Archive for the ‘海外体験記’


ハワイアン日記(修正版)03.05.02

ひょんなことから男3人でハワイに行くことになってしまった(4泊6日)。
「なぜーに男3人?」、「なぜーにハワイ?」という気もしなくもなかったが
痛いものコレクターとして新しいコレクションにもなるかなと思って同意した旅。

以下、メモを修正した日記・・・
2月28日:成田発なのでわざわざ新幹線に乗って東京まで向かう。
いったん途中下車して市ヶ谷の研究室で東京での仕事をさせてもらう。
市ヶ谷で服部(同行者その1)と合流した後に新宿からNEXで成田へ。
初めて乗った成田エクスプレスは外見はヨーロッパ風だったが中身は噂どおり貧弱だった。
ここらへんが日本的でちょっと笑ってしまった(^^)
成田で藤江(同行者その2)と合流して飛行機に乗り込み、
美味しくない機内食を食べてから眠ろうとしたら隣でカタカタという音が・・・
不思議に思ってふと見てみると藤江も服部もMy電卓を持ってきて簿記の勉強をしていた(@_@)
こう文字で書くと何かYoung Excective的な匂いが漂うが、
ハワイ航路それもエコノミークラスでやるとは同行者ながら侮りがたし。
現地に到着後に格安ツアー名物マルチ商法セミナーもどきの説明会がおこなわれる。
商品リストにあえて×や△をつけさせて発言に信憑性を持たせ、
○をつけたものを値下げするという実に典型的なマルチ商法ぶりに思わず笑みがこぼれた。
それ系の訓練を何度も受けたであろう司会の女性が
自分の母親と同い年くらいということに一つ人生をかいまみる(^^)
とりあえず現地は物価が高い(1ドル=137.5円)上に男3人ショッピングも興味がないので
「ハワイならでは」でなおかつ「日本よりもお得」なものを探す。
ダイビングライセンス(PADI)はこの二つの要求に応えられるだろうということになった。
一度取れば世界中どこでも潜れるようになるし日本で取るよりもずっと安いので3人とも納得。
二日かけて単独でも潜ることができる”Open Water Diver”ライセンスを取ることに決めた。
英語で交渉する2人がなかなかカッコ良かったので、
自分もあれくらい英語ができるようにならなくてはと感じる。
ホテルのチェックインまでちょっと時間が空いたので近くで実弾射撃体験をする。
(22口径拳銃とライフル)ちょっとカルチャーショックだった。
あんなもので人が殺せるのかと銃に対する考えが少し変わった。
それから4泊することになる”Ohana Waikiki Hobron”という
安ホテルに荷物を置いてから近くの浜に日焼けしに行く。
2人とも爆睡したが僕は眠れなかったので海で泳ごうとしたものの
あまりの冷たさに断念、おとなしく日焼けする。
夕食は豪華にしようということで”HAWAIAN ALL STAR”というお店に食べに行く。
藤江はサーロインステーキ、服部はポークソテーという無難なものを頼んだが、
せっかくハワイに来たので”ポリネシア風蒸し豚”を頼む。
出てきた料理を見たら「ビーフジャーキーの大盛り」のようだった。
ジューシーな隣人の食事をかいま見ながら歯ごたえのあるポリネシア料理を食べる。
“traditional food”という説明書きはある意味で正しかったのか・・・(T_T)
ポリネシアあなどりがたし。
ダイビングをはじめる次の日は早いのでこの日はおとなしくホテルに帰って寝る。

