Archive for the ‘進路関係’







松阪市情報政策担当官に就任04.01.11

山中光茂・松阪市長からの委嘱を受けて、松阪市情報政策担当官に就任する(※1、※2)。

これによって今年度から松阪市と市民の間に情報のかけ橋を架ける仕事に携わることとなった。
今回の就任には、これまで松阪で関わらせていただいた・・・
三重中京大学でのご縁 (「情報化社会の非対称性」講義「地域コンテンツによる情報発信とコミュニティ創造」研修)
松阪市ホームページ検討委員会でのご縁 (就任答申)
松阪市市民講座でのご縁 (「まろまろ流情報発信」講座「てくてく松阪」講座)
・・・などのご縁が大きく影響している。

様々なご縁が折り重なって一つの流れとなったけれど、その流れは決して直線的なものではなかった。
前年度中は松阪市ホームページ検討委員会委員長を担っていたことから、最初にオファーをいただいた時はお断りしたこともある。
また、交通費や残業代はもちろん、一切の手当もボーナスも退職金も無く、国民年金という非正規雇用(非常勤)であることや、
松阪市に行くこと自体に対しては周囲の理解を求める必要もあった。

でも、最後は自分にも今すぐできることの中に自分にしか今しかできないことがある、という自分の気持ちに従った。
もともと阪神大震災を経験したことが文京区友の会などの情報発信を通した地域コミュニティ活動のきっかけとなっている。
今回も3月11日に発生した東日本大震災に東京でめぐり合い、情報のかけ橋を構築することの必要性を強く感じた。
(東日本大震災のお悔やみと近況報告)
人は死んだ時には得たものではなく与えたものが残る、ということを思い返して、就任の数日前にサインをさせていただいた。
直線ではなく曲線ではあるけれど、自分が世の中に貢献できること仕事をいただいたことに強い喜びと使命感を持って委嘱式にのぞんだ。
今回の件を含めて、松阪のご縁をいただいた方々、支えていただいた方々、励ましていただいた方々には本当に感謝している。
いただいたご縁とご厚意を無駄にしないため、「結果的に良かった」と思ってもらえるよう松阪に貢献したい。

振り返ってみれば自分の人生は曲線ばかりだ。
たとえば、政策科学修士号を取った後に学際情報学修士号を取ったことについて、まわり道のように思った時期もあった。
それが今回、政策学と情報学の二つの修士号を持っていることが情報政策担当官としてつながった。
また、ずっと非営利で社会に貢献する仕事がしたいと思っていた。
社会活動への挑戦はちょうど4年前に失敗したけれど、その気持ちはより明確な役割を持った仕事としてつながった。
自分はピコピコしい人間だから、失敗することは嫌だし、迷うことは恥ずかしいと思う。
でも、曲線であってもつなげていくことの気持ちを持ち続けて、自分の役割を果たしていきたい。

転んだら泣けばいい、迷ったら凹めばいい、新しい道を自分の道にすればいい
そう感じた松阪市情報政策担当官就任。

2011 4/1
出来事メモ、進路関係

※1:2011年4月2日 『中日新聞』朝刊・第18面「情報政策担当官、渡邊さんに委嘱」
※2:2011年4月2日 『夕刊三重』・第7面「市、情報政策担当官に渡邊さんを任命」

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松阪市ホームページ検討委員会委員長に就任08.27.10

山中光茂・松阪市長からの委嘱を受けて、松阪市ホームページ検討委員会の委員長に就任する(※1)。
これは現在の松阪市のホームページの問題点を抽出し、その対策と今後の方向性を定める目的を持った松阪市の委員会。

委員会への参加については、三重中京大学で開催されたシンポジウムで「地域情報発信のケーススタディを通じた松阪市への提言」というタイトルの発表をする機会があり、
山中光茂・松阪市長と意見交換したことをきっかけに要請を受けた経緯がある(※2、※3)。
この提言はまろまろ記での情報発信と、文京区友の会に代表される地域コミュニティ創りを松阪市に当てはめて導き出したものだったので、
まろみあん文京区友の会会員のみなさんとの対話が大きな参考になっている。

