政策科学研究科修士論文口頭試問 • 02.14.02
別のリサーチプロジェクト所属のはずの佐藤教授も審査委員をやってくれた。
案の定、けちょんけちょんだった(^^;
おかげで「論理性のより一層の一貫性」、「道具については道具論に徹する」、
「しつこいほど見直す」という三点の必要性をあらためて感じられた。
2002 2/14
出来事メモ、進路関係
別のリサーチプロジェクト所属のはずの佐藤教授も審査委員をやってくれた。
案の定、けちょんけちょんだった(^^;
おかげで「論理性のより一層の一貫性」、「道具については道具論に徹する」、
「しつこいほど見直す」という三点の必要性をあらためて感じられた。
2002 2/14
出来事メモ、進路関係
開始から実に一年以上の紆余曲折を経たがようやくスタートを切れた。
これで常備メディアをはじめて持ったことになる。
電子メールを使えるようになってから6年の歳月が流れ、
あまりに遅すぎたといえば遅すぎたHPデビューだが
その分、公開する読書禄や経験談のストックが充実したので良しとしよう。
吹けば飛ぶような小さな小さなメディアだが
これが社会を変える基点になるかもしれない(^-^)
(http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/8932/)
2001 7/19
出来事メモ、進路関係、サイト運営
16日の夜にある人からかつて橋渡しをした企業との会合をと話を振られる。
「今さら僕が出るまでもないでしょう」と当初は遠慮もあって乗り気ではなかったが
「会合が中断した間にお互い出世してしまって組織を背負う立場になってしまった。
フリーの立場である君が間に立ってくれた方が角が立たない」と言われたので引き受ける。
それに演出的にも最初に両社の間を取り持った僕が会合が再開される時に再び出てくるのは
面白い演出になるようだ(エンターテイメント業界らしい)。
引き受けたもののこれはタフな仕事になるかなと考えた。
前回さえある企業内では双方の地位についての感情論があったのに
今回は双方だいぶ体制が変わっている。
さらに新体制になってまだ半年くらいしかたっていないのでどういう風に彼に伝わるかは微妙だと考えた。
一晩考え抜いたお伺いメールを翌朝その企業の担当の方に出した。
双方の担当者は二人とも出世したので妙に込み入った話になる今回は僕は行かないでおこうかとも思ったが
ここまでやったんだから最後までやった方が良いという意見もあり一緒に同行することになった。
午後の新大阪発の新幹線で落ち合って東京に向かった。
まさか東京長期滞在から帰ってきて1ヶ月も立たないうちに東京に再び行くことになるとは運命の不思議さを思う。
(しょうもないことで運命を持ち出すようだが東京を発つ時には次に東京に来るのは2、3年後だなと思っていたから)
車内で担当の人と前回のことを思い出して話し合った。前回会合をマネイジするために一緒に東京
に行った時は僕は彼女との間が戻るか戻らないかの時で前日もまったく眠れず精神的に大変だった
ことが印象に残っているが「彼女から気持ちが離れた分成長したんじゃないか」と言われた、ちょっと納得。
本社にて二人がいざ話し合いに入ると以前と同じような熱い空気がありかなりぶっちゃけトークをし始めた。
僕がポスト役を務めたとはいえその場に同席させてもらえたというのは
とてもとても勉強になったし感じることも多かった。
↓
組織としての双方の企業が、そして個人として担当の人たちが会う機会があるのは僕としての喜び
でもあるので(1999年の初会合参照)、
それに僕自身が力になるならこれほど嬉しいことはない。
てっきり軋轢や抵抗があるだろうと思い、いくつかルートも用意して、
さらに僕自身の精神的安定のために『龍馬がゆく』を読み返したりしたが今回は坂本龍馬活躍せず(^^;
全八巻あるはずなのに僕の『龍馬がゆく』はめっちゃ薄い(笑)
しかし僕が蒔いた種は強い根っこがはえていたことを確認できたことは人生の楽しみがまた一つ増えた。
僕もウカウカしてられないなとモティベーションアップにもなったとてもとても有益な出来事だった。
(本当の日記はさすがに非公開)
2001 4/19
出来事メモ、進路関係
2004年まで司法試験の勉強をして弁護士になる方向性が内外で確定化。
親以外では12日に吉本興業のMさんに話したのをきっかけに