3月1日:6時起きでダイブショップ”Green Dolphine”の車に乗せてもらってショップに向かう。
スタッフも日本人ばかりで海の家的なノリがかえって新鮮、
大学生や関西人もいて話やすかったのが嬉しかった。
ショップで説明を受けてから”MAGIC ISLAND”というダイビングスポットに行って講習を受ける。
当たり前だけど海の中で呼吸ができるってそれだけで何だか感動!
当たり前だけど海の中では自分の動きや反応が遅いけどそれに戸惑った。
当たり前だけど機材をつけて陸を歩くのって大変。
結局、休憩を挟んで2本合計48分潜ってショップに戻る。
“HAWAIAN ROLE”なるお寿司(ポテトサラダを挟んでる!)を食べて午後の学科を受ける。
予定では最終日の一日が空いていたのでせっかくということもあり、
最終日もFUN DIVE(純粋にダイビングを愉しむ)としてダイビングしようと決める。
たまたまショップに隣接するネットカフェにいた女の子にHPを営業。
学科終了後にいったんホテルに荷物をおいて昨日行った浜で再び日焼けする。
この時、自分と服部はホテルで仮眠していた藤江とはぐれてしまったが
浜に面する”HILTON HOTEL”のBARで言葉が話せないメキシコ人と知り合う。
筆談とジェスチャーでコミュニケーションを取っていたら妙に盛り上がった。
なにか気に入られたらしく飲み代はすべておごってくれた。
同行者の二人に比べて自分の国際的コミュニケーション力に疑問を感じていたので
この経験は自信につながった、次の日の単独行動のきっかけにもなる。
ホテルに戻っても藤江はいないので書置きをして浜に戻るとすごい人だかりだった。
HILTONの前で演じられているポリネシアンショーを
横目で捜索を続けていると花火大会が始まった。(人だかりの原因はこれだった)
この時期のそれもハワイで花火が観れるとは思わなかったのでかなり得した気分になった。
花火大会終了後にようやく藤江と合流できた、書置きが功をそうしたようだ。
その場で知り合った女の子二人にHPの営業をする。
お腹が空いたので”Sam Choy’s Diamond Head”というちょっと高級店にいく。
前日にポリネシアン料理で失敗したもののここはやはり挑戦しなくてはと思い、
“Hawaian Bouillabaisse”というものを頼む。
Bouillabaisseというのは何かわからなくてかなり不安だったが来たものを見てみると、
魚介類のごった煮だった。そう、そうそれはブイヤベースだったのだ。
Bouillabaisseとはブイヤベースのことだとは三人ともわからんかった(仏語力なし)。
タロイモやマヒマヒ(ハワイのお魚)が入っている点が
ハワイアンということみたいだったがとても美味しいものだった。
付け合せのおにぎりをぶち込んでリゾット風にして食べてもまたうまかった。
二人が頼んだ料理はいまいちだったようで昨日の失敗分は帳消になった気がした。
ハワイの女神は僕に微笑んでくれたのだと思った(^o^)
この日も明日が早いのでおとなしく寝る。
リゾートというより合宿のflavorがしてきた二日目の夜。