これまでの情報発信とコミュニティ創りの蓄積を基にして、公共セクターに貢献する機会を得たことは、それ自体が大きな喜びだ。
また、「人は得たものではなく与えたものが残る」と思っているだけに、自分のできる最大限の役割を果たしたい。

思い返せば、こうした機会をいただいたのは・・・
三重中京大学の地域社会研究所で研究員をさせていただく
→ゲストスピーカーとして三重中京大学で講義させていただく
→三重中京大学文化会のプロジェクトに情報発信の講習をさせていただく
→シンポジウムで発表させていただく
・・・という風に、松阪市での活動が進展していった流れがある。
三重中京大学のみなさん、東海ごはんで知り合った松阪市のみなさん、まろみあんのみなさんのご縁があったからこそ(※4)。
このご恩は、松阪のみなさんのお役に立てるホームページをつくることでお返ししていきたい。

※1:松阪市行政情報番組アイウェーブまつさか 「第1回松阪市ホームページ検討委員会を開催」
※2:2010年7月2日 『夕刊三重』・第1面 「『松阪学生占い』作るー文化会クラブの学生が企画 学校消えても残る物を」
※3:2010年7月3日 『中日新聞』朝刊・第20面 「ネット活用法探るー三重中京大 松阪市長と意見交換」
※4:松阪市行政情報番組アイウェーブまつさか 「三重中京大学文化会 松阪星座占いHP完成」

2010 8/27
出来事メモ

追記:2010年12月20日に無事答申

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初出馬~一歩を踏みだした初めての選挙~04.23.07

一歩を踏みだした。

平成19年度文京区議会議員選挙に無所属で立候補した。
利益追求ではなく、非営利で「かけ橋」になる仕事がしかたったからだ。
これまで研究してきたオンラインとオフラインとのコミュニケーション・デザインを臨床医学と同じように社会に還元するため。
そして、地域コンテンツを基点にした文京区友の会に代表される新しい地域ネットワーク活動を政策につなげるため、
「博士が学校にやってくる」、「文京カフェにあつまろう」、「文化の京をつくろう」、の三つを掲げて出馬した。
一歩を踏み出すのは本当に勇気のあることだったけれど、結果は落選だった。

勝たなくてはいけない選挙での落選、まさに受け入れがたい痛恨の敗北だった。
選挙に向けた準備期間、そして選挙期間中の出来事については、ここに載せきれないログがある。
手元にあるログは今後、出来事メモとはまた違った切り口でコンテンツ化するかもしれないけれど、
どの政党にも属さずに自力で出た生まれて初めての選挙は、一言で言えば「忘れられない日々」となった。

検討段階からの厳しいプレッシャー、揺さぶられる出来事も続き、毎日が決断の連続だった。
(政策面ではなくスタイル面だけど新聞報道もされたし、普段なら絶対に会わない人と会う機会も得た)
そして選挙期間中の、初めて拡声器を握って街頭演説したこと、道行く人に一対一で話かけて政策を語ったこと、政党からの嫌がらせ、冷たい反応と暖かい反応・・・
悪いことも良いことも、どれもがこれまでの人生には無かったほどの大きなインパクトを受ける出来事ばかりだった。

確かにつらいことやくるしいことは多かった。
天候面でも1週間しかない選挙期間、それも6日しかない活動期間のうち、3日間が冷たい雨だったのは痛手だった。
傘を差して荷物を持つ足早な人たちに話しかけること、演説することは至難の業だったからだ。
環境面でも活動面でも肉体的・精神的にヘトヘトになる日々が続いた。
でも、決して途中でやめようとは思わなかった。
それは自分のポリシーを表現して伝えていくことに価値を感じていたからだ。
そう思えた原因の一つは、当初想定していたよりも街頭演説に耳をかたむけてくれる人が多かったこと、
一対一で話しかけた時に立ち止まって話を聞いてくれる人が多かったことも影響している。
「選挙という名のパブリック・アート」と言えるかもしれない。

