Archive for the ‘文化論・美学’


『神仏習合』 義江彰夫著 岩波文庫 199603.09.05

週末に大阪に帰ったら親がまろまろHPの存在を嗅ぎつけそうになっていて焦った、
らぶナベ@「親バレ」を避けるために隠蔽工作に必死です(>_< )

さて、『神仏習合』義江彰夫著(岩波文庫)1996初版。
律令時代から始まった神仏習合の過程と、
その原動力となった社会構造の変化を紹介する一冊。

読んでみると、政治的、社会的な構造変化のもとで
仏教と神祗信仰が複雑に絡まっていく過程は、
ダイナミックな歴史読物として楽しめた。
さらにこの本はタイトル通り宗教を取り扱った歴史書だけど、
著者が「信仰は文化の特質が集約的に表現されている」と語っているように
日本文化形成論としても読むことができる。
加えて、普遍宗教(仏教)と基層信仰(神祗信仰)の重なり合わせは、
グローバリゼーションとローカリゼーションとの重なりという視点でも読むことができた。
読んでいて面白い上に、いろんな読み方ができるかなりの良書だと思う。

ちなみに僕は前々から空海に対して近親憎悪のようなものを感じていたけれど
(『空海の風景』を読んでからそれは決定的になった)、
この本の中でも神仏習合過程で立ち回った
空海の姿を発見してちょっと複雑な気分になってしまった。

以下は、チェックした箇所(一部要約)・・・

○神仏習合=神祗信仰と仏教が複雑なかたちで結合し、独自な信仰の複合体を築いたもの
 →普遍宗教と基層信仰の結合の一形態
<序 巫女の託宣>

☆宗教には文化全般の特質が集約的に表現されているはずであり、
 社会構造との有機的関係をもっともダイナミックに把握できる通路
<序 巫女の託宣>

○律令国家は、祭祀のなかに支配の論理をすべりこませることを
 国家的規模で実現することで、はじめて存立しえた
<第2章 雑密から大乗密教へ>

○十世紀末に完成する日本型浄土信仰=論理化された神祗信仰の核をなす
 ケガレ忌避観念と浄土三部経との実質的な結合と複合体
<第4章 ケガレ忌避観念と浄土信仰>

☆キリスト教と仏教との決定的な違い
 =最初から呪術と奇跡を認め、人間しか共済されないとする点
<結 普遍宗教と基層信仰の関係をめぐって>

○仏教はキリスト教の三位一体論にあたるものを作り出すことなしに、
 可能なところから呪術と奇跡の背後にある普遍宗教の教理を打ち出し、
 その理解をすみやかに獲得していった
<結 普遍宗教と基層信仰の関係をめぐって>

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2005 3/9
歴史、宗教、文化論
まろまろヒット率4
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『超芸術トマソン』 赤瀬川原平著 ちくま文庫 198701.15.05

今年(2005年)は4月に読書日記10周年を迎える、
らぶナベ@これを期にWEBネームも「まろまろ堂」に統一しようかな?

さて、そんな2005年最初に読んだ『超芸術トマソン』赤瀬川原平著(ちくま文庫)1987年初版。

芸術家で作家(ペンネームは尾辻克彦)の赤瀬川原平による超芸術(活動)トマソンの本。
かつてプロ野球巨人軍にトマソンという名前の使えない助っ人外国人選手がいたことにひっかっけて、
街中にある何の役に立つの分からないような物件や構造物を発見していく活動をまとめた一冊。
(たとえばトマソン第1号は入り口がない階段で、「純粋階段」と名付けられている)

僕がこの著者とトマソンの存在を知ったのは、去年受けた表象文化論(田中純助教授)の講義で
取り上げられて興味を持ったのがきっかけだった。
まわりの知り合いに尋ねてみると「何で知らないだ!」、「まろまろと近いじゃないか!」と、
異口同音にぷちギレされちゃったので、自分なりに調べはじめたという経緯がある。

この本を読んでみると、確かにノリでやっちゃうB級感が漂いながら、
思想的な背景が見え隠れするっていうのが実に魅力的。
(僕の大好きな「一流のB級」ですな)
ただ、著者が後半で何度も書いているように、
少しおなかいっぱいにはなってしまうのが気になったりもする(^^;

以下、チェックした箇所(一部要約)・・・

○芸術とは芸術家が芸術だと思って作るものですが、この超芸術というものは、
 超芸術家が、超芸術だとも何とも知らずに無意識に作るもの。
→だから超芸術にはアシスタントはいても作者はいない、ただそこに超芸術を発見する者だけがいる。
<町の超芸術を探せ!>

○(超芸術は)単なるゴミ、単なる装飾、単なる芸術、そういった単なる当然世界に属するはずのところを、
 ほんのわずかのところでいずれにも属さず、きわどいところで存在している。
<空飛ぶ御婦人>

○トマソンとは人工空間に発生する歪みのようなものであり、都市の不動産の活断層に沿ってあらわれる、
 したがってトマソンは都市の中でこそ発見されるもの。
<トマソン、大自然に沈む>

○トマソンといっても、都市の中の一瞬のズレを見ていたのであった。
→ズレた光はつぎの一瞬にはもう都市の各部に沈み込む。
 都市はその内側に積み重なるズレたトマソンを含みながら、
 いずれはその全体が大自然の中に、ずぶずぶと沈み込んでいく。
 都市という物件は、大自然に発生した人類による一時的な現象であり、
 いずれは崩壊してまた大自然の中に埋もれていくのであった。
<もう何が何だかわからない>