3月2日:3時40分に目が覚めてしまって体力的な不安を感じながらショップに向かう。
今回は車で40分ほど走ったダイビングスポット”MAKAI PIER”で講習を受けることになった。
珊瑚礁も多くて天気も良いので前日とはくらべものにならないほど綺麗なスポットだった。
そのためか中性浮力の取り方などの実技はとても楽しくできた。
(魚にパンもあげることができた)
この日は2本合計60分潜ってお昼ご飯を買って戻る。
一緒に潜った学生さん二人にHPの営業をする。
前日からの合意では次の日は愉しむだけのFUN DIVEつもりだったが、
次のクラス”Advanced Diver”の認定を受けるために必要な科目を持ち越せる上に、
FUN DIVEと大して変わらないということで”Adventure Diver”の講習を申し込んだ。
酔うという噂のBOAT DIVE(船からのダイビング)、
さらに一日のうちに3本潜ることになるので体力面でちょっと不安に感じた。
二人がダイビング用具を買っている間に敷地が隣接しているホテルでプールサイドで焼く。
(この時分からすでに焼きすぎの感が(^^;)
その後に3人で浜に出てからナンパしに行くという二人とは別行動を取ることにする。
二人は英語が堪能で一緒にいるのはすごく楽だが、その分、英語の勉強にはならない。
これが初めての英語圏への旅行なのに自分の英語力の程度を知れないというのは
実にもったいないので単独行動を取ることにする。
ただ、彼らの微笑ましい(?)リビドーも無駄にしたくないので
「知り合った人に渡して」とHPのアドレスを書いた紙を渡す。
確率論的にナンパは失敗の方が断然多いが、たとえ失敗しても
その目的とはまた別の広がりを生むネット戦略のせこさに我ながら感心する。
一人でホテルに荷物を置きに帰ってフロントで両替してもらい、
コインランドリーに洗濯しに行くだけでも何だか冒険気分だ。
ランドリーを回している間にホテルのジャグジーで砂を落とす。
貸しきり状態だったのだが10歳くらいの現地の女の子(アングロサクソン系)が
入ってきて「コンニチハ!」と言ってきた。
「ここはアメリカ・・・これが噂に聞く少女売春か!」と一瞬考えたが、
日本語の挨拶を覚えたので一見して日本人とわかる僕に使いたかっただけのようだ。
良い機会なのでこの少女相手に英語の練習をさせてもらう。
家族で来ているらしく他の家族も入ってきて取り止めも無い会話をする。
それから部屋で着替えて、さぁ外にいこうとすると、
約束の時間よりもずっと早いのにも関わらず二人が帰ってきた。
数々の(痛い)伝説を生んだ名うての二人のことだからてっきり僕の分まで余計に
女の子をピックアップしてくるだろうと思ったら二人だけで不機嫌そうに帰ってきた。
特に藤江は凹んでいるようだった。
聞いてみるとことごとく不作なので日本では絶対に声をかけないような女の子に声をかけたら
「迷惑ですっ!」と正面から言われたのがかなりショックだったようだ(笑)
あまりに凹んでいるのでとりあえず夕食を食べに行こうということになった。
この日はダイビングのインソラクター、ケンタロウくんお勧めの”Chart House”に行く。
このお店の料理は魚介類も肉類もすごく美味しかった!(^_^)
(the Ala Wai Yacht Harborに面しているお店、お勧め)
ハワイ滞在3日目にして3人全員が納得するお店と出会えた、ケンタロウくんあなどりがたし。
ステーキを頼んだが想像以上にサイズが大きかったので
自分も藤江も食べきれなくなって服部にあずける。
服部はすべてたいらげた、服部あなどりがたし。
ホテルに戻ってランドリーに洗濯物を取りに行くと日本人の女の子二人が迷っていた。
エレベーターに乗るときに「ロビーは下ですよ」と日本語で言って
とっとと部屋に戻ろうとするとかけよってきた。
「ここはアメリカ・・・これが噂に聞く日本旅行者への詐欺の始まりか!」とも思ったが
何でもクレジットカードで日本に電話したいのにやり方がわからず困っているそうだ。
前日に藤江が同じやり方で電話をかけていたのを覚えていたので彼を連れてくる。
ナンパに失敗した二人を尻目に何気に女の子と知り合いになった自分の運の良さにまた感心。
しかし次の日に3本のダイビングがひかえているのでHPを営業してからとっとと部屋に戻る。
もしかしたらこれは本当に合宿かもしれないと思いながら眠った三日目。