制約の多さやまわりの関心の薄さの中で、工夫も編み出した。
たとえば東京大学の正門に向かって演説する時は、「これは罰ゲームではありません」と笑いを取って
注目を集めてから演説を聞いてもらう方法を身につけりもした(^_^)v。
政策面を訴えることはもちろんだけど、選挙事務所も街宣車も使わなかったので、
「私は街宣車で名前の連呼はしません、こうして政策を語っています」と呼びかけることもした。

そんな困難と工夫の中での選挙期間中にはさまざまな思い出があったけれど、
特に印象深かったのは、スーパー(santoku)の前で演説している時に僕の演説に向けて携帯電話をかざしている人がいたことだ。
帰り際に「つかぬことをお聞きしますが”まろまろ”さんですか?」と話しかけてくれた
その人の話を聞いてみると、その人の旦那さんがまろみあんとのこと。
まったく見ず知らずの人だったけれど、これまでやってきたことのつながりを実感した体験だった。
初対面だったのに声をかけてくれた人や、演説を聞きながら涙を流してくれていた人など、
これまでの人生では経験しなかった出来事の連続だった。

結果として980.103人の人たちの支持を得ることができた。
わざわざ投票所にいって僕の名前を書いてくれた人がこれほどいてくれたことは、とてもありがたく、勇気づけられた。
それだけに、だからこそ、この声に結果で応えられなかったことは大きな悔いを残した。

敗因はまだ分析の途上にあるけれど、現時点では・・・
1:環境面
=早すぎた
→現行制度上は選挙期間中にネットでの活動は一切認められていない
→無党派新住民は急速な増加傾向にあるものの未だ地方選挙の点ではメインになっていない

2:判断面
=プッシュとプルの比重判断ミス
→文京区友の会などのネットコミュニティからの反発に配慮しすぎていて出馬公表を遅らせた
→プル&ブッシュで言えばプルに力点を置きすぎて、最後に必要なプッシュの総量が足りなかった

3:人材面
=最後の人材配置ミス
「地域と大学連携のための公開シンポジウム」までは機能していた情報機動戦が、直前の一週間と選挙期間中の一週間では機能的でなかった
→采配・事務連絡をしながらでは、肝心の街頭演説や一対一の対話に集中しきれなかった

・・・1については、出馬の段階でどうしようもないことなので置いておくにしても、2と3は悔やまれる。
街頭演説、そして一対一での対話には手応えを感じていたので、月火水の3日間が雨でなければ、
そして表現できる期間があと一週間あれば、と思うと自分の判断ミスが口惜しくてたまらない。
まとめると、不利な状況の中で、ゴール前までは進めたのに、最後の最後のフィニッシュの段階でばたついてしまって精度を欠いてしまったというところだろうか。
方向性は間違っていなかったけれど、「足りなかった」。

確かにこの敗因分析の中には、事前に選挙のプロや選挙コンサルを自認する人たちから事前に耳にしたこと点もいくつかあった。
でも、僕は彼らの見解に説得力は感じなかった。
それは、理論と信念の両方から説得性を感じなかったからだ。
まず、彼らが語る言葉はあまりにもブレが大きすぎる上に、母数(N)が少なすぎるので、単なる思いこみや小さな成功体験を語っているようにしか聞こえなかった。
つまり、理論として採用するには説得性が欠けた。
また、単なる思いこみや成功体験でも、それが信念であったなら響いただろう。
でも、矢面に立ってリスクをおかなさい人の語る信念にはやはり説得性がなかった。
だから僕は自分で矢面に立って戦った。

