解というと個性的な理解を排除し、何か根拠をもって
判断しなきゃならないというと、『主観性』をさけて、
4よりも5が大きいというような、誰がみても同じ判断が可能というか、
そもそも判断力の行使の必要のないところへもっていって
『判定』する風習がある」

・「概念装置という、ものを見るための装置を脳髄のなかに組み立てるために
読む仕事が含まれており、とくに社会科学の場合には、
これ(概念装置)を獲得するための読書が特徴的に大きくなっていて、
問題を複雑にしています。」

・「私は、少なくとも社会科学の領域では、
化学と思想は切り離せないと考えておりますので、文学上の古典にも通じ、
そこで特徴的に現れるような問題を含めての『古典として』の読みの習熟を、
概念装置の獲得のためにも不可欠と考えております。」

・「信じて疑え」

・「まともにぶつかってゆくことに危惧を感じる。
曖昧模糊としたままに置くことによって保たれねばならないような
『信頼』関係。それは信頼関係とはいえますまい。」

・「理路整然と他人に理解可能なかたちでの感想文を、みだりに、
早急に書くことは特別に要注意です。早急な理路整然化の危険と、
他人の同意を安直に求める危険の二つを含んでいますから。」

・「書け、而して書くな」

・「本当の批判力とは、俗眼には見えない宝をー未だ宝と見られていない
宝を、宝としてー発見する能力です。ポジティブにものを見る眼ですね。」

・「経験は最良の学校である。しかしその授業料はきわめて高い。」

・「要するに学問の研究(勉強)とは、何かでき上がった学問を
研究するのではなくて、学問によってこの眼の働きー一般に五感の
ー不十分さ、至らなさのほどを自覚し反省して、
その(この眼の)機能を高めながら、対象であるもの、
あるいは事象を研究する。それが学問のあり方、方法でもあり、
効用でもあります。」

・「社会科学の勉強では、そういうものとしての概念装置を脳中に
組み立てることがかなめになります。歴史的にみても、
人文学の流れのなかから経験科学としての社会諸科学が生まれ
さまざまに発展してきたのも、先学が、
ものを有効にみとどけるために苦労して概念装置をつくり上げる
努力をかさねたその営為の結果です。」

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1998 12/15
エッセイ、読書法、学問一般
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『世界地図の中で考える』 高坂正堯著 新潮選書 196809.14.98

そろそろ大学も始まるのでこの「読書会」も念願のML化を本格的に
開始したいなぁって思っている、
らぶナベ@文学部インステテゥートさとー、ちょっとお願いするっす(^^)

さて『世界地図の中で考える』高坂正堯著(新潮選書)を読み終えたっす。
院試対策の為と単純に気に入っているから高坂正堯の本を読んでいるが、
これはこの著者の代表作。
タスマニア島に半年大学講師として訪れた体験から(第一章)
現在世界が直面している問題まで(最終章)ピンスポットから
大局に流れていく書き方は相変わらず読んでいて気持ちが良い。
それ故あまり簡単にはまとめずらい本ではあるが
か忘れられない記述部分が多かった一冊でもある。
特に人体に有害なバクテリアを根元から絶滅させようとすることの有害さ
(すでに医学では常識)をイデオロギー論にも用いて
「抵抗とバランス」を重視する着眼点、
アメリカの強さを「不完全性」に求めるあたりの記述が興味深く読めた。

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1998 9/14
歴史、政治学、エッセイ
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『手掘り日本史』 司馬遼太郎著 集英社文庫 199009.04.98

この前、織田くんから「・・おセンチなんですね」っていうPメールが来て
「これはやっぱり本格的に詩作活動しろというお告げだな」と決意(?)を
新たにした「まい・ぽえむの会」会員第2号の(もちろん1号は春菜、
ただ今第3号募集中)らぶナベ@署名もこれに関連して久々に変えてみました
どっからの引用か一番最初に当てた人にはご飯おごってあげましょう(^^)
ヒントは流れ的に当然と言えば当然ですが「ぽえむ」っす。

さて『手掘り日本史』司馬遼太郎著(集英社文庫)を前に読み終えたっす。
司馬遼太郎がいままでの書いてきた作品すべての中で強調されている
その背景、風土、文化などに対する視点を語ったものをまとめた一冊。
土方歳三(『燃えよ剣』)や坂本竜馬(『竜馬がゆく』)、
河合継之助(『峠』)などの司馬作品の主人公たちの性格や気質の後ろにある
もの、「フライパンにこびり付いた油のようなもの」を中心に述べている。
そういう意味で「司馬史観」を自ら語ったものと言って良い本。