弁護士になるということを気持ちの上では確定していたが
それを周りにも宣言して道を固める作業をする必要があった。
その最大のものは大学院で佐藤教授とT教授にも伝えて
修士論文をどのような内容にするかという大きな問題があった、
そこでいままでの今日分野での修論構想と法学での修論構想両方
創っていって提示して相談したが今までの興味分野の修論との
両立ができるという話だったのでこの方向で進むことになる。
指導教員を変更することまで視野に入っていたが(T教授案)
佐藤教授の「山本さんとこだけは絶対にやめとけ」との意向で
枠組み自体はシフトしないことになった。
弁護士の進路については反対されるかなとも思っていたが
意外にあっさり通った(佐藤教授からは「博士に進むというなら
止めただろう」と言われたが)。
20代で挑戦できる環境にあることは幸せだと思うので思いっきり
挑戦しよう、大学入学から経験してきた読書を法学にシフトすれば
必ず受かる確信もある。通れば10年ごとに大きなステップを
踏むことにもなる。ためらわず進むだけだ(^_^)
1999 12/15
出来事メモ、進路関係
(どの企業かは今までの読書感想文などから想像してみてください)
内定時代からもしその企業に入ったらもうひとつの企業との橋渡し役をやりたいと考えていた。
内定を辞退して、もうそれもできないと思っていたがひょんなことから
二つの企業の橋渡し役を勤めることになる。
この仕事をしながら『悪党の裔』北方謙三著(中公文庫)の主役である
赤松円心のように僕も・・・
「あえて天下を取ろうとは思わない、そのために人生を棒に振りたくない。
しかし自らの手で天下を動かしたい。時代を動かす一手を繰り出したい」
・・・という衝動というか願望があることにあらためて気がついた。
でっかい地位につかなくても良いし常に影響力ある存在で無くても良い。
でも局面、局面で僕自身が時代や社会を動かすきっかけになる
何かに対して決定的に重要な役割を果たしたい。
時代や社会という何か大きなものが動く時、僕がそれに対して重要な役割を
果たすことによって僕自身の個性や色をそのきっかけによって
動いた後の時代や社会に少しでも出していけるだろうから。
それによって僕自身の生きる証明にしたい。
時代や社会ってのは自分の全くあずかり知らないところで動くもので
自分はそれに対して完全に無力でどうしようもない存在。
そんな風に世の中を諦めてしまえるほど僕はまだ地位も名誉も実力も無い。
今、そういう諦めをすればその時点で僕は生きる価値を失うだろう。
だからこそ、この小さな存在である僕が社会や時代が動くときに
何かしらの役割を担うことによって生きる証明をしたい。
それが僕が政策科学部にいる理由だしその衝動が僕自身の
「向上心」の一つの原点のなんだ。そう感じた仕事であった。
・・・確かに僕をあれだけ僕を待っても結局入社しなかったということに
対して社内で冷たい視線やその一点を持って攻撃する意見もあっただろうが、
この会合を僕がマネイジしたことでそれらがすべて払拭されたみたいだ。
「内定者の意志を最優先に最後まで待つ」というこの企業の採用方針を
維持して欲しいと僕自身思っていたのでこのことに関しても
僕の手で大きな影響を与えられたのだと感じられた。
(本当の日記はさすがに非公開)
1999 9/22
出来事メモ、進路関係
最後なのでこのようなものをアップする・・・
「さらば愛しきわくわく感よ」
らぶナベ@エニックス内定者辞退者
さあ、今日でこのHPも終わりです。
僕はエニックスの内定を辞退して春からは大学院に進むことになっています。
(モンゴルで羊飼いをするインターンシッププロジェクト立ち上げます)
今までこの掲示板にはエニックス内定者や志望者や社員の方からの
書き込みがありましたが最後なので内定を辞退した者の書き込みも
アップしてみます。
こういうことも前代未聞なんですが先駆的な試みのこのHPの最後らしく
これくらはやっておかないとね(^^)
さて、結論から言えばこんなわくわくぞくぞくするHPなんて
まず無かったです。(^o^)
いま、日本の就業というもの自体が大きく変わろうとしています。
そのあおりを末端である僕ら新卒就職活動者が受けているといった
ところです。数字的にも実質的にも今年も新卒就職活動は
かなり厳しいものになるでしょう、
僕が就職活動をもう一度することになる来年も確実に厳しいと思います。