そして負けてしまった。
負けていい経験になったとは言いたくない。
負けて学べることはないと常に思ってきた。
ただ、歴史を振り返れば、源頼朝(石橋山の戦い)、足利尊氏(対北畠顕家戦)、徳川家康(三方原の戦い)も、
ちょうど僕と同じ年頃(30から30半ばくらいの間)に大きな敗戦をしている。
負けを活かさなかった成功者はいない。

また、中国の曹操も僕と同い年くらいに、対董卓戦で大きな負けをしている。
それも同じく無謀な戦いといわれた戦いで負けた。
北方謙三の『三国志』ではこの時の曹操が対董卓討伐連合に対して・・・
「私は戦って負けた。戦わずして負けた諸君に決別を告げる」
・・・と言い放つシーンがある。
僕は戦って負けた。
だから戦わずに偉そうなことを言う人たちとは決別する。
そして決別を告げるのはそうした無責任な人たちだけでなく、足踏みする自分自身の内面との決別だ。
自分の中にある政治性とリーダーシップに目をそらしてきた自分に決別する。

確かに僕は負けた。
勇気を出して一歩踏みだしたら、いきなりつまづいて捻挫してしまった。
そんな僕を理解してくれた人、応援してくれた人に感謝したい。
さようなら、足踏みしていた過去の自分。

2007 4/15~22
出来事メモ、進路関係
publicspeech.jpg

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東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 博士課程合格02.22.05

東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 学際情報学専攻 文化・人間情報学コース博士課程に合格。

2/5
博士課程入試を兼ねた修士論文口頭試問を受ける。
(『コンテクスト・デザインとしてのWEB表現-オンラインとオフラインのコミュニケーション表現-』)
当然ながらまろまろフラッグを設置して、まろプチフラッグも卓上に置いてプレゼンする。
審査員は、佐倉統助教授(指導教員)、武邑光裕助教授(副指導教員)、
原島博教授(前学環長)、花田達郎教授(現学環長)
・・・っと正副指導教員に加えて新旧学環長という実に豪華ラインナップだった。

反省点としては、発表時間(20分)ギリギリ使ったプレゼンを作ってしまったので、
アップアップしたままの流れで質疑応答(20分)に入っていってしまった。
おかげで一呼吸考えてから応えるべきところを反射的やってしまい、
説明不足だったり不用意な言い切りをすることがあった。
自分のリズムを獲得することの大切さをあらためて痛感した。
教訓=余裕を持ったスライド・時間が大切

2/22
合格発表を見に行くと受かっていた。
教授から「旗を掲げて博士課程に進む人間は東大史上初」と言われた。

思えば東京に出てくる前は「いまさら・・・」という気もどこかでしていた。
ある意味で思い切りが必要な決断だったけど、
それがこういうかたちでちゃんと結果につながったのは素直に嬉しい。
前にいた立命館では「博士課程進学は絶対に無理」と教授達から言われていた。
それがここでは最低年限の2年で博士に進むことができた。
(何年かかっても進めないことも多いのに)
このことは自分に合う場所を見つけるまで続けることの大切さを
あらためて感じることとなった。
人生には三つの「さか」があるという。
登り坂、下り坂、まさか。
まさかの坂を思わず転げ落ちることもあるし、
逆に気づけばころげ上がっていることもあるんだろう。

そして次のステップを踏もう。

2005 2/5、2/22
出来事メモ、進路関係

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「まろまろ」商標登録12.07.04

構想段階から数年間取り組んでいた「まろまろ」の商標登録が完了する。
(登録第4827132号)
短い単語という点と一般名詞、形容詞に近いという点から登録は難しいと思われたので
特許庁から認可が下りたとき(2004.12.7)は小躍りしてしまった。
実際の証書を受領したとき(2005.1.7)も感無量。
(法的なコミュニケーションって大切ですな)