3月3日:朝5時に起床。ダイブショップにいったん行った後にヨットハーバーから船に乗り込む。
「酔う」とか「大変だ」とか色々と聞かされていたが風もなく晴れたので快適だった。
当初は午前中に2本BOAT DIVEして午後にBEACH DIVEを1本するという話だったが
午前のうちに3本することになった。(1度水面に上がれば1本とカウントできるらしい)
そちらの方が楽なので自分としても嬉しかった。
“SEA TIGER”というダイビングスポットで30mのDEEP DIVEに挑戦する。
漁礁となっている浮沈船に向かうのだがテレビでよくみる一場面を
実際に体験することになろうとは思っていなかった。
浮沈船の甲板の上に立ったり側面を泳いだり、それだけで感動的だった。
360度見渡してもすべてが陸にいるときとはまったく違う別世界だからだ。
海ガメとも出会えてすごく楽しいダイブだった(^o^)
30分潜ってから船に戻って休憩する。
船上で食べたピーナッツバターを挟んだビスケットの美味しさが印象的だった。
今は快適だけど最悪の条件下でダイブする”NAVY SEALS”(アメリカ海軍特殊部隊)って
本当に大変な仕事なんだろうなと変なことについて思いを馳せる。
その後、海底に巨大なパイプがある”KEWAO PIPE”というダイビングスポットに向かう。
昔、ハワイでは生活廃水を海にたれ流していたらしく(駄目じゃん!)
そのときに使っていたパイプがいまでも残っているらしい。
巨大なパイプ以外は海底の地平線が広がっている場所だったので
このダイビングは特に水中を泳ぐ喜びを感じられた。
浮き上がるわけでもなく沈むわけでもなく中性浮力を使って
水中の真中を漂うことってとても楽しい(^^)
いったん水面に上がってからまた潜り2本合計47分水中の中にいたが
水面ではなく水中を泳ぐことの快感を感じたので疲労は感じられなかった。
結局、この日は3本合計77分潜ったことになる。
環境面でも自身の体力的にももっとハードだと思っていたが
ぜんぜん楽ちんだったので得した気分になった。
ショップに帰ってから学科を受け無事に”Adventure Diver”のライセンス取得(^_-)
良くしてくれたインストラクターさんたちにお礼を行ってショップを後にする。
ハワイで最後の昼間自由時間ができたので3人で”WAIKIKI BEACH”に向かう。
シュノーケリングするという服部と分かれて藤江と二人でハワイB級グルメ”ロコモコ”を探す。
なかなか無いのでWAIKIKIから”ALAMOANA Shopping Center”まで
30分ほどまろまろ歩いてフードサーヴィスでロコモコを食べる。
ALAMOANA Shopping Centerはまさに日本人のために作られたという感じだった。
ブランドショップが入っている上階に行くほど「ここはハワイですよ」と、
優しく諭したくなるような格好の日本人女性がいっぱいいたのが
痛いものコレクター的には楽しかった。(まさに異世界)
バスでWAIKIKIまで戻ってお土産を買ってから服部と合流し、
この日もホテルの近くの”Chart House”にご飯を食べにいく。
お店は混んでいたのでBARカウンターで食事を取ることになった。
目の前のバーテンダーのおっちゃんは見てて惚れ惚れするほど良い仕事をしていた。
食事の用意も素早いし、カクテル作るのも早くて正確、
ほとんど手を休ませないでいるのに他のお客さんと談笑もする。
思わず帰りに”You do good job”と言うと握手をしてくれた。
ホテルに戻って藤江と服部が夜の街に繰り出そうとしたその時に前日の女の子二人がやってきた。
何でも部屋を取り違えた日本人のおばさんがパニックになっているのに
ホテルには日本語話せるスタッフがいないので混乱が助長されているらしい。
すぐに出る用意ができていた藤江と服部がまず向かい、僕は着替えてから向かう。
フロントにいくと二人だけでなくもう一人の女の子がいた。
彼女が前日いなかったのは友達が困っていたときにも関わらず爆睡していたかららしい(^^;
自分がフロントに到着した時分にはトラブルは普通に解決していて、
そのおばさんがお茶をおごってくれるということでホテルのBARに全員で向かう。
混乱が続いているのかおばさんはダイビング用語でいうところの”PANIC DIVER”状態で
何を話しても通じないほど自分の話をマシンガンのように話しつづけていた。
おばさんが帰ってからまろまろとお茶を飲んでおしゃべりする。
普通の飲み会状態になったがハワイの夜は冷えるので着替えのために部屋に戻る。
部屋から見える夜景を見ると詩感がわいたので試作する。
(そのうち公開するかも)
飲み会終了後に部屋に帰ると服部の説教が始まった。
このホテルは安ホテルだけにやたら水漏れしているなぁと思っていたが
どうやら僕がユニットバスのカーテンを外に出してシャワーをあびていたのが原因らしい。
普通に服部にマジギレされた。
服部がシャワーをあびている間に藤江とまろまろと話をしていたらもよおしたので
気づかれないように音を立てないようにガスを出したら気づかれた。
普通に藤江にマジギレされた。
そんな最終日の夜。