その厳しい現実を前にして「萎縮」したり「嘆く」のではなく
その厳しい波を「楽しむ」ように立ち向かっていく
そういう人間たちが運営してそして集まってき人たちがいるHPだと思います。
氷河期になったからと言って嘆いているだけでは凍死するだけです、
嵐を見て悲観するだけでは嵐に壊されてしまうだけです。
その吹雪や嵐の中に何かを見いだして何かをやってみる、
それこそが「新しいことをする」覚悟だと思っています。
歩仁内さんも書かれていましたが当初内定者がこんなHPにすることに対して
内外から懸念を訴える声もありました。(今となってはありがたい助言です)
樋口@内定者などは常に矢面に立っていて「こいつなかなか根性あるな」
とみんなから思われたものです(涙声だったが(^^;)。
いまはもう笑い話なので書きますが、このHPへある種の圧力があった時に
樋口@内定者などは「事と次第によっては自分のキャリアを賭けてでも
このHPをやり抜いてやるぞ」と言い切っていました(涙目だったが(^^;)。
新しいことをするならばそれをやり抜くだけの覚悟がいります。
たぶんその人の能力とか才能とかコネとかはその後の問題であって
この腹のくくり方が結果としての「差」を創るものだと思います。
樋口@内定者も書いていましたが僕もこのことと就職活動も
同じだと思います。
初めて会う自分よりもずっと年上の人に自分のこと、
自分のやりたい事を限られた時間で率直に話す・・・
これは実はとても勇気のいることだと思います。
はっきりとしたことを言うというということは
聞く人の好き嫌いがハッキリと別れるということですから。
でも今までの人生で会った人すべてに好かれてきていて、
さらにこれからの人生でもすべての人に愛されていきたいという人で無い限り
抽象的な当たり障りのないことを言ってはたぶんアウトでしょう。
それに素直に自分のやりたいことを話して落ちても
それは自分自身納得できると思います。
「どういうことをしてきて、どうしていきたいか」
それを具体的に話すことはさらに恐怖を感じることです。
何だかんだ言っても自分のやってきたことやいま考えいるものは
実はしょうもないものなんじゃないのかつまらないものなんじゃないのか
そういう自分自身への恐怖があるからです。(そう、『山月記』のように(^^))
でも、具体化できない物事なんて動きません。
こんなことを人前でそれも短時間にすることは
とてもとても恥ずかしいし覚悟がいることだと思います。
でも創造的なことをしていきたいと思うからには
創造的なことをできる体力なり精神力なり能力なり、
何かがあるということをはっきりと証明することが必要になてきます。
新しいことをしたいなら新しいことをする覚悟、
スケールの大きいことをしたいならスケールの大きいことをする覚悟、
それが僕が思う就職活動者の中で結果の「差」がつく点です。
「さらば愛しきぞくぞく感よ」
・・・と、最後なのでさも偉そうに書きましたが
新しいことをすることをする「わくわくっ」感、
それに反比例するように来る恐怖に挑戦する「ぞくぞくっ」感、
はっきり言ってたまりません(^_^)
この快感に比べたら内定取るくらいの努力はしてみる価値ありますよ。
この楽しみのためだけでも就職活動はやりがいがあります。
もし僕が来年度(2年後)エニックスを受けることになれば
いま就職活動しているみなさんの後輩として活動することになります。
その時に99年度内定者以上の輝きを感じさせる内定者になっていてください。
なってないとモンゴルから騎馬隊を率いてきたり陰謀をめぐらしたりして
潰しちゃうよ(笑)(ただいま妄想銀行貯預金中)
最後に個人的なことを言えばエニックスは別れても抜群にいい女だったから
僕自身もエニックスにとって別れてもいい男にならなくてはいけないと
思っています。みなさんもこれからエニックスとどのような関係になっても
悔いのない活動をしてみてください。
氷河期、嵐の中、どうせ動かなくても潰れてしまうちっぽけな僕らです。
それなら思いっきり動いてみましょうよっ、
そこに「わくわくっ」感と「ぞくぞくっ」感が待っています。
そういう意味で就職活動を超える楽しみなんてそう無いですよ(^_^)
1999 3/31
出来事メモ、進路関係
大学院進学ということでほとんど感慨は無かったが一つの節目ということで既述する。
卒業パーティにはひさびさに会えた(実に3年ぶりくらいの)人間が何人かいて良かった。