商標はあくまでリーガル・ディフェンスの一環として登録したものだけど、
この登録を通じて知財権のポジショニングの面白さを感じた。
商標は一般名詞では権利が保護されない、
でも一般名詞のように流通しなければ意味がない・・・
その微妙な境界線に立っている商標が、より価値のあるものになる。
そんな知財権のマージナルさがナニゲに楽しいと思う僕は、
マージナル・マニアとしてちょっと重傷かもしれない(^^;

2004 12/7
出来事メモ、進路関係、サイト運営

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東京大学コンテンツ創造科学産学連携教育プログラム合格09.17.04

新しい日本文化のコンテンツ創造と研究を目的として今年から設置された
東京大学コンテンツ創造科学産学連携教育プログラムに合格する。

1次試験もかねている出願時の志望理由書には、
コンテンツとコンテクストとの関係に注目した
「雰囲気」について書いたものを提出した。
直前まで出願しようかどうしようか迷っていたこともあって、
書き上げたのは消印締切ぎりぎりの23時後半ごろで
郵便局窓口に駆け込むなど1次試験はバタバタしてしまった。

出願者が多かったのに1次試験で最終40人枠のところ
57人まで絞っっていたのには少し驚いたが、
2次試験を実際に体験してその理由がわかった。
1限目の英語はごく一般的なものだったけれど、
2限目の小論文と3限目の面接がオリジナリティ豊かなものだったからだ。
小論文はテクノロジー系かプロデューサー系どちらかの選択式で、
その選択によって3限目(午後)の面接の方式も変わってくるというものだった。
テクノロジー系選択の場合は自分の解答がOHP出力されてそれをプレゼンする。
プロデューサー系選択の場合は与えられた課題について他の受験者と共に
企画会議をしてその過程やプレゼン結果を含めて面接とするというものだった。
このような形式で面接をするということの説明についても、
当日のそれも小論文の開始前になって発表されたという
実に機動力あふれるものだった。(対応能力も評価対象だったのか?)

僕はプロデューサー系の選択だったので自己紹介もしていない人たちと
制限時間つきで企画会議&プレゼンをすることとなった。
「北京オリンピックでの新しい技術を使った
開会式セレモニー企画をプレゼンする」という感じのお題だったが、
制限時間40分の時間配分が重要だと判断したのでタイムキーパー役を引き受ける。
ボランチのつもりで基本はタイムキーパーをしながらは司会役の人をフォローし、
重要事項で発言すべきだと思われる場合は発言するようにした。
(中国発祥の技術として紙と火薬を使う提案をしてこれが通った)

実際に紙面に落とす作業もあった上に2次試験当日(9月13日)は、
暑かったこともあって終わった頃は思わず汗をかいていた。
冷静になれていたのだろうかと少し不安になったが最終合格40枠に入れていた。

これでコンテンツ創造科学の第1期生となる。
思えば自分が活躍できたり評価される場所は新しい分野や舞台なのに、
これまで「第1期」というのはほとんど縁がなかった。
(アクティヴな引きこもりで基本は保守的だからか?)
唯一の例外は吉本興業インターンシップ&産学連携事業だけだったが、
今回はこれにこのコンテンツ創造科学が加わった。

これまでの出来事メモを振り返ると僕がこのメモをつけはじめた頃からずっと
アニメ・ゲームなどの日本のオタク文化はこれから重要になると言い続けてきた。
(記録に残しているだけでもオタクシンポジウム参加交流会での分科会主催
産学協同事業で声優企画の提案やゲーム会社との接点など)
当時はその度に色物扱いされたり失笑されて悔しい気持ちになったことを思い出した。
現在は既存のコンテンツやブランドを楽しむよりも、
自分でコンテンツやブランドを作ってゆくことに関心が移りつつある。(『1人1メディア』)
そんなタイミングでこのプログラムに受かったことはかつてを思えば夢のようだ。