印象深い箇所も多い本だったが、特に・・・
「史料というものはトランプのカードのようなもので、
カードが勝負を語るものではないように、
史料自体は何も真実を語るものではない(中略)
史料に盛られているものはファクトにすぎません」
という言葉は彼の異常なほどの史料調査故に説得力の持つものだろうし、
「歴史への接近は、ひとつは感じをもとめてゆく作業だと思います」
というのはまさに彼の作品を読んでいて感じること。
明治維新の指導者たちと明治政府の指導者たちを比べてみて
「物事の処理とは歯切れの悪い思考が必要なのです」と
言っているのは彼らしい意見と感じた。

そして何よりこの本で一番印象の残っている箇所は彼自身の背景である
大阪について語っている箇所だ・・・
「日本全体が封建的体験をし、封建的美意識の洗礼を受けているのに、
大阪だけがその影響をほとんど受けずにきた。
そのために、大阪の奴は変な奴だ、ということにもなる」や、
「ルールに対する厳しさというようなものは、
封建時代から日本人が引き続きもっている緊張感に支えられていて、
その匂いが、おなじ日本の都会でも、東京のほうがはるかに強い」
などを始め、「ただ、大阪には物事を論ずる場合には、
具体的に論じていくという思考法がある。
自分が手で触ったものしか論じない。論理で把握したもの、
抽象的なものを論じたがらない。そういうところがあります。
これは大体、かつては天領(幕府直轄領)であった
土地にことごとく共通したものかもしれません」
・・・このように好き勝手に脱線しつつ話していくと自体に
「知っていることは全部言いたがる」大阪人の特徴があらわれていて
親近感を覚える(^^)

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1998 9/4
エッセイ、歴史
まろまろヒット率4

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『世界史の中から考える』 高坂正堯著 新潮選書 199608.28.98

“think through world history”
らぶナベ@交流会が終わり、明日は交流会OB会(^^)

さて、『世界史の中から考える』高坂正堯著(新潮選書)
高坂正堯が死ぬ直前まで『FORESIGHT』に連載していた
歴史エッセイをまとめたもの。
前半はヨーロッパ史から現代と対比できるような
(対比とははっきり言わないでも参考になるような)
事例を出しつつ現代の課題を述べている。
例えばバブルとその崩壊はイギリス
(南海会社水泡事件←バブル経済の語源)、オランダチューリップ投機、
アメリカ大恐慌などが日本のバブルと経済背景的に似ている点に
注目したりしているという風に。(二流の国が一流を目指そうとしている時に
起こりやすい事象と判断している)
後半は太平洋戦争へいたる過程を綴って「なぜ日本は失敗したのか?」
というテーマについて政党運動や経済政策、軍事政策で述べた後に、
重要な要素として日本人の気質的欠点を述べている。
しかし気質とは本質的に欠点でもありはそのまま美点でもあるので、
そのことを見つめることの難しさを述べている。

全体的には一章3,4ページで書かれていて読みやすかったが
歴史的事象の説明と彼自身の解釈がよく出ていて興味深かった。
以下は上記以外で印象に残っている箇所・・・
「響きのよい抽象的な言葉は、力ある人がその気になれば
なんとでも解釈できる。しかし、具体的に散文的に書いていることは
ごまかしようがない。」(味気ないが歴史的意義の大きい権利章典を表して)
「休んでいるものを邪魔するな」(ウォルポールの言葉)
「弱国は冒険を避けなくてはならない。
何ら威信のない王朝の基礎を固めるには、ゆっくり時期を待つことが肝要だ」
(アンドレ・モロアの言葉)は進路を決める立場にある
僕のような個人にも適用できるのだろう。

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1998 8/28
エッセイ、歴史、政治学
まろまろヒット率4

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『自省録』 マルクス・アウレリウス・アントニヌス著、神谷美恵子訳 岩波文庫 195602.05.98

ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス(相変わらず長い名前!)
が自らの行為、感情について自省するために記述したと思われる本。
元々人に見せるためのものではなく、自らの反省と励ましに
記述したものなので「どうしてそういう考えにいたったのか?」という
個々の前後関係や背景が全く書かれてない。
また、欠落している箇所や読み方不明の箇所も多い。
そのためにこの本は一見、単なる教条主義的説教本に見えてしまう。
これは僕がやりたい参加観察としての視点から見れば決定的な欠陥になるが、
彼自身が内的人格と向き合うために使った言葉や表現は
その背景が不明確でも何か心打つものがある。
この本の中で「君」と呼びかけている箇所は実は自分自身に投げかけている
言葉だということ、強大な権限と責任を常に意識しながらも自らの力量の限界
と理性の破綻を必死で止めようとした葛藤は十分に伝わってくる。