1999 3/21
出来事メモ、進路関係
メリルリンチ日本証券難波支店で内定辞退したエニックス株100株買いに行く。
寝坊したために月曜市場明けからの値段の急騰後に窓口に着くことになり、
おかげで金曜日の終値は4770円くらいだったのが5000円台を突破している状態だった。
早起きは三文の得というが早起きは三万円の得ってことだろう。
その上まだ上場してないために電話取引なので購入時に手間がかかり、
時間的なことや値下がりを見越し考えたがやはりすぐに買いたいという
思いと必ず5桁は行くだろうという願い、
6千円台は突破してくれるという予測の元で5070円で買う。
後は自分の視点がいかに正しいかを見きわめるだけだ。
以下は日記的にまとめるために読書会にアップした報告記・・・
らぶナベ@エニックスは別れても良い女だったから
僕も別れても良い男にならないといけないなと思っているっす。
さて、今日ついに僕も株を買いにいきました。
銘柄はもちろんエニックス!(^o^)
現在日本の代表的な企業の株価が・・・
伊藤忠商事→200円台
リクルート→300円台
NEC→1,364
東京三菱銀行→1,500円台
松下電器→2,200円台
トヨタ自動車→3,400円台
・・・という株式市場において4000円台後半のエニックス株価は
企業評価の高さを示しているっす。(やっぱすごい企業だ(^^;)
しかし同時に個人投資家にとってはここが実に痛いことでもあるっす(;_;)
大学4年間溜めつづけたバイト代&親からの借金を資金にして挑みました。
結局少しの紆余曲折があってた後に先週金曜日に家の近くにある
メリルリンチ日本証券難波支店で口座を開設しました。
僕の担当についた女の人は僕と同い年(1975年生まれ)で
金蘭短大→山一証券→メリルリンチでディーラーという
実にはい上がり人生な経歴を持っている人っす。
彼女のキャリア体験談はなかなかに面白く、
「仕事で使うディスプレイで、いま自分が勤務している会社が
額面割れする瞬間を見るのはかなりショックですよ。」
とかハードパンチャーなことをネタにして語ってくれます(笑)
さて、口座開設した金曜日はすでに市場終了後だったので
週明け月曜日にメリルリンチの窓口でディスプレイを見ながら
購入のタイミングをはかるってことになりました。
金曜日の終値は4700円台だったっすけど週明けには上昇するだろう
という予測を持ってその日は一旦終了して月曜日を待ちました。
月曜日は朝一でメリルリンチに行こうと思ったんだけど
定期収入源が断たれたために最近がんばっている懸賞応募に没頭してしまい、
少し寝坊してから窓口に株を買いに向かうと
今日は市場明けからずいぶん急な株価変動があったっす。
(NY市場のあおりを受けているらしい)
今日窓口に行った時はすでに5000円台で上下している真っ最中だったっす。
その上にまだ上場していないエニックス株は電話取引じゃないと買えないので
こちらから確実に買いたい場合は言い値を多めにしないとダメなんす。
しばらくすればある程度は反動で4000円台に戻ることは確実で
この場この日に買うことについてはかなり考えたんすけど・・・
1:僕自身またしばらく東京に行ってしばらく窓口には来れないこと
2:おそらく増益が見込まれるだろう決算報告が出た後は
株価がもっと高くなるだろうこと
3:現在株式市場が全体的に上向いていること
4:どうせ最低2年くらいは持っているのでそんなに差は無いだろうこと
・・・などの要因を総合してみて5070円(結局やたら高値だった(^^;)で
その場ですぐに買うことにしたっす。
早起きは三文の得っていうけど寝坊は三万円の損だったっす(;_;)
でも長期的に見れば絶対に得だと僕は予想しているんすけどね。
ちなみに株価変動が写し出される「QUICKディスプレイ」には
ニュース速報としていろいろな情報がヘッドラインとして流れるんだけど
その中で「MAXナナ、奈良で転落」という情報が流れていたっす。
・・・どうでもええやんかぁあ!って突っ込んだけど
彼女たちが所属している音楽会社(どこか失念)の株価に
影響を与えるらしいっす。
経済活動ってすごいんだねぇって思った一日でした。
ひとまず自分の日記がわりに簡単な報告まで。
そのうちこの読書会MLメンバーの中でも株買う人が出てくるだろうけど
その時は情報提供よろしくぅ!