ふと気づけば夢の舞台に立っている。
そう感じたことは忘れずにいたい。

2004 9/17
出来事メモ、進路関係

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進路修正11.11.02

合格通知以来この二ヶ月、数年ぶりに悩んで揺れ動いていたが、
東大大学院に進学して正式に研究活動をすることに決めた。

いろいろな視点でいろいろな要素を考えてみたけれど最後は、単純に面白いと思える方で決めた。
少し遠回りすることになっても、少し人から笑われても、少し自分でも恥ずかしくても
自分の人生を元手に、この時代を大きく使ってみたい。
ふとした問題意識を研究につなげ、このHPのような自己メディアの可能性を模索する、
ネタとしてこんなに面白いことはない。
きっとネタとしても面白い方が自分を一番活かせる方なんだろう。

夢や目標を探したり追いかけたりするんじゃない、自分が夢や目標になるんだ。
ルートを選ぶんじゃない、自分の選択がルートになるんだ。

2002 11/11
出来事メモ、進路関係

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人生相談会09.19.02

大阪に帰ってきたので長いこと会っていなかった合気道の先輩に話をしに行く。
高校の時から何かと相談に乗ってくれている人(建設営業)と合流した後に、
同じく長年僕を見てくれている人(元建設社長で現在はカイロドクター)や
飲み屋で親しくさせてもらっている彫師の師匠などと一年ぶりくらいに話をする。

報告をするとすかさず全員から進学を勧められたのが意外だった。
いい年してちゃんと働かないと自分は薄っぺらい人間になるんじゃないのかとか、
このまま逃げ人生と思われ続けるのはどうなんだろうか、
という僕の疑問には「程度の低い話をするな」と一喝されてしまった。
人にはそれぞれの役割ややり方があって中途半端な経験に胡坐をかく人間が
一番たちが悪い、それに引きずられるなと怒られてしまった。
本当に今日食べるものも苦労した経験のあるこの三人から言われると迫力がある。

帰りながら尊敬できて掛け値なしに相談できる人生の先輩がいる自分は、
もしかしたら本当に幸せな人間じゃないのだろうかと涙がでる思いった。
尊敬できる知人、友人を持つことの価値をあらためて感じた一日。

2002 9/19
出来事メモ

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東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 修士課程合格09.06.02

東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 学際情報学専攻 実践情報学コース修士課程に合格。
(変な名前だけどどうも僕は奇妙な名前や新しい分野に縁があるようだ)

某企業のアイドルプロジェクトに関わったことやHP運営を通して感じている
「感性の共鳴」という問題意識の主軸に、このHPを提出資料として院試に臨んだ。
(情報最大の価値はデータそのものじゃなく、そこから導き出される感性の共鳴という趣旨)
専門科目+英語の一次試験は解答用紙を取り間違えたかもしれないという
アクシデントにみまわれたのでだいぶん混乱したが何とか突破。
15人の教授の前で一人でおこなう二次試験(学術プレゼンテーション)は、
二度やりやって三度爆笑を取ったので「これで落ちたらもう仕方ない」と感じられた。
知り合いから事前に「突込みが半端じゃなく厳しい」とか、
「泣き出した人や怒って帰った人までいる」とか、
「全く違う専門分野からの質問が来るので本当に大変」とかとか
いろいろと聞かされていたのでかなり覚悟して挑んだが
実際にやってみると確かに厳しいものの相槌は打ってくれるし、
来てほしいと思ったところに突っ込んでくれるのでやりにくさは感じなかった。
面接やプレゼンという意味では吉本興業インターンシップ選定、
産学協同事業での木村常務へのプレゼンテーションや数社の就職面接を通して、
面接&プレゼン突破の名手と言われたこともあったが、
今回は学術分野でそれも15人という”当てに”いけない状況だったので
不安なことも多かったが何とか突破できた。
(HP運営の経験がキャリアとして認められたのがひそかに嬉しい)