3月4日:4日間毎朝通いつめたマクドナルドの朝食を惜しみつつ
(日本にはないクッキー生地のマフィンなどがあった)空港に向かう。
テロの影響がまだまだ続いていてうんざりするぐらいに搭乗手続に時間かかった。
空港内でトイレに行こうとしたけど場所がわからなかったので
ぽつんと立っていた自動小銃を抱えた軍人さんに
“Where`s toilet?”と尋ねると「ああ、この道を真っ直ぐ20メートルくらいいって左ね」と
妙にfriendlyな日本語で教えてくれたのにはちょっと驚いた。
それもフィートじゃなくてメートルで教えてくれるとは(@_@)
ハワイは観光産業の比重が高いのにテロの影響で日本人旅行客が減ったので
州から警備についても観光客には十分な配慮をというお達しでも出ていたのだろうか。
そんなことを思いながら帰路に着く。

振り返ってみると全く目的をもたずにリゾート気分でまろまろするはずの旅だったが
強い円安やそれほど陸上の観光資源にひかれなかったこともあって
全日程をダイビングライセンスに費やしたことになった。
本当にリゾートというよりは合宿な日々だった。
これは意外にラッキーだったように思う。
事前に「ダイビング旅行」と言われていたら絶対に来てなかっただろう。
期せずに一生残る自分へのお土産を持って帰れたような気がする。
世界中の海にダイビングスポットはあり、行動範囲が広くなったようですごく嬉しい。
なんかPADIの戦略に見事に乗せられている気がするが、
とにもかくにも新しい趣味を得た旅だった(^^)
2002 2/28~3/5
出来事メモ、海外体験記
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内モンエピソード集03.25.00

<2796> inbox, 00/ 4/19 19:31 ps360953@askic.kic.ritsumei.ac.jpから 107行
標題: [ml-dokusyo 203] 内モンエピソード
期限: 00/10/16 19:31
宛先: ml-dokusyo@ml.ritsumei.ac.jp

ようやく内モンゴル日記の清書&まとめが終わったので(総数1万4千字)
その中からこの前アップしそこなったエピソードをいくつか
ピックアップするっす(細かいこと知りたけばまたメールください)・・・

「デインジャラスタウン・フフホト」
何だかんだ交渉して内モンゴル最大の都市フフホト(呼和浩特)市から
ツアーと別行動で草原に向かうことになったものの直前に調整したために
これから僕が訪ねていく場所についても便乗させてもらうことになる
人たちについても詳細は直前まで把握できていなかった。
さらに話をつけてくれた人からは「どういう人たちかはあまり
よくわからない、もしかしたらやばいかも」とまで言われていた。
草原に向かう車に乗り込んだ時に初めて一緒に行く人たち(訪ねる家の
娘さん夫婦にあたる内蒙古新聞記者の二人と旅行会社の副社長さん)と
顔を合わせたものの英語がほとんど通じないので独力での意思疎通は
筆談しか方法が無かったが車がとても揺れるのでそれもろくにできなかった。
日本語をある程度話せる旅行会社の副社長さんににお願いして
通訳してもらおうとしたが紹介してくれた人からこの人物は
金の亡者のような人なのであまり信頼のおけないということを
さんざん聞かされていたのでかなり慎重に接することにした。
さぁ、出発しようというのに車の中ではみんなほとんど話さなかったし
車が走り出すとさらにみんな黙りこくってしまってしまった。
そんな中、車は草原に向かうはずなのに急にスピードを上げて
フフホト市内のスラム街のような場所に入って薄暗い路地裏に停まり、
みんな黙って降りていった。そして長い間ほったらかしにされた。
・・・これは話に聞く誘導する役と実行する役が別れた強盗か?
と思い「ここで死ぬのかなぁ」と妙に覚めた気分になってしまった。
どうも僕は普段必要以上に小心な面がある反動からか、
ここ一番になると変に開き直ってしまって自暴自棄のような気分に
陥ることがある。この旅も最初から危険を覚悟して行ったものなので
「念願の内モンゴルに来て死ねるならそれでも良いかな。
どうせなら2、3人は道ずれにしてやろう」と考えているとみんな帰ってきて
いきなり僕が座っている後部座席に大量のビールを置いた。
それから僕にビール缶を渡して「飲め」というジェスチャーをされた。
何じゃそりゃ?と気が抜けたようになりながら飲んでみると
初めて笑顔で話しかけてきた。後で親しくなってからこの時のことを
聞いてみると初対面の人と会ったときには酒で挨拶をするもので
酒を仕入れてから挨拶しようとしただけのことらしい。
(スラム街のような場所に行ったのはそこのビールは安かったためらしい)
・・・危険な街、フフホト市。