たとえ一冊の本として完全ではなくても、卒論で参加観察を書く僕にとっては
パックス・ロマーナを築き上げた五賢帝最後のローマ皇帝として
執務に奔走しながらストア派哲学者としての視点から自らの行動を見直し
記述したこの本は非常に興味深いものだ。このような彼の姿勢は学ぶ点が多いと思う。
ちなみにほとんど意味も分からない点も多いこの本の中で
僕の心をどこかしらとらえてしまった記述を・・・
「遠からず君はあらゆるものを忘れ、遠からずあらゆるものは
君を忘れてしまうであろう。」
「行動においては杜撰になるな。会話においては混乱するな。
思想においては迷うな・・・人生におていは余裕を失うな。」
ところでこうやって誰にも見せないように影でこそこそ文字を
書きながら自分を励ましたり反省したりと
・・・彼ってけっこう性格暗いんとちゃうん?(笑)

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1998 2/5
エッセイ、哲学
まろまろヒット率4

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『知的生活』 P.G.ハマトン著、渡部昇一訳 講談社学術文庫 199102.06.97

前々から関学KSCの服部から強く奨められていた一冊。
ようやく紀ノ国屋で見つけたので読んでみた。文字のポイントが
小さいのに550ページ以上もあったために読破するのに
だいぶ時間を取られたが、服部の異常なモティヴェーションの高さの秘訣を
盗んでやろうと思って読んだのでなかなか楽しかった。
欧米では昔から有名な作品らしく、関連書も多いようだ。
19世紀に書かれたものなので、中には心情的にも理性的にも
受け入れがたい話もあったが、示唆に富んだ本であることは確か。
特に第四章「時間について」での、「成功のこつは、
もっともシンプルな曲を選び、情感の表現に、
本当に必要ではない難しいテクニックはすべて避けることだ。」という言葉。
第十章「知性の衛生学」でのゴールトンが旅について語った
エピソードを元にした「仕事の道程を楽しむべきであって、
仕事が終わることばかり心待ちにすべきではない」と忘れやすい教訓を
語るところは印象に残った。特にこの第十章は再読の価値あり。

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1997 2/6
エッセイ、哲学
まろまろヒット率4

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『明日があるさ』 林原めぐみ著 学研 199610.16.96

お久しぶりです、はっちーのアドレス帳から外れていたという事実が
発覚した(笑)らぶらぶナベ@ゼミ選択悩みまくりっす(^^)

いやあ、笑えたしこの時期に読んだからでしょう、とても感動しましたよ、
林原めぐみの『明日があるさ』(学研)というエッセイを読んだんですが
これがひさびさの大当たりでした(^_^)

この人は声優なんですが、元々看護婦で様々な経緯で声優になった人です。
この人の仕事や日常のほんのちょっとしたことにもよく現れてくる
彼女のスタンスが面白おかしく書かれていて、とても面白かったですよ!
常に積極的に、つらいときこそ積極的に正直にという彼女の生き方が
肩ひじ張らずに自然な感じで伝わってきて、ちょっと幸せになれました。
基本的に漫画も入ったギャグ系の軽い本なんですが、ちょっとしたことに
とても考えさせられたりさせてもらえます。
本の冒頭で「私は今とても楽しいお仕事をしています。
そしてとても楽しく人生しています」と書いていることが読み終わって
納得できてしまいます。
特に彼女がずっと「ラジオのDJしたい」と思っていたことが実現した経緯や
それが実現したことに対する彼女なりの解釈は素直に泣けます(本当っすよ)

別に決意とかじゃなくて、ほんのちょっと意識して日常のことの見方を
ポジティヴにすることでいかに人生を楽しめるかってことがここに書いてあります。
こう書くと安易な言葉が多そうで、安易な本のように
思われるかもしれませんが安易に読めても安易に感動してはいけないように
思える本だと思います。
漫画やイラストも多くてなおかつ字も大きいのですぐに読めるので
この本はお勧めっす!
何か気持ちを楽に、前向きにさせてくれます。
どこの世界でも「傑出した人物」には学ぶところ
魅力が多いと言うことでしょうか?

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1996 10/16
エッセイ、自伝
まろまろヒット率4

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