1999 3/15
出来事メモ、進路関係
考えに考えた末、大学院進学に決定。
6日に政策・情報学生交流会OB会と本ちゃんの交流会のために東京入りした。
7日に交流会初日当日参加してエニックスの丸山邸に行く、
益田が来てくれたので三人で話す。
8日に樋口、丸山、八重畑とエニックスに挨拶に言って
エニックス人事課歩仁内さんと話をする。
一旦エニックスの面々とわかれて交流会会場の代々木オリンピックセンター
に顔を出し、藤堂から彼がチューターをする分科会のグループワークで
僕を取り上げることが正式決定したと連絡を受ける。
今まで考えに考えても結局結論が出ずに、期限としても迫っていただけでなく
僕の進路をネタにして下級生が進路や価値判断が入る政策学というものを
考えるきっかけにして欲しいと思ったことと、
自分自身を追いつめないといけないと思ったので了承する。
桜林に大学院側の意見を述べる役を頼み、それから樋口にエニックス側の
意見を述べる役を頼んだ。
9日に樋口、丸山、柄澤、八重畑でオリンピックセンター入りする。
そこでまず僕の自己紹介と進路について悩んでいること→大学院側の意見
→エニックス側の意見を述べてもらう。
参加学生にとっては内定者の意見は非常に感銘を受けたらしく
エニックス側の人間に質問が飛んだ。
それからグループに分かれてどちらか考えてもらい、
各グループで結論を出してからプレゼンを聴き(ここらへんから渋川が
ヴィデオ撮影をしている)、結論を出す段階になった。
ここで逃げてはいつまでたっても決まらないと思ったので一人で会場を出て
結論を考えてみる、樋口、丸山、八重畑が廊下にいたので話をしてみる。
八重畑がコイントスを蹴ってしてみると大学院だったが
これは考えないことにした。
それから彼らを先に会場に戻し、しばらくしてから僕も会場に戻って
教壇に再びたった。
「さあ、結論は・・・!?」と聞かれたときにそれでも一瞬一瞬で考えが
転換したが口から出たことは大学院進学だった、それからなぜか理由を
述べてたが最後に口に出たのが大学院だったので後付の
言い訳のようなものだったと思う。
最終的に大学院進学が逃げや甘えだと捉える傾向があったが
逆にこれに挑戦することにするという結論だと後で整理してみると思った。
それからまっさきにエニックス内定者と握手して
彼らが帰るというので見送った。
ちょうど2年前にここ代々木オリンピックセンターでおこなわれた
「オタクと政策」分科会チューターとして行動したと同じように
かなり参加学生に衝撃を与えたらしい。
しばらく躁鬱状態だったがもう開き直るしかないと思い、
一人で宿泊部屋に帰り内定たちへメールを送る。
その後に益田に電話を入れて報告して宮本にも電話しようと思ったが
電話番号がわからなかったので丸山に電話で聞くと、
「まだ参宮橋駅前のマクドにいるので来いよ」っと言ってきたので向かう。
途中混乱していたからか代々木オリンピックセンター内で出口が
どこか迷ってしまい、雨も降っていたのでへとへとになってたどり着く。
四人とも脱力感からか雰囲気が暗かったのでかなり
気まずくこころ苦しかった。
それから新宿に出るという話になったがかなり疲れていた上に
気まずいので辞退しようと思ったが今まで僕のために
マクドで待っててくれたことを考えるとつき合うことにした。
雨の中新宿の地下のパスタ屋に行って5人で飯を食った。
その最中に樋口から「内定辞退すること愚痴らしてくれよ!」と
真っ正面からの話をしてきた。何を言っても言い訳になるので
あまり内定辞退については話さないつもりだったが、
彼らしい行動だと思って話を受ける。直前に送ったメールとはうって
変わってどうもめりはりの無い言い訳しかできなかったように思える。
「なんで守りに入るんだ」とか「ゼロから創りあげようぜ」とかいうことに
対しては「大学院が守りであるとかレールであることへ挑戦するんだ」と
答えたが「一緒にやろうっていってそれは逃げだ」という問いには
さすがに明確には答えられなかった。
3時間ほど話して丸山の家に行こうかとも思ったが荷物をオリセンに
おいていることと今日は気持ちをおちつかせて明日のエニックス訪問に
そなえたいということがあったので断ってオリセンに帰った。
丸山などからは「逃げだよ」と本気とも冗談ともつかないことを