「内蒙古大学」
フフホト市にある内蒙古大学を訪問した。
そもそもこの旅は「内モンゴルで教育プログラムをおこなう際に
どのような機関とどのような連係ができるか調査して来い」という名目で
お金が降りていて教授からは「現地で何かする時に日本語が通じる
ポスト役を見つけて来て欲しい」とも言われていたので
内蒙古大学に行くのはいわばお仕事にあたる。
内蒙古大学は中国10大大学という区分に入る総合大学らしく訪問すると
まず日本語学院の張教授という人と事務長さんが出てきてくれた。
一通りこちら側の事情を話してみると「どのようなかたちでも
ぜひ協力したい、私の生徒たちを通訳に使ってくれ」と好感色だった。
やたらと好意的なのも気持ち悪いのでちょっとさぐりを入れてみると
何でも無料だった大学が最近有料化してサーヴィス提供ということを
突きつけられるようになったらしいが内モンゴルに入ってくる日本語は
すべて書き言葉やニュースなどの丁寧語ばかりらしい。
(日本語は丁寧語と日常語との差が激しいので有名な言語)
大学としては日本語を学ぶ学生に対して現地で話されている生の日本語と
接して欲しいと思っているがなかなかnative日本人と接する機会は無く、
特に学生と同じ年代の日本人と接する機会が無いのが悩みの種らしい。
だからどのようなかたちでも同年代の日本の学生と接する機会を
持ちたいと強く願っていたところだというのだ。
また、張教授は初対面なのに正直に中国の大学の現状なども話してくれた。
自然と「この人は信頼できる人だな」と感じることができたので
彼から「授業に参加して欲しい」と言われた時は快諾した。
教室に入ってみると確かに使っている教材はちょっと古い。
実際にこの教育を受けて日本に来るとちょっと
ギャップがあるだろうなということがよくわかった。
学生とも1時間ほど話せたがなかなかに面白い。
これからどういうつながりになるのかは教授会で決まることだが
個人的にも良い体験をさせてもらったと感じられた。

「草原の風」
草原ではこの大地にいることが嬉しくて一人で遠出の散歩をした。
小高い丘の上に立って周りを見渡してみると180度すべて地平線と
雲一つない青空だけの空間に立っていることに気づいた(当たり前だが)。
ふと大声でいろんなことを叫んでみる。
怒り、憤り、悲しみ・・・日本では大声で話す機会の無いことを
思いっきり叫ぶと草原にふいている風がそういうものすべてを
持っていってくれるように思えた。
小高い丘の上は特に風が強かったので思い出の写真などを
草原の風に飛ばして家に帰る。
帰って聞いてみると僕が思いっきり叫んでいた声などは
まったく家の方には聞こえていなかったらしい・・・
と、いうことはあの時僕に何かあって助けを呼んだとしても
誰も助けには来てくれなかったということか、ちょっとどきどきっ(^^;
2000 3/19~25
出来事メモ、海外体験記、インターンシップ
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内モンゴル体験記への質問に答えて騎馬民族&中国観を述べる03.25.00

<2769> inbox, 00/ 4/ 5 06:53 ps360953@askic.kic.ritsumei.ac.jp から 118行
標題: [ml-dokusyo 202] 漢の風、楚の雨、蒙の草
期限: 00/10/ 2 06:53
宛先: ml-dokusyo@ml.ritsumei.ac.jp