思えば阿倍野高校に定員割れですべり込み、卒業の際にはトップレベル。
それでも立命館大学政策科学部へは一浪でやっと補欠合格、
卒業の際にはモデル学生として最高評価を受けた。
しかし大学院へは推薦ではなく一般入試でようやく合格、
そしていま東京大学大学院へ進学と、
僕の人生は常にギリギリで入ってトップで出るというのを繰り返している。
(吉本興業インターンシップもギリギリ通過だったとのこと)
ここまでくれば東大卒業の際にも一番いい結果を
生み出したいという気持ちが起こってくる。

一方で今回の反省点としては妙にバタバタしてしまったということだろうか。
OHP資料の作り方やスーツをめぐって24時間以内で大阪と東京を行き来したり、
直前までキンコーズでプリントアウトをしたりと落ち着かなかった。
ちょうど大河ドラマ『利家とまつ』が本能寺の変以後から
豊臣秀吉が天下を取るまでの間を放映していて、
『新史 太閤記』(司馬遼太郎)の中国大返しの項を思い出したので
あの場面の秀吉の起動力を考えると大阪~東京間の移動が苦痛にはならなかった。
そういう混乱の中の方が燃えるタイプだとはいえ、
いつもうまくいくとは限らないのでこれは今後の反省にしたい。

また、忘れてはいけないのが僕を助けてくれたまわりのサポートだ。
HPを資料として提出する際には掲示板のオフライン使用について
Jackと彼の後輩の助けを受けたし、推薦文はMさんに書いてもらった。
先輩になる牟田ちゃんや渋川にアドヴァイスを受けたことも大きいし、
AWAYの地である東京でのOHP資料作成やプリントアウト作業などの際には、
矢尾ちゃんやITOの協力や場所の提供があったからこそできたことだ。
ゼロ戦乗りの本『大空のサムライ』をこの試験の前後に読書していて、
自分はゼロ戦乗りのように戦うのだと思っていたが、
彼らの有機的な人的ネットワークはあたかも空母のように僕を支援してくれた。
「人生の半分は運で決まる」(マキアヴェリ)というが、
めぐまれた対人運にはつくづく感謝したい。

2002 9/6
出来事メモ、はしり書き、まいぽえむ

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政策科学研究科修士課程修了式03.21.02

3年間にわたる修士課程の終了式。
就職状況が超氷河期の中で内定を辞退してまで来た大学院だがこの3年間は常に
「就職した時と比べて自分は成長しているのだろうか」という思いがついてまわった。
目に見える成果としての事々を振り返ってみると・・・
・ずっと読みたい&読むべきと思っていた本たちを読んだ。
・吉本興業インターンシッププロジェクトを最後まで見取った。
・公費でのモンゴルプロジェクトを実現させた。
・ある企業とある企業の初会合を運営することができた。
・ホームページを立ち上げて自らのメディアを持てた。
・進路を明確化させてそれと矛盾するかもしれない修士論文を書き上げた。
・・・など意外に充実していたかもしれない。
プライベートでも今までそれほど気づかなかった
自分の感情を否が応でも自覚することができた。

一時は研究の面も学内行動の面も対外的活動の面も私生活の面も、
何もかもが暗雲立ち込めて自分を見失うような時期が何度かあったが
何とかマイナス面をせめてトントンに、
できればプラスに転換させようと意識し続けたのが
つぶれずつぶされずやり抜けた原因の一つだろうか。

ちなみに式典や卒業パーティは7年間にわたる立命館大学生活の終わりでもあるので
『就職!!インターンシップ』(学生援護会)を大量購入して
自分のホームページのアドレスを貼ってから学内の各組織に渡した。
埃がかぶりつつある自分のインターン体験と誰かのインターン体験が共鳴することで
単なるメモがメモ以上の機能と価値を発揮するということを感じ始めている。

2002 3/21
出来事メモ、はしり書き

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