またまた言ってきてちょっと苦しかった。
オリセンに帰ってきてから樋口からぶちキレしたメールが来たので
これも彼らしいと思ったので受けてたとうと思い逆キレメールを送る。
その後くらいに桜林から電話がかかってきて話をする。丸山などから
冗談とも本気ともつかない「もう関係ないから」というへこましネタは
やさしい証拠だとフォローされた。
10日にエニックスに向かう。
朝起きてから洗濯などの出発準備をして朝食を食べてから新宿に出る。
前日の樋口たちとの話の中でも「今まで待ってくれたエニックスの好意を
蹴ることは事実だから、それに対してはきっちり話をするように」と
しつこいほど言ってきたので歩仁内さんとの話し合いは気が重かった。
しかしこれをしないことには何も進まないので腹をくくろうと思った。
以前からの想定どおりエニックス株を買ってから臨もうと思ったが
僕の口座への銀行振込もまだであったし、入金されてからも
新宿のメリルリンチで「大阪に住んでいるなら大阪で口座を開いて下さい」
と断られたのでこれは最後のカードも効かないと
余計腹をくくらないといけないと思って電話してエニックスに向かう。
いつものように11階の役員室で歩仁内さんとテーブル奥の席にすわり、
内定書と契約書をそえて「内定辞退させていただきます」と宣言した。
今まで待ってくれた好意を裏切ることになるので土下座して謝る。
歩仁内さんの業務による中断はあったものの彼の反応は予想よりも
はるかに落ち着いて穏和で友好的だった。
卒業できなかった内定者、池の件で落ち込んだ話などを彼から
直接聞いていたり、前日も内定者の4人から「ホントに歩仁内さん
ストッパーはずれるぞ」とびびらされていたので、どなられたり
なぐられたりなじられたりすることを覚悟していたので意外だった。
彼が「以前から待つというのが約束であったから裏切りとかそんなものでは
ない」、「君の人生決定は君自身が決めることだからそれで良いじゃないか、
それで良いことにしようよ」と言ってくれた時は驚きもあった。
そして一番驚いて同時に嬉しかったことが、エニックス内定を
辞退しているのに企画を持ち込もうとしている益田の友達の例を出したり、
「内定辞退したからといってそれで関係を切れるということはイヤだ。
君が来ないのはさみしいが出会って良かったと思える良い友達ができたと
本当に思っているので何かあれば、何かなくても東京に来ることがあれば
ちょくちょく寄れよ。」と強く薦めてくれたのはとても感動した。
予想外の答えに調子にのって「僕が言えた柄ではないですが、
他の内定者をよろしくおねがいします」と述べた。
最後に「蹴ったからには歩仁内さんや内定者から笑われないように
がんばりたい」と言った時は力強くうなずいてくれた。
エニックスから出るときに内定者祝賀会でハッパをかけてくれた
長谷川さんが通ったので彼にも報告して後にした。
終わってからまだ飲み会まで時間があったので一旦オリセンに帰った。
途中樋口から「胸はっていけ!」という趣旨のメールを受け取る。
やはり彼は彼だ、うれしくなった(^_^)
交流会のプレゼンを聞いた後にいつもの歌舞伎町「カチカチ山」に向かう。
すでに池などが飲んでいた。(益田は遅れてきた)
卒業できなかった池はかなり落ち込んでいるという話だったので
ちょっと意気込んだが、会ってみると実に弾けていて自分の
自虐的なネタもばんばんに話していた。
彼によると「5日もすれば立ち直る」らしい、なるほど説得力ある言葉だ(^o^)
僕自身かなり壊れていたらしくちょっと恥ずかしい。
それからカラオケにいって丸山に家にみんなで押しかけた、
そこにあった『神聖モテモテ王国』に大爆笑してしまったが
その後一段落ついて安心したからか10時間も眠ってしまった。
次の日に東京駅で安藤やてっしーと飲んで藤堂と共に最終ののぞみで帰る。
1999 3/6~10
出来事メモ、進路関係
エニックス忘年会に参加。
その後の帰り丸山邸への帰り道にて(笹塚)感じたことを詩にしたためる。
「夜明けのカラス」
カラスがコンビニ袋をあさってた
横を通り過ぎても飛び立つそぶりもしやしない
俺もやつをからかう気もしない
明け方、新宿、バカ騒ぎの後
気がつけば寒い朝だった
1998 12/29
出来事メモ、進路関係