モンゴル族のある旗(部族のようなもの)では自分の子供にできるだけ
「イヤな名前」をつけるという習慣があるらしくて縁起が悪かったり
マイナスの意味がある戸籍名を持つ人もいてるらしい。
例えば僕がお世話になった内蒙古新聞の記者の同僚にすごい美人さんが
いるらしいがその人の本名は「ブス」さんというらしい(@@)
他にも「馬糞」くんという名前まであるらしい!
・・・何でもイヤな名前をつければその子に来る不幸はすべて名前の方に
吸収されて本人は逆に幸せになれるという言い伝えがあって、
子供の不幸を避けるためにあえてイヤな名前をつける習慣があるらしいが
「馬糞」という名前がついていること自体、本人にとっては
生まれながらにしてかなりの不幸じゃないのか?と思わず突っ込んだ、
らぶナベ@まだまだ僕は異文化理解が甘いなっす(^^;

>誰も感想寄せないのもさみしいし(登録者は多いのにね)ということと、
相変わらず気づかいの人だね、ありがとっ。
日本に帰ってきたことを実感できてホッとするっす(^^)
ま、でも何も無しでも良いんじゃない?
そもそも読書を含めて知的活動なんてものは個々人差のあるものだし
変に気をまわしてやるものでもないんだから。
(勝手に気が向いたときにやれば良いし気が向かなければずっとなしで良い)
以前は僕も「せっかくMLなんだからみんなも」と思った事もあったけど、
よく考えたらMLがある無しに関わらず僕がやる事は変わらないし
何よりも単にアップするだけでも自分にとってすごく大きなメリットを
もたらしてくれるってわかったからのんびりしているっす(^_^)
中国風に書けば普段の僕の活動は動(=陽)でMLを含めた読み書きは
静(=陰)に当たるものだから静に関しては捉える尺度を
長くした方が良いと思っているっす。

ところで・・・
>なんかNHKの番組のような旅をしてきたようで、うらやましい限り。
いやぁ、確かにマレーシアの熱帯雨林に行った時もそうだったけど
普通の観光では行けないような場所に行けて会えないような人と会えた
体験ができたのが良かったっすよ。日本に帰ってきてから知り合いの
彫師の人に「若い間に旅をしろ。老いてからする話が無くなるから」
という言葉があることを教えてもらったけど
何十年か後でも話せるネタができたっす(^^)
(追加でかかった費用を大学に落とさせることにも何とか成功)

>で、これを読んでいて疑問に思ったわけですが、
>酒に弱い人間は淘汰されてきたのなら、モンゴル人は総じて
>アルコール耐性は高い(分解酵素を保有しているだったっけ??)と
>思われるわけですが、
「淘汰」って言ってたのは遺伝子的な意味ではないと思うよ。
(モンゴロイドは総じて人種的にアルコール耐性は弱いとされているし)
「自分の限界を超えた時にコントロールできないやつは生きていけない」
・・・という風な後天的な意味合いだったと思うっす。
騎馬民族は基本的に移動しながら生活するし、農耕と違って放牧は
近くに寄り添ってはおこなわない。(すぐ草が無くなっちゃうから)
だからもし自分に何かあったときには自分自身で対処できないと
そこで人生が終わってしまう、特に自分の限界を超えるような
「非常の時」でもちゃんと自分をコントロールできるやつじゃないと
隣人と時に何十キロも離れてしまうこともある生活はできないって事っす。
吐かなければ死ぬ時に吐かないような人間は死ぬのが当然・・・
そういうしれっとした厳しさを感じたっす。
これは農耕民族ほどは寄り添っては生きない騎馬民族独特のものだろうけど。
だから結婚の時にモンゴリアンナイフの使い方を見るのもそうなんだろうね、
家族単位でサバイバルするような場合もあるのにろくにナイフも使えない
男には自分の娘はまかせられないと思う事はけっこう自然なことかも。