○面から点を見たものをまた後方の面のひろがりに向かって報告するのが発見。
→点の住民はつねに発見という出来事の外側におかれる。
→この原理をもって世の中での発見をめぐる面と点との関係は、
 その互いの位置を動揺させながら、位置の転換を引き起こしてもいる。
<ベンチの背後霊>

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2005 1/15
超芸術
まろまろヒット率3
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『美学への招待』 佐々木健一著 中公新書 200406.28.04

まろまろマスコットキャラクターとして「まろうさ」が誕生した、
らぶナベ@まろまろWEBのそこら中に出没してますのでよろしくです(^_-)

さて、『美学への招待』佐々木健一著(中公新書)2004年初版。
美学の第一人者が書いた美学の入門書。
「誰もが経験する事実からスタートしてそこに潜む美学を指摘する」(第1章)という
スタンスで書かれているので、美学特有の取っつきにくさを感じずに読める。
社会的要求から誕生した美学の歴史的変遷について語っている点(第1章)や、
「綺麗」と違って「美しい」には「すごい」という意味があるとする点(第9章)は、
すごく分かりやすかったし納得もいくものだった。

ただ、これまでの美学の歴史や位置づけを書いた前半(特に第1章)に比べて、
後半部分になるに従ってよく分からない話が多くなっていく。
それは同時に分かりやすい芸術から分かりにくい芸術への変遷とかぶっていて興味深い。

ちなみに「近代美学が機能不全に陥っているのは、
その理論がすべての現象に当てはまるとする普遍主義的な考え方にある」
(第7章)といっている箇所には自分(まろまろ堂)との対比で面白かった。
美学のような伝統ある研究は過度の普遍主義で機能不全に陥っていると言われる、
一方で僕のやっているようなことは「事例特有で普遍性がない」と言われたりもする。
・・・隣の芝生は青いような感じがして思わず笑ってしまった。

巻末には各章ごとの参考文献だけでなく、他の入門書の解説も丁寧に紹介されているので
こういう分野にも興味がある人には一読の価値がある一冊。

以下、チェックした箇所・・・

○創造性は何で測られるか→注目されたのが感性(ペトラルカ、パスカルなど)
<第1章 美学とは何だったのか>

☆A.G.バウムガルテンが”Aestherica”(感性学=美学)を著して美学を哲学的学科として創造
→「芸術」&「美」&「感性」の同心円的構造を打ち立てる
<第1章 美学とは何だったのか>

○美的体験と美的範疇が19世紀的美学の主要構成要素
<第1章 美学とは何だったのか>

☆芸術の本質は美の表現→美は体験を通して現実化
→美学はまずその体験と相関的な美の特質の解明に努める(美学の核心)
+美的範疇で多様性の解明
<第1章 美学とは何だったのか>

○現代の美学に標準的な目次はない
→美と芸術と感性について哲学的な考察ということで十分
→どのような側面に注目するかが重要
<第1章 美学とは何だったのか>

○センスはもともと肉体的な能力としての感覚だが、そのメタファー的な使用の次元が問題
<第2章 センスの話>

☆感性のモデルとなっている感覚の働き方の三つの特徴
=1:直感性、2:反応もしくは判断が即刻、3:即刻の判断の示す総合性
<第2章 センスの話>

○美学を云々する場面での傾向=
感性への集中→感覚的に捉えられた刺激が人格の内奥へと反響していく
<第2章 センスの話>

○仏語でデザイン(design)は”dessin”(デッサン)、”dessein”(意図)に分けられる
→デザインにはデッサンが基礎になり意図という意味を持っていることは重要
<第3章 カタカナのなかの美学>

○カタカナ語特有の曖昧さは異分野をクロスオーヴァーさせる力がある
<第3章 カタカナのなかの美学>

☆「artとは何か?」ではなく「いつartか?」(ネルソン・グッドマン)
<第3章 カタカナのなかの美学>

○かつて芸術は公共性を形成する役割があったが
複製の体験は個人化し、体験の様式は自閉的になる
<第4章 コピーの芸術>

☆リズムとは身体の呼吸のようなもの(略)
遠近法に代表される近代の美術が身体感覚を知らず、
近代の美学がリズムの真実を捉えられなかったのは、
身体を単なる物体と見るような哲学と相関している
<第6章 全身を耳にする>

○近代美学が機能不全に陥っているところがあるとすれば、
最大の問題は(略)その理論がすべての現象にあてはまるとする考え方にある
<第7章 しなやかな応答>

○きわものとは、既に起こった大事件を参照することによって、
人々のその事件への関心を刺激して、自らのために利用しようとする作品
<第8章 お好きなのはモーツァルトですか?>

○ダントーのテーゼ「何が芸術であるかはアートワールドが決める」
<第8章 お好きなのはモーツァルトですか?>

○古典的な芸術の定義=「自然模倣」
=背後に精神的な次元を隠し持ち、それを開示することを真の目的とする活動
→主役が作品から作者へと移る

<第8章 お好きなのはモーツァルトですか?>

○「綺麗」と違って「美しい」には「すごい」という意味合いがある
<第9章 近未来の美学>

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2004 6/28
美学、哲学
まろまろヒット率3
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Posted in まろまろヒット率★★★☆☆, 哲学・思想, 文化論・美学, 読書日記with No Comments →





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