>モンゴル人全体では、アルコールによって引き起こされる
>トラブルは少ないんでしょうか??
とんでもない!とんでもない!
モンゴルの人は酒癖悪いのでかなり知られているっす。
気に入らなければすぐにケンカするし簡単に人を殴ろうとすることもある。
自分の身は守るし気に入った人間は歓迎するけど気に入らなかったり
自分の敵だと思ってしまった時は躊躇無く実力行使をしてくる。
・・・これも騎馬民族としての特色かな?
もちろん個人差はあるし状況にもよるんだけど総じてこんな感じっす。
これがモンゴルとしての「使い慣れたフライパンについた油のようなもの」
=「文化的特色」みたいっすよ。

>また、北京の自己責任は本当にうまくいっているのか知りたいところです。
単に言葉としての自己責任って感じじゃなくて当たり前の習慣として
御上はあくまで御上で自分は自分って感じを受けたっす。
ただ自分というものの範囲は日本人よりも広いのかなって感じはしたっす。
自分より三代くらい前と三代くらい後まではまさに「自分自身そのもの」で
だから子孫を残せない事が今でも一番の不幸に当たるらしい。
そして今中国社会で中心的になっている世代の三代前といえば何と清朝時代!
清朝から長い動乱の中で辛亥革命→中華民国→軍閥闘争→都市部は日本占領
→国共内線→中華人民共和国と実に御上がころころと変わっているっす。
(ここらへんの経緯はユン・チアンの『WILD SWAN』に詳しい)
さぁ、ようやく社会主義国家になったと言ってみても社会的な意味で
本当に社会主義政策を貫いたのはわずか20年たらずしかない、
さらにそのうち10年間は文化大革命で社会は大混乱に陥っていた。
この20年は徐々に社会主義から自由主義に移行しているって感じっす。
つまり中国では一般的に「最近」に入る三代前から今まで国の枠組み自体が
長期間に渡って一定のものに固まった試しがないんす。
だから僕らが言う国家とか御上というものとはまたかなり違ったニュアンスが
漢民族が捉える国家というものは持っているんだろうなっていうのが
中国に行ってみて感じた違和感の帰ってきてからの僕なりの理由づけっす。
日本に帰ってきてから僕もやっぱり気になってしまって中学の時に読んだ
司馬遼太郎の『項羽と劉邦』上中下巻を一気に読み直してみると・・・
(読み始めると面白いので途中でやめれない(^^;)
「この大陸では古来、村ごと民が餓死するようなことがしばしばあり、
時に村や地域ごとに流民化する。流民化した民は英雄に集まる。
英雄とは飢える時代に民を飢えささない程度に食わせる人間を言う。
・・・本来的な意味での英雄にあたる人間は日本史には存在しない」
というようなことを書いてあったけどまさに僕の中国で感じた
市民と国家との関係はこのようなものだったっす。
だからこそアクの強いリーダーが出てくる土壌があるんだろうね。
中国国民が社会主義を選んだというよりも単に毛沢東という
自分たちを食わせてくれるリーダーを選んだというだけであって
そのリーダーがたまたま社会主義思想を持っていたというのが
正確なところじゃないのかな?
毛沢東は後に権力闘争を激しくおこなって文革で中国全体を恐慌状態に
陥れたけどいわゆる独裁者につきものの強力な秘密警察っていうのは
結局最後まで持たなかった。毛語録などのシンボルを通して
農民自体を直接に率いたって側面が強いのはこのためだと思う。
・・・中国って深いね(^^)
強い違和感を感じながらも何か魅力を感じてしまう。
おかげで以前読んだ時とはまた違った『項羽と劉邦』の読み方ができたっす。
ちなみにこの本の連載当時の題名は『漢の風、楚の雨』らしいくて
そこに中国の多様さ、深さを表そうとしてつけたらしいんだけど
今の僕なら『漢の風、楚の雨、蒙の草』ってするところっす(^o^)

“Try if you complain or Don`t complain if you`re not willing to try”
Yoshihiro Watanabe on School of Policy Science in Ritsumeikan
2000 3/19~25
出来事メモ、海外体験記、インターンシップ
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